世界中で起きている民族紛争は、宗教間の争いが原因になっていることが少なくありません。
本来、心の不安を取り除いたり、平和的に生きていくための知恵を授けてくれるのが宗教なのではないか、と思うのですが、逆に争いの原因になっている現実に、宗教とは何なのか、時々考えさせられることがあります。
昔、老人病院で働いていたことがありました。
老人病院に入院される患者さんの多くは、家族が家庭で看病できないために入ってこられる方で、ご家族も忙しいせいか、毎日見舞いに訪れる方はめったにありませんでした。
また、できるだけ長く入院させてほしいと願う家族が圧倒的に多く、退院がなかなか決まらないことも多かったです。
ある日、食事が食べられなくなってしまった高齢男性の患者さんが入院されました。
近隣の総合病院からの紹介です。
脳卒中の後遺症で寝たきりの状態にあり、認知症もあるようでした。
老人病院に入院される患者さんのご家族には珍しく、できるだけ早く家に連れて帰りたい、と入院の初日に言われました。
その方の家族は、妻、息子夫婦、何人かお孫さんもいらっしゃったと思います。
彼らは敬虔なキリスト教徒で、家族をとても大切にされているようでした。
とくに息子さんのお嫁さんが、
「お父さんに早く家に帰ってきてほしい。」
とよく話されていました。
毎日、毎日、ご家族のどなたかが見舞いに訪れました。
治療の方針としては、内視鏡ガイド下に経皮的に胃ろうを造設し、そこから栄養チューブを通して栄養剤を注入するということになりました。
胃ろうは問題なく造設されたのですが、その後患者さんの容体が悪化し、数日後に亡くなられてしまいました。
胃ろうの造設後というタイミングだったので、ご家族からクレームがあるのではないだろうか、と気が重かったのを思い出します。
しかし、ご家族は、もう一度いっしょに家で暮らせなかったことを悲しみ、静かにその死を受け入れた上で、最後は病院スタッフに深々と頭を下げられ、「ありがとうございました。」と言って帰られました。
宗教が、これほどまでに人の心をおだやかにさせるのだなあとしみじみと感じ、とても印象に残る出来事でした。
彼らが敬虔なキリスト教徒だからだったのかどうか、本当のところはわかりません。
でも、私にはそう思えたのでした。
ただ、患者さんを無事に家に帰らせてあげられなかったことはとても悔やまれます―。
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宗教も心理学も、使う人次第、受け入れる人次第です。私は、比較的に子供の頃から、特別宗教関係でも無いのに宗教関係の人に関わる機会がありました。在家の信者の人とかとも話す機会もありました。普通の仏教、キリスト教です。それは、私が生き方に悩んだせいもありますが。今は、普通に、そういう所に関わらずに生きています。それは、自分が普通に良心的でありたいと思ったからでもあります。
最終的に、先生がおっしゃる事は、皆の希望、祈りなのです。そうありたいものです、としか言えないものなのです。
そうして、先生は傍観者でもあり、援助者として良心的であったから成立した事なのです。
敢えて賛同するなら、出来るなら、祈りましょう。こうして私も自分の文章を見ると、どこかの宗教関係者のような結語になってしまうんです。取りとめも無く、申し訳ありません。
コメントありがとうございます。
お名前、ちょっと気になります。だいぶお疲れなのでしょうか。
私自身が宗教と深くかかわってこなかった結果として、宗教の良さの部分だけをみることができているだけなのかもしれません。
ただ、その存在の可能性というのでしょうか、そういうところは大事にしていいのではないだろうか、という感想を持っています。
また忌憚のないご意見を、よろしくお願いします。
宗教が無くても、というのは今の世界で有り得ない前提ですが、無視しても、立派な先生はいますよね。
むしろ、下手に主張すれば、私のような少し斜めに見る人間が、背景から主張している、と思う、そんなクリスチャンの先輩がいます(先輩を悪く言うつもりはないのですが、そう見えます)。
それは、私が我慢してきた自分のスタッフとの関係性について、信心がらみで医局集団に愚痴を溢されてしまったからで、がっかりしたのです。それまではそういう考えの人もいるでしょうと普通に見守っていましたが。
基本的に宗教の良さを大事に出来るのは、むしろ日本人だからかもしれませんね。ゴッドファーザーなどの考え方は、日本的では無いようですよね。でも日本でも、自分の身内と評価できる者以外は酷い扱いをする人もいます、ファミリーでもなかろうに。日本に住んでいる人全てをファミリーと見れたら、違うのかもしれません。
余り言うのは恥ずかしいのですが、この数年の出来事で、やっぱり(宗教的に-この言葉も必要無いかも)良心的に生きる事と、宗教で良心的に生きるのと、日本では違うのかなと感じたので出てきてしまいました。宗教的であれば、倫理、道徳、良心、教育、方法は宗教でなくて良いのではないでしょうか?それは、漠然と神も仏も、運も、ラッキーも含んだ日本だから言えるのでしょうか?変な言い方をすれば、蟲でもエルでも良いのではないでしょうか?と思ってしまうのです。或いは、何も無くても。
お返事ありがとうございます。
確かに、宗教的イコール立派とはいえず、宗教の力を借りずとも立派な人はたくさんいらっしゃると思います。
次のブログで書きましたように、私のような心の弱い人間が生きていくための力として、宗教的なものを頼るということが、意味のないことではないとは思っていますが、宗教にもいろんな側面があり、時に争いのもとになるのは、やはり宗教の悪い面が原因しているのだと思います。
もとの教義うんぬんよりも、結局はその宗教を信じている人間の弱さが問題なのかもしれないなあとも思ったりします。
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