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これだけこころの病に関心が寄せられるようになって、
うつ病キャンペーンで、世の中の人たちに
「もっと病気をわかって!」「差別しないで」と訴えている以上、
精神科医はもっと世間の人たちの目線で
この業界のことを考える必要があるんだと思う。
精神医療業界の常識はそのままでは世間に通用しない。
医療訴訟をみても、業界の常識は一切通用せず、
それがいいとかわるいとかではなく、
専門性のある領域はどこも「世間の常識」の波に
飲み込まれていると思う。警察しかり、学校しかり。
本来専門性というのは、
非日常を日常とするところに、その本質があるので、
世間の人たちの目で精神医療を見るならばおかしなことばかり。
おかしくて正解なんだけど、そのおかしさは、
順を追って考えればおかしくないことがわかるはず。
いきなり非日常(病気のこと)を語ってしまい
「この患者は幻覚妄想で殺されそうな恐怖を味わっているんだ」
とかいってしまうと、世間の人は「あ、そうなんですか」となる。
体験したことがないものは知識で「ふーん」とわかるか、
それがあまりにとっぴだと胡散臭く思うだけだろう。
だから僕は世間の人(患者の家族とか)と話すとき、
目に見える生活の1コマ1コマの事実から話すようにしている。
昨日、精神鑑定について書いた。
いいたかったことは、普段診療で使っている1対1の文脈は
世間の人の視線に耐えうるものではないということ。
患者さんの病気を肯定し、症状を肯定し、あらゆるものを
肯定する中でしか、心を病んだ患者さんの側には近づけない。
だから僕らは世間の常識より患者さん寄りのところに
「医者と患者の間の常識」を成立させる。
でも、患者さんを肯定することを一生懸命続けていると、
病気の人があたかも尊重されて当たり前のように思えてくる。
そんなドクターが僕の周りには多いからそう思う。
でも、僕はそれをとても危険な考え方だと思う。
医者はあくまで治療のためにそれを行うけど、
世間の人が見たら、健康であるほうが損であるかのように見えてしまう。
非日常を日常としている僕らは、患者の診方・対処法もまた
世間の目から見たらおかしいと自覚的であるべきだと思う。
だからこそ、みんなが見て納得する事実、生活の中での行動から
その人の状態を説明することが大事だと思っている。
同じ人間なんだから、誰が喜んで一日中布団を被って寝込むのか、
誰が喜んで毎日過食嘔吐を繰り返すのか。
同じ人間として、世間の人に自分の延長線上で患者さんをみてほしい。
それを病気でくるしんでいるから・・・という言い方で
強引に押し切るやり方は、ちょっと厳しいんだと思ってる。
異常を異常として認めさせるやり方は、
僕だって使うことが多いけど、本当は世間の人に
患者さんをまともに捉えてもらうやり方ではないと思う。
患者さんだって世間の中で生きているんだから、
まともに捉えてもらえないと幸せになれない気がする。
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