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僕の教えている研修医に5年目のドクターがアドバイス。
「ICD?そんなの使えないじゃん」
「ICDに当てはまる患者なんてこないよ」
「もっと病気を柔軟に考えたほうがいいよ」って。
5年目のホープくん。素敵すぎる。
柔軟に考えるとはどういうことだろう。
横断的な診断基準だけじゃ堅いというのだから、
何か別の基準~従来型の縦断的診断も加味して
考えたほうがいいよといっているんだろう。
たしかに縦断的なものの見方は絶対に必要。
生活歴から患者の人物像を描き、現病歴から病気の発展を見る。
なぜ患者がそういう病み方をしたのか、
患者を深く知ることで、治療にも深みが出る。
ただ・・・縦断的な見方というのは
強烈なまでに医師の資質に左右される。
医者の個人的な(独善的な)考え方に左右される。
そこには決まった作法というのが乏しく
分析とかどっぷりつかると、それなりの作法を習うけど
結局はその人の人間観とか、そういったものの成熟で
見方が決まってしまう。
悪い例が精神鑑定。
××かと思うような鑑定が多いけど、
鑑定自体、事件のあとから縦断的な見方を武器に
患者の当時の状態を推測して判断するしかない為、
鑑定する精神科医の人間観が色濃く反映されてしまう。
客観的に見たら、ちゃんと状況判断して殺人しているんだから
100パーセント責任ありに決まっているんだけど、
御立派な精神科医に多い「心を病む人ってかわいそう」な人間観が問題。
みんな無意識にかわいそうな人として患者を診る癖が付いていて、
それは医療の現場では患者の信頼を勝ち取る武器になるんだけど、
鑑定の現場では、事実の解釈の仕方が恣意的になってしまう。
ちょっといいすぎか。
言い方を変えると、精神科医は患者の味方たらんとして
仕事を続けていくうちに、それが自分の人間観にまで影響して
「人が悪いんじゃない。病気が悪いんだ」とかなってしまう。
で、病気に翻弄されたかわいそうな人としか人間が見れなくなる。
結局「この人は追い詰められていたんだ!」とかいって、
症状を大きめに取って心神喪失。
書いていると悲しいやら腹が立つやら。
「かわいそうな人」じゃなくて、「人」としてみろよ。
じゃないとどんどん精神科医が胡散臭く見られるじゃないか。
で、縦断的な見方は、後回しでもいいという話。
自分を振り返っても医師が普通の大人になるのは30歳前後。
卒業したてのころは異様なまでに世間知らずで、
恥ずかしい失敗を私生活で山ほど繰り返して、
結婚にも失敗して、それですこし大人になった。
自分の思い中心ではなく、そこから一歩引いて
社会中心でものが見れるように(少しだけ)なった。
自分の思いから人を見るうちは、ちょっと厳しいのだと思う。
だって、世の中かわいそうな人なんていないじゃない。
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