医療や介護、年金の不安から解消されないまま、消費誘導型の経済政策が続いています。

もう何年も前から問題になっているのに、一向に解決しない医療、介護、年金について思いをはせているうちに、「日本人の公共心」について、考え込んでしまいました。

 

高福祉高負担の成功例として、スウェーデンなどの北欧の社会福祉政策が取り上げられることがあります。

でも、かなり高額な税金を負担しても、社会福祉が充実しているという安心感で成り立っている彼らの政策が、日本で可能かどうかについて、一度は考えてみなければなりません。

 

こういう政策を皆が納得する形で維持していくためには、社会の中に高いモラルが求められるのではないか、と思うのです。

 

かつての日本は―それがいつごろまでを指すのかは明確には答えられませんが―例えば「働けるのに働かず、生活保護を受けている人」のような人を、あまり詮索せず黙認しているようなところがありました。

役所も、本当に生活保護を必要としている人を漏れなく助けるために、不必要な人も広く囲って生活保護費を支給していたのではないかと思います。

 

ところが、増え続ける日本の借金に警鐘が鳴らされ、少子高齢化の進行が、社会保障という最後の砦ともいえるセーフティネットに費やす税金にさえも、厳しい目を向けさせるようになり、カバーする範囲は、次々に狭められてきました。

 

もちろん、不必要な人が弱者を装って税金による保護を受けるということは正しいことではありません。

ましてや、北欧並みに税金が高くなった場合には、今以上に、無駄にされたくないという気持ちが、納税者には働くと思います。

私自身も、いずれ自分が社会保障のお世話になることがあるにしても、納めた税金を無駄にしてもらっては困ると、今でさえ思っているのです。

 

北欧ではどうなのでしょうか。

必要な人が必要な社会保障を安心して受けている一方、不必要な人に不必要なお金が流れないようなしくみがあるのでしょうか。

北欧の人々は、自分を律することのできる人ばかりなのでしょうか。

なぜ、北欧で、あのような政策が成功しているのでしょうか。

 

日本では、例えば給食費を払えるのに払わない人、

税金を払えるのに払わない人、

目が見えるのに盲目を装って障害者手当を受け取る人、

普通に歩けるのに、身体障害を装って介護保険の世話になる人、

すでに亡くなっている家族の年金をもらい続けて、自分の趣味に使ってしまう人、

など、およそ公共心のない人が増えてきています。

 

いえ、本当に「増えてきている」のか、これまでは社会がただ関心をもたなかっただけなのかはわかりません。

 

もともと、日本人は公共心の高い気質だったのかどうか、実は昔からあまり公共心のない人が多かったのかどうか、そしてこれから先、公共心の高い人が大多数となれるのか、そういうことも考えなければ、北欧型の社会福祉政策をただ導入すればいいと考えるのは、短絡的なのかもしれません。

 

官僚や政治家、企業経営者に高いモラルが求められることは言うまでもなく、日本人全体の「公共心」が高まらなければ、結局税金の無駄遣いは終わらず、私たちは安心できる社会を築けないのではないだろうか、と、そんな風なことを考えました。

 

 

 

 

 

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