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43歳の若さで急逝した写真家 星野道夫氏が小学校の卒業文集に書いたことばです。

 

自然をこよなく愛し珠玉の写真とエッセイを遺された彼のファンは、今なお多いようです。小学生らしからぬ含蓄のある言葉です。「さすが」と言わざるを得ません。

 

現代文明は川を素早く渡ることだけを必死に考えてきたように思います。より早く加速して渡ることが正しいこととの思い込みがあります。できれば水に濡れることなく渡ることを求めてきたようでもあります。効率性、スピード、より高いパフォーマンスがあらゆる面で求められています。そのように思考し、行動することが当たり前になっています。

 

その現代文明に対し、十二歳の星野少年はアンチテーゼを突きつけたのです。

その後の彼の人生は、そのことば通りとなりました。

40数年の短い人生はある意味、浅い川といえるのかもしれません。しかし、彼はその川を誰よりも深く渡ったのではないかと思います。遺された文章をみると、それが分かります。そこには浅い川を深く渡らなければ知り得ないような瑞々しい視点があるように思われます。深い境涯が感じられます。

 

 

今ここで、自分自身の歩みを振り返ると恥ずかしくなるばかりです。必ずしも浅い川ばかりでは無かったはずなのに、何と大急ぎで渡ってきてしまったのだろう。脇目もふらず駆け抜けるように渡ってきました。ですから、ある意味、何も残っていないのです。臨床家として、多くの人の生死の瞬間に立ち会ってきたはずなのに、それに見合うものが自分の中には形成されていないのです。その体験に相応しい成長が自分の中に見出せないのです。愕然とさせられます。

 

 

臨床の現場は医療者にとって、日常化し過ぎているため時に浅い川になってしまうのかもしれません。しかし、その川こそ、心して深く渡らなければなりません。看取りの瞬間において最期の伴走者である我々医療者が、大急ぎで川を渡ってしまうのはいけないことのような気がします。

むしろ、患者さんが大急ぎで渡ろうとするところをスローなペースメーカーとなって、深くゆっくりと伴走すべきだと思います。

 

 

そのような臨床家としての歩みを繰り返すことで、

我々自身が浅き川も深く渡るという

人生の奥義を体現していくのではないかと考えます。 

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臨床医として人の死に立ち会うとき、患者さんの望むものと、ご家族の望むものは必ずしも同じでない。ご本人の心情をよく理解してくださるご家族であれば、共感をもってわれわれも精神的な領域まで踏み込めるかもしれません。現実にはなかなか周囲もわれわれも深い相互理解にはいたらず、ただ表面的な死を見取るだけに終わってしまうことはわれわれにとっても、患者さんにとっても不幸なことだと思います。。
written by マッチー / 2007.12.27 18:10

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