季節のせいなのか、偶然なのか、理由はわかりませんが、このところ精神の不調を訴えて、面談を受ける人が多くなっています。 今月は、「死んじゃだめだよ。」と、何度言ったかわかりません。
「死んじゃだめだよ。」と言ってみたところで、どのくらい抑止力があるのかわかりません。
信頼関係がある人とそうでない人とでは、その言葉の重みも違ってくるでしょう。
それでも、ふとその言葉が頭に浮かぶかもしれないと思い、「死んじゃだめだよ。」と、声をかけています。
「死ぬ」ことを選ぶ前に、いくつかやってみる価値のあることがあるから―
こうしてみよう、こんなこともできる、とにかく、全部やってみよう、と。
人さまの人生だから、他人の私がとやかく言う筋合いなどないのかもしれない、と心の片隅で、思わないでもありません。
苦しんでいる本人のこと以上に、そのひとが死んでしまった後に残された人たちの心情を思って、「死んではいけない。」と言っているのだと言われれば、まったくそのような思いがないとは言えません。
それでもやはり、死んでしまうぐらいなら、それまでにできることがあるのではないか、という気持ちは強くあります。
外科医をやめて、大学院で公衆衛生を学んでいるころ、アルバイトで健康診断の健康相談の仕事をしたことがありました。
その日は社員さんの家族も受診される健診でしたが、あまり健康相談に訪れる方は多くはありませんでした。
数少ない相談者の中に、ある社員さんの奥さんという方がいました。
「子育てもすんで、夫と二人の生活になったんですけど、なんだか気持ちが落ち込んでしまって… なんにもする気になれないんです。私、何のために生きているのかわかりません。時々、死んでしまいたいと思うことがあります。」
子供が自立して、ちょうど同じころに更年期の症状も加わっているように思えました。
自分の存在する意味がわからない―
やっとこれから、自分の自由な時間ができて、やりたいことがいろいろとできる時なのに、すっかり落ち込んでしまっているその相談者を前に、何と答えてあげるのがいいのか、しばし考え込んでいました。
「死にたいという気持ちは、三日我慢すればおさまってきますよ。」
つい、そんな言葉を口にしてしまいました。
精神医学的に裏付けられた知識というわけではありませんでした。それは、以前読んだ中島らもさんのエッセーに書かれていたことでした。
らもさんが、うつ病で通院していた時に、むしょうに死にたくなって、あわてて家族が主治医のところへ連れて行った時に、主治医の先生が、
「三日我慢したら、死にたくなくなるで。」
と言ってくれた、というようなくだりがあったのでした。
らもさんは、死にたいという衝動と三日間闘って、主治医の言う通り自然におさまった、というふうに書いていたように思いますが、正確にはどうだったのかわかりません。
なぜか、ふとその文章を思い出して、相談者の方に言ってしまったのでした。
その後多くの言葉をやりとりしましたが、最後に、その相談者の方は、「三日我慢すれば、おさまってくるんですよね。」
と、何度も自分に言い聞かせるようにつぶやいて、帰っていかれました。
正直なところ、生きる意欲を失ってしまった人、あるいは失いかけている人の話を辛抱強く聞くというのは、私にとってはだいぶ神経をすりへらす作業です。
面談が終わると、たいてい眼がしばしばとし、頭は重くなり、けだるい感じになります。
身体に感じる疲労感のわりに、本当に自分の発した言葉が意味のあるものだったのかどうか、漠然としていて、報われない気持ちに襲われることもあります。
職域におけるメンタルヘルス問題は、産業医の業務を占める割合が増大する一方で、会社によってはほとんどそのことに追われているような思いに、しばしばさせられます。
会社のほうも、人手が少なく仕事が増えてくると、心を病んでいる人のケアは、産業医にお任せになりがちです。
それでも、人として、きちんと向き合ってあげようという気持ちと、産業医の役割なんだからという気持ちと、両方でなんとか私のモチベーションを維持している感じです。
私自身が、もっと頑丈な精神を持たなければ、ちょっとこの仕事を続けていくことが難しくなるかもしれないなあと、今月はやや後ろ向きな気持ちになっています。
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