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2008.01.30 23:14 |  診療  |  仕事 / 職場  |  なし  | 推薦数 : 2

医療は必要悪である

今日、「教育は必要悪である」という言葉を見て、

鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。

 

「政治も教育も必要悪である。優れた政治家になるほど、

政治が必要悪である自覚を持つ。ところが理想に燃える教師ほど、

教育を必要悪ではなく、『善』だと思ってしまう」とのこと。

呉知英さんの言葉らしい。

 

これって、集団を相手に一つのルールを作り上げる仕事は、

(善を志向していても)必然的に善というカテゴリーに

とどまることが出来ないということだと思う。

その評価を下すのが集団の一人一人であるかぎり。

 

精神科の医療・・というか、医療も全く同じだと思った。

 

僕らは診察では11で患者さんに関わるけど、

全ての人にオーダーメイドの治療を!なんて、偉い老先生の戯言。

現場は毎日凄いスピードでフル回転しないと廻らない。

感覚的には「患者集団を相手に仕事する」気分。

 

そこでは、どんなに頭を使ってもオーダーメイドにはならない。

やっぱり自分流の進め方で通して、

それに合わない患者さんが手からこぼれ落ちる。

精神科は認識を扱う仕事なので、

合わないでこぼれる人の治療は失敗ということ。

 

で、問題は失敗した人の治療ばかり覚えている自分。

もちろん、それが自分の能力を高めてくれるのはわかっているけれども、

忙しくなって一日に診る患者さんが増えるほど、

こぼれる患者さんが増えていく。フォローしきれない。

「あの人に善いこと(治療)ができなかった」

これが結構、ダメージになる。

 

大学病院時代は、重い患者さんばかり診てたけど、

実は自由になる時間がたくさんあって(昔だが)、

1人の患者さんにこだわることができた。だからほぼ

オーダーメイド。こぼれることはほとんどない。

だから「善いことをしている自分」に自信満々だった。

 

でもなあ、贅沢が許されたから、

こぼれることが悪いことのように思うのだろう。

幼稚な正義感。医療も本質的には必要悪!

医師として自分が研鑽した「医療」を

患者さんに提示していけばそれでいいんだと思う。

それが患者さんの思いにあわず、反発されたり、

拒絶されたりするんだろうけど、それはそれで意味がある。

 

ちゃんと大きな声で、医師が一つの基準を示せば、

それを悪と捉えられても意味がある。

その規準を患者さんが踏み台にして、見方が広がる可能性があるから。

何も無いところには、変化・成長は現れない。

 

昔、自閉症を扱ったマンガを読んだ。

成長した自閉症児が自分の過去を語っていて、

「軍隊のような幼稚園」で厳しく躾けられたことと、

「やさしい先生の保育園」で自由気ままに学んだこと

が対比して書かれていた。

軍隊幼稚園は酷いところ!といいたかったようだが、

どう考えても自閉症児が本が書けるほど立派になったのは

構造化された厳しい訓練があったためだと思う。

 

だから僕らの声は大きくないといけない。

それは、そういう役どころだから。

充分な研鑽を積んだ声は、大きいだけで意味がある。

 

まあ、僕らが示す基準が、医療パッシングの為に

控えめにならざる得ない現実もあるわけだが。

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2008.01.29 22:09 |  診療  |  なし  | 推薦数 : 1

崩す治療と創る治療

思春期から青年期の患者さんを診ることが多くて、

ふと自分の診かたの変化に気がついた。 

 

医師になって4、5年目のころ。

患者さんの診方に少し自信がついて、

自分なりの方法論っぽいものを考えたりしてた。

当時は「崩し方を教える」やり方。

患者さんには、自分のルールが凝り固まっているせいで、

現実に適応できずに神経症圏になっている人がたくさんいた。

そういう患者さんに「ほら、こういう崩し方もあるんだよ」

とか教えて「いい加減にやる方法」を学ばせていた。 

 

でも、このやり方は、病気の人しか通用しない。

大学で診療していた頃は、選りすぐられた病気の人を診ていた。

民間病院にきてびっくりしたのは病気の人がほとんどいないこと。

正確には、大学病院で病んでいたレベルの人がいない。

大半が病気と診断されることをすぐ受け入れてくれる。 

 

「いいんだよ、頑張ったじゃねえか、無理すんなよ」

そんな言葉をぜんぜん受け入れない人たちを

少しずつ崩していくのが治療だと思っていたけど、

民間ではその言葉をひたすら待っている人ばかり。 

      

これは本当に医療なのか、本当は福祉とか、

ケースワークのレベルの話ではないのか。

とも考えたけど、やっぱりこれも医療・・・・

現状は徹底的に肯定しないと駄目。

         

 で、今やっていることは「頑張ったじゃないか無理すんなよ」

は同じでも、崩しは目的ではなく、コネクトするための手段。

崩しは導入。本命は生活の形を崩させずに粘ること。

病気を喜んで受け入れて社会から撤退する人は

自宅でもきちんとやるべき課題・果たすべき義務を設定すべき。

                 

昔は、思春期の子が適応障害で親が頑固な堅物だと

「親を変えなきゃ」と思ったものだが、今はまったく違う。

昔は、学校を休むなんてとんでもない!と怒り出す親と

けんか腰でやりあうなんてよくあったけど、幸せな治療だったと思う。

今は親が頑固な堅物だと「ラッキー」。 

頑固な堅物もこっちでやらないといけないのは大変。

        

自分の中に基準があって、自分に苦しむ患者を

社会に適応させるべく治療するのはたやすい(わかりやすい)。

基準が無い患者に基準を作りつつ治療するほうがずっと難しい。

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2008.01.28 16:01 |  診療  |  なし  | 推薦数 : 1

独立採算で失われるもの

公的医療への民間参入。

大学や公的病院を独立採算で。

医療費というか、社会保障費の削減は

なんだかんだいいながらどんどん進んでいる。

国が認めた方針に僕らは従うしかないけれども、

どれだけ恐ろしい未来が待っているかわかっているのだろうか。

   

金という基準で医療を測る。PFIや混合診療は

美しい看板だが、つまりはそういうこと。

そこに手をつけるということは国の形を変えることだと

わかっているのだろうか。

「形」を変えると、その形にそって中身は深まっていく。

     

先に日本は経済二流国になるから、官僚はそれを元に

先の絵を描いていると描いたけど、経済は二流でも、

消費重視の国に移行すればあと20年は今の水準でもつはず。

たのむから官僚は何もしないでほしい。

何もしないほうが国は長生きするし、その間に新しい力が台頭する。

      

下手に頭のいいやつは、ものごとをこじらせる。

腕のいい内科医は、末期ガン治療で患者の死期を早める。

本当は、静かにだらだら死なせて、生きてる時間の金で子どもを育て、

次の子たちが社会で活躍する絵があったっていいはず。

     

僕らはみんな目に見える範囲で仕事をする。

医者は患者(とその家族)を見ているつもりで・・・目の前のガンを。

官僚は中流階級の人たちを・・・みているつもりで、

自分の利害関係がからんだ上流の人たちを見ながら仕事をする。

そこで目に入らないものは、存在しないのと同じ。

下流の人は改革するほど追い詰められるからえらいことになる。

      

公立中学校における塾参入(夜スペ)のことを書いたけど、

あれが広まったら、犯罪率が今後急上昇するだろう。

       

精神科の医療現場でまじめに臨床していれば、

学校にいって不登校になった子と、

学校に行かなかった子の違いがわかるはず。

同じようでいて、「学校に長く通った子」は

感情が教育されているから、病院という枠の中で治療が出来る。

「学校にほとんど通わなかった子」は感情が教育されていないから

要求に際限がなく、枠の中での治療が極めて困難になる。

         

端的には、「今お菓子が食べたい」と思っても、

親や看護師に「忙しいからあとでね」といわれたら、

どっちの子もふてくされるけど、後者はいつまでもいつまでも、

自分の要求が満たされるまで引かない。

怒られると狂ったように暴れだす。

自分を自分で教育というかコントロールできないのだ。動物である。

       

夜スペはそういう子を大量生産する。

それまでかろうじて公的学校につながっていた子達が

公的学校がその使命を放棄することでつながりきれなくなって、

こぼれてしまう。こぼれる子の割合が増えるほどに

治安が悪くなるのは当然だろう。

社会の常識を肌で知らない子どもが大量生産されるのだから。

         

民間の公的機関への参入も同じ。

こぼれた人たちの行く末を考えれば、

自殺者が増え、犯罪率が上昇するのは間違いない。

正確には、医療や学校などの整備がきちんとされていなかった

戦争の前後のレベルに戻る(今よりずっと自殺も殺人も多い)。

医療が保持していた「社会の安心感」が崩れるのだから、

社会の間での信頼関係が崩れ、親切や思いやりといった言葉は

ぜいたくなものになるのだろう。金持ちの道楽。貴族のたしなみ。

自分が生き残るので精一杯なので、人は蹴落とすしかない世界がくる。

夜道が安全な社会なんて二度と帰ってこない。

          

みんなが健康に気をつける社会が出来る?

病気にならないように助け合う?

それはないない。だって社会に余裕がなくなっていくだけだもの。

医療が守っていた目に見えないものが壊れて、

金という目に見えるパラメーターしかなくなっていくんだろう。

こういう予想は本当に外れてほしい。

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2008.01.20 16:30 |  診療  |  なし  | 推薦数 : 2

医師と警官

昨日友人と飲みながら
警官って医師と似ているところがあるよねと話した。
「警察官」とか「医師」とかの職業名は
その属性が強烈過ぎるためか
相手が人間であることを忘れてしまいがち。

凶悪犯が暴れているとかなると、
「警察官」にきて解決してほしい。
僕は包丁を振り回す相手に向かっていきたくないけど、
警官は逮捕しないといけないはず。
「警官ならいってくれ」と。

やってくれて当たり前。
市民と同じように怖がる警官はパッシングをうける。
なんか、似ている。

でも、僕らは本当は
警察官も同じ人間なんだと知っている。
同じ人間なんだというスタンスに立てれば、
専門技術を駆使して凶悪犯に向った警察官には
感謝しかないはず。「がんばってくれてありがとう」と。

なんでそうならないんだろう。
マスコミがダニなのは今さらしょうがないとして、
たぶん、「個性化」がすすんでいることと無関係ではない気がする。

僕らの親父たちの世代。夢が一般性を持っていたころ、
「豊かになる」ために規範の中で生きることができた。
みんなのために頑張ることが自分のためでもあった。
今では引退した僕らの親の世代は、
「社会のために」という頭があったと思う。

今は違う。
みんなのために頑張っても自分のためになるかはわからない。
そういう意味で規範が崩れてきている時代。
豊かになって、夢といういより自分勝手な欲を描いて生きる。
「みんなのために」という頭がないから
相手の立場に立つという力が極端に低い。

だから今、みんな自分勝手に警官や医者を信じるんだと思う。
そうじゃない信用はしないけど、都合のいいときだけ信じる。
それは相手と同じ位置にたつことなく、
相手を人間としてみないで自分の欲をぶちまけているだけ。

多くの警官はそれを知っているから
無理してがんばるのをやめて、今ではすっかり役所の公務員。
だから、9時5時勤務で、仕事の遣り残しはたくさん。
そうじゃない「本物」もいるんだろうけど、
身内の事件やマスコミに取り上げられるときだけ大々的に捜査して
自分の出世に響かないようにする。
ふつうの人が警官にお願いしたって、立件してもらえないなんて
ホントによく聞く話。

だから、今の医療崩壊も、このままだったら、
警察と同じ・・・公務員+αくらいしかやらなくなって、
それが当たり前の世の中がくるのかもしれない。
最低限のサービスというやつの基準がぐっと下がる。

まあ、そうはいっても一医者としては、
同じ人間として会話してくれる患者さんの治療を熱を入れてがんばるしかない。
そうでない人はそれなりに。

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2008.01.19 17:11 |  診療  |  なし  | 推薦数 : 2

ダンジョンの難易度を下げる

なんとなく感じる治療の変化。
それは患者さんの変化なのか、自分の変化なのか。

 昔は、神経症圏やそこまでいかないような
不適応の患者さんを治療するとき、
「言語化」というものを大切に診察していた。
今も大切さは変わらないけれども、
「言語化」がうまくいかないケースが多い。

 神経症圏とは、現実の悩みが原点だけれども
それを悩むうちに、「悩みを悩む」ようになる病気。

 たとえば、パニックが心配で何もできないと訴える主婦。
破綻した夫婦関係やうまくいかない子育てが問題なのに、
それがきっかけで出てきた自律神経症状(動悸や発汗)
の方を心配するようになって・・・
「動悸がするようでパニックになる」とか。
「不安になることが不安」とか考え出す。
迷路に嵌っている状態だから、
もともとの悩みを言葉にして出して
もともとの悩みと向き合うことで、
治療するやり方が有効とされてきた。

 でも、最近治療の中で、「一緒に問題と向き合おうよ」
という流れがなかなか創れない。
症状が悪化しないですむ状況をつくることで精一杯。
 動悸がするから何もできないという患者さんに
生活を変える方向の話がもっていけない。
夫婦だけじゃ子供が育てられないので、
祖母に同居して子供の世話してもらったり、
主婦としてやることに制限をかけたり。
そういった「状況つくり」が自分の治療の主になっている。

 患者さんの「レベル上げ」「プレイの習熟」ではなく、
ダンジョンの難易度を下げることで対処している状況。
昔は難易度を下げるのが難しかったけど、
今はそれが一番簡単。
患者さんもそれを一番喜ぶし。
だからダンジョンの難易度を下げてばかり。

 でも自分自身、患者さんが喜ぶことを理由に
楽をしているだけかもと思う。
本当はそれじゃまずい気もする。
再発やら、再入院やら、精神科の患者さんの
リピーターが多いのはレベル上げをしないで社会に返すから。


患者さんも自分も、今を喜ぶより
「先のために頑張ることが大切だ」となれればいいのだが。

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2008.01.18 15:32 |  診療  |  なし  | 推薦数 : 1

夜スペシャルに学ぶ

5年先の状況を患者さんの立場から考えると、
受けられる医療の質と量が低下するという話になる。

医療はいままで、世の中の規範という形のないものに
支えられて体制を維持してきたのだから、
それが希薄になった今、レベルが落ちるのは仕方がない。

問題は、人間がレベルが落ちるのは仕方ないといって
それを受け入れることができるかということ。
たいてい受け入れられないから、
無理なところを維持しようとして歪みを作り出してしまう。

最近のニュースを見ていても同じ。
よくわからないけど、サブプライム何たらで原油高が続いて、
それにあわせて生活が変えられれば問題ないけど、
需要はとまらないから、とうもろこし畑が消える。
食料をバイオ燃料とやらに変える動きが出てきて、
むしろこっちのほうが生活を直撃する大問題に。

学校の現場でも公立中学に塾の先生が出向するとか。
社会がどんどん変わって教育のベースラインが下がる中、
それを何とかしようと導入したのだろうが、
それによって成績は上がるだろうけど、
「教育」の水準は下がるんじゃないだろうか。

精神科医療をしているとわかると思うが、
今は子供を育てたくない親がすごくたくさんいる。
まともに育てられない子達に
かろうじて社会を教えているのが公的な義務教育。
ただでさえ勉強に夢を描けない子が、
塾講師が主役になった中学校ですごせるはずなくて、
いったいどこに流れていくのか心配。
そして、そういう子達が10年後社会の主役を張るころには、
今よりも公共性のない社会になる気がする。

だから、いつだってうまく行かなくなった現状よりも、
それを何とかする行為のほうが被害を大きくする。
正確には、「目に付いた一部を何とかしようとする行為」のほうが
全体の被害を大きくする。

この論理は、たぶん精神科の患者さん個人の病理にも
共通していえることだろう。

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2008.01.17 18:20 |  診療  |  なし  | 推薦数 : 1

症例検討(RPG版)

自分の考えていることをゲームに例えると説明しやすい。
たぶん、診察するときの自分の思考プロセスがそうだから。
患者さんの話をゲームの場面みたいに抽象化して捉え返す。
     
抽象化してシンプルに捉え返す作業はとても有用だと思う。
実際にケースを検討してみる。
       
思春期ケースの家族からの相談。
高校入学後クラスに入れず、相談室に毎日休まず通っているらしい。
そこでスクールカウンセラーに「死にたい気持ち」を話したらしく、
それを危険と判断したカウンセラーが親に話し、病院に繋がった。
親から聞くと、家にいるときは笑ってテレビを見ていて、
休みの日は一緒に遊びに出かけるらしい。
死ぬ・死なないとかまったく話にあがらないので、
カウンセラーの話と、家での姿のギャップに戸惑っていた。
        
端的には、子どもが高校に適応できなかったということ。
勉強のスピードや同級生の成長についていけず、クラスにはいれない。
ダンジョンで詰まってしまって先に進めない状況。
レベル上げが必要だが、詰まったまま勝てないダンジョンに
挑戦し続け、なかなかレベルが上がらない。
どうしていいかわからなくなっている。
         
抽象化して考えると、ここが一番のポイントだとわかる。
普通そういうとき、毎日学校(相談室)にはいけない。
くたびれて、ダンジョン攻略をやめて休む。
または攻略本をさがしたり、人に攻略法を聞いたりする。
でもこの子はそうしないで(したけど駄目だったのかもしれない)
毎日相談室に行って「死にたい」という話をするようになる。
         
何故クラスに入れない子が、毎日学校に通えたのか?
好きで相談室に行っていたというのは、後の展開からして考えにくい。
親の指導に逆らえなかったというのが一番妥当な状況だろう。
親の指示どおり学校にいくが、クラスに入れない高校生。
クラスに入れないが、家には帰れないので朝から夕方まで相談室にいる。
この子は「自分で判断して行動する」力ではなく、
「指示に従う」力にポイントが振られているキャラなんだろう。
見方を変えれば親への依存が強い子。
「こうげきにせんねん」の指示を受けたNPCに近い状態かと。
        
そう考えると高校適応が難しいのもうなずける。
PCばかりのダンジョンで、NPCが声をかけられるのは最初の一回だけ。
関わっても面白みにかけるので、普通の子は相手をしなくなる。
レベル1819がごろごろいる高校では
レベルが低くてパーテイーが組めない。
ソロプレイでPK
          
で、この子が親の前で笑えるのは、
親の指示の範囲内で上手くやれているときだろう。
「今はダンジョン行かなくていいよ」
「フィールドじゃなく街で買い物してなさい」というとき。
親が一緒に笑っているときは、この子も笑えるということ。
そういう意味では、やはり精神疾患ではないのだろう。
成熟度(レベル)が低いのに、無理に難易度の高いダンジョンに
入れたのが間違い。
      
と、ここまでくると、
この子はレベル上げ出来る環境に導かないといけないのがわかる。
病気じゃないから、この子のペースで・・・・ではなく、
(このままでは病んでいく可能性もある)
親の考えを修正して、子どもに道をつくってやらないと。
えてしてこういう親は、自分が強いていることは忘れて
「お前のやりたいことをやっていいのに」とかいいだすので。
     
それ一番最悪なのに。

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2008.01.16 19:08 |  診療  |  なし  | 推薦数 : 1

RPGに学ぶ「ルーツ」

研修医に新患の診かたを教えていたころ。

優しくて真面目な子ほど患者の生活歴を読めなかった。

「虐待」があれば悲しい目にあった可哀想な人。

「いじめ」を受ければ辛い目にあっている被害者。

自分の主観でストーリーを組み上げてしまって

客観的な視点を失いがち。

 

RPGを結構やるようになって、

今なら昔よりは上手に教えられるかも。

新患は、医者の前にレベル29くらいでやってくる。

思春期の患者さんならレベル18くらいか。

どちらにせよ、戦士か魔術師か、賢者か、踊り子か。

キャラクターとしての方向性はだいたい定まっている。

 

生活歴を読むということは、患者さんが

自分自身をどうプレイしてきたか見るということ。

レベル1から始まって、経験値をためてレベルを上げる。

レベルが上がった時、ポイントをどこに振り分けたのか。

攻撃力か防御力か。

=社会で自分を主張する力か整える(守る)力か。

物理か魔法か。

=身体的能力を使ってか、頭を使ってか。

 

「虐待」という事実を見たら、

その経験値を何に振り分けたのか診ることが大切。

生活歴が現在の病状の理解にぐっと役立つようになる。

普通、防御力(痛みを感じないスキルとか)に振るから、

そこが特化されて魔法防御主戦型のキャラに

なることが多い。

 

思春期の患者さんを診ていると、

親の存在の大きさを感じる。

患者さんがどういうキャラを志向するかは親の影響。

親はたいてい魔法攻撃主戦型になってほしがるが、

その時々の子どもの気持ちを考えず、

攻撃力ばかりにポイントを振ってしまうと、

打たれ弱さが目立つようになる。

だったら、闘いでは後列に配置して、

前列に出ないようにしなくてはいけないのに・・・

病院にやってくる不登校やらうつの患者さんたちは、

みんな最前列で魔法を使おうとするから、

囲まれてボコボコにされてやってくる。

 

患者さんというキャラに、

親や患者さん自身は何を求めているのか、

それがどうポイントを振るかに繋がって、

キャラの肉付けをするのだと思う。

生活歴はそういう風に読むと面白い。

 

       

  *ちなみに魔法攻撃主戦型は、論理攻撃タイプと感情攻撃タイプに分かれる。論理タイプの上級職は賢者(エンジニアや医師)、感情タイプの上級職は魔術師(商社マンやマスコミ関係)などである。

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2008.01.15 15:41 |  診療  |  なし  | 推薦数 : 2

ADHDの大人

前から思っていたことだが、

多動、衝動性、不注意がある成人男性は、

世の中結構な割合でいるんじゃないだろうか。

というか、この競争社会で生き残っている男性って

多かれ少なかれその傾向を持ってる気がする。

 

先日ある女性の診察の中で、

常時仕事で走り回っている彼氏について相談を受けた。

「なぜ彼は、一緒に花見に行ったりして余暇を楽しむことが出来ないのか?」

彼女にしてみれば、彼女の為に花見に付き合うことはあっても

自分で楽しむことの無い彼がわからないのだという。

彼はいつも動いていて、やることなすこと唐突過ぎると。

結構高学歴の、頭のよさそうな彼氏。

2人で旅行に行くときも、空いた時間は仕事の書類を何気に読んでるらしい。

                

話しながら思ったのは少年ジャンプ。

うけるマンガのポイントは、努力・友情・勝利。

最近は友情のポイントが高くないが(孤高もオッケー)、

努力と勝利の戦いを延々と繰り返すのは変わらない。

たぶん、この彼氏の構成要素も同じもの。

というか、僕も同じなので人のことは言えない。

勝つ勝たないは別として、ずっと戦っていかないと落ち着かない。

バトルマニア。

 

その女性の相談にのって、うーん仕方ないよなあと思った。

その女性の構成要素は、愛情・庇護・安定でできているから、

いわばマグロとマンボウが一緒にすごすようなもので、

マグロに安定を求めたら、マグロをやめないと死んでしまう。

 

で、本題はマグロってADHDといってもいいじゃないかってこと。

ジャンプに出てくる主人公達はみんな衝動性の塊。

今の30台はジャンプ大好き世代で、300万部とか売れたのは、

みんなジャンプ要素を持っているからだと思う。

だから、本来ADHDという概念は、社会化の問題なんだと思う。

どの程度自分をわかって、どの程度社会にあわせることが出来るのか。

多動や衝動性の程度から考えるとたぶん間違う気がする。

多動や衝動性の背後にある社会化の程度が問題。

なんちゃってうつ病と同じ。

 

この女性の相談に戻ると

彼氏がその女性に合わせることは難しいけれども、

マグロはマグロなりに、マンボウを必要としていると思う。

マグロは走ること自体が目的になりがちで、自分で何を求めているのか

わからなくなることがある。何が幸せなのか、

教えてくれるのはたぶんマンボウ。

だからその女性には頑張れといってあげた。

 

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2008.01.14 17:41 |  診療  |  なし  | 推薦数 : 2

思いと役割の対立

精神療法をまじめにやればやるほど、

患者を1人で抱え込みすぎて、

集団の中に帰すのが怖くなった時期がある。

 

一人の患者の内面を考えれば考えるほど、

「弱いところ」が目に付いてしまい、

その弱さをどうカバーするかの方に頭が行く。

だから社会復帰を考えるとき、

「患者さんが耐えられるかな」と思うと胃が痛くなった。

 

例えば、思春期の患者さんがうつ状態と紹介されると、

担任教師と話す機会があるけれども、

感受性の強すぎる生徒をどうやって集団で見ているのか

どういう理屈で伸ばしているのか、不思議に思っていた。

 

きっかけは学校の教師の講演。なるほどと思った。

教師は一人一人のことなんか考える余裕はないとのこと。

クラスにはいくつかの塊があるので、人を塊と見て、

こぼれないように塊を工夫するのだという。

だから学芸会や運動会や、いろんな催しが学校にあって、

いろんなパラメーターで塊が再編成される。

 

だから不登校は塊からこぼれる子なんだけど、

クラスで一番できない子(各パラメーターで最下位の子)

は不登校にならないとのこと。

こだわりがあって自分の役割というか、

役どころを演じきれない子が不登校になるらしい。

(このへんは意訳)

 

この話を聞いてから、弱い子は「弱い子」として

学校に返してやったらいいし、

仕事の遅い会社員は「できない人」として

職場に返すこともできるんだなとわかった。

集団のケツのほうの塊に紛れ込むのが目標。

要は社会での自分の役どころを受け入れられるか。

弱いところを何とかするのではなく、

弱いところを肯定できるようにすること。

  

ただ、最近思うのは、昔より患者さんが自分の役どころを

受け入れられなくなってきている感じがする。

抱え込んで相手の思いに寄り添うだけでは

一緒に迷走しそうな感じ。

夢とか目標が一般性を失って、

すべてが「個性的」になってきているせいだろうか。

学校の先生たちも同じ問題で悩んでいる気がする。

   

個性化というのは、ゴールの設定を難しくする。

 

 

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