昨日のNHK ETV特集を見ました。
「~裁判員へ 元死刑囚 免田栄の旅~」
http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html
1949年に強盗殺人の罪で死刑判決を受けていた元死刑囚、免田栄さんは、34年間投獄されて後、無罪判決が出てようやく無実の罪であることが証明された人です。
戦後間もないころだから、捜査も取り調べもずさんだったんだろう、と過去のことにしてしまうわけにはいきません。
えん罪事件は、過去も今も、変わりなく作られているのですから。
最近にわかに注目された足利事件も、1990年に発生し、菅家利和さんが逮捕されたのは1991年。たった20年前の話です。
過去の様々なえん罪事件の大きな原因が、「自白」に頼る日本の警察や検察の捜査手法、取り調べ手法にあると指摘されています。
普通に生活している人間にとって、逮捕され取り調べを受けることの恐怖、周りから隔離されていることの恐怖は、そう長く耐えられるものではありません。
「自白したら釈放してやる。」―
検察のやり方です。
自白しなければ、拘置所に留め置かれて、1日に何時間も取り調べを受けることになります。
免田さんは、「推定無罪」ということを口にしていました。
裁判員制度を始めることの前提として、全ての国民が「推定無罪」の原則を本当にわかっているのか、という疑問を呈していました。
すなわち、犯罪者の疑いをかけられた時、その人が罪を犯したことを警察と検察が証明できなければ、その人は「無罪」であるという原則です。
今のところ、罪を認めていない被告人を裁判員が裁いた裁判はないようですが、今後被告人が罪を否認している裁判を裁判員裁判で裁く場合に、検察のストーリーにひっぱられて、えん罪事件が作られていくのではないか、ということを免田さんはとても心配しているようでした。
なにより、強要された自白を根拠に犯罪者にされてしまう恐れがある、ということでしょう。
裁判員裁判は、多数決で判決が決まるそうですが、毅然として「無罪」判決を出すことのできる裁判員がどれほどいるのでしょうか。
免田さんにしても、菅家さんにしても、えん罪事件の被害者となったがために、本当なら、ごく普通の人生を歩んでいたはずなのに、何十年もの時間を刑務所で過ごし、自由の身になったらなったで、えん罪事件をなくすための社会的活動まで担わされています。
警察も、検察も、裁判所も、えん罪事件に対して何の責任も負うことはありません。
あの人たちは、最も法に守られている人たちです。
私は、もう一つの罪についても、考えます。
免田さん、菅家さんを犯人に仕立ててしまったことは、真犯人を見逃してしまったことでもあります。
裁くべき人間をそのままにしたことの、その責任もまた、誰も負うことはないのです。
もし、見逃された真犯人が、第二、第三の犯罪を犯していたとしたら…
その事件が未解決のままだとしたら…
自白偏重主義をやめ、取り調べの可視化をしなければ、この法に守られた無責任体制は、裁判員になりうる私たちにも、その一端をになわされることになるのではないでしょうか。
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