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2009.06.30 12:56 |  医療制度 / 行政  |  生活 / くらし  |  その他(医療関連)  |  三毛猫  | 推薦数 : 5

恫喝

 「2000人殺したのと同じだ! まだ殺し続ける気か!」

 

昨日のテレビ朝日系「TVタックル」で、自民党の河野太郎議員が、共産党の小池晃議員に投げつけた言葉です。

脳死臓器移植について、子供の脳死臨調を作り1年間議論すべきだと主張した小池議員に、河野太郎議員がいらだちをぶつけた瞬間でした。

政治評論家の三宅久之氏も、大きな声をあげて小池議員を非難しました。

 

私が恐れているのは、まさにこの「恫喝」です。

 

「脳死」が人の死とされ、本人の意思確認ができない場合は家族の同意で臓器提供ができるとされる新しい法案(いわゆるA案)は、臓器提供の同意が得られない限り脳死判定を受けることはなく、脳死と判断されないのだから、「死」と判断されない、という理屈。

 

でも、「人の命のため」という大義を出されると、脳死判定を拒んだその時点で、「助けられる命を助けなかった」と非難されるのではないかという思いに、私はかられるのです。

A案の推進者である河野太郎氏がテレビ番組の中で、法案に反対する人間を「人殺し」扱いして、恫喝するその姿を見れば、「人助け」に協力しない私自身も、恫喝されているような気持ちになります。

 

脳死臓器移植が一向に進まないことに苛立っているのは手に取るように分かりますが、脳死臓器移植というのは、他人の善意にすがるようなものであり、その善意を強要されるような雰囲気があってはならない、と私は思います。

 

でも、昨日のテレビを見る限り、脳死判定を拒む側の方が、圧倒的に立場が不利であるという気がしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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