期日前投票に行ってきました。
事前に送られてきた投票所入場券を手に役所へ行くと、かなりの人出。
小泉郵政解散選挙の時は投票日に行ったのですが、その時の人出とよく似た熱気がありました。
う~む・・・
少なくとも期日前投票の投票率が上がっている、というのは実感として感じられました。
しばらく廊下の椅子に座らされて待っていました。
目の前の小さな机の上に選挙公報が置いてあったので、手にとって眺めていたら、入口に立っていた係員に、
「それは投票室には持ち込めませんから、今のうちに読んでおいてください。でも、候補者名は中に書いてありますから、心配いりませんよ。」
と言われました。私は記念に持って帰ろうと思っていただけなので、その選挙公報を元の場所に戻してしまいました。
しばらくして、投票室へ入るように促され、再び中の待合用の椅子で少し待たされます。
いつもの記入台(・・というのでしょうか)や投票箱のほかに、パソコンが数台置いてある机があり、選挙管理委員の方なのか、役所の方なのか、画面を見ながら、マウスをカチカチいわせています。
まずその人たちのところに呼ばれて、入場券を提出しますと、誓約書を書かされました。
書かされるといっても、氏名や生年月日、現住所、住民票のある住所を記入して、投票日に投票できない理由を書くわけですが、それは選択式になっていて、該当するところに丸をつけるだけ。
係りの人の目の前で誓約書に記入すれば、投票用紙をもらえました。
記入台はアルミ製で、投票用紙に記入するときは、相変わらずがたがたします。
その上に、いつもの投票所より明らかに狭いため、通りすがりに、ほかの人の書いているところをのぞき込めそうなぐらいでした。
投票するときは、たいてい字を間違えそうになるので、目の前に貼ってある候補者の名前を何度も確認しました。
字を間違えたらどうしよう、棒線で訂正すればいいのかな、などと余計な事を考えるから、いっそう緊張して、今日は妙に字が横長になってしまいました。
いや、それよりも、今回の選挙では何か変化がおきるかもしれない、という期待感があって、それが緊張感に結びついたのかも知れません。
いつも以上に手に力が入ってしまいました。
明日の選挙結果はどうなるのでしょうか。
少なくとも期日前投票の感触では、投票率は高い気がします。
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たまに、我が家の呼び鈴が鳴り、
「とてもいいお話が書いてあるので、郵便受けにパンフレットをいれさせていただいてもよろしいでしょうか。」
とインターホンごしにおっしゃる方がいます。
ほとんどは、宗教関係の方のようで、パンフレットを入れていただいてもごみ箱に直行するため、たいていはお断りするようにしています。
数年前、たまたま、なんとなく、
「ああ、どうぞ。」
と言ってしまいまして、郵便受けにちんまりと、キリスト教系のパフレットが入れられたことがありました。
はじめから読むつもりもなく捨てようとしたのですが、タイトルが気になって、つい読んでしまったのでした。
「病院の受診のしかた」
医療従事者は毎日とても多くの患者さんを受け入れているため、長時間働いていて疲れているのです。
受診する患者の側も、そういう事情をよく理解して、できるだけ医師に伝える話は簡潔にして、長くなるようなら紙に書いて持って行きましょう。
理不尽な要求をしたりするのは、結果的に他に待っている患者さんの迷惑にもなるし、医療従事者の心を消耗させてしまうので、慎みましょう。
そういう内容だったと思います。
これ、医療者側から言うのは、とても抵抗があります。今の時代、そんなことを言おうものなら、ひどいバッシングを受けるのではないか、と委縮さえしてしまっています。
病院の御意見箱には、毎日毎日、ご批判が多数寄せられます。
もちろん、医療者側にも努力が必要な部分もあるでしょう。
しかし、お互いに気を使い合う、という精神が少しでもあれば、結果的に、気持ちよく医療行為ができ、医療を受けることができる。
とても単純な話なのですが、なかなかそういう視点で書いてあるものがありません。
医師、看護師、検査技師、医療事務・・・
もう、批判されっぱなしの毎日。
普段、あまりキリスト教には興味がないのですが、このときばかりは、いい仕事してますねえ、と感心した次第です。
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10年も前の話です。
大学医局の大先輩に、アメリカで小児外科の教授をしている人がいました。そのころ勤めていたこども病院の小児外科グループ内ではカリスマのような存在でした。
ある日、その大先生が講演会をなさることになり、その前に読んでおくべき本、ということで、大先生ご執筆の御本を購入しました。
小児外科医をめざしていた私でしたから、読みたくて買ったわけでした。しかし・・・
途中で、もういやになって、やめてしまいました。
なぜって・・・
はじめから終りまで(・・途中でやめたので、終りまでかどうかは実はわかりませんが)、アメリカの医学教育がいかにスバラシイかを、アメリカの医学部がいかに合理的かを、説いているわけです。
そして、日本を飛び出してよかった、自分はアメリカという新天地で成功したんだと、誇らしげに書いてあるわけです。
日本なんかに残ってたら、まともな医者になれませんよ、といわれているような気すらしてきました。
大先生が病気をもつ子供たちのために、腕をふるっている様はよくわかるのですが・・
確かに医者は力がつくのかもしれないけど・・
アメリカに行けない私は、大先生のおっしゃる恵まれない日本で医者をするしかないのですよ・・
そんな気分にさせられる内容でした。
さて、講演会の日。
スライドを使ってアメリカでの小児外科医療を語る大先生。
気になったのは・・
アメリカでは入院すると、まず病院のクラークさんが来て(医師や看護師ではなく!)、
「あなたの入っている医療保険では、ここまでの医療しか受けられませんよ。」
と言うのだとか。そうして、あらかじめ作られた治療計画にのっとって治療が始まる、ということでした。
ある貧しい家庭のこどもが大学病院に入院してきた、
そのこどもの両親は医療保険に入っておらず、
治療には難しい手術が必要だったので、
大先生は大学の研究費を使って手術を施し、
その子は元気になって退院し、
お母さんからは、大変感謝された。
そういう美談も、紹介されました。
新自由主義の小泉政権以降、日本は最終的にはアメリカ型の医療制度をめざしているような気がします。
つまりそれは、患者の支払い能力に合わせた治療をするということであり、医療はあくまで商品、ということになる。
お金のある人は高い商品を買うことができ、お金のない人は支払うことのできる額の商品を選ぶ(・・安物でも我慢する?)ということになるのでしょうか。
そういう医療制度にしたほうが、医師に対して必要な給与と正しい労働条件が確保される、と言っていた仲間の医師もいました。
いやいや、その前に政府はもう大喜びでしょう。
だって、国民皆保険制度をやめてアメリカ式にしたとたんに、
医師不足や医師偏在の問題も、
財政難の問題も(・・本当に財政難なのかは疑ってみる必要はありそうですが)、
一気に解消してしまうではありませんか。きっと、政府はそういう誘惑にかられているんじゃないか、と私は勘ぐっています。
でも、私は、日本的と揶揄されようが、国民皆保険制度を堅持してほしいと思うのです。
情けないことに、その理由は理路整然と答えられません。頭の中があっちをたてればこっちが立たず、のような状態になって、湯気が出そうになってしまいます・・
ただ、あの大先生の著書を読んだ時の「嫌悪感」が忘れられない。
とても直観的ですけれど、アメリカ的医療従事者には、私はなりたくないのです。
(アメリカで真面目に医療をされている先生方、ごめんなさい。)
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職場の健康診断で、肝機能がひどく悪くなっている30代のDさんを、個人面談にお呼びしました。
部屋に入ってきたとき、顔が土気色で生気がなく、私の質問にも、無表情のままぼそぼそと小さな声で答えます。
その答えも、単語をただ並べただけのような言葉だったので、コミュニケーションをとることにとても困難を感じました。
Dさんの言葉の断片をつなぎ合わせて、何とか、最近通院中で、近々また外来を受診することになっている、ということがわかりました。
こんな状態で仕事を続けさせるのは問題がある、と思ったのですが、主治医からは仕事を休むようには言われていないと言うし(・・本人が言っているだけなので、本当のところはわかりません)、また近いうちに外来を受診すると言うので、
「必ず担当の先生に、ちゃんと診てもらってくださいね。」
と念をおして、その日の面談を終えました。
それから数日後、Dさんは、自宅で倒れているところを発見されました。救急車で運ばれたのですが、搬送先の病院で息をひきとったのです。
Dさんは独身で、アパートで独り暮らしをしていました。自宅で具合が悪くなったときに同僚に電話をかけようとしていたそうです。でも、電話口で言葉を発することができず、とにかくその同僚の方がDさんの自宅へ直行し、倒れているDさんを見つけたとのことでした。
あとから聞いた話では、Dさんは職場で後輩からも慕われていて、とても面倒見がよかったのだそうです。でも、ふだんからお酒をよく飲んでいた、ということでした。
なぜ身体をこわすほどお酒を飲むようになったのかは、誰もわかりませんでした。
本当に、まるでろうそくの火がすーっと消えるように、静かに亡くなられたという感じでした。
私がずっと心残りなのは、個人面談のときに、半ば強制的にでもすぐに病院を受診させて、入院治療でも何でも受けさせればよかったんじゃないか、ということです。独り暮らしの家に帰してしまったことが、結果的にDさんの死を招いてしまったんじゃないか、と。
でも、相手は分別のある大人です。
どこまでを自己責任としていいのか、今でもずっと結論が出ないままです。
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比較的小規模の会社でも、ISO取得、というのが当たり前のようになりました。中でも、ISO9000シリーズ(品質ISO)、ISO14000シリーズ(環境ISO)というのは、私が産業医をしている事業所でもこぞって取得されています。
今や環境問題に関心を持ち、環境に配慮することが会社のステータスになっています。
でも、ちょっと疑問に思うことがあります。
たとえば・・・ ある金属部品工場での話です。
社員が工場内でひどい騒音にさらされていているのに、こちらが耳栓着用を一生懸命説得してもなかなか着用率が上がらない上に、会社のほうでも設備投資で騒音削減の努力をしてくれることはありませんでした。社員のために環境を整備する、という動きは非常に緩慢です。いつも、「そんなお金はない。」と言われておしまいです。場合によっては、
「社員にお給料が払えなくなってしまう。」
「ボーナス、出せなくなってもいいの?」
などと、脅迫めいた話も飛び出します。
ある日、ひどい騒音を発生させていたある工程が全面中止となりました。工場近くの土地が宅地造成されることになり、工場周辺の騒音が問題になるから、でした。
「えっ、社員のためじゃないの?・・・」
思わず私の口から出た言葉です。
もちろん、工場周辺の住民への配慮は当たり前のことで、騒音削減の努力は必要です。でも、今まで社員がさらされてきた騒音には全く手をつけず、環境問題に発展しそうになったとたんに、製造工程まで変更するなんて。
環境ISOでは、工場周辺の騒音測定を行います。極端な話、工場内でどんなにひどい騒音が発生していても、敷地と外部との境界での騒音が基準値以下なら、問題になりません。
労働環境は、労働安全衛生法によって規制されており、平成4年には快適職場づくりについての指針が、旧労働省から出されています。
でも、努力義務の色合いが強く、快適職場作りに尽力したからといって、会社のブランド力にはならないのです。
最近では病院も病院評価機構の認定を取ることが、一種のブランドになっています。病院経営者は外部監査の入る日にはかなり神経をとがらせているようです。
しかし、病院評価機構の認定が下りたからといって、労働条件や労働環境がよくなった、という実感のないところがほとんどだろうと思います。
むしろ私は、労働者が気持ちよく働けるほうが、結果的に、良い製品づくり、よいサービス提供につながるのではないか、と思うことが多いです。
工場の入り口に、
「ISO14000取得」
と誇らしげに掲げてあるのを見て、複雑な気持ちになります。
病院のホームページに、
「病院評価機構認定施設」
などと表記されていると、むなしい気持になります。
その向こう側で働く人たちの姿は、そこからはうかがい知ることはできません。
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段ボール工場に行ってきました。
衛生管理者の人と工場内を30分ほど巡視し、安全衛生委員会の開かれる会議室に向かいました。部屋に入ると、誰も来ていません。
まあ、いつものことだから・・・ 驚きはしませんでしたが、それにしても電灯は消えているし、椅子は片付けられているし、むっとした埃っぽい空気が満ちていました。
仕方がないので、窓を開けて空気を入れ替え、椅子を人数分準備して、座って待ちました。10分ほどたって、いっしょに巡視に回った衛生管理者の人が来ました。
「えっ、誰も来てませんか?」
「はい・・・」
「ちょっと待っててください。」
あわてて他のメンバーを呼びに行かれたのでしょうけれども、5分後には一人で戻っていらっしゃいました。
しばらく二人で雑談していると、結局開始予定時刻から20分以上も遅れて、どやどやと他のメンバーが集まってきました。
この工場の若い社員さんが二人病院を訪ねてきて、産業医派遣を依頼された日のことを思い出します。
「最近、他の工場で大きな労働災害があって、社長の肝いりで会社の安全衛生を立て直すことになった、ついてはぜひに産業医を引き受けてほしい―。」
そのころすでに、多くの会社に派遣されていた私は、引き受けても産業医として業務をきちんとこなせるかどうか、自信がありませんでした。それでも、若い社員さんが熱心に話をされるので、
「私は名前だけの産業医というのはやりませんよ、法律で定められた産業医活動をきちんとさせてもらえないのでしたら、初めからお断りします。」
と念をおしました。
その後そのうちの一人は他工場へ転勤になり、一人は会社を辞めてしまいました。彼女もはじめはとてもやる気になっていたのですが、会社の上層部の理解を得られず、少し空回りしていた部分もあり、失望して辞めてしまったのです。安全衛生委員会のメンバーもひっきりなしに交代しました。
皆が安全衛生は最優先だ、という一致した気持でいたころの、委員会の議論を知っている人はほとんどいなくなりました。委員会で決まった事項も、メンバーが変わるたびに反故にされてしまいました。
以前は毎月の安全衛生委員会でさえ開かれていなかったのですから、進歩したといえばそうなのかもしれません。でも、結局メンバー全員が日常の業務を抱えているので、
不良品が出た、
お客さんからのクレーム対応が必要になった、
急に本社での会議の予定が入った、
生産が追いつかない、
などの理由で欠席者が続出することが常態となってしまいました。
安全衛生はすべてに優先する―
大きな労働災害を経験して、高い理想をかかげたものの、やっぱり、生産がすべてに優先する、という以前の体制にもどってしまいました。ただ、現場で仕事を抱える人たちに対しては、彼らに権限がないのですから、半ば同情さえ感じます。
直接利益につながらないように見える安全衛生を最優先に重要視するのかどうかは、トップの意識次第です。結局社長自身の考え方の根っこは変わっていなかったと思わざるを得ません。
では、わが病院はどうか―
トップの意識は・・・
この話は、次の機会に。
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先日、地域の開業医さんから、「新患受付けを中止しました。ご理解とご協力をお願いします。」という通知が回ってきました。何でも院長先生が健康を害されて、お休みされることになったとのこと、他のスタッフの先生だけではマンパワーが足りないとのことでした。
昔、地域の病院での研修を終えて大学医局に戻された時、開業をされている同門の先生が病気で入院されたため、急きょ医局員が順番に、そこの外来にお手伝いに行ったことがありました。その先生はお一人での開業でしたので、大学の医局長に人を回してくれるよう依頼されたのでした。
正直なところ、病棟業務も忙しかったし、なんでまた開業医の先生の都合で私たちが回されるの・・・と、不満はありました。でも、当時の医局では、あまりごねる人もいず、忙しい中そのクリニックに通ったのを覚えています。
驚いたのは、その業務の幅広さでした。
来院される患者さんは、風邪、頭痛、腹痛、といった新患から、高血圧や糖尿病などの慢性疾患など、様々でした。
検査はせいぜいレントゲン写真程度、血液検査はできても、結果がすぐには出ません。限られた情報で診断するのは、かなり技術のいることでした。
そのうえ、健康診断業務もありました。
当時の私は、比較的大きな総合病院での研修ばかりしてきたので、逆に風邪のような身近な病気を診断したり投薬したりする機会が少なかったのです。ましてや、内科的な慢性疾患は、外科入院患者さんの合併症としては診ていても、基本的には内科の先生方に管理をお願いしていました。
それに、健康診断が法律で定められているなんて、今では自分にとって常識でも、当時は--大学の講義で聞いたのかもしれませんが--そんな知識はありません。だから、看護師さんから、
「先生、健康診断お願いします。」
と言われて、近所の会社の社員服を着た女性が診察室に入ってきたときは、正直何をすればいいのか全くわかりませんでした。
ものすごく緊張していたせいか、自分がどうやってその「健康診断」をしのいだのか、覚えていません。かすかに、受診された社員さんが、若干けげんな表情を浮かべておられたのを覚えているくらいです。今から思えば、
「あれ~、いつもの健診と違う・・・」
と思われていたかもしれません。
また、糖尿病の患者さんの眼底検査というのもありました。眼底検査、といっても、眼科で散瞳して写真をとるのとは違います。
いきなり看護師さんから、無言で眼底鏡をわたされるのです。ぎょっとしました。あわてて学生時代の眼科でのポリクリを思い出し、おそらくなんとなく「見えた。」だけでごまかした、かもしれません(当時の患者さんには大変申し訳ない・・・)。
私のような、外科の専門バカのような医師が回ってくるのを予想されていたのでしょう、診察室の机のところに、基本的な処方などをメモしたものが、いくつも貼ってありました。ただ、院長先生も、急にご病気になられて時間の余裕がなかったのか、診察室の机のあたりに、先生の「後ろ髪をひかれる思い」が残っているような感じがしました。
外科の勤務医をしているころは、夜昼なく働かざるを得ない状況に息切れしそうになり、地域の開業医さんは夜は働かなくていいからうらやましい、などと思っていました。重症になれば、病院に紹介してくればいいのだから、お気楽だなあ、などと思っていました。 でも、わずかな期間でしたが、開業医の外来を経験して、少し考え方が変わりました。
やはり、開業医は開業医なりの、勤務医は勤務医なりの責任や苦労があり、どちらも日本の医療を支えているに違いありません。
今私は、社員に病気が見つかれば、そのような先生方に治療をお願いする立場にあります。多くの先生方が自らの健康を犠牲にしながら治療に当たられていることを思うと、現場の苦労を知らない官僚や政治家、マスコミが、批判ばかりするのを耳にして、胸が痛くなります。
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さきほどニュースを見ていて、急に思い出しました。
阪神淡路大震災の時、やはり翌日か翌々日かに雨が結構降りました。私は実家の母に、雨どいから水をあつめるように提案しました。母はあまり乗り気でなかったのですが、その水を風呂桶にためていたおかげで、トイレ用の水として、かなり重宝したと後から聞かされました。
トイレ用の水は、清潔である必要はありません。
今被災地では、雨が降っていて、余震と水害を警戒するよう呼び掛けられています。確かに、地震の後の雨は、被災している方々にとっては恨みの雨かもしれません。でも、発想を変えれば、恵みの雨になるのではないでしょうか。
(自分は安全な所にいて提案するだけで、スミマセン・・・)
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新潟と長野で大きな地震が発生しました。
12年前、私は阪神淡路大震災のただなかにいたので、またそのときのことを、まざまざと思い出しました。
私も私の知る人も、誰もなくなったり負傷したりした人はいなかったのですが、それでも1年近く、抑うつ的な心理状態にありました。
慣れ親しんだ街が破壊されたことがとても大きな心の傷になりました。そして、その街で多くの人々が家を失い、命を失い、身体も心も傷つきました。
震災後数か月して、生家の近くの商店街を通りかかりました。まるで敗戦直後のように、アーケードが飴のようにぐにゃりと曲がって、全体がすすだらけになったまま、手つかずの状態でした。地震直後の火災がすべてを焼き払ってしまったのでした。
それからずっと、報道などで阪神淡路大震災の映像を見ると、涙が止まらなくなります。
私にとって、深い心の傷になっています。
今回被災された方々のことを思うと、言葉にならない切ない気持になります。
何も力になってあげられないのだけれど、みなさんの無事をただ祈るばかりです。
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アベチャンが国営放送に出演しました。
赤い幅広のネクタイ。そういえば以前、赤いスーツが勝負服、とヨリコちゃんが言ってましたっけ。アベチャンも負けじと、赤で勝負、なのかな。でも、そのネクタイをぎゅうううううっと誰かが力入れてしめたんでしょうか、あまりにしめすぎて、アベチャンの首が苦しそうでした。ひょっとして、ヒロシゲちゃんやサツキちゃんのやる気が空回りしたのかもしれません。そのうえ、白いシャツの襟がすこ~し小さかったので、幅広のネクタイに下から押し上げられてしまっていました。
昔懐かしい昭和の時代に、地域のボンボンが蝶ネクタイなんかつけられて、学校の入学式に出席した、そんな可愛らしさあふれる装いでした。
アベチャンは、チョット苦しそうにしながら、いつものように小さなお口をいっしょうけんめいにパクパクして、いろんな数字をしゃべっていました。そう、たぶん、アベチャンにとっては苦手なはずの数字。先日800円なんて安いじゃんといって、ヒンシュクを買ってしまいました。その日もヤトウのセイサクをチクチク責めるのも、言いつけ通り忘れませんでした。
でも、カメラ目線を気にしすぎていたのでしょうか、いつも以上にアベチャンの滑舌が悪くて、「ううん?」と思わずテレビの画面に近づきそうになります。あれ、ひょっとして、これは視聴者をテレビに釘付けにする戦略だったのかしら。
そのうち、首にオモチャのネクタイをつけられた、ヒヨコかなんかが「ピヨピヨ」鳴いている姿に見えてきて、もうしゃべっている内容なんかどうでもよくって、思わず吹き出してしまいました。
あ、これはフィクションです。
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