教育再生会議が、小中学校の校長の権限を強化するとともに、教師の公募制、教師のFA制を導入することを素案に盛り込むことを決めたそうです。
子供のいない私には、現在の小中学校の雰囲気というものはまったく知りません。
それでも、今回の教育再生会議の素案は、かなり違和感を覚えます。
学校は、先生を育てていくことをやめてしまうのでしょうか。
自己主張の強い、校長が気に入る先生ばかりを集めて、校長の理想とする学校を作り上げることが、教育再生なのでしょうか。
自分の小学校時代を思い出してみました。
1年生の担任は、白髪交じりの男性教師A先生。
あまり厳しい先生という印象はなく、温厚だったと思います。
とっても四角い顔をした先生でした。
保護者面談のときに、勉強をさせるためのコツを私の母に尋ねられたA先生は、
学校から帰ったら、必ず机の前に座らせるようにしなさい。
とアドバイスをしてくださいました。
母は、そのアドバイスを大切にし、遊びに行きたがる私を、何が何でも机の前に座らせておりました。
おかげで、2年生ぐらいからは、勉強するのがあまり苦にならなくなり、親や先生から「勉強しなさい。」と言われることもなくなりました。
2年生の担任は、30代ぐらいの女性教師B先生。
ちょっと印象が薄いかなあ。
でも、優しかったのは覚えています。
年賀状を書くことを教えて貰って、初めて先生に年賀状を出したことを思い出します。
3年生の担任は、やはり30代の女性教師C先生。
毎朝日記を提出すると、先生がひとりひとりにコメントを書いて、帰りに返してくれました。
また、作文を書かせるのが好きな先生で、生徒の書いた作文をプリントにし、放課後遅くまで印刷なさっていたのをよく覚えています。
今ならパソコンで簡単にできてしまうプリントも、当時はガリ版で原稿を作り、輪転機を回して印刷したものでした。
そんなC先生が大好きだった私は、いつも先生にまとわりついて、放課後の印刷を手伝ったりしていました。
古い木造校舎にインクのにおいがぷ~んとして、藁半紙(わらばんし)に印刷されていく手書きのプリントは、なかなか味のあるものでした。
C先生は、「あなたは弁護士になったらいいんじゃない。」と勧めてくれましたが、結局私は医者になってしまいました。
4年生の担任は、50代の男性教師D先生。
当時、持病で入院し手術を受けた私にとっては、4年生は学校にあまり行けなかった時期でもありました。
そのせいでしょうか、D先生の印象もとても薄いのです。
ただ、病み上がりの私がちゃんと通学できたのは、D先生のおかげでもあったのだと思います。
病気がきっかけで、それまでは子分がたくさんいた私が、すっかり内向的になってしまいました。
5年生の担任は、やはり50代の男性教師E先生。
まるで軍人のようなE先生は、いつも竹刀を持って授業をしていました。
言葉遣いもすごく荒々しくて、生徒の誰一人として担任になることを望まなかった先生です。
授業中に疑問に思ったことを、つい友人に話しかけてしまい、E先生に竹刀で肩を思いきりたたかれたことは忘れられません。
今なら、即教育委員会に訴えられるでしょうか。
6年生の担任は、40代の女性教師F先生。
とてもおしゃれな先生で、大きな爪にはいつも紅色のマニキュアが塗ってあり、指の半分を覆うほどの指輪をはめて、胸には重たそうなペンダント、といういでたちでした。
ジャージを着ているときも、きちんとしたスーツを着ているときも、先生のおしゃれは徹底していました。
私のことを「みけさん」と、下の名前で親しみをこめて呼んでくださって、その声は今でも耳に残っています。
ちょっとはじけたお母さん、という感じの先生でした。
もうとうに引退されていますが、今だに手紙のやり取りをしています。
こうして思い出してみると、いろいろな先生がおられたけれど、そこそこ楽しかったし、教わったことも多かったし、不満はあまりありません。
6人の担任の先生のことはよく覚えていますが、校長先生のことは、全く記憶がありません。
でも、それで何がいけないのでしょうか。
教育現場の穏やかさ、鷹揚さというものが失われていくんじゃないかという気がして、とても気がかりです。
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