がぜん注目をあびていた、裁判員制度のもとでの裁判第一号。
女性を刺殺したと起訴された被告は、殺したことを認めていたので、最終的にどんな「量刑」になるのか、が注目されていました。
今回の裁判員に選ばれた方々は、お疲れさまでした。
選ばれた気持ちは人それぞれにしても、マスコミの注目を浴びる中での初めての裁判員ですから、やはりまずは、その労をねぎらうべきなのでしょう。
そう、労をねぎらう―
決して批判や非難ができる雰囲気では、ありません。
そして、最高の称賛の言葉として用いられたのが、
「市民感覚」
もう、あの裁判をどう論じるにしても、「市民感覚」とさえ表現しておけば、すべて丸くおさまるかのごとく使われているのですが、私には「市民感覚」の本体がよくわからないのです。
「市民感覚」って、なんでしょうか。
普通の感覚?
では、普通って何?
そしてまた、その市民感覚なるものが、いったい殺人事件を犯した犯人を裁くのに、どれほど有用なものなのか、私にはまったくわかりません。
もう、始まってしまった裁判員制度をいまさら批判してもしょうがない、裁判員もみんながんばってるんだからサ、的なあいまいな感じ。
「市民感覚」という言葉は、それを一言で言い表しているような気がしてなりません。
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