医学生のころ、角膜には血管が通っておらず、免疫機能が働きにくいので、角膜の感染症は治療が難しい、と習った覚えがあります。
たとえ点滴で抗生物質を投与しても、角膜まで届きにくい、と言う話でした。
抗生物質を点眼したとしても、涙ですぐに流れてしまいますし―。
銀座の眼科クリニックで、近視の治療手術を受けた患者さんの中に、多数の角膜感染症患者さんが出たというニュースを聞き、どきっとしました。
感染された患者さんには、一刻も早く適切な治療を受けていただいて、感染症が完治していただきたいと願います。
それにしても、つい数年前までは、近視の手術は近視が進まなくなる40歳以上でなければ適応がない、と聞いておりましたが、最近はそうでもなく、眼の成長が完成する20歳前後から手術適応があるのですね。
今回の角膜感染症患者さんのうち、19歳の患者さんはかなり重症で、失明の恐れもあるとメディアは報じておりました。
そんなわけないんじゃ…と思い、改めて近視のレーザー手術について調べてみましたら、技術も手術適応も、どんどん広がっていることがわかりました。
外科医のころは、血液や体液が眼に入らないよう、メガネを使っていましたが、その後はずっとコンタクトレンズにお世話になっています。
学生時代にも使っていたことがありました。
ハードコンタクトレンズはどうしても目が受け付けてくれず、ソフトコンタクトレンズを長く使用しています。
角膜の最も内側の細胞を「角膜内皮(ないひ)細胞」といいますが、やはり学生時代に、この角膜内皮細胞は再生しないのでコンタクトレンズ装用により角膜が酸欠になると、だんだん内皮細胞が減ってしまう、と教わりました。
それで、眼科ではいつも、ハードコンタクトレンズを勧められていました。
残念ながら私は、ずっとソフトコンタクトレンズでしたが。
今はワンデイタイプなので、それにかかる費用を考えれば、確かに手術で治るんであればそっちの方が結果的に安いし、快適なんだろうなあと思いましたが…
ただ、角膜という臓器は、かなりデリケートな臓器だということを考えると、ちょっと二の足を踏んでしまいます。
麻生総理大臣が、いそいそとホワイトハウスに招かれて行った、首相不在の昨日の閣議。
閣議前の様子をマスコミが撮影しますが、昨日はまん中に川村官房長官が座っていたような気がします。
ちらっとしか出ませんでしたから、絶対そうとは言い切れませんが。
支持率低迷でいまいち顔色のよくない麻生総理大臣の代わりに、これまた全く存在感のない川村氏がその席に座っているさまは、風前のともしびを見ているようで、ものすごく心配になってきました。
官房長官は、2000年以降は、内閣総理大臣臨時代理予定者だそうです。
総理大臣になんかあったら、その代わりを務めるんだそうな。
米国では、誰が副大統領候補になるか、で大統領候補までも右往左往するぐらい大騒ぎでしたけどねえ。
ただの人のええおっさんが、総理大臣の代わりは務められんでしょう。
総裁選挙にさえ出たこともないのに。
内閣改造、なんてことを某大臣が口走って、「総理大臣の専権事項に口出すなんてもってのほか」と批判されていますけど、改造するんなら官房長官を変えるべきでしょうなあ。
どうせ、9月まで麻生氏は居座るんでしょうし。
最近病気で入院していたAさんが、具合が悪そうなので一度面談をしてほしい、と職場から要請がありました。
Aさんの話では…
人間ドックで異常があったのに、あまり気にも留めずに放っておいた。
ある日お酒を飲んだ時に尋常でないほどおう吐して、病院に行ったら、「がん」だと告げられた。
手術では取れないので、化学療法になると言われて、専門の病院に入院した。
ということでした。
化学療法が終了して、退院後職場復帰したものの、やはり体調はあまりよくないようです。
毎日痛みとの闘いで、何を食べても味がしないし、もう体重が何キロも減ってしまったと…
「おいしい」とわかっている食べ物が、今おいしくないことがくやしい、とAさんは言いました。
お寿司の好きなAさんは、一度回転寿司屋に行ってみたそうです。
でも、お皿の上にのった2貫のお寿司のうち、1貫を一口かじっただけで、もうおいしくなくて食べるのをやめてしまったのだとか。
健康な時なら、何皿でも食べて帰るのに、たった一皿、しかも1貫残して店を後にした時はとてもみじめだった、とくやしそうにしていました。
いろんな話をしていて疲れないだろうかと心配したけれど、「こうしてしゃべっている方が、気が紛れていいんです。」とAさんは言いました。
Aさんは、仕事だけでなく、いろんなボランティア活動もしているそうで、残された短い時間では、あれもこれもやりのこしていくしかない、と無念さを隠しませんでした。
あれこれ話している中で、Aさんは、こんなエピソードを教えてくれました。
がんの専門病院に入院している時、女性部屋からは笑い声が聞こえてくる。
男性部屋の患者は、みんなカーテンを閉めて、ベッドの上にこもっているのに―。
「女性は強いね。」
そこに入院している人は、みな「がん」だとわかっているのに、女性はそれでも同じ病室の仲間としゃべったり笑ったりしていることに、つくづく女性の強さを感じた、とAさんは話してくれたのでした。
もっとAさんの話を聞いていたかったけれど、次の面談が待っていたので、Aさんとの面談を終了しました。
幸い職場の理解があって、仕事は体調に合わせて配慮してもらっているし、家族は昼間働きに出ていて、一人家にいると痛みばかりがおそってきていやになる、ということで、面談はしたけれど、結局正式な就業制限は行わないことにしました。
淡々と話をしてくれたAさんの胸の内は、表にあらわれているほど平穏ではないはずです。
たぶん、1分1秒が自分との戦いであり、懸命に耐えているのでしょう。
ただ、社会とのつながりをもっていることが、Aさんを支えているのかもしれないなあと思う面談でした。
先日、製造業に労働者を派遣していた会社の、最後の訪問を終えました。
派遣社員は3年経過した時点で、解雇か直接雇用にきりかえなければなりません。
そのあおりで、派遣社員の全員が、派遣先の会社の契約社員になるのです。
派遣社員がいなくなるので、営業所を閉めることになりました。
でも、派遣先の工場も、不況の嵐。海外に建設中の工場は、稼働のめどが立たず、本来行くはずだった社員は国内に残ることに。
その分、契約社員になるはずの派遣社員が、だぶつくのです。
契約は長くて6カ月。
その後のことはわからないとのことでした。
契約が更新される可能性の方がどれだけ低いかということは、派遣社員の一人一人が十分にわかっていることです。
かつては、部品を搬入するトラックや、製品を運搬するフォークリフトなどでごったがえしていた工場も、一気に活気を失っていました。
北風がひう~っと吹く中、セキレイが、小枝をくわえてとことこと歩いていました。
何も変わらない自然界と、仕事を失った工場の、そのギャップをひしひしと感じながら、帰途につきました。
「本当はホテルでもいいのかもしれませんが、病院の方が安心ですから…」
というようなことを記者会見で述べていた、中川前財務大臣。
ホテルと病院が同列というのに驚きました。
きっと、病棟の最上階あたりにある超豪華な個室にでも入って、世論が鎮まるまでしばらく身をかくすんでしょう。
それとも「アルコール依存症」を真剣に治療する気になったんでしょうか。
私たち医師の側は、患者さんに入院して頂くにしても、その病名やら入院期間やらは細かく制限されていて、患者さんが望むから入院していただいたり、入院期間を長くしたりはできないしくみになっています。
それをやったら、病院が損する仕組みになっています。
ホテルでもいいぐらいの人が、病院に入院するなんて。
政治家だから許される?
どこの病院に入院なさるのか知りませんが、政治家って何をやっても特別扱いなんですかねえ…
いくらなんでも、あれはあかんでしょう。
風邪薬のんで、酩酊状態になったっちゅう言い訳は。
風邪薬ぐらいでそうなったら、ドラッグストアでいくらでも売ってる風邪薬、危なあて飲めまへんがな。
中川大臣は腰痛持ちで、あの記者会見の時は、前日のテニスがたたって腰痛の薬、飲んでいたという話も、どっかで見ましたで。
同行した財務官僚は、記者の取材で、「鎮痛剤のせい」って言ったとか言わなかったとか。
でも、鎮痛剤って、ふつう、飲み薬ですやん。
それとも、ソセゴン、ペンタジンの類、注射してもらったんでっか?
本当はどうだったんか、証明の仕様がないですから、もう本人は何が何でも、お酒だけは飲んでまへんねんと、言い通すんでしょう。
もう、どうでもええわ!
何が原因やったって、あんな恥ずかしい映像、世界中に配信されて、最悪や!
もう、退場してくれ。
他に人、おらんのか!
日本郵政が、「かんぽの宿」の譲渡問題で揺れています。
入札のいきさつが不透明で、オリックスが落札するよう誘導したんじゃないかと疑われています。
西川社長の進退問題にも発展しそうです。
西川社長はメガバンクから抜擢されて日本郵政の社長に、請われたなった人でした。
社長就任当時、あの田原総一郎氏が、「よく引き受けましたね。」と、まるで貧乏くじを引いたと言わんばっかりなことを発言していました。
当時は、それでも西川氏はやる気満々に見えましたが、昨日のニュース映像だと、かなりやつれている感じ。
確かに、貧乏くじだったのか…
私が思うに、西川社長は、部下の人たちに入札のことはまかせていて、「ちゃんとやっています。」とだけ報告を受けていただけなんじゃないでしょうか。
詳細は知らなかったのかもしれません。
まあ、そうはいっても、社長は社長ですから、責任を問われても仕方がありません。
西川社長の進退問題は、日本郵政の社長ポストが、総務省などからの官僚の天下り先になってしまうんじゃないかという話にまで発展しています。
ならば、昨日麻生総理大臣を批判するような発言をして怪気炎をあげた小泉元総理大臣が、社長をやればいいのではないでしょうか。
森元総理大臣曰く、本当に郵政民営化が必要と思っていたのは小泉氏一人だったということですから…
ちょうど政界引退を表明していることですし。
9月までには総選挙があるわけですし。
ちょっと早めに引退なさって、日本郵政の社長、やったらどうですか。
この不況下でも、利益をあげている企業がある、と話題になっています。
内需中心型の企業で、マクドナルドやユニクロがよく取り上げられます。
でも、私などは、そういうニュースで、たとえばマクドナルドのお店の様子が映像で流れると、あのお店の従業員たちのお給料はいったいどれくらいなんだろう、と思ってしまいます。
以前、マクドナルドの店長さんが、いわゆる「なんちゃって管理職」で、無茶苦茶な時間外勤務を強いられたのにもかかわらず、残業代も支払われなかったということで裁判になっていました。
確か、マクドナルド側が敗訴しましたね。
今あの会社の労働環境はどうなんでしょうか。
多数の派遣社員やアルバイトの人を使って、その非正規雇用の人たちを数少ない正社員が管理するという構造は、自動車産業や電機産業の工場と、さして変わりはないのでは、と思います。
ひょっとしたら、今黒字で成績のいい企業でも、赤字に転落したとたんに、派遣切り、アルバイト切りが始まるんじゃないでしょうか。
気の利いた棚がみつからないので、自分で作ることにして、ホームセンターに木材や釘などを買いに行った時のことです。
いろいろ物色して、軽くて扱いやすそうな木材を買うことにしました。
いろんなサイズの木がほしかったのですが、あいにくぴったりのサイズの材木がありませんでした。
でも、家には手動ののこぎりしかないので、木をまっすぐに切る自信はありません。
それで、ホームセンターの木工室で、切ってもらうことにしました。
木工室へ行くと、70歳ぐらいのおじいさんが、一人で作業していました。
胸には「研修中」の札が下がっていました。
「ふうん、こんなお歳の方でも、研修中なんや…」
ちょっとびっくりしました。
私の前に依頼されたらしい材木を、ゆっくりゆっくり束ねて、どこかへ持っていこうとしているところだったのか、私が声をかけると、
「ちょっと待ってね。」
と言ったまま、しばらく戻ってきませんでした。
しばし、待たされて、とぼとぼとおじいさんが戻ってきました。
「これは半分に切って、これはあと5センチ切って…」
次々に言うと覚えられなくなって、おじいさんは、1回1回、切っては注文を聞き、という具合に木を切っていきました。
ビニールで包装されたその木材は、切るときにビニールが邪魔になるとかで、ひとつひとつはがしていかなけれなならなかったのですが、これまたおじいさんのペースでは、ものすごいゆっくりゆっくり、はがしていく感じでした。
おじいさんが木を切っている間、少しでも時間を節約しようと、私もいつの間にかビニールをはいでいました。
後ろには、もう一人、何かを切ってもらいに来たお客さんが待っていました。
子連れだったので、待ちくたびれた子供が騒ぎだしました。
それでも、おじいさんは、ゆっくりゆっくりでした。
やっと全部切れて、ラップで束ねてくれている間、
「何か作るの?」
と聞かれたので、
「あ、ちょっと棚を作ろうと思って…」
と答えました。
そしたら、おじいさんは、
「釘はどうするの?」
と聞いてきます。
「ねじくぎを買おうと思ってます。」
すでにカートに入れておいた細いねじ釘をおじいさんに見せると、
「それでは細いよ。木が柔らかいから負けてしまう。これにするといいよ。」
そう言って、見本用にねじ釘を1本くれました。
その上に、木を切る代金も、だいぶ値引きしてくれました。
ものすごく時間がかかったけど、実はおじいさんは、たぶん元大工さんか何かで、木のことはよく知っている人だと思いました。
本当は、あれくらいの年齢になれば、肉体労働はほどほどにして、これまで蓄積した知識や知恵を生かした仕事ができればいいのになあ、大変だなあ、としみじみと感じました。
おじいさんのアドバイスに従って、ねじ釘を変えたおかげで、無事に希望通りの、しっかりとした棚が完成しました。
木を買うのに少々時間はかかりましたけど、あのゆったり、まったりした時間と会話が、かえってよかったなあと思うような出来事でした。
政治家や官僚の批判ばかりしているので、たまには自分自身を振り返ってみようと思います。
いえ、別に普段まったく反省しないわけではないのですが―。
時々ふとした拍子に外科医時代のことを思い出して、歳の割に精神年齢の未熟だった自分を振り返ります。
あのとき、こうしていれば―。
今頃そう思っても仕方のないことだけれど。
外科医になって3年目ぐらいのころ、そこそこ手も動くようになって、意欲満々の時期でした。
受け持っていた患者さんの中に、肺がんの方がおられました。
といっても、私自身が手術に立ち会ったわけではなく、何年か前にその病院で肺がんの手術を受けていて、再発で入院されてきた方でした。
正確にいえば、再発だったのか、転移だったのか、良く覚えていませんが、とにかくもう気管支がつまってしまいそうなレベルでした。
だから、入院の時点で、外科医としてはもうどうしてあげることもできず、「ターミナルケア」が目的の入院でした。
こういうとき、外科医は、複雑な思いになります。
確かに、その病院の外科で診てきた患者さんかもしれません。
しかし、すでに外科治療の段階は過ぎてしまっています。
それでも、まだ当時は、外科医が最後を看取るというのが珍しくない時代でした。
今なら、ターミナルケア病棟とか緩和病棟とか呼ばれる専門の病棟があって、ペインコントロールを中心とした専門スタッフがケアしていくのが当たり前になってきていると思います。
患者さんにとっても、そのほうがずっと、快適であるに違いありません。
その患者Aさんは、ベッドの頭の方を少し上げて、酸素吸入をしながら、苦しそうにしていました。
呼吸器外科専門の先輩から、肺がんの末期は、「水に溺れるように亡くなる」と教わっていました。
まさに、Aさんは、水に溺れているぐらい苦しかったに違いありません。
毎日毎日、奥さんが付き添っていました。
しょっちゅう痰がつまって、ご主人が苦しそうにするので、よくナースコールを鳴らしていました。
ある日、夜中にナースステーションでカルテを整理していた時のことです。
Aさんの奥さんが、直接ナースステーションに来られました。
看護師さんはみな、巡視で出払っており、私ひとりでした。
「先生…」
ああ、嫌な予感がしました。
こんな夜中に何を言われるのか…
今カルテを整理しておかないと…
「先生…」
「なんですか!!!」
「…あのう、主人の痰が詰まって苦しそうなので、吸引して頂きたいんですが…」
内心、うっとおしいなあと思いました。
私が今吸引したとて、痰はあとからあとから、次々とAさんの気管支をふさぐに決まっています。
でも、吸引器は患者さんのご家族に使っていただくわけにはいきません。
しぶしぶ、Aさんの病室へ行き、喀痰吸引をしました。
奥さんは、何度も何度も頭を下げて、申し訳なさそうにしました。
私の態度は、面倒くささがあからさまに出ていたと思います。
今から思えば、お恥ずかしい限りです。
忙しすぎた、
夜中だった、
言い訳すればいくつか出てはくるけれど、苦しい患者さんの喀痰吸引にかかる時間は、そんなに長くはありません。
あのときもっと、快く病室に行ってあげていれば、と思う苦い思い出です。
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