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医局にあった「精神医療」という雑誌を読んだら
発達障害についての座談会が載っていた。
チラチラ読んでみると、とても面白かった。
「発達障害」というラベルを患者さんに貼ることで、
その実状がかえって見えにくくなるという話。
なんでもそうだけど、ラベルとして成立している概念は
その中核群は本当に特殊なもので、
「発達障害」というしかないものなんだろうけど、
それがブランド化すると、色んなものをその概念の中に巻き込んでいく。
で、ちょっとおかしいんじゃないかという時に、
原点に返って考えてみようというのはわかる話。
じゃあ、原点ってなんだろうというときに
座談会に参加していた精神科医じゃない人が
日本的には「おくれ」って表現してたんじゃないかって。
ああ、そういう見方っていいなと思った。
人によっては侮辱的な表現ととるかもしれないけど、
その人の属する社会の中にちゃんと位置づけられる。
ラベルを貼るとは、「違うもの」として整理すること。
「おくれ」というのは伸びを待とうという意味で、
社会からその人をはじき出さないと思う。
座談会の中でも語られていたけど、
朝青龍のことは、本当は相撲協会の中のお話。
それを解離とか衰弱とか精神科医がラベルを貼ることで、
その社会の秩序を揺さぶって、そのつけは本人にも及んでしまう。
あの騒動は色んな思惑が絡んで微妙に落ち着いたけど、
相撲界や本人に及ぼした影響は、
これからはっきりして来るんだと思う。
精神科医じゃない人は、ラベルを貼りすぎることで、
その社会の秩序が揺るがされる!
(本人が疎外されるしかない!)と言っているのに、
やっぱり精神科の先生のいうことは
「ラベルの中身をちゃんと規定しないと」。
あくまで社会からじゃなくて、個人から見ている。
精神科医としてはそうあるべきなんだろうけど。
僕としては、「おくれ」の子達が少しずつ伸びていくのを
見守ることが当たり前であった社会が、
何故障害としてラベリングしないとすまなくなったのかを
わかりやすく話してほしかった。
座談会の最初の方に少し書いてあったけど、
そういう子達を支えていたのは教育・福祉・医療で、
それが産業構造の変化で影響を受けてこうなったとか。
その辺の話もよくわかる話で十分面白かったけど・・。
発達障害ラベルも、本当は「おくれ」という言葉同様、
「その子の伸びを見守る必要がありますよ」
というラベルであるべきなんだろう。
「これは異質なものです」ではいけないんだと思う。
でも社会では、けっこう異質なものというラベルで
使われていることが問題というところか。
「伸びを待つのが当たり前」という状況に
シフトするためには、何が必要なんだろう。
現状を肯定するなら、発達障害とラベルされた子達を
特殊教育で支えていくのをどんどん後押しすべきなんだろうけど、
特殊特殊とやってもあんまりみんな幸せになるような気がしない。
特殊を特殊として支え続ける余力は
社会になくなってきているように感じるんだけど。
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