Bさんは、企業の研究開発に携わる方で、あと数年で定年を迎えるというお歳でした。
私がその会社の産業医をするずっと前からアルコール依存症で、何年かに1回入院のために仕事をお休みされていました。
退院してきたので面談を、と会社から要請があり、初めてお会いしたときは、少し黄疸があるもののまだ活気のあるほうで、会社が学術的な会合や研究会に出席させてくれない、とぼやいていました。
あらかじめ会社から教えられていた情報で、Bさんはもうまともに仕事はできていないのだ、ということでした。だから、いつ会社をクビになってもよい状況で、まして研究会など、ということは会社側の言い分としてはごもっともなことでした。
ただ、Bさんがなぜアルコールに依存するようになったのか、きっかけは不眠症からだったようなので、その不眠の原因になったのがひょっとすると会社での仕事がからんでいたのでしょうか。
Bさんは、あまりそのことは言いません。言葉の端々にはなんとなく、こうなったのは会社にも原因があるのだと言いたげな様子でしたが、今会社と争えば、それこそ放り出されるので得策ではない、と思っていたのかもしれません。
常識的には半日勤務からでも始めたかったのですが、これまでの経緯があって会社側が難色を示し、職場に戻っても負担になるような仕事を任されるわけではないので、Bさんとよく話し合ってフルタイム勤務、としました。
その後、私も日々の業務に追われるまま、いつの間にかBさんの定年が間近にせまっていました。
あと数カ月となった頃にまた入院したらしく、退院してきたのはもう退職まで約1か月というところ。形式的になることはわかっていたのですが、Bさんと面談をしました。
驚いたことに、Bさんの身体から、一切の生気というものが感じられません。やせ細った両腕と両足、おそらく腹水のせいでしょうか、おなかだけが膨れており、黄疸で黄色く染まった眼だけがぎょろぎょろと動いているという感じです。なんと表現していいのか適切な言葉がみつかりませんでしたが、まるで「死体」と話をしているような、そんな気分でした。
こんな状態では出勤すらできないのではないか、と思い、退職まで自宅療養をすることを勧めました。入院は病気休暇でとっていたので、年次休暇が残っていたし、それを消化してもいいのではないか、と提案しました。
でも、Bさんは、黄色い眼でぎょろぎょろと私を見ながら、
「最後まできちんと勤め上げて、あいさつをして退職したい。」
と言いました。
そんな意欲が残っていること自体が驚きでしたが、医学的にみてとても無理だと思っても、Bさんの最後の意地を尊重せざるを得ませんでした。
そうは言っても、結局Bさんはほとんど出勤できず、ひっそりと退職していきました。
不眠に陥った時に、お薬を飲むことにとても抵抗感を持つ方が多い一方で、お酒の力を借りて眠ろうとする方が少なくないいうことを、日々の産業医活動の中で感じます。
睡眠の専門家の解説などを見ると、
お酒を飲むことは麻酔といっしょであり、酔いがさめたら目が覚めてしまうし睡眠のリズムも崩してしまう、ぐっすり眠れた気分になるが、実は浅い睡眠しかとれていない、
ということが書かれています。
また、最近の睡眠剤は習慣性になりにくく、比較的安全に使えます。一方で、お酒の力で眠ろうとすると、だんだん酒量が増えてくることはよくあり、その先にあるアルコール依存症が極めて難治性であることを考えれば、決して手をだしてはいけない方法ではないでしょうか。
もちろん、眠れない原因が職場にあるのなら、まずそれを解消するために、産業医としてもできるだけ手助けしていかなければなりません。
Bさんの場合、はじめから私がかかわっていたとして、果たしてBさんを助けることができたのかどうか、今となってはわかりませんが・・・
Bさんの身体をむしばんだアルコール依存症。
決して忘れられない症例です。
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