病院が急患の受け入れを拒否した。
患者さんが「たらいまわし」にされた。
今年はそういう言葉が氾濫した1年でした。
患者さんを受け入れられなかった病院には、それなりの理由があって、何も「受け入れられるのに受け入れなかった」わけではないと思います。
でも、搬送先がなかなか決まらないと、患者さんのほうは「たらいまわし」にされた、と感じるかもしれません。
こういう現象は、今に始まったことではない、という気がしています。
私自身、子供のころから、数年に1回の割合で持病が悪化して、救急外来を受診して緊急入院をしていましたが、最初に手術を受けた病院でさえも、時間外に必ず診てくれるとは限りませんでした。
私の具合が悪くなると、いつも母があちこちの病院に電話をかけて、診てくれる病院を探していました。
日本の医療はレベルが高い、と昔から言われていましたが、自分自身の経験では、夜は一気にレベルが下がる、という感じ。
いや、レベルが下がるというよりも、医療過疎になるといったほうがいいでしょうか。
もう30年も前から、そういうことが続いていて、状況は悪くなる一方です。
正直に言えば、医師になる前は、「たらいまわし」にされている、という意識がなかったとは言えませんでした。
自らが医師になってからは、電話の向こう側の事情がよくわかるようになったので、複雑な思いです。
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26日の続きです。
この前のブログでは、午後から呼吸器内科に・・と書きましたが、実は午前診の最後に診ていただく予定だったので、「午後から」と表現したのでした。
まあ、常識的に考えて、12時までに呼ばれることはないでしょうなあ、と思っておりました。
当日は幸いにも、会社へ行く予定がなかったので、預かっている健康診断結果をひたすらチェックしていました。
12時をすぎ、お昼ご飯どうしようかなと思いましたが、さすがに昼ご飯抜きで外来やってる内科先生に申し訳ないと思い、しばらく仕事を続けておりました。
でも、1時過ぎても呼ばれませんでした。
2時ごろになって、辛抱できずにお昼御飯を食べてしまいました。咳ばかりしているので喉も渇き、お茶もたっぷり飲んで。
結局外来から呼び出しがあったのは、午後3時前。
外来へ行くと、まだ少し待っている患者さんがおられました。
中待合でちょっと待って、診察室に呼ばれました。
「2週間前から痰と咳で苦しいです・・・」
内科先生が仏さまに見えました。
実際、自分の痰で溺れ死ぬかと思うほど苦しかったのです。
大海原で沈みかけているところへ救助船が現れた、というぐらい、ありがたかったです。
レントゲンを撮ってもらったら、幸い肺炎はおこしておらず、気管支炎という診断で、お薬を処方していただきました。
さっき食べた昼食とお茶の陰影が、ばっちりレントゲンにうつっていて、食欲に負けた自分が恥ずかしいやら、情けないやら・・・
内科先生は、あと何人か外来患者さんを診察して、やっと昼食にありつけるというのに。
「おだいじに。」
内科先生の優しい言葉に見送られました。
まだ薬も飲んでないんですが、はっきり診断が出たのと、これで少しは楽になるという期待感で、それだけでも症状が軽くなったような気になりました。
会計をすませて、調剤薬局に行くと結構すいていたので、体調も悪いし仕事ははかどらないし、帰宅時に寄ってもよかったのですが、そのまま待つことにしました。
待合室のテレビでは、古いドラマの再放送をやっていました。
ぼ~っとそれを眺めながら、考えました。
やっぱり医者は病気を治してナンボやな。
それにひきかえ、私ときたら、仕事の半分はデスクワークで、残りの半分はほとんどしゃべくりやから…
体調不良も手伝って、ちょっと感傷的になってしまいましたが、仏の内科先生に助けられ、溺れ死にせずにすみました。
ヤレヤレ。
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2週間ほど前に風邪をひき、こじらせてしまいました。
風邪だから基本的には栄養、休養と思って、そのうちに治ると思っていたのですが、ひどくなる一方です。
気管支炎かもしれません。
ブログに書きたいことは山のようにあるのに、気力がわきませんでした。
いや、忙しかったということもあるのですが―
行く先々の会社で、
「医者の不養生」
と言われました。
普段、健康についてあれこれ説教じみたことを言っているので、ここぞとばかりに批判の矢がささります。
人さまの健康以前に、自分の健康管理ができていないとは!
そんな視線をあびつつ、2週間。
とうとう、呼吸器内科の先生のお世話になることになりました。
トホホ・・・
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三田佳子さんの二男が覚せい剤所持の現行犯で、逮捕されたあとの記者会見。
「(2回目の逮捕のとき)人生をかけて原因究明をするとおっしゃってましたが、その後親子のコミュニケーションはどうなっていたんでしょうか。」
「以前は50万円のおこずかいを渡していたと伝わってますが、今でも生活費は30万円くらい与えていたのでしょうか。」
芸能リポーターの皆さんは、さぞかしご立派な人々ばかりなのでしょう。
自身の息子や娘が、万が一覚せい剤に手を出しても、親子の絆で薬をやめさせることのできる立派な親ばかりなのでしょう。
専門家でも難しいのに。
一方で、彼らは親が大金持ちの若いタレントを「セレブ」と称して持ち上げるのです。
彼らの言う「セレブタレント」などは、月30万円どころの騒ぎじゃないでしょう。
贅沢させたから覚せい剤に手を出した、と暗に言っておきながら、親が金持ちのタレントを「セレブ、セレブ」ともてはやすのだから、いい加減なものです。
最初に覚せい剤を使用したきっかけは、親の子育ての問題も関係しているかもしれません。
しかし、更生させようとして失敗し、うつ病も患った息子を、なんとかしようと苦しんでいたであろう三田さんを追い詰めて、見ている側が喜ぶとでも思っているのでしょうか。
自分だったら、どうする?
いいアイデアがあるんだったら、三田さんに教えてあげてくださいよ。
アルコール依存症と同じように、覚せい剤は依存するとなかなか抜け出せません。
離脱症状に苦しむので、本人にそれを耐えられるだけの根性があれば、もともと覚せい剤などに手をださないでしょう。
それほど覚せい剤は恐ろしいもの。
芸能リポーターの限界なのかもしれません。
しかし、そういうリポートを衝撃的に報道するだけではなく、日本で覚せい剤などの薬物依存症に対する医療がいかに不足しているか、またそのような薬物依存症から立ち直させるのがいかに難しいことなのか、について議論してほしかった。
そして、そのような薬物が簡単に手に入る社会の構造について説明してほしかった。
あるいは、息子を更生させるためにどんな苦労があったのか、三田さんに語ってもらいたかった。
池に落ちた犬をさらに棒で打つような、あんな集団リンチのような記者会見は、見ていて不愉快でした。
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大学で医員をしていた頃の話です。
腹部大動脈瘤の患者Oさんが、手術目的で入院してこられました。
控えめな感じの奥さんがいつも付き添っていて、奥さんは私がベッドサイドに行くたびに、深々と頭を下げられるような方でした。
Oさんも、医師の指示を忠実に守るような、とても真面目な感じのする方でした。
70代のOさんは、長くうつ病をわずらっていました。
そして、精神科から処方されるお薬の副作用のため、Oさんは便秘でずいぶん悩んでおられました。
手術は無事に成功し、術後の経過そのものは順調でしたが、ひどい便秘は術後さらに悪くなり、院内にある便秘薬を片っぱしから試してみましたが、Oさんの悩みは解消できませんでした。
そこで、奥の手で、ラクツロースを試してみました。
ラクツロースは肝硬変の方などが高アンモニア血症になった場合に使われる飲み薬ですが、アンモニアの吸収を抑えるとともに、腸管の緩下作用や腸蠕動をよくする作用があるために、便秘に効くのです。
効果はてきめんでした。
ラクツロースを飲んだ翌日から、Oさんのしかめっ面は笑顔になって、
「先生、あの薬ようきくわ。」
と快適な入院生活を送られました。
退院の日、Oさんは、ラクツロースを切望されました。
「先生、あの薬、出してほしいんやけど…」
残念ながら普通の便秘症には保険適応がなく、あきらめてもらいました。
おとなしいOさんのことなので、事情を説明すると、すんなり引き下がってしまいましたが、家に帰ってから便秘に悩むOさんを想像して、私も「ああ、残念・・」という気持ちでいっぱいになりました。
入院中なら許されるというものでもなかったのですが、術後の経過を最優先にして処方したので、さすがに退院後も処方するのは気が引けたのです。
今日のニュースでは、政府の規制改革委員会が混合診療の全面解禁を提言することになったようです。
Oさんのようなケースでは、自分で費用を出せば、ラクツロースは処方できるようになるのでしょうか、それともやはり適応にうたわれている疾患以外で使用することは許されないのでしょうか。
ネット上でも、賛否両論、いろんな議論が散見されます。
しかし、患者さんにとってどっちがいいのか、よくわからないのです。
Oさんのようなケースでは、Oさんに自費でお薬代を負担してもらうのもひとつの方法ですが、適応症に「頑固な便秘症」を加えてもらえれば、何も問題はありません。
混合診療は、患者さんにとって、いいの? 悪いの?
どっちなんでしょうか・・・
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横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されてから、30年がたったそうです。
国会では、イラク特措法廃止法案と、新テロ特措法案が提出されました。
イラクについてもアフガニスタンについても、人道復興支援、国際協調という名目で自衛隊が派遣されましたが、私自身は、そもそも自衛隊を海外に派遣しなければならなくなった経緯を、もう一度よく思い出してみなければならないという気持ちが強くなっています。
イラクに先制攻撃を仕掛けるとき、アメリカはかなり強引な論理を、国連の安全保障理事会において展開しました。
イラクの航空写真まで持ち出して、あたかも大量破壊兵器が存在するかのごとく説明して、だからイラクを攻撃しなければならない、とぶち上げたのでした。
当時のパウエル国務長官がスクリーンに映し出された航空写真を指し示しながら説明をしていた光景を思い出します。
アフガニスタンでの戦争で、タリバンを北へ押しやって、アメリカ好みの政府を立ち上げたので、次はイラク、とアメリカは勇み足でした。
そのときの日本の政治の空気は、心のどこかに拉致問題解決ということがあって、アメリカにお付き合いしておけば、拉致問題解決にアメリカが手助けをしてくれるだろう、という考えが確かにあった、と思います。
討論番組で、政治家が拉致問題解決のためにもイラク派遣は必要だ、と言っていたことを覚えています。
いち早く、日本政府はアメリカのイラク攻撃を支持する声明を発表し、憲法のあいまいさをつくようにして、自衛隊をイラクに派遣したのでした。
反対意見はそれなりに出たと思います。
しかし、ついに大きなうねりにはならず、既成事実として受け入れざるを得ない状況に陥ってしまいました。
あれから、4年。
アフガニスタンではタリバンの勢いが復活しつつあり、
イラクではフセイン大統領が絞首刑になったものの、治安はいっそう悪化の一途をたどっています。
拉致問題は、アメリカが北朝鮮と2国間協議に入ったころから、あくまで「北朝鮮と日本の間の問題」とされ、アメリカの協力は全く得られなくなっています。
アルカイダは、もともとアメリカのCIAが組織したものだと言われているし、
タリバンも、パキスタンとアメリカの支援のもとに組織されたものだと言われています。
アメリカの外交は、アメリカの国益になるか否かのみで動いているのだから、その時々で言動はくるくる変わっていきます。
そんなアメリカにくっついて、「人道復興支援」などという耳触りのよい言葉でごまかされたくないなあ、という思いが私にはあります。
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大阪で、糖尿病で全盲の患者さんを、入院先の病院職員が公園に放置した、というニュースが流れました。
その患者さんが病院内でトラブルメーカーだったことや医療費の未払いが200万円近くあったこと、などから、批判というよりも、病院に対して同情的な報道だったと思います。
もし病院や職員に対する同情がなければ、おそらく、病院はこっぴどくバッシングされ続けたに違いありません。
そうならなかったためか、報道は極めてドライでした。
少なくとも私にはそう思えました。
それにしても、淡々と事実を報道するだけで止まってしまったことへは、かなり不満が残ります。
私としては、こういう患者さんを、どうすればよかったのか、を知りたいのです。
離婚した妻のところへ連れて行こうとして断られた、と伝えられています。
どう考えても、離婚した妻が、病院に200万円も借金している盲目の元夫を、すんなり受け入れるとは思えません。
そんな、まるで茶番のようなことをせざるを得なかった事情は何だったのでしょうか。
何年も入院していた間に、行政の手にゆだねるということをなぜできなかったのか、というところも気になります。
現在、保護されたその患者さんは他の医療機関に入院中とのこと。
よく受け入れたなあ、というのが率直な感想です。
だって、その入院費は誰が払うのでしょうか。
それに、再び院内でトラブルを起こす可能性が高いではありませんか。
すでに、いろんな医療機関で、暴力的であったりマナーが悪かったりする患者さんや、医療費未払いの問題が起きています。
でも、解決するための対策は、あまり語られません。
たまには新聞記者さんも、病院批判ばかりしないで、建設的な意見を書いてくれてもいいのではないでしょうか。
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教育再生会議が、小中学校の校長の権限を強化するとともに、教師の公募制、教師のFA制を導入することを素案に盛り込むことを決めたそうです。
子供のいない私には、現在の小中学校の雰囲気というものはまったく知りません。
それでも、今回の教育再生会議の素案は、かなり違和感を覚えます。
学校は、先生を育てていくことをやめてしまうのでしょうか。
自己主張の強い、校長が気に入る先生ばかりを集めて、校長の理想とする学校を作り上げることが、教育再生なのでしょうか。
自分の小学校時代を思い出してみました。
1年生の担任は、白髪交じりの男性教師A先生。
あまり厳しい先生という印象はなく、温厚だったと思います。
とっても四角い顔をした先生でした。
保護者面談のときに、勉強をさせるためのコツを私の母に尋ねられたA先生は、
学校から帰ったら、必ず机の前に座らせるようにしなさい。
とアドバイスをしてくださいました。
母は、そのアドバイスを大切にし、遊びに行きたがる私を、何が何でも机の前に座らせておりました。
おかげで、2年生ぐらいからは、勉強するのがあまり苦にならなくなり、親や先生から「勉強しなさい。」と言われることもなくなりました。
2年生の担任は、30代ぐらいの女性教師B先生。
ちょっと印象が薄いかなあ。
でも、優しかったのは覚えています。
年賀状を書くことを教えて貰って、初めて先生に年賀状を出したことを思い出します。
3年生の担任は、やはり30代の女性教師C先生。
毎朝日記を提出すると、先生がひとりひとりにコメントを書いて、帰りに返してくれました。
また、作文を書かせるのが好きな先生で、生徒の書いた作文をプリントにし、放課後遅くまで印刷なさっていたのをよく覚えています。
今ならパソコンで簡単にできてしまうプリントも、当時はガリ版で原稿を作り、輪転機を回して印刷したものでした。
そんなC先生が大好きだった私は、いつも先生にまとわりついて、放課後の印刷を手伝ったりしていました。
古い木造校舎にインクのにおいがぷ~んとして、藁半紙(わらばんし)に印刷されていく手書きのプリントは、なかなか味のあるものでした。
C先生は、「あなたは弁護士になったらいいんじゃない。」と勧めてくれましたが、結局私は医者になってしまいました。
4年生の担任は、50代の男性教師D先生。
当時、持病で入院し手術を受けた私にとっては、4年生は学校にあまり行けなかった時期でもありました。
そのせいでしょうか、D先生の印象もとても薄いのです。
ただ、病み上がりの私がちゃんと通学できたのは、D先生のおかげでもあったのだと思います。
病気がきっかけで、それまでは子分がたくさんいた私が、すっかり内向的になってしまいました。
5年生の担任は、やはり50代の男性教師E先生。
まるで軍人のようなE先生は、いつも竹刀を持って授業をしていました。
言葉遣いもすごく荒々しくて、生徒の誰一人として担任になることを望まなかった先生です。
授業中に疑問に思ったことを、つい友人に話しかけてしまい、E先生に竹刀で肩を思いきりたたかれたことは忘れられません。
今なら、即教育委員会に訴えられるでしょうか。
6年生の担任は、40代の女性教師F先生。
とてもおしゃれな先生で、大きな爪にはいつも紅色のマニキュアが塗ってあり、指の半分を覆うほどの指輪をはめて、胸には重たそうなペンダント、といういでたちでした。
ジャージを着ているときも、きちんとしたスーツを着ているときも、先生のおしゃれは徹底していました。
私のことを「みけさん」と、下の名前で親しみをこめて呼んでくださって、その声は今でも耳に残っています。
ちょっとはじけたお母さん、という感じの先生でした。
もうとうに引退されていますが、今だに手紙のやり取りをしています。
こうして思い出してみると、いろいろな先生がおられたけれど、そこそこ楽しかったし、教わったことも多かったし、不満はあまりありません。
6人の担任の先生のことはよく覚えていますが、校長先生のことは、全く記憶がありません。
でも、それで何がいけないのでしょうか。
教育現場の穏やかさ、鷹揚さというものが失われていくんじゃないかという気がして、とても気がかりです。
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週末、遠く離れて暮らす母に電話をしました。
両親、祖母ともども皆元気にしていると聞き、ほっと安心したのでした。
電話で話したのが久しぶりだったので、あれやこれやと話をした後、そろそろ切ろうかと思ったところで、先日の大連立騒動について、感想を聞いてみることにしました。
母は、現在父の年金と、第3号被保険者の、いわゆるサラリーマンの妻の年金で生活しています。
父は高校を卒業して以来、ひとつの会社で定年まで勤めあげた人です。サラリーマンが一番安定してよかった時代でもありました。
そんな父のもと、姑と同居し、二人の子供を育てながら、生活費の足しに、とパートタイマーをして暮らしてきた母です。
本当に、昭和のごくありふれた家庭の主婦でした。
どちらかというとあまり政治などに強い関心をもつほうではなかったし、テレビ番組は、洋画やお笑い番組が好き、という感じでした。
みのもんたさんに大いに影響を受け、帰省するたびにデーブルの上に、「健康に良い」と「みのもんたさんが言っていた」食品がかわるがわるおいてあります。
そういう普通の主婦が、今回の大連立騒動について、どのように感じているのかを聞いてみたかったのです。
小沢さんが民主党にもどってくれてよかったと思っているよ。
自民党は役人といっしょになって悪いことばっかりしてるでしょう。
少々力不足でも、民主党に政権とらせてみるしか、そういう悪いことを止められへん。
なるほどなあ。
立派な政治評論家やコメンテーターが、どんなに政治のプロ的考察を加えてみたところで、普通の市民にとっては、政権交代しかない、という思いのほうが強いのかもしれません。
あるいは、小沢さんは、いろいろ評されるほど悪い人ではないと感じている人が少なくないのかもしれません。
いや、たった1サンプルで結論付けるのはやりすぎでしょうか―。
もう政官業べったり癒着の自民党にこのまま政治をまかせていても、税金の使い道はいつまでたっても清廉潔白にはならないという思い。
小沢さんが福田総理大臣と会談し、民主党の代表をおりると言った時、私は正直なところとてもがっかりしました。
でも、だからといって自民党に心が翻るかというと、そうでもありませんでした。
無駄に使われているに違いないと思いながら、しぶしぶ支払う税金から、私たちのために大切に使われていると安心して支払う税金にするためにも、やはり私は政権交代を望むのです。
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民主党の小沢代表が記者会見を開き、引き続き代表をつとめると発表しました。
もとのさやにおさまった、のでありますが、なんとなく与党との協調路線はアリ、のような雰囲気が出てきてしまったのはなぜなのでしょうか。
霞が関改革はどうなったのか?
自衛隊が給油した油はどこへ行ったのか?
守屋氏と山田洋行、日本ミライズとの癒着はどうなったのか?
年金問題はどうなったのか?
政治資金の領収書問題はどうなったのか?
―もうすでに、すべての領収書添付を義務付けるのは特定の政治団体に限られるとの話が出ています。
そうして、どさくさにまぎれて、消費税アップありき、ということになってしまうのでしょうか。
おまけに、自民党と民主党の大連立を持ちかけたのが、ナベツネさんだという話が出てきています。
たかが大新聞の主筆、といっては失礼かもしれませんが、マスコミの側の人間が、政治家とつるんで政治を動かそうなんてのは、多くの人が言っているように、マスコミの死に匹敵するんじゃないでしょうか。
民主党の前原代表が代表を辞任して小沢氏が登場したとき、
安倍総理大臣が総理大臣を辞任して福田氏が登場したとき、
やっぱり経験を積んだ人も大事だよね、という安堵感が世間を覆ったわけですが、ここにきて、今度は「老害」という言葉がまた浮かんできます。
有権者は何も知らんでよろしい―
というふうに言われている気がして、あまりいい気がしません。
今こそ、しっかり目を開いておかなければなりません。
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