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いろいろな指示を、何でもパソコンに打ち込まなければならなくなって、私のようなロートルは大変です。まだ電子カルテにはなっていないのですが、オーダリングシステムですら使いこなせていません。注射もすべてパソコンで指示を出すのですが、手術室での麻酔薬の注射は、事後登録でよいことになっています。
もし、何らかの処置のために静脈麻酔が必要になり、静脈麻酔薬をパソコン画面で指示を出したら、どんなことが起こりうるでしょう。点滴の指示などの場合、看護師が自分たちだけでやることはよくあることですから、それを見た看護師が、とにかく注射をすればよいのだと勘違いしたら、麻酔の知識のない人が意図せず麻酔をしてしまうことになります。
asahi.com> マイタウン> 青森> 記事 2008年08月09日
麻酔に医師立ち会わず
■協立病院意識不明 病院側が医療事故認める
青森市のあおもり協立病院(横田祐介院長)に入院中の男性患者が、7月に麻酔薬を投与された後、意識不明となっている問題で、同病院は8日、朝日新聞社の取材に対し、医療事故だったと認めたうえで事故の経緯を明らかにした。男性患者は主治医の指示を受けた看護師が麻酔薬「イソゾール」を投与した後、意識不明になったという。同病院では投与時に医師が立ち会うことをマニュアルで定めているが、この時は立ち会っていなかったという。
同病院の宮本達也事務長は取材に対し、「医療事故があったことは事実」とする一方、医療ミスの有無については「調査中」とした。 宮本事務長によると、事故が起きたのは7月10日。この日は、不整脈で入院していた青森市の70歳代の男性患者に対し、心臓の動きを正常にするための電気ショック治療が行われる予定だった。心拍数が下がる傾向があったためだという。
意識がある状態で電気ショックを行うと患者は恐怖を感じるため、循環器内科の主治医がイソゾールの投与を決めた。
主治医は同日、電子カルテで看護師に指示を出し、この日の午前中、看護師が1人でイソゾールを静脈注射で投与した。午後に電気ショック治療を行う予定だったが、麻酔薬の投与後まもなく、男性の心拍数が下がったことを知らせる警告が出た。医師や看護師が駆けつけて救命措置をしたが意識不明となり、現在も意識が回復していない。
看護師による静脈注射は、保健師助産師看護師法で、医師の指示のもとで行うことが認められている。同病院は法律より踏み込み、医師が立ち会って実施するというマニュアルをつくっていた。だが、この日、医師は立ち会っていなかったという。
また、主治医が指示を書いた電子カルテには、薬剤の名前、量、注射の方法などが明記されていたという。
薬剤の量や投与する時間、方法などに誤りがあったかについて宮本事務長は「調査中だが、現段階で明確な間違いは見つかっていない」とし、意識不明になった原因は「現在調査中」と話している。
同病院は事故があった7月10日、平岡友良副院長を長とする内部の事故調査委員会を設置。同14日に県医療薬務課と東地方保健所に口頭で報告、同月下旬には文書でも報告した。今後、外部の有識者を招いて詳細な事故経過を調べる。
◇
県は、今回の事故にかかわった看護師らから事情を聴くとともに、今月中に同病院へ立ち入り検査をし、医療ミスがなかったか調べる。関係者によると、立ち入り検査では電子カルテに記載された医師による看護師への指示内容などを調べるとともに、同病院で看護師に対してどんな教育が行われていたかなども確認するとみられる。
おそらくは心房細動という不整脈の治療のため、電気的除細動という処置をしようとしたのでしょう。当然ですが、イソゾールは除細動の直前に麻酔のために投与するはずだったのです。指示を読んだ看護師が、イソゾールという薬について少しでも知っていれば、麻酔をする必要のない状況で投与することはなかったでしょう。
実際の医療の現場を知らない人であれば、知識不足の看護師を糾弾したくなると思います。でも、優秀な看護師がいることは事実ですが、たまたま免許を持っているだけの、素人と全く変わらない看護師も数多くいます。それらの看護師の力なくしては、日本の医療は成り立ちません。やはり、レベルが低いスタッフがいることを想定したシステムが必要なのです。
当たり前のことですが、主治医は除細動の際に使用する目的でイソゾールの指示を出しています。これが事前に投与されないような、フェイルセーフ機構はなかったのでしょうか。これから電子カルテ化する身として、とても心配です。
看護師のみなさんへ
この日記を読んで侮辱と感じる看護師の方もいらっしゃると思います。あなたが「自分のしている仕事の意味くらい理解している」と思っているなら、レベルの低いスタッフというのはあなたのことではありません。自分の受けた指示の内容を理解せず、ただ指示だからとやっているのだとしたら、あなたもとんでもないミスをする可能性があります。
WaiWai Notice and Apology
Explanation and Apology Regarding Mainichi Daily News WaiWai
Mainichi Daily News, the Mainichi Newspapers' English language website, contained a corner called WaiWai that attracted criticism for such things as being too vulgar and debauching Japan by sending around the world information that could be misunderstood. In the wake of this criticism, we decided to end this corner. An online news site reported on these developments and inquired with the Mainichi Newspapers about them. The Digital Media Division which operates the information portal Mainichi.jp also includes the Mainichi Daily News and after receiving the criticism of the WaiWai corner, it was taken down from the Mainichi Daily News and a notice stuck in its place.
Mainichi Daily News is linked to Mainichi.jp. A detailed explanation of the developments in this case have also been provided in Japanese. The Mainichi Newspapers apologizes for the articles that attracted criticism.
Outline
For several years, WaiWai has taken parts of stories reported in mostly weekly magazines and used these to report on Japanese society and customs. In late May, the Mainichi Daily News editorial department began receiving complaints about the stories in WaiWai being too vulgar and an Internet bulletin board began criticizing the column. The online news site took up this issue and reported on it.
Many of the opinions about WaiWai asked the Mainichi about whether it had thought about what effect reporting to the world these stories in English would have, or that these articles would lead to a spread of misinformation about Japan.
Response
Following criticism of WaiWai in late May, we decided there was a problem with listing the stories on the Mainichi Daily News site, even though they were transcriptions of articles that had appeared in magazines published in Japan. Stories were withdrawn from the site and we halted access to problematic archived stories. We also asked search engines to prevent past WaiWai stories from being displayed.
We then changed WaiWai's editorial policy and drastically altered the standards used in story selection. However, there were problems with how past stories had been presented, so to avoid similar criticism from arising, we decided that we needed to come up with a sound editorial structure. This led to a fundamental re-think about WaiWai and on June 21, the decision was made to cease publishing the corner. On the Mainichi Daily News site, we listed the following notice: Some readers pointed out that various articles published in the WaiWai column were inappropriate content for the Mainichi Daily News. We respond to this criticism by halting publication of this column.
While explaining the process in both Japanese and English and apologizing, the Mainichi is poised to severely punish the head of the Digital Media Division, which is responsible for overseeing the site, the manager responsible for the corner and the editor involved with the stories.
Mainichi Daily News, and its publisher the Mainichi Newspapers Co., sincerely accepts readers criticism and will work to provide, edit and publish reliable information.
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MDN readers,
Some readers pointed out that various articles published in the WaiWai column were inappropriate content for the Mainichi Daily News. We respond to this criticism by halting publication of this column. We plan to start a column with a new concept to replace WaiWai in the future.
Thank you for your understanding.
Mainichi Daily News
私が昨日の昼に見たのは青い部分だけ。夜になってもう一度見ると、緑の部分が追加されていた。青い部分を要約すれば「不適切だという批判があったので、コラムの配信をやめることで批判に応える」と言うものだろう。そこには自分たちも不適切だと考えたとは書いていないし、当然、謝罪もない。要するに「やめりゃいいんだろ」と言っているに等しい。
こんな対応をすれば火に油を注ぐようなもの。すでにこの「変態ニュース」についてはヤフーニュース でも取り上げられ、多くの人の知るところとなっていた。当然、更に批判の渦は大きくなる。
不祥事があった場合、まず始めに謝罪し、その後の調査を約束するのは鉄則だ。詳しい説明はそれからで良い。いつも不祥事を責め続けている立場なら知っていなければならないことだが、自分たちのことになると別なのだろう。
追加部分の和訳はここで読める。関係者を処分しただけでは収まらないだろうと思う。
福島中央テレビ大野修の日記の魚拓がこれ。日本ブランド
マーケット / 2008-05-14 10:44:01
世界中の人々から見て「日本ブランド」といったとき何を思い浮かべるか??
トヨタとかソニーとかキャノンとか出てくると思うかもしれませんが、アメリカ辺りだとソニーはアメリカの会社だと思っている人がたくさんいますのでそうはなりません。 私の知る限り、彼らが日本ブランドと呼ぶ、或いは日本の力の源泉だ、と思っているポイントは「正確さ+お金に惑わされない正直さ」に尽きると思います。トヨタにしてもキャノンにしてもその日本人の力が製品に反映されているのです。
その意味で今回の吉兆の使いまわし事件はまさに日本ブランドを危機に陥れる一大事件だと考えていいと思います。携帯の電池が爆発するよりはるかに深刻な問題なのです。 よく、日本は労働生産性が悪い、効率が悪い国だと批判されますね。OECDの統計などでも労働生産性が15位とかだったりする。でもちょっと待って欲しいんですよ。それ、お金に現れるものだけで量っている訳で、お互い信用がベースでスムースにお金のやりとりができたり仕事が任せられるという、「信用」というポイントには全く考慮されていません。
例えば手形。これは日本にしかありえません。100万円を90日後に払うよ、と私が誰かに出す訳ですね。悪い奴がいれば明日換金しちゃえ、なんてことがすぐおきそうですが、みなさん商習慣として90日をキチンと守る。 その代わり裏書をすることで次の人に譲れる。つまり100万円の価値を裏書で生み出していく。これはお互いよほど信用が無ければできない訳で中国はおろか、アメリカでも絶対に通用しない究極の信用システムです。
でもそのおかげで中小企業は資金繰りができる。丸紅とかが出した手形なら安心なので(最近社員が詐欺を働くのでそうでも無いみたいだけどね)丸紅は丸紅で長めのサイトの手形を発行する事で資金繰りが楽になる、というこれをまさに「ウィンウィンの関係」と言うわけです。
こういった信用想像力は手形にとどまりません。例えば前にも登場していただいたワンさん。日本に来た当初、ビエラが欲しいと言うので秋葉原に連れて行きました。そして感激して「よし、買おう!!」となった。 でもワンさんは今、そこの目の前で移っている奴(つまり見本で飾ってあってみんながべたべたさわった指紋だらけの商品)じゃなきゃ、だめだ、と言って聞かない訳です。 いやいや、ワンさん、あとで新品のきれいなものがきちんとクロネコで送られてくるからその方がいいよ、といっても聞いてくれない。いま目の前できちんと移っているという確証のある商品を自分で持って帰るのだ、といって聞かない訳です。 なぜなら、中国ではまず電気店が粗悪品にすり替えて送ると言うリスク、そしてクロネコが粗悪品にすりかえるというリスクが存在する。それを避けずになぜ、こんな高額な商品が買えるのか、とおっしゃる訳です。百歩譲って、全てを家に持ってきてすえつけてきちんと移ってからじゃなきゃ、お金は払えない、とおっしゃる。これでは手形は流通しませんね(笑)。
なるほど、ワンさんがレストランでイセエビをご馳走してくれる時には必ずイセエビを持ってこさせて、自分の選んだイセエビのひげを折るのです。そして折った位置を指ではかる。つまり厨房で違うやせたイセエビに摩り替えられるのが日常茶飯事なのでこういうことが必要だと言う訳です。 今回の吉兆の事件をみると日本でもこういうとが必要な気もしますが、ともかく日本ではこういうったことは全て信用ベースで処理され、信用を裏切る事が今まではなかった。 そしてワンさんは日本と中国でビジネスをして、この信用できない、と言う事に払うコストの膨大さに比べれば日本は本当に効率がいい、と考えるようになった、というのです。
それはそうです。いちいち相手の持ってくるものがインチキかどうか、チェックしなければならないという社会的コストは膨大なものです。しかも商売の相手だけではなく、中国人従業員に対しても同じような心配をしなければならない、そのための苦労と精神力は膨大なもので、日本語の出来るワンさんは結局いま上海事務所の20人のうち、18人が日本人になってしまった、と笑っている訳です。 まじめにうそをつかずにきちんと働く、こんな給料ならこの程度の仕事で当然だろう、と言うことが日本人にはない・・・これが究極の日本ブランドです。
アメリカや中国のマクドナルドに行かれたことがありますか?どっちが客だかわからん態度をとられ、挙句の果てマニュアルにはねーだろー、くらいの焼け焦げたハンバーグにはみ出したレタス。これはドッグフードか、と思うようなものが平気で出てきますね。 私のアメリカ人の友人は初めて日本にきてまずマクドナルドに衝撃を受けた、という奴が多い。 まず、店員がみんな若くてかわいい(まあ、これは単なるスケベだね・・・笑)。更にとにかくにこにこしている。そして何よりレタスがはみ出してないハンバーガーが出てくる。唯一、ボリュームが少ない(日本人向けに少なくしてあるからね。日本ではビッグマックを3つ食う、ってやつが居ます)のが唯一の欠点だと言う訳です。
世界中のサービス産業で忌み嫌われるインド人の話をしましょうか。なぜ彼らは嫌われるか・・・彼らは伝統的にサービスに対する要求水準が高い。エアラインなどで一番要注意はインド人旅客とよく言われますね。 インド人の親友のラージから教わった思わずうなった、究極の手段があるのです。あまり悪用して欲しくないのですが、要する彼は飛行機に乗ったらすぐにコメントカードを取り寄せるというのですよ。 普通、サービスがひどいとかCAの態度が悪い、とか腹を据えかねてコメントカード下さい、と成る訳。エアライン側もそんなもん出されたらディモーションの対象になってしまうので必死に誤って勘弁してもらう、ってことになる。ところがラージは乗ってすぐリクエストするという。 何もサービスをされていないうちにコメントカードよこせ、と言う訳だからなぜですか、と必ず聞かれますね。そうすると「いや、いいサービスを受けた時に好かったよ、とコメントしなきゃいけないから先にもらっておくんだよ」、と答えるのだそうです。 インド人、恐るべし。これでは文句のいいようがありませんし、あの客は先にコメントカードを握っていると思えば嫌でもケアせざるを得ないですよね。
本当に頭がいい、というとともにラージは「こうでもしないとインド人は絶対に働かないんだよ」、と言う訳。 そして日本のエアラインであればそういう必要は全くないけどね、というのです。僕から見るとJALもANAも不満だらけですが、世界的にはすばらしい水準という事ですね。
事ほど左様に日本人のきちんとしたお金を意識しないサービスと言うものは世界中に認識されており、それは金融機関も同じです。 この程度の給料しかもらってないんだから窓口で1円計算間違ったっていいじゃん・・・という銀行のテラーはいない。アメリカで同じサービス水準を求めたら日本人の倍くらいのお金を払わないとそういう人材は確保できないんじゃないだろうか、と思うくらいですね。
ということで、だんだん麻生さんに似てきちゃいましたけど、日本ブランド、それは信用力、お互いが信頼できる社会力にあるということを再認識して欲しい、と思う今日この頃であります。それだけに許せんぞ、吉兆。 でも僕は付け合せのキャベツはいつも食べません・・・・
誤字まで同じでほとんどコピペに近い盗作だ。産科医療崩壊の聖地、福島県の民度が医療関係者の間で取りざたされているが、これでまたポイントを下げただろう。日本ブランド
「松下⇒Panasonic」
世界中の人々から見て「日本ブランド」といったとき何を思い浮かべると思いますか? トヨタとかソニーとかキャノンとか出てくると思うかもしれませんが、アメリカではソニーなどはアメリカの会社だと思っている人が結構いますのでそうはなりません。松下がPanasonicに名称を統一したのも、海外での認知を広げるためです。松下よりPanasonicの方が通りがいいですから。
では「日本ブランド」って何なんなのでしょう? 「正確さ+正直さ」 国際的に見ると、モノづくりや人的サービスにおいて、日本らしさが際立っている分野が多くあります。日本ブランドと呼ぶ、或いは日本の力の源泉は「正確さ+正直さ」に尽きると思います。
トヨタにしてもキャノンにしてもその日本人の力が製品に反映されているから、国際的な信用と認知を勝ち得ているわけです。 日本は労働生産性が悪い、効率が悪い国だと批判されます。たしかにOECDの統計によると労働生産性は世界15位となっています。でもこれは、お金に現れるものだけで量っている訳で、お互い信用がベースでスムースにお金のやりとりができたり仕事が任せられるという、「信用」というポイントは全く考慮されていません。
例えば「手形」。これは日本にしかありません。 100万円を60日後に払うよ、と誰かに出すとします。悪い人(会社)がいれば明日換金しちゃえ、なんてことがすぐおきそうですが、みなさん商習慣として60日をキチンと守る。 その代わり裏書をすることで次の人に譲れる。つまり100万円の価値を裏書で生み出していく。これはお互いの信用が無ければできない訳で、アジアはおろか、欧米でも絶対に通用しない究極の信用システムです。 でも、そのおかげで中小企業は資金繰りができます。長めのスパンで手形を発行して資金繰りは楽になる上に、無駄な金利も支払わなくて済む。これはまさに「ウィンウィンの関係」と言えます。
「疑い」
以前アメリカに旅行をして、華僑のツアコンにお世話になったときのこと。ツアーの途中で中華料理店に立ち寄ったとき、水槽のエビを選んで好きな調理法で頂くことになりました。 その時に、彼は水槽から出したエビの触角を左右違う長さにポキリポキリと折ってから店員に手渡していました。 「なんで?」と聞くと「こうすればすり替えられなくて済むから」との答え。 聞けば、彼は家電量販店で買い物をする時も目の前で映っている、つまり見本で飾ってあってみんながべたべたさわった指紋だらけの商品じゃなきゃ買わないと言っていました。 「新品のきれいなものがきちんと自宅に送られてくる方がいいのでは?」と言っても首を横に振る。いま目の前できちんと映っているという確証のある商品を自分で持って帰る、と言う訳です。 なぜなら、中国などでは粗悪品にすり替えて送ると言うリスク、そして配送業者が粗悪品にすりかえるというリスクが存在する。それを避けずになぜ、こんな高額な商品が買えるのか、とおっしゃる訳です。百歩譲って、全てを家に持ってきて据え付けた上できちんと映ってからでないとお金は払えない、と言う。
こんな環境では手形は流通しません。 「同じカンバンでも…」 アメリカや中国のハンバーガーショップに行かれたことがありますか?どっちが客だかわからない態度をとられ、挙句の果てマニュアルにはないだろう、というくらいの焼け焦げたハンバーグにはみ出したレタス。それも芯の部分が堂々とコンニチハしている。 アメリカ人の友人は初めて日本に来て、まずマクドナルドに衝撃を受けたと話していました。まず店員がみんな若くてかわいい(これは好みの問題にもよりますが)。店員がみんなにこにこしている。そして何よりレタスがはみ出していないハンバーガーが出てくる。 カンバンが同じでもこれだけ違うのかとカンゲキされるそうです。
新宿なんかに行くと、マクドナルドが欧米人だらけという光景を目にしますが、彼らは大変満足してお食事をしていらっしゃる。 それは安いサラリーでもマニュアルどおりに熱心に働くスタッフによって支えられているから。日本人はおしなべて「時給が幾らだからこれだけしか働かない」などとは考えません。サラリーが幾らであっても全力投球します。 お金に左右されない「正確さ+正直さ」は日本人特有のもののようです。
「インドの人は…」
世界中のサービス産業で恐れられているあるインド人。彼らは伝統的にサービスに対する要求水準が非常に高いと言われます。エアラインなどで一番要注意はインド人旅客とマニュアルに「陰書き」されている所もあるそうです。 聞いたハナシでは、究極の手段があるそうです。それは飛行機に乗ったらすぐに「コメントカード」を取り寄せるというもの。 コメントカードは、サービスがひどいとかCAの態度が悪い、とか腹を据えかねた時に、マネージャーやCEO宛に出す書類です。スタッフ側もコメントカードなんかを出されたらdemotion(降格)の対象になってしまうので必死に誤って勘弁してもらうという、乗客にとって最終兵器のようなシロモノです。 何もサービスをされていないうちに「コメントカード下さい」言われたら、「なぜですか」と必ず聞かれます。そうすると「いいサービスを受けた時に『良かった』とコメントするために先にもらっておくんだ」と答えるのだそうです。 インド人恐るべし。これでは文句のいいようがありませんし、コメントカードを握っていると思えば嫌でもケアせざるを得ないですよね。本当に頭がいい、と同時に「こうでもしないとインド人は絶対に働かないんだ」と考えているとか。 でも、そんなインドの方から見て、日本のエアラインにはそういう必要は全くないそうです。JALもANAもサービスはイマイチというお声もありますが、インド人も太鼓判!世界的にはすばらしい水準ということですね。
「日本ブランド」 かほど左様に日本人のきちんとしたお金を意識しないサービスというものは世界中に認識されているわけです。最近「日本人はダメだ」という論調も見受けられますが、いえいえどうして。お金に左右されない「正確さ+正直さ」=「日本ブランド」は今後ますます見直されると思います。 民間の現場レベルのオハナシですが。
イザ!ではこのように書かれている。つめはがし、別の患者にも 数年にわたり女性看護師
北九州八幡東病院(北九州市八幡東区)で、病棟課長の女性看護師(40)が高齢の認知症患者4人のつめをはがしたとされる問題で、この看護師が過去数年にわたり、別の患者少なくとも3、4人に同様の虐待を繰り返した疑いのあることが26日、分かった。
八幡東署は病院関係者から任意で事情聴取を開始。病院側は週明けにも傷害容疑で告発する方針で、弁護士と最終的な協議をしている。告発後、現在出勤停止にしている看護師を解雇する方針。
病院の発表によると、看護師は今月8日から15日にかけて、70-90代の男女4人の足のつめ計10枚をはがした。
4人はいずれも、東6階病棟に入院していたが、看護師は1995年から今年5月までは別の病棟に勤務し、関係者によると、この間にも同様の被害に遭った人がいるとの証言があるという。病院は職員らに聞き取りを行うなどして確認を急いでいる。 2007/06/26 13:05 【共同通信】
お年寄りのつめを次々にはいだ看護師
2007/06/27 12:59
今日も泊まり勤務でした。 次々にニュースが飛び込んできましたが、あらゆる事件事故を見ていると、人間というのは、弱者を虐めることで、心の奥深くに眠るストレスが発散されるようにできているのかと思わされることが多いです。
数ある拷問の中で、つめをはぐのは、最も痛みを感じさせる拷問と聞いたことがあります。
北九州市の病院でこんなことが起こりました。
看護師で病棟課長の女性(40)が入院高齢者のつめをはがす虐待を行っていたのです。
被害者は、ものが言えない認知症患者でした。
病院によると、この看護師は入院中の男性1人と女性3人に対し、医療資格がないのに、各2‐4本、足の指のつめをはがしていました。 院内の別のスタッフが患者の異変に気付いて、上司が口頭で看護師を注意したが、その後もつめをはがす行為はおさまらなかったそうです。
看護師つめの処置をしたことを認めた上で、「介護ケアをしていたらつめが取れた」などと、虐待行為を否定しています。
いったん、こうしたとんでもない出来事が発覚すると、加害者は過去にも同様の行為をしていて、だんだんエスカレートしていく様が明らかになっていくものです。
実際、この看護師も、過去につめをはがす虐待を行っていた疑いがあることが浮上しています。
一枚のつめをはぎ、痛がる患者の表情をみながら、またもう一枚、別のつめをはぐ。
そんな看護師の姿を想像すると、気持ちが悪くなってしまいます。
日本には推定無罪という言葉はないらしい。本人が否定していようと、ハナから犯行が行われたと断定し、異常なサディストであるかのように仕立て上げている。でも、ザ・スクープスペシャルに依れば、これは冤罪のようだ。動画はここで見られる。また、看護協会の見解も出ている。ただ単に、爪の手入れをしていただけで、極悪非道の鬼看護師に仕立て上げられる様は、まさに気持ちが悪くなってしまいます。
冤罪だとしたら、何でこんな事になってしまったのだろう。伏線として、2004年の京都の虐待事件があることは間違いないだろう。最初の記者会見では、病院幹部は事情をほとんど知らないまま記者の前に出ている。そして虐待だと決めつける記者の前で、だんだんしどろもどろになり、後日、何も実情を知らない本部の人間が「虐待ではなかったなどと言う報告はしない」と約束してしまう。
このようにして虐待であったという虚構が一人歩きを始め、修正不可能なまま起訴まで行ってしまった。こうなれば検察はメンツをかけて有罪に持ち込もうとする。大野病院の事例と同じだ。自白を得るまで帰さないところも同じ。普通の市民にとって、勾留されるのはとてつもなく苦痛だ。白状しなければ苦痛を与えるというのは立派な拷問だ。こんな事が未だにまかり通るほど、日本は野蛮な国なのだろう。結局、当該看護師は102日間に渡り、留置・勾留された。
それでも唯一の救いは、冤罪に荷担したメディアの一角から、真相に迫る報道が生まれたことだ。ザ・スクープスペシャル、グッドジョブ。
Yosyan先生の書く「新小児科医のつぶやき」というブログの「団藤保晴氏の主張」というエントリのリンクから団藤保晴氏の「医療崩壊と医師ブログ林立、勢いと隘路」というエントリにアクセスしてみた。名だたる医師ブログが紹介されているのであろうとは思っていたが、なんとこのブログも出ていてビックリした。ただ単にブログの名称が気になっただけのようだが。
そのエントリでも触れられていたのだが、医療問題に関するブログを書いている医師の多くはメディアを信用していない。もちろんブログの名称を見て貰えば分かるように、私もメディアを全く信用していない。その理由を一言で言えば、取材不足だ。記者クラブなどで与えられた情報を垂れ流すことに慣れてしまって、自分で取材しようと言う気概が無くなってしまったのだろうと、私は思っている。考えてみれば分かることだが、記者クラブの情報源は、警察や政治家、業界団体などの、本来ジャーナリストが批判的に監視すべき対象なのだ。こんな制度は何処の国にもないだろう。
こんな体たらくなのは、そもそも報道の影響力と責任への自覚がないからだろう。正確な記事を書くためには緻密な取材が欠かせないし、たとえ正確であっても、報道の影響を考えること無しには、社会に害悪をまき散らしかねない。無思慮な報道により、模倣犯罪を誘発したり、特定の手段による自殺を助長しているのはご承知の通りだ。
単なる発表の書き写しや無配慮な報道は医療記事でも同様だ。我々から見たら単なる病死や避けられない合併症でも、報道では「ミスで死なせる」と表現される。本当にミスかどうか、本気で取材する気があるようには思えない。医療現場では日常的な出来事で故無きバッシングを受けた医師は、それまでと同様のモチベーションを保てないだろう。
まあそれでも、医学的知識がない故の過ちだとして少しは情状酌量の余地も残すことにしよう。もっと許せないのは、少し調べれば簡単に分かることを調べないこと、あるいは、意図的に書かないことだ。たとえ医学的なことは分からなくても、報道陣は調査はプロのはずだ。諸外国と比べ、医療費・医師数・周産期死亡率・妊産婦死亡率・医師の労働時間・医師の勤務態勢・患者のアクセス・税金などの社会保障費の国民負担などがどうなのか、少なくとも医師よりは調べられるだろう。
諸外国と比べたら、おそらく日本の医療はとてつもなく国民にとって恵まれたものであることが分かるはずだ。医療を受けたければ好きな医療機関に自由にかかれる。税金は自己責任の国アメリカに次いで安い。救急車は無料で、タクシー代わりに使っても罰則はない。医療の質も、一部の金持ちだけではなく、国民全体が受けられることを考慮すれば世界でもトップクラスだろう。
このような医療が、今崩壊しようとしている。諸外国と比べて死亡率が低くても、まだ死ぬ人がいるのはけしからんといって糾弾される。既に救急患者の診療をしているのに、他の患者を断るとは何事だと叱られる。罵られるだけでなく、高額の賠償金を課せられたり、逮捕されたりすることもある。労働者の権利を少しでも主張すれば、医師という職業を選んだくせになんだと言われ、過労死レベルの労働が放置されてもたしなめる者はいない。耐えられなくなった者から、徐々に職場を離れていく。辞めない者も、危険な医療から手を引く傾向がある。以前なら頑張って助けられた症例でも、今なら、手に負えないと断ることもあるだろう。
報道を志す者なら、どうしてこのような実情を報道しないのだろう。
人間は誰でもミスを犯す。現場を知らない評論家やお偉いさんは「有ってはならないミスだ」と簡単に言うが、まともな企業なら、単純なミスで大きな損害が起きるようなシステムを放置したりはしない。何か被害が出たとき、ミスをした個人の責任を問うことで済ませ、改善すべきシステムをそのまま放置するような職場には、たいてい行政が絡んでいる。
航空管制官も国家公務員だ。ちょっとした言い間違いが大きな事故の原因となりかねないので、言い間違いをしないような訓練は必要だ。でも、人間に絶対に間違いを犯さないという能力はない。人間に神のような能力を求めるのは、求める方が間違いだ。いつも「ミスは許されない」と言われ続けている医療人として、言い間違いを咎められている管制官に対しては同情を禁じ得ない。
<日航機ニアミス事故>管制官逆転有罪…個人に責任、衝撃 (毎日新聞)
「納得していないので上告したい」。日航機同士の異常接近(ニアミス)事故で、東京高裁は11日、管制官2人に逆転有罪を言い渡した。閉廷後に会見した管制官の一人は目に涙を浮かべて判決への悔しさをにじませ、同じ管制業務に携わる職員にも衝撃が広がった。管制トラブルが相次ぐ中、判決は空の安全への警鐘となるのか。
ニアミスで初めて管制官個人が受けた有罪判決。会見で現場への影響を問われた籾井(もみい)康子被告(39)は「管制官に全責任があるのであれば、管制を行う人間に不安や緊張を与えて安全にとって有害になるだけ」と主張。「言い間違いがあっても、その後の対応をきちんとするのが管制官の仕事。『ミスをすればおしまい』となると、人間が行う業務としては無理になる」と訴えた。
同席した米倉勉弁護士も「事故はいろいろな危険要因が重なって生じる。個人のエラーだけを問うのは間違いだという発想が芽生えてきたが、(今回の)判決で歴史が10~20年逆戻りした」と指摘した。
蜂谷(はちたに)秀樹被告(33)は会見に出席しなかったが「判決は1審から積み上げてきた証拠を理解していない。まったく納得できない」と話したという。
「全国の管制官に動揺が走ると思う」。管制部門の幹部の一人は判決への感想をこう漏らした。幹部は「管制の現場は、過密による危険を感じながらも黙々と業務を支えているという意識が強い。判決は、管制官に必要以上の心理的なプレッシャーを与え、日々の運航に影響が出るのではないか」と危惧(きぐ)した。
事故では、負傷者を出した907便が航空機衝突防止装置(TCAS)の指示と違う動きをしたり、管制側の異常接近警報(CNF)が、2機の最接近の直前まで作動しなかったことなど、他にも多くの問題点が浮かんでいる。別の管制官は「どんな問題があるかが見過ごされてしまう。何の問題解決にもならない」と憤った。
一方、国土交通省航空局は鈴木久泰航空局長名で「判決を機に改めて航空の安全を守るべき責任の重大さを認識し、二度とこのようなことがないよう万全を期す」とのコメントを出した。【銭場裕司、窪田弘由記】
◇やむを得ない判決 航空評論家の青木謙知さんの話 管制官の便名の言い間違いは決してあってはならない単純なミスだ。上司だった籾井被告も訓練生の間違いを見逃しており、有罪判決もやむを得ない。ただ、航空事故が起きた場合に個人の責任ばかりを追及すると、自分の身を守るためにうその証言をする可能性があり、再発防止の教訓を得にくくなる。欧米のように個人は刑事免責にして正直に証言させれば、かえってシステム改善などにつながる。
[ 2008年4月12日0時35分 ] 強調筆者
管制業務も少ない人員で過酷な業務を強いられているのだろう。それなのにミスをするなと言われ、じっと耐えている姿が目に浮かぶ。身につまされる話だ。
記事の割合として、多くが被告や現場の管制官の言い分を伝えている。彼らの言い分には全面的に賛成だ。ミスを少なくする努力は必要だが、ミスがないことを前提としたシステムは馬鹿げている。無くなるはずのないミスを罰するのであれば、現場が萎縮し、返ってミスは増えるだろう。隠すようになるから記録上は少なくなるかも知れないが。結局、日本という国は、事故を防ぐよりは誰かを悪者にして罰したい国なんだな。「水戸黄門」が長寿番組として延々と続くのと同じメンタリティーなんだろう。
以上、被告や現場の管制官諸兄には大いに共感するが、一つ納得がいかないのは、毎日新聞だ。これが医療事故だったら、こんなに医師の言い分を書くだろうか。患者側の恨み辛みで記事が埋め尽くされるのがオチだろう。
アドレナリン含有局所麻酔薬(キシロカイン注射薬エピレナミン含有)では「ハロタン等のハロゲン含有吸収麻酔薬」は従来「併用注意でありましたが「禁忌」扱いとなりました。(語句は原文のまま、強調は筆者)
全身麻酔薬は大きく分けると吸入麻酔薬と静脈麻酔薬に分けられる。吸入麻酔薬主体の全身麻酔では、「ハロゲン含有吸入麻酔薬」が広く用いられる。全身麻酔での手術でも、「キシロカイン注射薬エピレナミン含有」はしばしば用いられる。出血の軽減と術後痛対策のためだ。このような禁忌があれば、どうしても静脈麻酔主体の全身麻酔が増えそうだ。少なくとも、製薬会社はそう思ったのではないかと、私は勘ぐっている。
昔の「ハロゲン含有吸入麻酔薬」は、確かに心筋のエピネフリンへの反応が過敏となり、不整脈を起こしやすかった。でも今の「ハロゲン含有吸入麻酔薬」は、適切なエピネフリン量を守る限り、特に問題はない。大人ならともかく、子供には吸入麻酔の方がやりやすい。うちの病院では、副耳や耳瘻孔の手術には今回禁忌とされた組み合わせが長いこと行われている。それでも何の問題もない。あえて今、併用を禁忌にする意味があるのだろうか。
ヒントは、一番用いられている静脈麻酔剤と、この局麻薬のメーカーが同じ会社だと言うことだろう。こんなやり方をしたら、麻酔科医の反感を買って、返って不利益を被るのではないかと心配になる。別のメーカーからも同じ静脈麻酔剤が売られているからだ。
前回の日記の記事を読んだとき、以前小児科に気管挿管を頼まれたときのことを思い出した。部長直々の電話だった。うちの小児科は NICU(新生児集中治療室)も行っていて、気管挿管はお手の物のはずだ。その小児科が頼んでくるのだから、一筋縄ではいかない症例に違いない。びくびくしながら小児科病棟に行った記憶がある。
患者はインフルエンザ脳症の幼児で、ぐったりとしていた。喉頭鏡をかけても、抵抗すらしない。覗いてみると、中は真っ赤だ。一瞬、立体像が把握出来ない。落ち着いてよく見れば、喉頭蓋も容易に展開出来、気管挿管自体は簡単な症例だった。真っ赤な視野にごまかされなければ、小児科医も問題なく挿管出来ただろう。
前回の日記の扁桃腺摘出後の出血の症例も、気管挿管するときには、中は真っ赤だっただろう。気管挿管に慣れた小児科医でも、真っ赤な視野では挿管出来なかったことを考えると、麻酔を担当した(麻酔科ではない)医師が気管挿管出来なかったとしても無理はない。記事を読みながら、そんなことを考えていた。(私が考えただけであって、事実とは無関係)
今朝、NHKのニュースを見ていたら、小児救急医療の崩壊について取り上げていた。インフルエンザ脳症で障害の残った幼児が主役だ。近くの輪番の医師では手に負えず、遠くの第3次救命救急センターに運ばれたらしい。結果的に障害が残ったのだが、救命センターで診療した小児科医が取材に答えたコメントの中で、「早く治療していれば、障害が軽く済んだ可能性はあった」と言っていた。親の方のコメントは、「早く治療していれば、障害が軽くて済んだに違いない」であった。この差は大きい。
高度医療が必要な患者は出来るだけ早く治療したいが、だからといって、軽症の患者が高度医療機関に押し寄せたら、本当に高度医療を必要とする患者を診られない。必要なのは患者の重症度判定、つまりトリアージなのだが、実はそれが難しい。
その後、番組は看護師によるトリアージの話になったのだが、出勤しなければならないので、見たのはそこまで。見てはいないが、結果的にトリアージが誤りだったということは当然起こる。軽症のように見えて重症なこともあるし、その逆もあるからだ。その場合の免責については取り上げられたのだろうか。結果論で高額の賠償金や刑事罰が待っているのだとすれば、危なくてやっていられないだろう。
漫画のモデルになり、マスコミによって「カリスマ医師」「神の手」ともてはやされた医師がいる。何度も医療バッシングの番組に出ていたので、私自身は良い印象を持っていなかった。でも、臨床医としては優秀なのだと思ったし、裁判の証人になれば、まともな見解を述べるのだと思っていた。でも、実際はどうなのか、かなりの疑問を持たざるを得ない気持ちになっている。
検察官の異議申し立ては棄却! 第5回控訴審速報 自ら報告と第5回控訴審速報 その2 「当てずっぽう」「いい加減な性格の」証人の供述の変遷と信用性を見て欲しい。マスコミの情報と比べたら、裁判の記録は信用して良いだろう。私からはこれ以上あえてコメントしないので、各自が自分自身で判断して欲しい。どちらが虚像で、どちらが実像なのか。
誰かがほんのちょっとドジをしたからと言って、ライン上の製品全体が不良品となってしまうようでは、製造業は成り立たないだろう。通常は、何重にも安全策が講じられていて、ちょっとしたミスが重大な結果にならないようになっているのだと思う。でも、医療は違う。元々すべての面について安全策を講じられるような分野ではないことに加え、構造的にコストをかけられないような経営状態になっていて、金のかかる対応が出来ないという面もある。結局、誰かがミスをすると、死もあり得る重大な結果が起こってしまう。
命に関わるような仕事をする人は、通常は出来るだけ体調に気を遣って貰えるだろう。たとえば国際線のパイロットが、ろくに睡眠も取らずにとんぼ返りで操縦することはないだろう。でも、医療は違う。二日間ぶっ続けで寝ないで働くことはよくあることだ。
ミスの起こりやすい状況で働かされ、ミスが起きたときに重大な結果にならないような対策はして貰えず、実際に重大な結果になれば、民事・刑事で裁判にかけられる。こんな不合理なことはないといつも思っていた。 そうしたら、こんな記事を見つけた。m3の会員でないと見られないかも知れないので、一部を引用してみよう。
書いているのは弁護士の井上清成氏。こういう法律家ばかりだと嬉しい。6.医療危険消滅途上での刑事処罰
医療者のちょっとした単純なミスで直ちに患者が死亡してしまうシステムは、正にシステム自体の危険性である。そのようなシステムの中にやむを得ず置かれ、偶々、システム危険を表面に露呈させる当事者になってしまった、その一当事者たる医療者を、「重大な過失」があるとして処罰し、個人責任を追及して犯罪者とするのは、不当であると思う。だからこそ、医療者を過失犯処罰の対象とすべきではない。
しかしながら、往々にして人々は、患者死亡という重大な結果や、薬剤確認もしくは患者確認という基本中の基本事項の怠りなどの悲劇的事態に憤慨し、医療者個人への処罰に向かい勝ちである。その処罰感情の前では、患者危険消滅途上もしくは医療危険消滅途上といった医療システムの性質は、全く顧慮されない。
例えば、ある薬剤を色分けすれば、取り違いを防止できるであろう。手術患者にバーコード付きリストバンドを付ければ、取り違いを防止できるかも知れない。再発防止にとって重要なのは、事故事例をもとにして再発防止策を案出し実施することである。再発防止策が実施されさえすれば引き起こさずに済んだであろう事故の一当事者たる医療者を、本当に処罰する必要があるのであろうか。また、当該医療者を処罰したいと願う事故被害者の処罰感情、ひいては国民の処罰感情は、その当該医療者個人に対してどこまで正当化できるのか疑わしい。刑罰が応報だとしても、当該医療者には処罰に値するほど非難可能性が、本当に強くあるのだろうか。
すべては、再発防止策の案出・実施が途上であったことも含め、医療のシステム自体の危険消滅途上性に帰責すべきことであると思う。かろうじて過失犯処罰に値するものがあるとすれば、患者危険消滅途上性や医療危険消滅途上性とは何らかかわりのない重大な過失犯、例えば故意犯的な酷い医療ミスくらいのものであろうか。そうしてみると、危険消滅途上の医療システムの中で努力していた一医療者をさらし者にして、「重大な過失」の名目の下で単純ミスに対して過失犯処罰をしようとする方向は、当を欠くものであろうと考える次第である。