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なな先生のblog「犠牲http://blog.m3.com/nana/20071120/1」を読んで、思い出した悲しい記憶があります。
僕が研修医の頃、一つ上の学年のYさんが亡くなりました。
自殺でした。
Yさんは学生時代、運動部に所属し、学園祭なんかでも積極的に参加する、凄く活発で頼れる姉貴みたいな感じの女性でした。
当時研修医二年目のYさんは、研修がかなりハードで有名な某病院で働かれていました。
Yさんの訃報を聞いたとき、信じられない気持ちで、夜中車で通夜に向かいました。
通夜の席で、Yさんの友人Mさんとお話しすることが出来ました。
亡くなる何週間か前に、Yさんから深夜に電話があり、普段あまり弱音を吐かないYさんが、かなりまいっている様子だったので、今度二人でご飯を食べに行く約束をしていたそうです。
悔しそうに、泣きながら話をしていた、Mさんの姿が忘れられません。
数ヵ月後、Mさんが自殺したとの訃報が届きました・・・・
政府主導で推し進められた、現場を全く考えない新研修医制度が出来た時は、絶対に失敗すると思っていたのですが、
やはり医療の現場はますます混乱し、過酷な労働条件となっていってます。
それに追い討ちをかけるかのような、政府、マスコミ、怪しげな団体の暗躍、・・・・
そして、現場を離れる医師
その一方で、現場を最後まで守ろうとする医師の過酷な勤務状況はどんどん増悪していくという
負のスパイラル
断ち切る方法が僕にはわかりません。
以下なな先生の記事のコピーです。
身近な医者を、2人亡くしています。
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一人は約10年前。当時30代の、先輩医師です。
研究に、臨床に、非常に忙しくなさっていました。
たまにご連絡を下さる時は、決まって深夜2時3時のメールでした。
学生時代は体育会でご活躍された先生で、人間?と思いたくなるようなタフさと、ひょうひょうとした笑顔を併せ持った爽やかな先生でした。
大学病院勤務時代の夏、当時研修医だった私たちを集めてナイター見物に連れて行って下さったことがありました。
外野席で、ビールを飲みながらハンバーガーとポテトをほお張ってみんなでひゃあひゃあ言っていたら、先輩だけ眠ってしまったのを、今でも覚えています。
その日も、病院で夜遅くまでお仕事をなさっていました。術後の患者さんが落ち着くのを見届けた後、0時過ぎから論文の添削を始めたところまでは、他の医師が見ていました。
翌朝、出勤してきた同僚医師が、医局で倒れている先生を見つけた時には既にお亡くなりになっていたそうです。
葬儀には、婚約者の女性は出て来ることができなかったと、後で聞きました。
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今度は、友人医師を亡くしました。
彼女も、30代です。 同じ職場の上級医師が、過労でその病院に入院中でした。
元々、一人が過労になるような労働環境ですから、多くをお話しする必要はないでしょう。一人が入院・休職しても、現在の医療事情では代替要員は派遣されませんので、残ったドクターたちは、目も当てられない忙しさでした。
緊急opeのある科の医師で、毎日遅くまでopeをした上に、夜中も容赦なく呼び出されていました。
「過労だけは気をつけようね。壊れる前に、逃げようね」と、お互い言い合っていたのに・・・
その日、彼女は当直でした。翌朝、交代で当直に来た若い先生が当直室に入ると彼女は机にうつ伏せになった状態で、亡くなっていたそうです。大きな悲鳴を聞いて、一番に駆けつけた人が何と過労で入院中の、彼女の上級医師でした。
その先生は、自分が休職したからだと自分を激しく責め、入院先も変えた上に、退職されてしまいました。残った同じ科の先生たちも、全員がご自分を責め続けています。
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二度と犠牲者を出したくありません。
どうしたらいいでしょう。
亡くなられた医師のご冥福をお祈りします。
でも本当にどうしたらいいのでしょうか・・・
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