哲学の先生に教わったことがある。
「現実は過程の複合体である」と。
「今」は未来に行く途上にあり、
「今」は過去の結果であると。
精神科の現場ではいつも身につまされる話。
目の前にくる患者の訴えは、荒唐無稽。
「突然やる気が出なくなって、毎日がただ苦しくて」
「突然、東京駅にいたんです。記憶が飛んでいて」
本人の感覚は突然なんだけど、
そうなるにはやっぱりプロセスがある。
原点は、旦那と喧嘩が続いているとかの話だったり。
みんな原点はただの好き嫌いの話で、
どこにでもころがっている単純なもの。
しかしそれが膨らんでいくと、貧困妄想とか、
意識消失発作とか、わけのわからない症状まで
高まってしまう。
人によって「なぜそこまで病的に高まるのか」
ということに興味はあるんだけど、
それはまた別の機会に。
患者さんの話を聞きながらいつも、
かっこつけずに、早くみもふたも無い話を
始めてくれないかと思っているんだけど、
それが出来ない迷路にはまっているから病気なんだし。
人間はプライドがあるから、恥知らずになれない。
恥知らずになれないから立っていられる
という面はあるけど、恥知らずになれれば
病気にならずにすむのにとも思う。
精神科の病気って、社会から断ち切られる
ときになるもんだと前に書いたけど、
それは相手に話を合わせなくなるから。
いや、喧嘩が多くなって、
相手に必要とされなくなってきた気がするなら、
それは自分の何かが問題なのかもしれないし、
相手との係が冷めたせいかもしれない。
事実を検討していかないと
理由はわからないはずなのに、
自分なりの理由を勝手に思いついちゃう。
それが相手と話が合わせられなくなること。
相手の理由と自分の理由が決定的にずれちゃう。
汗が出て動悸がする。急に不安に襲われる。
動きたいのにだるくて体が動かせない。
動かせないから具合がわるい。
自分の問題は、動悸とだるだ。だから上手くいかない。
そして、周囲に心配されたり、突き放されたりする中で
その症状は強化され、雪だるまのように膨らんでしまうんだと思う。
だから今目の前にある訴えを「ただあるもの」として
そのまま症状と考えてしまうと、
原点が見えなくなってしまう。
今あるものは原点の結果だと考えないと。
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