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2008.02.29 12:50 |  医療制度 / 行政  |  仕事 / 職場  |  生活 / くらし  |  三毛猫  | 推薦数 : 3

防衛官僚が嗤っている。

イージス艦が漁船と衝突した直後、イージス艦の航海長がヘリコプターで防衛省に出向き、事情を説明したことが問題になっています。

石破防衛大臣の指示だったのかどうかが議論されています。

 

ある防衛省幹部が、石破防衛大臣の指示だったと言っている、との報道がありました。

 

「ある防衛省幹部」

 

彼らがよくやる手です。官僚は、自分たちに有利になるように情報をリークします。

たとえ事実でないことでも、まるでそれが内部情報であるかのようにリークします。

リークする相手は、野党議員だったり、マスコミ関係者だったり…

そうして、リークされたほうは、官僚側が善意から密告しているのだと勘違いして、あるいは「自分にだけ教えてくれた」という特別意識をふくらませて、その内容が事実かどうか確認もしないまま、あたかも事実であるかのように語っていきます。

 

そこからは、官僚は何の努力もしなくてよいわけです。

情報が独り歩きし、大臣の首がとんで、結局官僚だけは何も変わらない。

 

守屋前事務次官の人事問題に絡んで、本人に何の打診もしないまま新聞が先に報道したと、守屋氏が問題視したとき、当時の小池大臣は、携帯電話で連絡をしたが通じなかったと言っていました。

しかし、そのときのマスコミの論調は小池大臣バッシングだった。

小池大臣の勇み足、小池大臣の功名心・・・

そのような報道ばかりでした。

そして、当時の官房長官だった塩崎氏は、その人事の主導権を小池氏から奪い取ろうとしました。

まるで、守屋氏は正義で小池氏が悪とでも言わんばかりでした。

 

フタを開けて見れば、守屋氏が業者からゴルフ接待を受けていたことがわかり、逮捕されました。

 

鈴木宗男氏も、外務省からリークされる怪情報により証人喚問まで受けました。

当時の国会は、外務官僚がリークするでたらめ情報に振り回されていた感があります。

 

官僚が巧妙にリークしてくる情報に対しては、かなり慎重にその真偽を確認しなければなりません。

ましてや、「ある防衛省幹部」などという匿名で出される情報は、怪しいと思わなければなりません。

 

防衛省は、今回の問題を、石破防衛大臣の辞任で幕引きを図ろうとしているように見えます。

石破防衛大臣が辞任して、防衛省改革は誰が引き継ぐのか。

 

官僚にだまされてはいけません。

 

 

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2008.02.27 12:49 |  仕事 / 職場  |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  三毛猫  | 推薦数 : 2

仏像の前に座する。

私と宗教とのかかわりは、おととい、「疲れています」先生からいただいたコメントのように、傍観者なのかもしれません。

しかし、20代のころの私は、もっと傲慢で、宗教的なにおいのするものすべてをきらっていました。

存在するかどうかも分からない神を信じることの胡散臭さ、とでもいうのでしょうか。宗教にそういうものを感じて、あまり近づきたくないと思っていたのです。

 

ただ、30代、40代と年を重ねるにつけ、人の心は理屈では支えきれないものがあるのだと、しみじみ感じるようになりました。

その結果として、宗教の存在を、大切なものとして考えるようになったのです。

もちろん、私は特定の宗教の信者であるという意識はないので、あくまで傍観者ということになるのかもしれません。 

 

 

外科医として、自分なりに懸命に修行をしていた時期がありました。

しかし、医局という大きな組織の中にいて、必ずしも自分が正しいと思うことが通せないことが多くなり、医師としての将来をどうしていくのかについて、悩んでいたことがあります。

ちょうどそのころ、持病が悪化する一方で、入院治療などを受けているうちに、医師としての将来という以前に、医師の仕事そのものを続けていけないのではないか、という思いにかられたのでした。

 

私にとって、医師という職業は、特別な意味があります。

他の人から見れば、たいしたことないじゃない、と言われるかもしれません。

しかし、私自身は、生まれ持った病気と共存しながら、とにかく医学部に合格することを最優先にして、10代に経験しておくべき様々なことを犠牲にしても、ただただ勉強していました。

 

いつ悪くなるかもしれない健康状態ということが常に目の上のたんこぶでした。

だから、元気な時にがんばれるだけがんばっておき、急に具合が悪くなったらあきらめて治療を受ける、ということの繰り返しでした。

まるで、急発進と急ブレーキを交互に繰り返しているような状態。

 

そうしてやっと実現した夢を、そう簡単にあきらめるわけにはいきません。

いや、医師としての私は、私自身のアイデンティティーそのものであり、医師でない私は私自身ではなくなってしまうのです。

 

そのような思い入れのあるこの職業を、やめてしまわなければならないのだろうかと悲観していたころ、思い立って西国三十三ヵ所をめぐることにしました。

必ずしも札所の番号通りには行かなかったので、いわゆる「巡礼」などといえるものではありませんでした。

最寄りの鉄道の駅からは必ず徒歩で寺まで行く、というルールを作り、駅からひたすら歩いたのでした。

 

背負ったリュックサックを通して真夏の日差しがじりじりと照りつける中を、えんえんと続く一本道を黙々と歩いた日。

果てしなく田畑が広がる田園風景の中、私はまるで芥子粒のようでした。

凍えるような寒い日に、落ち葉の降り積もった山道を登ったこともありました。

 

そうしてたどりついた山寺の本堂で、仏像の前に座する時、悲観にくれた不安定な感情が、一瞬でも癒されるのです。

日常の生活に戻れば、また心はざわざわとして落ち着かず、不安にからめとられそうになるのですが、ただその一瞬の癒しのために、寺を訪れて仏像の前に座して、そうして心を静めていました。

 

宗教的空間に身を置くことによって得られる精神の平安というものが、しみじみとありがたいものでした。

 

宗教の存在する意味は、人それぞれに異なるかもしれません。自らが信じる宗教を大切にするあまり、それを信じない人を傷つけたりするのであれば、それはやはり宗教ではないような気がします。

 

みなさんは、どう思われますか?

 

 

 

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2008.02.25 13:07 |  診療  |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  三毛猫  | 推薦数 : 3

宗教がもつ意味

世界中で起きている民族紛争は、宗教間の争いが原因になっていることが少なくありません。

本来、心の不安を取り除いたり、平和的に生きていくための知恵を授けてくれるのが宗教なのではないか、と思うのですが、逆に争いの原因になっている現実に、宗教とは何なのか、時々考えさせられることがあります。

 

昔、老人病院で働いていたことがありました。

老人病院に入院される患者さんの多くは、家族が家庭で看病できないために入ってこられる方で、ご家族も忙しいせいか、毎日見舞いに訪れる方はめったにありませんでした。

また、できるだけ長く入院させてほしいと願う家族が圧倒的に多く、退院がなかなか決まらないことも多かったです。

 

ある日、食事が食べられなくなってしまった高齢男性の患者さんが入院されました。

近隣の総合病院からの紹介です。

脳卒中の後遺症で寝たきりの状態にあり、認知症もあるようでした。

老人病院に入院される患者さんのご家族には珍しく、できるだけ早く家に連れて帰りたい、と入院の初日に言われました。

 

その方の家族は、妻、息子夫婦、何人かお孫さんもいらっしゃったと思います。

彼らは敬虔なキリスト教徒で、家族をとても大切にされているようでした。

とくに息子さんのお嫁さんが、

「お父さんに早く家に帰ってきてほしい。」

とよく話されていました。

毎日、毎日、ご家族のどなたかが見舞いに訪れました。

 

治療の方針としては、内視鏡ガイド下に経皮的に胃ろうを造設し、そこから栄養チューブを通して栄養剤を注入するということになりました。

胃ろうは問題なく造設されたのですが、その後患者さんの容体が悪化し、数日後に亡くなられてしまいました。

 

胃ろうの造設後というタイミングだったので、ご家族からクレームがあるのではないだろうか、と気が重かったのを思い出します。

しかし、ご家族は、もう一度いっしょに家で暮らせなかったことを悲しみ、静かにその死を受け入れた上で、最後は病院スタッフに深々と頭を下げられ、「ありがとうございました。」と言って帰られました。

 

宗教が、これほどまでに人の心をおだやかにさせるのだなあとしみじみと感じ、とても印象に残る出来事でした。

彼らが敬虔なキリスト教徒だからだったのかどうか、本当のところはわかりません。

でも、私にはそう思えたのでした。 

 

ただ、患者さんを無事に家に帰らせてあげられなかったことはとても悔やまれます―。 

 

 

 

 

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イージス艦が小さな漁船と衝突し、漁船は真っ二つに引き裂かれてしまいました。

漁船に乗って漁をしていた父子は、いまだに行方不明のままです。

 

朝早くから船を出し、ただ一生懸命魚をとっていただけなのに。

 

あんな重装備の軍艦が、周囲の安全確認を人間の目視で行っているということにずいぶん驚かされましたが、よく考えてみれば、どんなに機械が精密になったとしても、それを使うのは人間なのだということを、改めて思い起こさせられもしました。

 

私が産業医をしている工場でも、時々労働災害が起こります。そのとき、会社は原因を追究し、再発防止のための対策を講じます。

それでも、労働災害はなかなかゼロにはなりません。

 

そこには、それを使っている「人間」という一番不確定な要素がリスクとして潜んでいるからかもしれません。

普段安全には気をつけているつもりであっても、仕事が遅れていたりして気が焦ると、ついルーチンの段取りをすっとばし、結果としてけがにつながることがあります。

機械が不調のとき、わざわざ安全装置をはずして原因を調べようとして、けがをしてしまうことも意外と多いのです。

 

面倒くさい。

急いでいた。

あせっていた。

ぼうっとしていた。

うっかりしていた。

 

多くの場合、そういうちょっとした心の動き、感情で、安全から不安全の方向へと簡単に向かってしまいます。

 

今回の事故の原因はまだはっきりしていませんが、勤務交代の時間であったとか、ちょうど眠気におそわれる時間帯であったとか、そのような情報が漏れ伝わってきています。

やはり、業務に従事していた人の感情が何か影響したのではないか、ということが十分に予想されるのです。

 

その上に―

軍艦というのは、戦闘時を想定して作られているのだなとつくづく思います。

 

海上でドンパチやっているときに、漁船が横切ることはまずないだろうし、敵意をもって近づいてくる戦闘機やミサイル、弾丸などの鉄の塊にのみ神経をとがらせておればいいのですから、当然レーダーなどの機器の能力が大いに役立つのでしょう。

 

平和な海で、商業活動や漁業活動に精を出している民間の船を確実にキャッチする装備が、意外と手薄なのではないかと思えるのです。 

 

戦争中なら、ひょっとしたら、仮に漁船とぶつかって漁船がち没してしまっても、そんな危ない所に出掛けて行った漁船が責められはしても、軍艦にはおとがめはないかもしれません。

 

重量で千倍の差がある船どうしの衝突から、いろいろなことを考えさせられました。

 

一生懸命に漁をしていた父子。

どこかに流れ着いて助かっていてほしい、と切に願っています。

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2008.02.18 12:58 |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  三毛猫  | 推薦数 : 0

国家の独立

2月17日、セルビア共和国からコソボ共和国が独立宣言しました。

もともと民族紛争の非常に多い地域なのだそうですが、国の独立というのが、どのようなプロセスでなされるのか、また独立を宣言した国を「国」として、誰がどんなふうに認めるのか、とても興味がわきました。

 

日本政府は、コソボ共和国を独立した国家として認めるとの考えを発表しています。

アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスも承認する考えのようです。

 

反対しているのは、セルビア共和国やロシア。

 

その他の国々がどのような態度をとっているのかは、まだよくわかりません。

国連にはすでに、コソボ共和国を加盟させないための圧力がかかっているようです。

 

では、国家はどのようにして「国」と認められるのでしょうか。

いつものようにWikipediaに、今日もお世話になりました。

 

Wikipedia 「国家の承認」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E3%81%AE%E6%89%BF%E8%AA%8D

 

国家承認のプロセスは地球全体で決まっているわけではないようで、国家の要件を満たしていることは前提とはなるらしいですが、その国を独立した国家と認めるかどうかは、最終的には各国の判断であるそうです。

そのため、外交的・政治的判断が強く影響し、国家の要件を満たしてさえいればすべての国が認めるというわけにはいかないのだそうです。

 

ちなみに、国家の要件とは、

  1. ある程度以上確定された一定の領土を持つこと。
  2. 国民が存在すること。
  3. 統治機構を持ち実効的支配をしていること。 

なのだそうです。

 

日本はどうだったのでしょう。

最初からずっと、日本はここにあったような気がするし、苦労して勝ち得た「国家」という感じは私にはありません。

自分たちの国が念願かなって「独立」するというのは、どんな気持ちなのでしょうか。

 

コソボ共和国を認めたい国と認めたくない国の間で、これからも様々な駆け引きや争いなどが続くのかもしれませんが、独立したいと願っている人々がいるのなら、やはり独立させてあげてもいいのかな、と思います。

ただし、国内の少数民族が虐げられるようなことは絶対にしないでほしいですが。

 

 

 

 

 

 

 

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2008.02.15 13:03 |  生活 / くらし  |  趣味  |  映画 / 音楽 / 読書  |  三毛猫  | 推薦数 : 0

「川の光」

たまには、本の紹介もいいのかなと思い、最近読んでとてもよかったと思う1冊を。

 

「川の光」

松浦 寿輝 著

中央公論新社

1785円(税込)

 

クマネズミの父子3匹の物語です。

読売新聞の夕刊に連載されていたものを単行本にまとめたものだそうです。

新聞記者をしている知人が勧めてくれました。

その知人によれば、小学生高学年ぐらいから大人まで楽しめるということでした。

 

小さいネズミの物語なのですが、そこからいろいろ考えさせられる内容です。

私は、お恥ずかしながら、何度も泣きそうになりながら読みました。

 

日々仕事に追われている方には、気分転換に。

小さい子供さんのいらっしゃる方には、読み聞かせに。

少し大きいお子さんがいいらっしゃる方には、お誕生日のプレゼントに。

 

多くの方に読んでいただきたい物語です。

 

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2008.02.14 13:28 |  生活 / くらし  |  趣味  |  その他(一般)  |  三毛猫  | 推薦数 : 0

チョコレートの日

午前中、ある会社に行って帰ってきました。

行き帰り道の車の中でラジオを聞いていたら、今日は朝からずっとバレンタインデーにちなんだ話題と音楽ばかりです。

 

昔、飛行機の中でたまたま隣の席に座ったフィリピン人のオヤジは、日本ではバレンタインデーに女性から男性にチョコレートを贈ると知って、

「信じられな~い! 男が女性からプレゼントをもらうなんて! フィリピンでは男性から女性にプレゼントを贈るんだよ。」

と驚いていました。

 

バレンタインデーにクリスマス、ハローウィン、と日本人は西洋人の宗教的な行事を取り込むのが好きですね。

そこにある意味はまずすっ飛ばしてしまいます。

かなり商業的なにおいがするので、私は一切そういうものからは距離を置いています。

今までに、バレンタインデーだからといってチョコレートをあげたことは一度もありません。それが自慢です。

 

バレンタインデーなんてシャレた名前にするから、なんとなくかっこいいかんじがするでしょうけど、「チョコレートの日」にしちゃえば、と独りしらけております。 

 

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2008.02.13 12:49 |  医療制度 / 行政  |  仕事 / 職場  |  生活 / くらし  |  三毛猫  | 推薦数 : 1

人あってこそ。

大阪で、90歳の男性が87歳の妻の首を絞めて殺害したという事件が報道されました。

87歳の妻は数年前から寝たきりで、90歳の夫が妻の介護をしていたそうです。

夫婦は二人暮らし。

歳をとっても若々しい人が多いのは事実ですが、しかし、老化の進み具合は個人差がありますし、常識的には90歳という年齢では、自分が介護を受けても、人を介護するというのはかなり肉体的にも精神的にもきついのではないでしょうか。

どの程度介護支援を受けておられたのか定かではありませんが、手厚い支援を受けていたとは想像できません。

 

介護に疲れて、歳老いた夫や妻が、パートナーを殺害してしまう、という事件は、珍しくなくなってしまいました。

 

いずれは自分自身も無関係ではなくなるはずの介護問題は、今からどうすることもできず、「その時になって考える」ことしかできません。

そして、「その時」になって、厳しい現実と向き合わねばならないのでしょう。

 

少子高齢化が進んで、社会保障制度が崩壊の一途をたどっていると、政府は言います。

確かに少子高齢化が不安定な社会の一因になっているのだと思います。

しかし、それは国民が選んだ道だから、自己責任だと放置していいのでしょうか。

 

私だって、歳老いた両親と遠く離れて暮らしていて、親に介護が必要になったといってすぐに地元に帰れるかというと、とてもそういう状況ではありません。

仕事もあり、生活もあり、介護のために自分自身の生活の基盤を打ち捨ててしまったら、結局親ともども共倒れになってしまいます。

だから、どうしても公的な支援に頼らざるを得ないのです。

多くの人は、介護がいやで自治体や政府に介護を押し付けているわけではないと思います。

ましてや、現役を引退するまで、ほとんどの人は税金や社会保障費をきちんと納めてきているはずです。

国民の義務を果たしてきたのに、まるで歳をとることが自己責任なのだと言わんばかりの現在の国に対しては、強い憤りを感じます。

 

日本という国は、コンクリートで作られた建物やダム、道路をとても大事にします。

そういうものを作るためには、何兆円もお金をかけます。

日本は外交交渉に手を尽くすことにはあまり熱心ではありません。いや、困難な外交交渉をくぐりぬけていくエキスパートを育ててこなかったのかもしれません。

でも、戦闘機や空母、ミサイル、ミサイル迎撃機などに何兆円もお金をかけます。

アメリカ軍の基地やアメリカ軍兵士の宿舎まで、何億円もかけて建ててあげます。

 

全ては国民のためであるという大義名分のもとに。

 

でも、そんな建物の中にいる人、ダムを使う人、道路の上を車で走る人、がいなくなってしまったら、それらはただのコンクリートの塊でしかありません。

ミサイルが飛び交うと脅された国土の上に、守るべき人々がいなくなってしまったら、それはもう、漫画にもなりません。

 

第二次世界大戦で、日本は多くの人と物を失いました。

そこから這い上がって、かつては経済一流国にまでのぼりつめました。

でも、いつまでも同じような手法で国を運営していいはずがありません。

 

なぜ、これほどまでに政府も政治も無策なのか。

人あってこそ、という意識をもたなければ、日本全体が廃墟になってしまいます。 

自分自身も、その廃墟の下にうずもれるのではないか、という危機感を日々感じて、不安ばかりがつのります。

 

 

 

 

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2008.02.12 12:17 |  医療制度 / 行政  |  仕事 / 職場  |  生活 / くらし  |  三毛猫  | 推薦数 : 1

予算消化

ガソリン税の暫定税率について、議論が続いています。

そんな中、国土交通省がガソリン税で集めたお金の中から、マッサージチェアや、100万円近くする豪華カラオケセットを購入していたことがバレてしまいました。

 

非難ごうごうとなるか、と思いきや、意外と世間は冷静のようです。

それとも、呆れて言葉にならないのか…

 

私の想像では、豪華カラオケセットを買った国土交通省の職員には、税金でそういうものを買うことへの罪悪感も、疑問に思う気持ちも、全くなかったのではないか、と思うのです。

 

これは、あくまで予算消化だったのでは―?

 

以前、大学院生の頃に、予算消化の象徴的な経験をしたことがあります。

大学生に対する講義の補助をする代わりに、少し報酬を支払ってくれるというシステムが大学にはありました。

現在は独立行政法人ですが、当時は国立大学でした。

 

大学院3年生の3月頃だったか、学生課から連絡があって、講義補助の支払い申請がまだ出ていないから、早く出すように、と言われました。

早く出すように、と言われても、その時期は研究室の教官の誰一人として講義を行っておらず、私自身も講義の手伝いを全くしてなかったのです。

支払い申請には、1回1回の講義について、何をどんなふうに補助を行ったかを200字以内で書かされるので、学位論文を書くのに忙しかった私は、やりもしない講義補助の支払い申請など、書きたくありませんでした。

 

電話口で、講義の補助をした実績もないし忙しいので申請するつもりはないと告げると、それでもなんだかんだと食い下がってくる大学職員の言葉にイライラした覚えがあります。

最後は、「他の研究室に予算を回します。」ということで、決着しました。

 

教官からは、「予算が余ってしまったら事務は困るんじゃないの。」と言われ、申請書を出さなかった私は、若干非難されました。

 

予算消化―

まさに、この経験は、予算を消化するために働いている役人の考え方に遭遇した瞬間でした。

毎年年度末になると、道路のあちこちで工事が始まる、あれと同じです。

 

だから、国土交通省の職員も、

「100万円ぐらい余ったから、今年度中に使わなきゃ。」というノリで、余った金額にちょうどおさまるような豪華カラオケセットを探し出してきたんでしょう。

何十何万何千何百何十何円の最後の端数まで合わせなきゃいけないので、カラオケ用のCDだの附属品だの、つじつま合わせにつけてもらったんじゃないでしょうか。

カラオケセットが必要かどうか、など彼らには関係ないのです。

お金の出所が税金であっても、彼らには関係がないのです。

あくまで、余った予算を消化したかっただけ。

 

こういうシステムが存続している限り、税金の無駄遣いはなくならないんじゃないでしょうか。

 

そうそう、昔、関連病院での修行が終わって大学病院に戻った時は、大学側から勝手に週4日しか働いていないことにさせられました。

すでに出来上がった雛型が配られて、いかにも自ら週4日だけ働いていますと申請しているように見せかけられました。

勤務計画書―そんなような名称だったと思います。

もちろん、週7日間みっちり働いていましたし、時間外勤務もタダ働きしてましたが。

書類上は、朝8時30分から午後5時まで、週4日しか働いていないことになっていて、日雇い労働者でした。

働いていないはずの時間に働いていて、労災にあっていたらどうなるのか、そんな知恵は私にはありませんでした。

そんなもんだ、と思って我慢していましたから…

 

医員の給与はあらかじめ予算で総額が決まっているので、戻ってきた医員の数が多ければ、頭割で一人分の給料は減り、医員の数がすくなければ、給料は増えるという摩訶不思議な現象でした。

 

なんか、やっぱりおかしいです。

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2008.02.07 12:13 |  仕事 / 職場  |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  三毛猫  | 推薦数 : 0

イノウエカチョー

労働衛生コンサルタントの口述試験を受けに行ってきました。

 

午後からの試験でしたので、 急いでお昼ごはんを食べに、建物の中のレストランに行きました。

ボーイさんに案内されて、窓際の奥の席に座りました。

時間がなかったため、一番早くできるメニューを教えてもらい、注文して、手持無沙汰に窓の外を眺めていた時です。

  

「イノウエさんは、受付に回されて四苦八苦している彼女のことをどう受け止めているのか、私はとっても疑問だわ。あなたはどう思うの?」

 

私のところからテーブルひとつ隔てたちょうど正面に、パンチのきいた大きな声で話す女性。50歳ぐらいのふくよかな人で、世話焼きな感じがします。

どうやらそのイノウエ氏は「受付で四苦八苦している」女性社員の上司のようです。

 

課長さんかな・・・

 

受付業務?に異動させられた女性社員がいて、彼女がその異動先で仕事がうまくいっていないらしいことがわかります。

 

「私は、イノウエさんはイノウエさんなりに気にはしていると思うんだけど…」

 

私に背中を向けている2人の女性のうち左側の人が答えます。顔はよく見えませんが、眼鏡をかけたちょっとやせ形の小柄な感じ。

イノウエ課長に同情的です。

 

もうひとりの女性は、2人の話に相槌をうつものの、はっきりとした意見は言いません。

 

会話は、「世話焼きミセス」が主導権をにぎり、彼女が受付に回されて四苦八苦している同僚のことをとても心配し、それに対して何もしてくれないイノウエ課長に、たいそう怒りを感じているのだと、熱弁をふるっています。

それにしても、あまりに大きい声なので、周りにいたお客さんに筒抜けでした。

 

「派遣さんのことだって、どう扱うつもりなんだか…」

 

そこからは、勝手に想像してしまいました。

ちょっと若くして課長に昇進したイノウエ氏には、大勢の女性社員や派遣社員の部下がいる。

世話焼きミセスは、なかなか課長にはなれず、いまだに係長。

多くの女性社員を束ねていて、実質その部署は世話焼きミセスが掌握している。

前のめりになるほどはりきっていたイノウエ課長は、人事異動を敢行した。

ところが、異動させられた社員の一人が、異動先で仕事がうまくいかず、四苦八苦。

世話焼きミセスに泣きついたら、怒りが爆発。

 

わ~、こわ。

女性社員は団結すると怖いのです。

言いたいこと言えないくらいなら、昇進なんかいらないわ。

そんなノリで、上司でも意見があればハッキリ言っちゃいます。

 

がんばれ、イノウエカチョー!

受付で四苦八苦している「彼女」も!

 

試験前の緊張感が、ちょっとほぐれてくれました。

試験の結果は…

万が一合格したら、また報告いたします。

 

 

 

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