2009.06.18 13:06 |  仕事 / 職場  |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  三毛猫  | 推薦数 : 2

新聞記事の作られ方

西松建設事件にからんだ小沢一郎氏の秘書逮捕事件以降、私は、新聞というメディアに絶望感すら抱いておりました。

 

先日CS放送の朝日ニュースターの、「ニュースの真相」という番組内で、鳩山邦夫氏の元秘書で、現在自民党の国会議員という人がゲストで出ていました。

名前は、残念ながら忘れてしまいました。

その日のテーマは、鳩山邦夫氏の総務大臣更迭劇の真相を語る、ということでしたが、その中で「取材に来た新聞記者が、自分が書いた記事を社にあげると、翌日違う内容の記事になっていると嘆いている。」、というようなことを言っていました。

 

新聞記事と言うのは、記者が書いた記事をそのまま載せるわけではない… ということでしょうか。

いわゆる「デスク」という人が、下っ端の記者が取材して書いた記事に手を加え、○○新聞社としての記事を作り上げる…

「見出し」も、実は新聞記者が考えているのではない、ということは、別のところで聞いたことがあります。

 

新聞記者の中では、政治部がエリートであり、たとえば文芸部の記者などは、出世コースから外れる、というような話も、どこかで聞いた覚えがあります。

 

いずれも、見聞きしたことであり、実際に新聞記者から聞いた話ではありません。

でも、ひょっとしてそういうことが真実であるとすれば、つじつまが合うような気がしてなりません。

 

会社でもなんでも、組織を構成する人間よりも、組織そのものの存続のために、正義や本音というものが握りつぶされることがあります。

その結果、組織を構成する人間がモチベーションを失い、モラルを失い… やがて組織そのものが崩壊するということは、珍しいことではありません。

 

新聞について最近気づいたことは、新聞記者でない、ある分野のプロフェッショナルが寄稿した記事が、案外読み応えがあり説得力があるということです。

名前も顔写真も、略歴ものっているから、その文章にプロとして責任を持とうとする気概も感じられます。

 

6月17日付の朝日新聞に載っていた、辺見庸という人の書いた「死刑制度」についての記事は、そういう思いを抱かせる記事でした。

 

新聞社がつぶれたら、そのような記事が世間の目に触れる機会を失うことになるのだとしたら、それはそれでとても残念な気がします。

 

新聞というマスメディアは、「新聞社という組織」をどう考えるのか、一度そういう視点で自らを総点検する必要があるのではないだろうか、と、このところ、そういうことを感じています。

 

 

 

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