公務員制度改革で、造幣局や印刷局を民営化する方向で検討するそうです。
そもそも、造幣局や印刷局が、すでに独立行政法人というわけのわからん組織になっていること自体、知りませんでした。
造幣局のHPをのぞいてみたら、平成15年から独法化されているそうです。
造幣局では、国の貨幣を鋳造するほか、記念コインなども製造しているらしいです。
印刷局は、国の紙幣を印刷するほか、刊行物も印刷しているとか。
貨幣や紙幣の製造という以外については、確かに民間会社が製造することにあまり抵抗はありません。
しかし、日本のお金が民間会社で作られるようになって、本当に大丈夫?
あちこちで製造技術が漏れて、偽造貨幣や偽造紙幣が出回るんじゃないのだろうか、という一抹の不安があります。
う~む、公務員改革とは何なのだろう。
独立行政法人化して、ますます霞が関の権限が強まっているという話も耳にします。
本当に切り込まなければならないのは、霞が関本体なのではないだろうか。
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再任された鳩山法務大臣が、記者会見で死刑制度について聞かれたときに、法務大臣がサインするという行為ぬきに、死刑が執行されればいいというような発言をして、話題になっています。
新しく誕生した福田内閣への、マスコミによる軽いジャブのような感じですが、それにしても、新しい法務大臣が就任するたびに、記者さんたちは、
「あんたは死刑に反対なの、賛成なの・・ どっち?」
と、おんなじ質問を繰り返しているようです。
死刑を判断するのは司法なので、行政がその決定に従わないというのは原則的には三権分立に反している、と私は思います。
いや、もちろん死刑制度に賛成か反対かということとは別に、というスタンスですが。
死刑制度反対論者は、人間は時に誤った判断をするので、仮に冤罪であった場合に、死刑が執行された後では取り返しがつかない、というのもひとつの反対理由としているのだろうと思います。
それはそれで、説得力のある説明だと思います。
私は死刑制度に賛成はしないのですが、廃止するのならばそれに代わる終身刑などの制度が必要なんだろうと考えます。
こういう議論を国会できちんとやって、国民の意見をよく反映した形で決着させていくことも必要なのではないかと思います。
なにせ、現在の刑法が誕生したのはもう、ずいぶんと昔のことなのですから。
最近も、山口県光市の母子殺害事件の差し戻し審について、多くの報道を見聞きしましたが、マスコミの報道姿勢は、ほとんどの場合、容疑者についた大弁護団は悪の権化のようなイメージであり、孤軍奮闘する被害者の夫が極刑を望むことに反論する議論はひとつも見当たりませんでした。
被害者のご家族が犯人に憎悪を抱き死刑以外にあり得ないと発言することについて、その心情を思えば誰も反論できないと思います。
しかし、そうやって死刑制度に反対して団結している弁護士を徹底的に批判する一方で、法務大臣が死刑制度に賛成するかのような発言をしただけで、鬼の首をとったかのように報道するマスコミに対しては、なんだかな~としらけた気分になります。
もうちょっと、質問を受ける相手を、う~む、と考えさせるような冴えた質問のできる記者さん、いませんか。
まあ、そういう単細胞な質問に、再任されてうかれていたのか、上げ足とられそうな失言をしてしまう法務大臣も、どうかと思いますが。
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昨日は、ある会社のIさんと面談のある日でした。
Iさんは、うつ病をわずらってしばらく仕事を休んでいたのですが、ようやく出勤できるまでに回復し、数か月前に職場復帰を果たしています。
一時期体調を崩して業務時間を短縮していましたが、また通常勤務に戻してほしいとのことでした。
一番悪かった時に比べたら、ずいぶんと身体の調子はよくなったと思われましたが、心身共に健康な人と比べれば、やはりまだまだ、という感じです。
Iさんは、時々考え込みながら、話しはじめました。
「うつ病」というハンディキャップを抱えながら、これから生きていかなければならないという不安。
奥さんが共働きで、Iさん自身も仕事と家庭のはざまで悩んでいること。
かわいがっていた部下が自分から離れていってしまったことの孤独。
時々、Iさんの頑固さや、やや偏った考えが見え隠れするので、その都度交通整理しながら、Iさんの話に耳を傾けました。
Iさんをとりまく不安は、今すぐに解決できそうにはありませんでした。
また、そのことがIさんを耐えがたいほど追いつめているわけでもなさそうでした。
「あまり、考えても仕方がないのではないですか。急がずにそのままおいておきましょう。」
そういって、面談は終了しました。
Iさんの希望通り、就業時間は通常に戻すこととしました。
気がつくと、面談は2時間に及んでいました。
以前、他のうつ病の方から、私との面談はとても疲れるのだと指摘されたことがありました。
つい話にのめりこんで面談時間が長くなってしまうことが、かえって面談を受ける人にとって負担になることがある、とそのとき気づいたのでしたが、また同じことをしてしまったのかもしれません。
正直なところ、私には、Iさんの不安を取り除いてあげることはできません。ただひたすら、Iさんの話を聞いてあげることしかできないのです。
そんなことで、面談をする意味があるのかな、という疑問がないわけではありません。
唯一の救いは、Iさんが、部屋に入ってきたときよりも少し、表情が和らいだように見えた、ということでしょうか。
その後、会社の方と他のいくつかの問題について話し合い、会社を出た時には、あたりはとっぷり日が暮れていました。
見上げると、美しい中秋の名月が、こっちを見ていました。
私のやっていることは本当に役に立っているのだろうか。
お月さんを眺めながら、しみじみと、そんな思いにひたってしまいました。
産業医の職務は、病気を治したり、痛みをとってあげたり、というような、すぐに結果が出るようなものではありません。
結局、自己満足なのかもしれないなあ、ということを考えながら、帰路についたのでした。
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安倍総理大臣が病院で記者会見を行いました。
総理大臣在職中は、自分の病気のことについて話すべきでないと判断して、辞任会見のときには触れなかった、と言っていました。
顔色はあおく、生気のない様子がテレビで全国的に流されて、次の総理大臣も決まりそうな状況では、もう安倍さんを批判する気にもなれない、と多くの人が思ったかもしれません。
安倍さんの姿を見ながら、夢をどこまで追求すべきなのか、ということを考えました。
私は大学を卒業するのを目前にして入院しなければならず、大きな手術も受けました。
そして、それまで別のことを考えていたのに、急に小児外科医を目指したくなったのです。
決心するまでに、あまり多くの人からアドバイスをもらいませんでした。なぜなら、病気で治療をしている最中に、誰もが反対すると思えたからです。
小さいころから私の身体を心配してくれていた伯母が、見舞に来てくれた時に、枕元でこう言いました。
「あんたみたいに病弱な先生に、診てもらいたい患者さんなんていない。」
伯母は、もっと規則正しい生活を送れる科を選ぶべきだと言いました。
若くて希望に満ちていた私は、病気は何とでも克服できる、どんなに身体の具合が悪くても、演技をしてでも平静を装うことができる、とつっぱねました。
卒業して、外科医の道を歩み始めて、いろいろなことがありました。
健康状態は、必ずしもよかったとは言えません。
時々具合が悪くなって、外来で点滴をしてもらったり、強い鎮痛剤を服用して手術に入ったことも何度もありました。
身体には相当無理を強いてきたと思います。
その後方向転換したのは、今でも健康上の理由が原因だとは考えていません。
主な理由は他にあるのです。
私としては、病気を理由に外科医を辞めたと思いたくないし、思われたくない、その気持は今でも変わりません。
ただ、どんどん健康が失われていったことが、全く無関係でもないと感じています。
子供のころは、病気をもちながらがんばることを、誰もが褒めてくれました。
一生懸命努力すれば、克服できないことはない、と信じていました。
私自身は、総理大臣という日本に一人しかいない重責を担っていたわけでもなく、ただ一外科医としてのつとめを果たそうとしていただけです。
そこには大きな差があります。
ただ、夢をどこまで追求すべきなのか、という点について、ただがんばることだけが素晴らしいとも言えないのかもしれない、と、昨日の会見をみて、改めて感じています。
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きょうびの小学生は、生まれた時からプッシュホン式の電話機しか見たことがないので、ダイアル式の電話機は、使い方さえ知らないのだそうです。
私が4,5歳ごろは、家に黒いダイアル式の電話機があったのですが、時々誰かが近所のおばちゃんあてに電話をかけてきて、よくそのおばちゃんを呼びに行くことがありました。
当時は、電話機のないお家もあったのです。
受話器は結構重たくて、今ごろのプラスチック製の軽量級とはかなり感触が違っていたと思います。
どんなに急いでいても、回したダイアルが元の位置に戻るまでは、次の番号を回せないので、9とか0とかの数字が続くと、電話をかけるまでに時間がかかりました。
かけ違えたときは、また最初からやりなおし。
まあ、今から思えば、のどかな時代だったかもしれません。
一人一台携帯電話時代が来るとは想像すらしていませんでした。
テレビ電話はSFの世界の話でした。
物はどんどん豊かになっていくのに、なんだか将来に不安ばかりがつのる今日この頃。
便利さの追求とひきかえに、失ったものも大きいのでしょうか。
いつまでたっても夏のようなお彼岸を迎えて、ふと、昔懐かしい黒電話を思い出してしまいました。
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某病院の理事長は、何か月も前に受けた自分の健康診断結果が返ってくるのがあまりに遅いので、しびれをきらして、はよう出さんか、と言って健診担当の事務員をどやします。
実は、何百人もいる職員健診は全くの手つかずで、毎日健診センターの空調機から吹く冷風で冷やされ続けています。
日々の健診業務の合間にちらちら視界には入ってくるものの、お客さんのほうが優先ですから、そのうち見えないことにしたりします。
さすがに理事長からどやされて、あわてて一人分だけ入力作業をすませ、最後の診断をしてもらおう、と担当医に連絡をして泣きつきます。
「先生、これだけ先に書いて。」
担当医は考えました。
毎回健診のたびに理事長は自分のだけ先に返してもらって、平気でいる。
でも、結果返却が遅れる理由は、職員がさぼっているわけではなく、明らかにマンパワーの不足が原因だ。
何も職員健診のことだけではない。
みな疲れ果てていて、病院全体の士気が落ちている。
毎日毎日、投書箱には患者さまからのクレームが満載。
それなのに、コネで入った者だけが、能力にかかわらずどんどん昇進していく始末。
月1回だけたくさんの「理事」たちがどこからともなくわいて出て、さんざん文句だけ言ってまたどっかへ消えていく。
やれ、やれと言うだけでは人の心は動きません。
自分だけ先に返してもらったら、理事長はきっと、「やればできるやないか。」と思考を停止してしまいます。
実際、担当医も毎日忙しくて、それどころじゃあない!
というわけで、しばらく放っておくことにしました。
周りに競合する病院が少ないからこれでいけているかもしれません。
でも、そのうち立派な病院が近くにできたりなんかすれば、こんな病院からは患者さんが逃げ、労働者が逃げ、残るは経営者のみということになるかもね。
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小学生の頃にみていただいていた小児科医の先生がいます。
K先生は小柄な男の先生で、たぶんそのころ40歳代後半だったと思います。
とても温厚で、こどもにはいつも優しい先生でした。
手術をすることになって、一時的に外科に転科したのですが、手術前に、
「手術が終わったら何が欲しい?」
と聞かれました。
当時はやっていた、BeBeという指くわえ人形が欲しい、とおねだりしました。片方の親指がちょうどその人形の口にぴったりはまるようになっている、目の大きな人形です。
手術が終わって病室で目が覚めた時、枕元に、BeBeが置いてありました。
サーモンピンクのジャンパースカートと白いブラウスを着せられて、同じピンク色の帽子をかぶっていました。
今から思えば、たぶん私の親が手術前に、先生になにがしかのお礼をしたのだろうと思います。
当時はまだ、そういう習慣が許容された時代でした。
そのお礼の一部が、人形に変身した、というのが真相かもしれません。
でも、子供の私にはそんなことはかまいはしないのです。
大好きなK先生から、がんばって手術を受けたことのご褒美をいただいた、そのことが私にとっては大切なことでした。
その後大学を卒業して地域の病院に勤めていた時、専門病院から男の子が転院してきました。
手術の創部が感染し、専門病院で長く治療ができないとのことで、治療を引き継いだのでした。
実は、その子のお父さんは、K先生の病院の薬剤師さんでした。
K先生から直接その子のことをよろしくたのむ、とお電話をいただいたとき、担当医が私であることに気がつかれました。
主治医と患者であった遠い昔をなつかしみ、またこうして医師として話をすることの気恥ずかしさを感じました。
私が医師をめざしたのは、K先生に出会う前です。
でも、あこがれの小児科医であったK先生は、私のその後の人生に大きな影響を与えた人の一人です。
こどもの心は、乾いた砂に水がしみ込むように、成長期に出会う多くの人から影響を受けるものだな、と思います。
サーモンピンクは色あせて、洗濯をしてももとの鮮やかな色には戻らなくなってしまいました。
それでも、今でもその人形を大切にしています。
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福田氏や麻生氏の生い立ちなど、別に聞きたくもないのです。
彼らのおやじさん、おじいさんが、立派な総理大臣だったからといって、私たちにどれほどの価値があるでしょうか。
安倍氏が総理大臣になった時、安倍氏が外務大臣だった父親の秘書官をしていたころの話をドラマ化して放映したテレビ局がありました。
あきえ夫人との出会いのエピソードを繰り返し流したテレビ局がありました。
そんなもの、どれだけ役に立っただろう。
その物語の主人公だった安倍氏は、1年後には舞台からさっさと逃げてしまったのです。
次は小泉の再登板しかあり得ない、と言い切った片山さつき氏は、翌日には福田氏の後ろでバンザイ、という無節操。
小泉氏はオペラ好きだからアンコールに応えるはず、と、熱弁をふるっていた小池百合子氏が、いつのまにか、福田・麻生両氏の演説会で、マイクを握って司会をしている摩訶不思議。
自民党は、談合で次の党首を選んだわけではない、という証拠づくりなのでしょうか。
本当は今頃、国会で実のある議論が聞けたはずなのに、いつのまにやら自民党の内輪もめが国民の最大関心事と言わんばかりの雰囲気は、いったいどういうことだろう。
政治と金の問題。
宙に浮いた年金記録問題。
年金横領事件。
自衛隊の補給したガソリンがイラクで使われているかもしれない疑惑。
荒廃する医療の問題。
地域の格差の問題。
全部なかったことにするおつもりか。
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安倍総理大臣が辞任した理由は、やはり健康問題だった、と思える記事が、日経BPnetにありました。
立花隆氏が執筆する「メディア ソシオポリティクス」という連載コラムの第98回、今年2月21日付けの記事です。
そこには、安倍総理大臣がかかえている持病とされる病名なども・・・
立花氏は、2月の時点で既に、安倍氏に健康問題があると指摘していました。
ずっと、身体の調子が悪かったのなら、多くの人が言っているように、やっぱり辞めどきを、もっと早く考えるべきだったのでは、と思います。
辞任会見において、本当の理由を明らかにしないから、なぜこのタイミングで辞めるのかについて、誰にも理解できなかったのだと思います。
自分が退けば局面が変わる、なんて・・
なんかもう、いじけちゃっているようで、哀れでした。
政治家が一度はなりたがる総理大臣という仕事は、心身の強靭さがなければ耐えられないのだ、ということをしみじみ感じさせられる出来事でした。
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アベチャンが、総理大臣を辞めるそうです。
今日は国会で代表質問が行われる予定でした。
国会運営に行き詰まり、いやになっちゃった?
新しい総理大臣を選ばなきゃならないし、組閣はやり直しになるし、その前にいわゆる「身体検査」もしなきゃならないし、ますます政治は混乱するでしょう。
もう、年金問題は棚上げ。
医療も、介護も、めちゃめちゃになったままだ。
アベチャンが総理大臣になってから、ずっと感じてはいましたが、こんなに危機に弱いオボッチャマクンだとは・・・
こんな総理大臣を選んだ与党は、大反省しなさい。
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