劇作家・演出家寺山修司氏の格言です。青森出身の型破りな人物で、たくさんの格言を残しています。職業は?との問いに、「寺山修司」と答えていた人だけに、ひとくくりで捉えきれない大人物です。 このメッセージは、教科書的な知識だけでは世の中は渡って行けないよということなのでしょう。頭でっかちになりがちな現代人への警告です。

 どんな分野でもそうですが、「~学」という一文字が付いてしまうと現実の世界から切り離され、その躍動感や新鮮さが失われてしまうことを我々は多く経験しています。昨今では、何もかもが学問になってしまいます。例えば、「笑い」なども学問の対象となるようです。科学的、分析的なアプローチを試みるのも悪くはないかもしれませんが、「笑い」の全てを学問化できる等と考えるのは間違いでしょう。「笑い」は、自然発生的に、結果として起こるものであって最初から、それを作為的に誘導するような場合、かえって冷めてしまって、笑えないことになりそうです。 学問の持つ分析的なアプローチが、全体が持つ魅力や迫力を削ぎ落としてしまうのです。 

 ここで、フナの解剖を考えてみましょう。魚のヒレや鱗などを丁寧に体から切り離していきます。その一つ一つをつぶさに観察していくと、自然美とも言うべき精巧な美しさをまざまざと実感することになるでしょう。それは、フナの体のどの部分をとって見ても、一様に言えることでしょう。が、しかし、 フナ本来が持つ生命としての躍動感、逞しさ、あるいは、小さないのちとしての憐れさなど、フナの全体性から生み出される一切合切が、解剖後には、無残にも消失してしまいます。

 臨床の現場においても同じようなことが起きているように思えてなりません。患者さんの科学的、分析的な病態解明や治療法ばかりに目が行ってしまい、患者さん自身のいのちの価値は、ないがしろにされがちです。これでは、いけないと思うのです。そのために一度書を捨てる勇気が必要なのかもしれません。 先の格言は、医療人としての我々なら、 

  書を捨てよ、ベッドサイド(病棟)へ出よう。

 と言い換えることが出来るでしょう。  臨床家にとってエビデンスが大切であることは言うまでもないことですが、しかし、優れた臨床家のほとんどが口をそろえてベッドサイドの重要性を強調するのには深い意味がありそうです。 プロの臨床家として本当に必要な内容は、臨床の現場そのものでなければ決して掴み取ることは出来ないのだと思います。 教科書的な知識や最新のエビデンスの修得はプロとしての入り口に過ぎないのでしょう。臨床の醍醐味、生身の人間との出会い、その生き様、死を前にした精神の高み、等々。我々が学ぶべき多くの教材が含有されています。それらは、「~学」や書物では表現できない、深遠なる世界なのだと思います。

 

 臨床の現場は、そんな魅力にあふれています。 

 

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