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精神療法をまじめにやればやるほど、
患者を1人で抱え込みすぎて、
集団の中に帰すのが怖くなった時期がある。
一人の患者の内面を考えれば考えるほど、
「弱いところ」が目に付いてしまい、
その弱さをどうカバーするかの方に頭が行く。
だから社会復帰を考えるとき、
「患者さんが耐えられるかな」と思うと胃が痛くなった。
例えば、思春期の患者さんがうつ状態と紹介されると、
担任教師と話す機会があるけれども、
感受性の強すぎる生徒をどうやって集団で見ているのか
どういう理屈で伸ばしているのか、不思議に思っていた。
きっかけは学校の教師の講演。なるほどと思った。
教師は一人一人のことなんか考える余裕はないとのこと。クラスにはいくつかの塊があるので、人を塊と見て、
こぼれないように塊を工夫するのだという。
だから学芸会や運動会や、いろんな催しが学校にあって、
いろんなパラメーターで塊が再編成される。
だから不登校は塊からこぼれる子なんだけど、
クラスで一番できない子(各パラメーターで最下位の子)
は不登校にならないとのこと。
こだわりがあって自分の役割というか、
役どころを演じきれない子が不登校になるらしい。
(このへんは意訳)
この話を聞いてから、弱い子は「弱い子」として
学校に返してやったらいいし、
仕事の遅い会社員は「できない人」として
職場に返すこともできるんだなとわかった。
集団のケツのほうの塊に紛れ込むのが目標。
要は社会での自分の役どころを受け入れられるか。
弱いところを何とかするのではなく、
弱いところを肯定できるようにすること。
ただ、最近思うのは、昔より患者さんが自分の役どころを
受け入れられなくなってきている感じがする。
抱え込んで相手の思いに寄り添うだけでは
一緒に迷走しそうな感じ。
夢とか目標が一般性を失って、
すべてが「個性的」になってきているせいだろうか。
学校の先生たちも同じ問題で悩んでいる気がする。
個性化というのは、ゴールの設定を難しくする。
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