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2008.03.12 01:45 |  診療  |  研究  |  仕事 / 職場  |  なし  | 推薦数 : 2

臨床研究の考え方

大学院生を指導して困ることが多い。

たぶん、僕の研究というものの考え方が

上手く伝えられないから。

 

大学院生の多くは、既存の研究をそのまま踏襲したがる

いや、そうじゃないな。あまりものを考えず、先行論文を

参考にしてデータを集めたがる。

別に否定はしないし、やらせるんだけど、

何が面白いのかよくわからない。

 

それだけじゃ新しい展開が生まれにくい。

新しいビジョンが提示できにくい。

 

研究って、それまで積み上げられてきた研究成果に

「新しい何か」を積み上げること。

僕はそう教えられたし、そのとおりだと思うんだけど、

その話をすると大部分のやつは、

本当に先行研究を踏襲してちょっと形を変えたくらいで

データをだそうとする。

 

うーーーん。

先行研究をそのまま受け入れてどうするのかと思う。

テーマの事象を原点までさかのぼって

自分なりに規定しなおす作業がまず最初じゃないかな。

先行研究に「何か」を積みあげるには、

それをそのまま受け入れては無理のはず。

徹底的に先行研究を

「自分と同じような人が頑張った成果」と見て、

今ある研究の捨ててきたところや

ニッチに当たる部分を見据えないと。

 

 

あるブログで

「デザインとは橋の形を考えることではなく、

向こう岸へ野渡り方を考えることなのだ」

ということが書いてあった。

全くそのとおりだと思う。

 

 

例えば「産後うつ」をテーマに決めたのなら、

「地域支援」とかの手垢のついたデザインを

そのまま受け入れるとジリ貧になる。面白くない。

そうじゃなくて、どういう人が産後うつって呼ばれるような状態になって、

なんでこれがわざわざ問題とされるようになったのか

(虐待のと絡みとか)、

そういった「既存の橋をいじること」より

「向こう岸への渡るとこと」を考えるべきだと思う。

 

 

 

幸い、個性化の時代のおかげで

病気の中身は変わってきている。

向こう岸へわたることを考えるべき時期。

 

まあ、そういうのはまだ日本では

評価されないかもしれないけど・・ 

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2008.03.10 21:44 |  診療  |  なし  | 推薦数 : 2

患者の思いに近づくこと

患者の思いに寄り添うことは難しい。

世の中には「天才」がいて、

するっと患者の中にはいっていける人がいる。

でもそういう人はたいてい辛い幼児体験があって、

葛藤を経て生きてきた人。

僕のようにのほほんと生きてきた人間には真似できない。

 

でもそんな凡人でも天才に負けないくらい近づきたい。

そう思ってみんな研鑽を重ねてるんだと思う。

自分なりにわかったことは、

患者の気持ちはわかると思わないこと。

そうじゃなく、近づこうとあらゆる努力すること。

 

僕は予診がとった生活暦を読むのに時間をかける。

最近は、そこで感じた印象はほとんどの場合あたる。

たぶん今の日本で暮らす限り、

人は他人の評価から逃れられないから。

 

小学校低学年の子は

素直に先生の話が聞けないと大変だし、

中学年になると

人の話に合わせられないとうまくいかない。

高学年以降、思春期には、

過剰に人から見られた自分を気にするけど、

気にしすぎると周囲が見えなくなって自滅しちゃう。

高校ぐらいで人から見られた自分に

妥協できるようになれると楽になれるけど。

 

そういう「(自分にとっ大切な)他人の評価」や

「人から見られた自分」と折り合いをつけられないと

そのつど躓くしかないと思う。

 

その先はさらに厳しい。

世の中自体、20歳すぎて就職してない男性は

フリーターとかニートといわれ、

田舎では30近い女性が結婚せず子どもがいないと

何かあるんじゃないかと雑音がうるさい。

30過ぎた男性が派遣で生計を立てていると

社会人として半人前と思われたり、

金を稼げない男は立場なく批判され、

子どもがうまく生んだり育てられない女は

立場なく批判される。

 

ほかにも地方でいろんな「人の評価」があるんだと思う。 

こんなことまじめに書いたら

「差別主義者」とかいわれそうだけど、

どんなに奇麗事を言っても、コミュにはそこだけの

パラメータがあって、それはそこの社会でずっと

スタンダードだったこと。

個人はそこから外れざるえないことがどうしてもあって、

そういう「人の評価から外れること」を

生活歴から見つけることが

患者の思いに近づく材料になる。

 

 

・・・と思う。

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2008.03.08 23:05 |  診療  |  なし  | 推薦数 : 4

本当は患者に寄り添うことが全てだと思う

いろいろ書いているけど、

結局のところ精神科の治療は患者と向き合うことが全てだ。

相手の思いの傍まで寄り添っていって、

一人ぼっちで出来なかったことを、一緒にやる。

 

患者さんの周りにそうやって寄り添ってくれる資源があって、

それを総合的にプロデュース出来るならそれもいいと思った。

薬物療法を工夫して、セロクエルだのデパケンだの

ベストなチョイスを求めるのも素敵だ。家族病理に興味を持って

熱心に家族面接に時間を割くやつを尊敬する。認知行動療法とかで

患者自身をコントロールさせようと目指す姿勢を見ると気持ちが明るくなる。

みんないろんなアプローチで頑張ろうとしてる。

 

でも、精神科治療って、頭の中が独りぼっちになってしまった患者に

「俺がいるよ」とか、「一人じゃないよ」とか入っていくことが全てのはず。

いろんな患者さんがいるから、いろんなアプローチに派生するだけで。

 

先日勉強会に出て、不登校の子をどうしようという話が出て、

発達障害だから無理っぽいとか言うやつがいて、クソかと思った。

たしかに修正の効かないラインはあるが、

今この状況を改善するのに「発達障害だから」って何の意味があるのか。

その子はその子なりに頑張って行き詰っているのに、そこに

踏み込んでいかないで、高みから見下ろして批評しやがる。

御偉い先生方にはこの手が多くて吐き気がする。

 

それまでの人生でそれなりに生きてきた人が目の前にいて

なんとかこれからを生きようとしているのだから、

一緒に出来るレベルを探して頭をひねればいいだけじゃないか。

 

まあ、人を批判しないで自らを振りかえるなら、

上手く診療できない問題は患者さんの傍まで降りていけない能力のなさにある

素のままの自分で診れば、患者さんをみんな自分的な人としか見れない。

100人いれば、みんなキャラが違うのに。

それで、後輩たちはいろんな技法を学ぶけど、絶対違うと思うのは

人間が感情の動物ってこと。理屈でもの考えて

感情をコントロールしようとするのは医者とかそのへんくらい。

いや、それもうそだな。理屈は理屈。たいせつなのは感情。

世のなかのみんな、実は僕らも理屈に合わない行動ばかりしていて、

あとからそれを理屈で説明しようとしているだけ。

相手の思いにどう降りていくか。(続くかも)

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2008.03.06 00:52 |  診療  |  なし  | 推薦数 : 2

システムが患者を治す

病院で患者さんを治すのは何かという疑問。

最近は医者ではなく看護でもなく、システムなんじゃないかと思う。

 

昔から思っていたんですが、

医者になって5年目くらいの医師と、

ベテランのオーベンの治療成績って

実は大きな差がない気がする。

いわば、2割5分を打つバッターと3割打つバッターの違い程度。

1年にせいぜい10数本しかヒット数が違わない。

つまりは、オーベンクラスである僕たちは、

「僕じゃなきゃ治せない」とか言えるような患者さんは、

年に10人もいないということ。

 

これは精神医療が成熟したからなのか。

精神科の薬が進歩したからなのか。

もちろんそれはあると思うけれど、一番は

「精神科」というシステムが治療的なんだと思う。

患者さんは社会から外れて患者さんになるんだけど、

社会から外れてやってきた精神医療の世界は、患者中心主義。

社会では脇役以下でも精神科ではちゃんと主役としてその人を大事にする。

一般社会ではありえないような配慮をする。

 

それ自体が治療的。 

だから医師の仕事は、患者中心の世界をプロデュースすることかなと。

その流れの中で薬物療法も精神療法もなされるべきだと思う。

薬物療法だけが大切なのではなくて

その療法が患者さん中心のアプローチを

助長するものかどうか検討することが大事なんだと思う。

 

だからシステムの作成・整備はとても重要なことだと思う。

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