メキシコ発ブタインフルエンザが、とうとうフェーズ5にランクされてしまいました。
今のところ日本国内での発症はないようですが、海外との人の行き来が止まっているわけではありませんし、潜伏期間のことも考えると、水際でウイルスの侵入を防ぐのはものすごく困難な気がします。
ウイルスに暴露されないように、ひとりひとりが対策を講じる必要性が出てきました。
うがい、マスク、手洗い、というのは、とても単純なことでありながら、日常的にかかる風邪から、今回のような新型インフルエンザまで、自分でできる予防の第一歩ともいえるべきことです。
その、「マスク」が気になります。
毎日空港の様子がテレビで映されるのですが、マスクのつけかたがバラバラで、正しくない方法でつけている人も散見されるのです。
鼻の穴がマスクの外に出てしまっている人。
マスクが鼻でテントのようになって、顔とマスクの間に隙間ができてしまっている人。
マスクは、つけてさえいればいいというものではありません。
マスクには、くしゃみや咳で病原体が周囲にまきちらされるのを防ぐ役割や、他人のくしゃみや咳でまきちらされる病原体を吸い込むのを防ぐ役割があります。
だから、鼻の穴はきっちりとマスクの下へ覆っておく必要がありますし、マスクの縁は、顔面にぴっちりと接触させておく必要があるのです。
どんなに性能のいいマスクをつけていても、つけ方が悪ければ、まったく意味がなくなってしまいます。
マスク、手洗い、うがい。
呪文のように唱えるだけでなく、関係機関や地方自治体は、マスクの正しいつけ方についても、強調してもらいたいと思います。
ブタインフルエンザの流行で、世界的な経済問題でさえかすんでしまったかのような、ここ数日です。
私は、養豚場でインフルエンザにかかった豚がいて、その豚から人間にインフルエンザウイルスが感染して、それが広がった、と思っていました。
でも、今のところ、感染源となった豚とか、最初に今回のブタインフルエンザを発症したのはだれか、ということはわからないらしいのです。
感染源はわからないけれど、メキシコでインフルエンザの流行がなかなかおさまらないので、調べてみたら、患者さんからブタインフルエンザウイルスが検出されたということのようです。
豚がブタインフルエンザのウイルスに感染しても、軽い咳とか鼻水程度のまま1週間程度で自然に治ってしまうそうです。
だから、豚を飼っている人が、自分の豚に風邪症状が出ていても、軽いし自然に治るので、処分したりはしないそうです。
人間がかかるA型のインフルエンザでも、今回のブタインフルエンザと同じH1N1型というのがありますが、遺伝子配列が違うので、それによって区別するようです。
「最近メキシコに行ったんですけど、寒気がしてせきと鼻水が出ます。」
という患者さんが来たら、どうしたらいいんでしょう。
インフルエンザの検査キットでインフルエンザウイルスに感染しているかどうかはわかりますけど、それがブタインフルエンザなのか、既知のインフルエンザなのかは区別できません。
診断キットは、インフルエンザウイルスかどうか、と、A型かB型か、しかわからないからです(簡易キットだからそれで十分だったんですが)。
今回のような特殊な状況がなければ、
「インフルエンザですね。」
ということで、タミフルなどを処方されて、それなりに治ってしまうかもしれません。
これから先は、渡航先などの情報を把握して、場合によってはウイルスの遺伝子解析まで行わなければならないということになるのでしょうか。
今問題になっているブタインフルエンザウイルスの遺伝子配列は、過去に豚や人間に感染したインフルエンザウイルスの遺伝子配列とは違っているそうです。
ややこしいですね。
ブタインフルエンザの遺伝子配列はしているけれど、ちょっとだけ配列が違ってきているということでしょうか。
Hナントカ、Nナントカ、という亜型の分類って、意味あるのかしら、と思ってしまいました。
トリインフルエンザに気を取られている間に、ブタインフルエンザが突如として問題になってしまいました。
トリインフルエンザの感染が報告されている地域を示した地図を見ると、今回のブタインフルエンザの人間への感染が報告された地域は、空白地帯ともいえるべきところ。
http://idsc.nih.go.jp/disease/avian_influenza/map-ai2009/tori090424.gif
何が起きているのでしょうか。
医学生のころから感染症が苦手だったので、国立感染症研究所のホームページの総説を読み、改めてインフルエンザウイルスについて学んでみました。
http://idsc.nih.go.jp/disease/influenza/intro.html
インフルエンザウイルスは、ウイルスの粒子の中にある核タンパク質の複合体の抗原性によって、3種類に分けられているのだそうです。
それが、A型、B型、C型。
B型やC型も、人間に感染するそうですが、人間以外に感染する動物の種類がかなり限られているせいか、極端に流行したり変異したりしにくいのだそうです。
問題は、A型。
A型のインフルエンザウイルスの表面には、赤血球凝集素とノイラミニダーゼという糖タンパクが飛び出ていて、赤血球凝集素にはH1~H16の16種類、ノイラミニダーゼにはN1~N9の9種類の種類があるんだそうです。
そして、A型インフルエンザウイルスは、HとNの組み合わせで亜型が存在するのですね。
H1N1とか、H3N5とか…
いくつあるのかな。16×9で144種類!?
そのうち人間で流行したA型インフルエンザの亜型は次の通り。
スペイン型(1918年~1957年ごろ):H1N1
アジア型(1957年~1968年ごろ):H2N2
香港型(1968年~現在まで):H3N2
ソ連型(1977年~現在まで):H1N1
同じ亜型でも、ちょっとずつ抗原性が違うらしく、スペイン型とソ連型では、同じH1N1だけど、スペイン型に効く予防接種でもスペイン型では効かないのだそうです。
香港型で40年、ソ連型で30年ずっと流行し続けているので、そろそろ新しいA型インフルエンザウイルスが人間で流行するのではと警戒されていた筆頭が、高病原性トリインフルエンザ(H5N1)なのですね。
今回メキシコで人間に感染したブタインフルエンザは、H1N1型なのだそうです。
ところで、メキシコでは豚の間でインフルエンザが流行っていたんでしょうか。
どこの養豚場で人に感染したんでしょうか。
その豚は、鶏の場合と同じように処分されたのでしょうか。
そのあたりの情報が、あまり伝わってきません。
どうやって、ブタインフルエンザが人間に感染した、とわかったのでしょうか。
パニックになる必要は全くないにしても、一番知りたい情報が伝わってこないので、ちょっといらいらします。
そもそも、厚生労働省が特定健診を、十分な検討もせずに導入するから、健保組合も健診の費用をねん出するのにひいひい言って、組合員の福利厚生費も削らねばならなくなって、いろんな批判が出るんです。
その根拠となっているのは、内臓型肥満がもとになって、糖尿病とか脂質異常症、高血圧などを合併するという研究結果から出ているんでしょう。
でも、あまりに世間の非難が大きすぎたのか、その後次々と、「少々肥っているほうが健康」とか、特定健診のおかげで医療費は余計に増える、などとあちこちで不満が噴出してしまいました。
最近は、特定健診導入を決めた厚生労働省がお金を出している「厚生労働省研究班」の研究結果が、あたかも「肥満」は問題ないかのような、また肥満より「やせ」のほうが問題だとか、そういう結論の発表をするもんだから、ますます特定健診の意義があやしくなってきてしまいました。
今朝報道された「若いころより体重が減る方が死亡率が高い」という研究報告(主任研究者・津金昌一郎国立がんセンター予防研究部長)。
論文が示されてないので詳細がわかりませんが、報道によれば、
ということらしいです。その結果で、
ということなんだそうです。
でも、人間いつかは何かの原因で死ぬんであって、しかも69歳の人を13年間も追跡したら、調査が終わった時点で82歳ですよ。
それに、長寿の研究でもよく触れられるように、やっぱり遺伝的な背景は無視できませんよねえ…
どういう年齢構成だったのか知りたいところだけど、この結果だけ見て、また「死亡率」だけ見ても、やせるほうが悪いとは言い切れませんよね。
むしろ、病気にかかる率の方が重要と私は思います。
それでもやせている人の方が病気にかかる率が高いのだったらそれなりに意味があると思いますけど。
あと、食生活の影響はどうなんでしょう。
それに、自主的に運動したりカロリーを制限したりして体重を積極的に減らした人は含まれているんでしょうか。
謎の多い研究結果です。
発表するなら、詳細がきちんとわかる状態で発表してほしいですね。
なんか、特定健診を強引に始めてしまったことへの懺悔のようなこういう研究報告は、太っている方が健康という安易なメッセージになってしまってよくありません。
結局、肥満が悪さをすることもあるし、無関係に生活習慣病を発病することもある、ということなんでしょうけれど。
疫学調査って、なんか胡散臭いなあと思う今日この頃です。
自民党の菅 義偉(すが よしひで)氏が、4月13日だったか、世間をあっと言わせるほどの選挙公約の例として、「世襲制の禁止」を語ったとして、自民党内ではちょっとした騒ぎになりましたけど…
そのあとあっという間にこのことについての議論は立ち消えになってしまいました。
政治家と言うのは、選挙が近くなると、何かと世間の耳目を集めるようなことをわざと言うんでしょうなあ…
本当に世襲を禁止するんなら、小泉純一郎氏の二男を、自民党は公認しないってことなんでしょうかね。
マスコミはだれもそこのところを突っ込んでなかったですね。
やれるもんなら、やってみたらどうでしょう。
小泉氏の後援会はカンカンになって怒るでしょうけど。
かつて、立候補の年齢を制限して、中曽根康博氏に引退を促した小泉氏。
今度、自分の二男が公認もらえないってことになったら、何と言うのか、聞いてみたいものです。
介護疲れで自殺する人が増えている、というニュースを見ました。
清水由貴子さんというタレントさんが、お父さんの墓前で自殺をされたそうです。
介護疲れが原因だったかもしれない、ということでした。
清水由貴子さんは、お母さんの介護に専念するために、タレントの仕事をやめていて、最近は派遣社員として働いていたという報道も見ました。
私は仕事柄、よく働く女性と話をします。
働く女性は、仕事以外の要因―子育てや家事、介護など―とのバランスを取りながら仕事をしなければならない人が多く、その分自分のために使える時間が少ない傾向があります。
そのため、とても目につくのは、身体的な疲労ということです。
そんなに疲れているのなら、仕事を辞めればいいのに、という意見があるかもしれません。
でも、実は働くこと、つまり社会とのつながりを持つということは、家事や子育て、介護に専念するよりも、精神面では健康でいられる、と私は思っています。
もちろん、家計をやりくりするために、やむにやまれず働いている女性もいます。
働く目的は人それぞれ、でしょう。
仕事をすれば、日常生活のどこかの時間を削らなければなりません。
家事も介護も子育ても、優先して時間を削ることはできません。
だから、結局自分のために使う時間を削るしかないでしょう。
たとえば、睡眠時間。
たとえば、ゆっくり食事をする時間。
たとえば、趣味に費やす時間。
それでも、やっぱり社会に出ていたいという女性が圧倒的に多いと思います。
家にいて、子育て、家事、介護だけしていて気分が晴れるかと言えば、なかなかそうはいかないのではないでしょうか。
人の中にいれば、自分と同じ境遇の人と出会って、互いに共感できるかもしれません。
あるいは、なにか有用な情報を教えてくれる人がいるかもしれません。
単純に愚痴を言うだけでも、少し日々の不満を解消できるかもしれません。
働くということは、ただ自分の技能を発揮して、お給料をもらうということだけではないとおもいます。
清水由貴子さんは、派遣社員として働いていたそうですが、お母さんの介護のために、ほとんど家の中にこもっていたんじゃないでしょうか。
同居されている妹さん以外、助けれくれる人はいなかったのでしょうか。
もっといえば、誰かに助けを求めなかったのでしょうか。
それとも、助けを求めても、誰も助けてくれない時代になってしまったのでしょうか。
自殺するほどに追い詰められるくらいなら、ちゃんと人手を借りて介護が成り立つように、財源も制度も整備して、やはり社会とのつながりを切らなくても済むような国にならなければいけないと、このニュースを見て、つくづく思いました。
防衛医科大学の教授が、電車に乗っている時に、女子高校生から痴漢をしたと言われて、逮捕・起訴された事件で、最高裁判所が「無罪」判決を出しました。
昨日サンデープロジェクトと言う番組に出演された教授は、とても痴漢などなさる風ではありませんでした。
もちろん、人を外見だけで判断してはいけませんけれど。
驚いたことが一つ。
一審、二審ともに初犯なのに(たぶん)、実刑判決が出ているということ。
え、痴漢で実刑?
どうしてそうなるのか、素人にはわかりませんが、私なりの解釈では、延々と続く取り調べの間、「やっていないものはやっていない」とつっぱねて、自白しなかったからではないか、と思っています。
この事件が「有罪」を前提に裁かれるとすれば、「やっていない」と主張することによって、「反省していない」と判断され、刑が重くなる(あるいは減刑されない)ということなんじゃないでしょうか。
「自白」すれば「刑が軽くなる」と言うのは、刑事の取り調べ中の常とう手段だと聞きます。
そして、確たる証拠がなくても、「自白」を根拠に有罪になるケース、しかもえん罪事件がいくつもある、ということを昨日の番組で紹介されていました。
身の潔白を主張しても、有罪になればそれがあだになってしまうということなのでしょうか。
苦し紛れに偽りの自白をしてしまえば、有力な証拠がなくても、結局有罪にされてしまうのでしょうか。
疑問に思ったことが一つあります。
この痴漢のえん罪事件で、あの教授に「痴漢をした」と言った女子高生は、なぜそういったのか、ということです。
本当に痴漢にあったとおもって、ひとちがいをしたのか。
痴漢になどあっていないのに、見ず知らずの人を陥れようとしたのか。
本当にあの教授が痴漢をはたらいたと思ったのか。
えん罪で逮捕起訴された側の弁護士さんや元被告の教授が発言する中、もう一人の当事者である女子高生側の言葉が全く聞かれません。
未成年と言うならば、せめて担当した弁護士が、記者会見を開いてもいいのではないでしょうか。
いったい、電車の中で何が起こったのか。
ごく普通の日常生活の中で、誰もが犯人に仕立て上げられるのだということを考えれば、何か自衛手段を取らなければ、今後も同じような事件が起こりうる気がします。
だからこそ、私は、「痴漢をされた」と主張したもう一方の当事者の言葉を聞きたいと思うのです。
週刊新潮が掲載した、朝日新聞社襲撃事件の犯人の手記が誤報であったことが、マスコミ界を騒がせています。
最近、テレビでも証言者が偽の証言をしていて、社長が退任する騒ぎになりました。
検察や霞が関のリーク情報をあたかも事実であるかのように垂れ流すマスコミ(特に記者クラブに入っている大マスコミ)の姿勢に、批判が出ていたさなかです。
こういうことが連続して起きたので、マスコミ全体に対する不信感が起きていることは間違いないと思います。
人間のすることだから、誤りを完全になくすことはできないと思います。
問題は、そういう不祥事が発生した時の、後始末の方法がきちんとできているかどうか、そこのところに、当事者の本当の力が現れるのではないでしょうか。
今回の週刊新潮のトラブルを見ていると、食品偽装の問題とよく似ていると感じます。
消費期限のラベルをつけかえたり、一度出した食材を他のお客さんに使いまわしたり、産地を偽装したり、有害な物質で汚染された原料を売りとばしたり…
こういう食品偽装は、偽装と分かっていてするのだから、今回の誤報とは根本的に異なります。
しかし、食品偽装で問題になった企業の、その後の顛末を見てみると、危機を乗り越えて再生したところと、廃業に至ったところと、その差は、
不祥事についての正しい問題分析を迅速に行ったかどうか
分析結果をきちんと公表して説明責任を果たしたかどうか
再発防止について大多数の人が納得できる対策を講じたかどうか
によって決まったんじゃないかと思います。
今回、週刊新潮の編集長は、個別に新聞社のみのインタビューに答えてはいますが、記者会見は開かず、テレビメディアへの説明はほとんどしていません。
つまり、顔が見えないのです。
また、今日発売の週刊新潮には、事の顛末を記事にしていると言いますが、それは雑誌を買った人でなければ目にすることはできません。
なんだ、結局、スクープの誤報を逆手にとった商売なんじゃないの、と私などはちょっと考えてしまいました。
誤報に至ったプロセスがそこで説明されているとしても、再発防止については、今のところ何も言っていないに等しいのではないか、とも思えます。
まあ、朝日新聞襲撃事件に対して、人々がどの程度関心をもっているのかはよくわかりませんし、もう昔の事件として風化しているのかもしれません。
だから、案外、今回の誤報について騒いでいるのは、同じマスメディア関係者だけなのかもしれません。
ただ、舌鋒鋭くいろいろなことを批判をしているマスコミ関係者が、自身の不祥事については、極端に露出度を減らしてしまうという行動は、見ていてあまり潔いものではありません。
さらに、既存のマスメディアに望むことは、このことが週刊新潮だけの問題ととらえずに、今マスメディアに充満している人々の「不信感」を払しょくするために必要なことを、真剣に考えてほしいということです。
医療や介護、年金の不安から解消されないまま、消費誘導型の経済政策が続いています。
もう何年も前から問題になっているのに、一向に解決しない医療、介護、年金について思いをはせているうちに、「日本人の公共心」について、考え込んでしまいました。
高福祉高負担の成功例として、スウェーデンなどの北欧の社会福祉政策が取り上げられることがあります。
でも、かなり高額な税金を負担しても、社会福祉が充実しているという安心感で成り立っている彼らの政策が、日本で可能かどうかについて、一度は考えてみなければなりません。
こういう政策を皆が納得する形で維持していくためには、社会の中に高いモラルが求められるのではないか、と思うのです。
かつての日本は―それがいつごろまでを指すのかは明確には答えられませんが―例えば「働けるのに働かず、生活保護を受けている人」のような人を、あまり詮索せず黙認しているようなところがありました。
役所も、本当に生活保護を必要としている人を漏れなく助けるために、不必要な人も広く囲って生活保護費を支給していたのではないかと思います。
ところが、増え続ける日本の借金に警鐘が鳴らされ、少子高齢化の進行が、社会保障という最後の砦ともいえるセーフティネットに費やす税金にさえも、厳しい目を向けさせるようになり、カバーする範囲は、次々に狭められてきました。
もちろん、不必要な人が弱者を装って税金による保護を受けるということは正しいことではありません。
ましてや、北欧並みに税金が高くなった場合には、今以上に、無駄にされたくないという気持ちが、納税者には働くと思います。
私自身も、いずれ自分が社会保障のお世話になることがあるにしても、納めた税金を無駄にしてもらっては困ると、今でさえ思っているのです。
北欧ではどうなのでしょうか。
必要な人が必要な社会保障を安心して受けている一方、不必要な人に不必要なお金が流れないようなしくみがあるのでしょうか。
北欧の人々は、自分を律することのできる人ばかりなのでしょうか。
なぜ、北欧で、あのような政策が成功しているのでしょうか。
日本では、例えば給食費を払えるのに払わない人、
税金を払えるのに払わない人、
目が見えるのに盲目を装って障害者手当を受け取る人、
普通に歩けるのに、身体障害を装って介護保険の世話になる人、
すでに亡くなっている家族の年金をもらい続けて、自分の趣味に使ってしまう人、
など、およそ公共心のない人が増えてきています。
いえ、本当に「増えてきている」のか、これまでは社会がただ関心をもたなかっただけなのかはわかりません。
もともと、日本人は公共心の高い気質だったのかどうか、実は昔からあまり公共心のない人が多かったのかどうか、そしてこれから先、公共心の高い人が大多数となれるのか、そういうことも考えなければ、北欧型の社会福祉政策をただ導入すればいいと考えるのは、短絡的なのかもしれません。
官僚や政治家、企業経営者に高いモラルが求められることは言うまでもなく、日本人全体の「公共心」が高まらなければ、結局税金の無駄遣いは終わらず、私たちは安心できる社会を築けないのではないだろうか、と、そんな風なことを考えました。
経済危機を言い訳にして、大借金地獄に陥ろうとしている日本。
記者会見で、日本人のタレントやモデルが表紙に映っている台湾のファッション雑誌を片手に、記者に偉そうに質問する我が国の総理大臣は、「明るいキャラ」の乗りで、衆議院の解散権をちらつかせながら、麻薬のような大盤振る舞いをやってのけようとしています。
追加の経済対策に15兆円。
その出所は、ほとんどが国債と報じられていますが、国債を買うお金は結局私たちが払った税金です。
霞が関改革は全くの手つかずのまま、ただでさえたまりにたまった借金を、さらに増やそうというのでしょうか。
縦割り組織の悪弊が厳然として残っている国の行政のしくみが残ったまま、いくら大金を投じても、効率のいい税金の使い方はできません。
その上に、多くの役人が天下る団体が国のお金を吸い取るしくみが残ったまま、麻生総理大臣は経済が回復基調に乗った時点での消費税アップを宣言しています。
消費税がアップされたら、もうその瞬間に、霞が関の無駄をあらわにしようという力は働かなくなるかもしれません。
「国がまわっているんだから、いいじゃないか」と。
ねじれ国会で、今まで覆い隠されていた霞が関のさまざまな無駄遣いの構造がせっかく明らかにされつつあったのに、何かもうそんなことは遠い昔のことであったかのように、じりじりと、日本は増税に向かってひた走っています。
追加の15兆円で、日本の経済がどのくらいの期間でどのような形で回復していくことを前提にしているのか、そして経済が計画通り回復した暁には、何パーセントの消費税アップを見込んでいるのか、それがまったく報じられないのだから、有権者はその政策の是非を判断することは全くできません。
「これだけお金を使うのだから、たぶんよくなるだろう。」
ぐらいの感覚で使っていい金額なのでしょうか。
もう、やりきれません。
自民党は、手のひらを返したように、麻生氏で選挙をやると言い出しました。
あんなに、「アソウでは戦えない。」と息巻いていたくせに。
この際、解散でもなんでもやってくれたらよろしい。
私は予定通り、民主党に投票しますから。
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