今までの政治に不満があっても、多くの人は民主党の力量を信頼しているというわけでもないでしょう。今までがダメだから、とりあえず政権を交代させてみようと思っただけだろうと思います。
これが小選挙区制の怖さなのでしょうが、絶対多数の議席を民主党に与えてしまいました。
何処の政党も党利党略だけで動けないような、微妙な議席数が望ましいと思っていたのですが。
政権交代を望んではいたのですが、なんだか心配です。
衆議院で再可決の手法を使えば、やりたい放題のことが出来ますからね。
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リスクマネージメントの観点から医療安全を考える医師であれば、おおむね同じような考え方になると思われますが、「リスクマネージメントってなに?そ れ、食べられるの?」というレベルのお偉方も多数生息する我が国では、とんでもない事故調が出来る恐れがあります。私がつべこべ言うより、MRICのメル マガをお読み下さい。こういう院長のいる病院は良いなあ。たぶん一緒に働いていたことあるのだと思いますが、大昔なので確信はありません。
「医療事故調査委員会と安全」
MRIC by 医療ガバナンス学会 (2009年8月24日 08:01)
済生会宇都宮病院・医療制度研究会 中澤堅次
医療事故調の理念は医療安全だというが、大綱案には、事故による死亡に責任
追及が含まれる。推進する立場は、なぜ医療事故に責任を追求してはいけないの
か、何故当たり前のことに一部の医療者が反発するのかという疑問を投げるが、
今回は医療安全と事故調というテーマで書かせていただき、この問いの答えにな
ることを願う。
■ 人々の願いと結果の不一致
人の命は尊いと誰もが思い、尊いものが失われるのは避けたいと願う。この願
いは人類共通で歴史や宗教観に大きく影響している、医療の目的はその願いに沿っ
たものであり、死を回避し、生きるための障害を取り除くことを願う。しかし、
死は人の力が及ばない存在であり、老いを止めることも、一度失われた機能を回
復することも難しい。死という現実がある以上、医療の目標は完璧に達成するこ
とは不可能で、期待と結果が一致しないことが医療の特性なのである。人々の願
いはこの不一致が少しでもなくなることであり、医療もこの不一致を一つでも無
くす努力をするが、死の現実は変らず、努力は永遠に繰り返される。近代科学の
進歩で科学技術は目覚しい発展を遂げているが、科学の進歩は人体に応用できて
初めて医療となるのであり、医療の限界がこれにより解き放たれることはない。
■ 医療サービスは個別
人の命は個別で、ひとつとして同じものは無い。医療サービスは多くのスタッ
フによって行われるが、目的は一つの命のためである。一人一人カルテがあるの
は医療が個別であることを示している。医療事故は期待と結果の不一致の典型で
あり、事故も個別で、一つ一つの命にかかわるものである。医療を受ける人と医
療者の関係は閉鎖的で、基本的に第三者は入れないようになっている。医療行為
は全ての事情を知り行なわれるが、個人の機密保持という大原則があり、政府も
司法もメディアも、一対一の関係には介入しにくい構造になっている。普通に医
療が行われている限り、問題は当事者の間に限定され、第三者は当事者からの届
出がないと問題の存在を知ることが出来ない。
大綱案は事故を契機に、第三者機関が介入する仕組みだが、医療機関から報告
が上がらなければ機能が発揮できない。条文のほとんどを医療機関からの報告規
定に当て、疑いを含めて報告を義務化し、罰則までつけなければならないのは、
制度の設計が医療本来の特性に合わないからである。
■ 事故の対応における第三者機関のかかわり
理由はともかく、医療事故の加害者は医療者であり被害者は受療者である。事
故の発生により当事者の信頼関係は危機に陥り、医療側は加害者としての責任を
果たすことが求められる。この場合の責任は、原因を調査し、説明を行い、損害
の認定と補償と、再発の防止を行うことである。目的は被害者に及ぶ被害を最小
限に食い止めることで、この段階に至っても医療の目的は被害者のためであるこ
とに変りはない。
このタイミングで第三者が介入するとするなら、被害者の救済と、医療者との
間に生じる問題の仲介役である。北欧のように被害者の救済に重きを置けば、無
過失補償制度の導入が選択肢となり、これはすでにデンマークなどで実現してい
る。第三者機関が、対立する両者の問題解決に責任を持つのであれば、介入はス
ムースに行われ、面倒な報告制度も罰則も要らない。
■ 懲罰的な報告制度は再発防止の妨げとなる
事故の再発防止は、医療側の責任であり、同時に被害者の家族の大切な願いで
ある。このために不一致を感知し、課題として取り上げ、一つ一つつぶしてゆく
ことが医療における改善である。この方法は人体を作りかえることが出来ない医
療の限界によるもので、残念なことだがそれ以外の方法は存在しない。したがっ
て当事者が感知しなければ問題として提起されず、当事者が存在を報告して始め
て改善の検討が始まる。安全対策の活動も、事故や不一致の報告が当事者から出
され、正確に伝わることが欠かせない条件なのである。
大綱案で新設される医療安全調査委員会は、当事者から距離を置いた善悪の判
定機関として存在し、問題解決に責任をもたず、当事者に報告を求め処分につな
げるだけである。この立場であれば報告は限られ、正確性はなく、したがって、
判断は硬直的で公平性を欠く。罰則を掛ければ見えないところで隠蔽が正当化さ
れ、安全文化は形だけのものになる。大綱案が示す仕組みは、事故調査委員会だ
けでなく、病院の安全活動自体にも支障を来たす。大綱案にはその目的である医
療安全に、最もやってはならないことが書かれている。
■ 責任を追及しないと安全は確保できないと言うのは本当か?
WHOのガイドラインは当事者の責任を問わないと言っている。日本の大方の見
解は対応が生ぬるいという。私達の病院では個人の責任は問わず、全てに病院が
責任を持つことを前提に、事故の全貌を隠さないで報告してくれと言っている。
これでは正しい対策が出来ないのではないかと最初は考えたが、規律も崩れなかっ
たし、安全の取り組みに進歩が遅れたとは思わない。利点のほうがはるかに大き
い。調査が正確であれば、安全対策も説得力の強いものになり、また被害者の補
償と納得にも大きく貢献している。
もし、大綱案が現実のものになると、当事者の人権への配慮から突っ込んだ調
査は不可能になる。責任を追及される恐れのある報告を、まだ罪もはっきりしな
いうちから官憲に報告すれば、スタッフは院長に売られたと感じる。当事者とし
ての説明責任も果たせないから被害者の納得は得られず、再発防止もおぼつかな
い。院長は懲役を覚悟し、スタッフの代わりに自分の首を差し出すくらいの覚悟
がないと、被害者とスタッフの信頼をつなぎ組織を存続させることが出来なくな
る。
■ 医療安全は誤りから学ぶが、責任の追及は誤りの存在を否定する。
医療の安全は"過ちに学ぶ"ことが基本になっている。トヨタの業務改善の手
法に行灯(あんどん)と呼ばれるものがある。生産ラインで不具合を生じたら、
動いている生産ラインを止め、自分の部署にある標識を点灯し、不具合の発生を
全ての部門に告げる。問題を共有して製品の安全性を確保することが目的であり、
不具合の処罰を容易にすることが目的ではない。
一度始まると取り消しが効かない医療行為では、過ちかどうか分らなくても、
終わった後で不具合を報告し議論の対象にする。良い悪いを言わず、誤りがあっ
たと仮定して議論が進む。容疑が複数あれば、複数の改善策を立てればよく、意
識の高い人ほど誤りの範囲を広く見立てるものである。医療はこの手法で進歩し
てきた。
責任追及は、疑いのあるものの白黒をはっきりさせることが目的で、あいまい
な判断はゆるされない。罪の確定の精度を上げる為に多大な費用と時間を使い、
反省的な記述は再発防止のためであっても、有罪の証拠として捜査の対象となる。
責任追及の立場は本来そのようなものであり、再発防止の改善とは反対の方向性
を持つものである。
■ 責任追求と事故の公開
事故の公開は安全対策に大きな力を発揮する。落とし穴の存在を同業者に知ら
せ、防御につなぐ効果がある。公開を一番必要とするのは医療者であり、特に事
故が発生した病院には一層身近な存在で一刻を争う公開もある。
大綱案が法律になると院内での公開は難しい。良い悪いの問題にすると判断を
誤ったときにスタッフの名誉を回復することが難しいからである。こうして公開
という医療安全に有効な手段の一つが封印される。
責任を問う目的での公開は見せしめで、意図的な犯罪を思いとどまらせること
を目的とした古典的な刑罰である。医療事故は故意で起こすわけではないから、
犯行を思いとどまると言う感覚はない。事故が起きそうな現場を避け。過ちを公
開しないこと、つまり、危うきに近寄らず、傾いても冠を正さないことが罪を避
ける方法になる。
■ システムエラーと改善
事故の再発防止を、個人の努力に求めればまた事故は繰り返される。"人間だ
から間違える"、避け得ないヒューマンエラーをシステムエラーと考えて、人間
が失敗しても事故にならない仕組みを作り、人の過ちをカバーするというのが医
療安全の基本的な考え方である。
大綱案にはシステムエラーについての項目があり、「安全を確保するための措
置の内容が著しく適当でないと認めるとき」とあるがこの文言が何を指すかわか
らない。システムエラーを文字通りシステムの過誤として追及し、指導するとい
うのであれば正しい使い方とはいえない。
■ まとめ
事故の被害者は、加害者に対して誤りを明らかにし、罪を認め、謝罪と、罪を
償うことを望む。医療者は医療行為の中で避けられない事故の責任を、犯罪とし
て扱われ裁かれることに矛盾を感じる。再発防止の改善は当事者共通の願いであ
り、医の理念の根底をなすものであるが、懲罰的な大綱案の法制化で、定着しつ
つある安全文化が犠牲になる。
厚生労働省、医師会、一部の学会が、WHOが認めるガイドラインを無視して、
なぜ安全文化に逆行するような効果の無い制度を日本に導入するのか、その意図
が分らない。
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すでに
shy1221先生がつっこみを入れていますが、とんでもない間違いが広まるのも困るので、私も取り上げることにします。
押尾学容疑者、起訴される見通し
8月24日9時29分配信 デイリースポーツ
合成麻薬MDMAを使用したとして、麻薬取締法違反容疑で逮捕された俳優の押尾学容疑者(31)は、拘置期限を迎える24日に起訴される見通し。逮捕後 の供述が二転三転している押尾容疑者だが、専門家は、容体が急変した女性を放置した「保護責任者遺棄致死」での再逮捕の可能性も濃厚と断言。薬物使用だけ でなく、重罪に問われる可能性を指摘した。
◇ ◇
「錠剤は違法な薬物とは思わなかった」と逮捕直後からの供述を一転、20日に「違法なものと知っていて飲んだ」と容疑を認めた押尾容疑者。尿検査で合成麻薬の陽性反応が出ていることに加え、違法性を認識していたことで、起訴は間違いないとみられる。
起訴により拘置された場合、一緒にMDMAを使用し死亡した銀座のホステスの女性(31)の死因と薬物の関係、薬物の常習性や入手ルートなど厳しく追及されることになる。
筑波大学の斉藤誠二名誉教授(77)(刑法、刑事訴訟法専門)は、本紙の取材に「麻薬取締法違反で起訴された後、保護責任者遺棄致死で再逮捕されるのではないか」とみる。
斉藤氏によると、緊密な関係にあった人間とともに行動し、相手が何らかの形で生命の危機に陥った場合に放置して立ち去ったとすれば、保護責任者遺棄致死 罪が成立するという。押尾容疑者の場合、知人女性と同じ部屋に入り、その間に重篤な症状に陥った女性を見て「恐くなった」とマネジャーを呼んだ上で部屋を 立ち去ったことから「法律的に考えれば、保護責任者遺棄致死罪は十分成立する」と断じた。
次に考えられるのは、(1)薬物については処分保留とし、遺棄致死で逮捕する場合(2)薬物で起訴されるのみ-だが、(2)の可能性は少ないという。
さらに、「これだけの状況を見れば、(女性の死に)事件性がないとは考えにくい。警察ははっきりした証拠がないから発表していないが、現在も捜査を続け ているのではないか」と分析。コロコロ変わる押尾容疑者の供述について「助けようと心臓マッサージをしたなどという証言も怪しく聞こえてくる。マッサージでろっ骨が折れるなどという話も聞いたことがないし…」と指摘し、疑問を呈した。単なる麻薬取締法違反のみで決着する可能性は低い-とみられる。
強調は引用者による
押尾容疑者がどうなろうと私には関わりはありませんが、心臓マッサージで肋骨が折れるはずがないなどと言うことになれば、肋骨を折ったから死亡したと言 われかねません。心臓マッサージをするような患者は、実際にはほとんど助からない患者ですから、もう危なくて、有効な心臓マッサージをすることは出来なく なりそうです。
肋骨を折ってしまえば有効な心臓マッサージとはなりにくいので、折らないように気を付ける必要はあります。でも、骨折を恐れてしっかりと押さないようで あれば、有効な心拍出量を得られません。上手い下手もあるでしょうから、技術によって確率は異なりますが、心臓マッサージでは肋骨骨折を起こすことがある のは常識です。
「マッサージでろっ骨が折れるなどという話も聞いたことがないし…」と言う発言を本当にしたのだとしたら、門外漢としては相当に傲慢だと思います。言ってもいないことを書くのはメディアの常套手段ですから、記事の通りとは限りませんけどね。
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自らも厚労省の医系技官でありながら、新型インフルエンザの厚労省の対応を痛烈に批判して物議を醸した木村盛世氏ですが、またまた歯に衣を着せぬ語り口で同僚を批判しています。軟弱者の私など、ここまで言っていいのかしらと心配になってしまいます。
MRIC のメールマガジンより、全文を転載します。
▽ 「平成の大本営」 医系技官問題を考える(1) ▽
妊婦は新型インフルエンザ重症化のハイリスクか?
厚生労働省医系技官 木村盛世(きむら・もりよ)
2009年8月14日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行
新型インフルエンザの話題は主要ニュースから姿を消し、あたかも患者は発生していないように見えるが実はそうではない。5月には発表された新規患者数が いったん下火になったようであったが6月には盛り返し、2009年7月24日現在の新型インフルエンザ患者数は累計で4986人である。果たして次の流行 がいつ来るのかは誰にもわからないことであるが、今回のインフルエンザよりは致死率が高い流行があるとして備えるのは必ず必要な事である。
インフルエンザの対策の基本は「一人の患者も国内に入れない、一人の死亡例も出さない」のではなく「国内に入るのは当然で入ったら必ず広がるが、その広がりをなるべく小さくする」ことである。そのための対策として重症化しやすいグループを重点的に保護するのは理にかなったやり方である。果たして新型インフルエンザで重症化しやすい人たちとは誰なのだろうか。WHOも米国CDCも糖尿病、呼吸器疾患などの基礎疾患を持つ人と妊婦と言っている。日本もそれにならって基礎疾患を持つ人と妊婦がハイリスク集団だといっている。基礎疾患を持つ人はさておき、なぜ妊婦が重症化しやすい集団なのだろうか。実のところ妊婦がハイリスクであるかどうかは本当のところ分かっていないのである。分かっているのはかつてアメリカで豚インフルエンザ(H1N1)が流行した際、妊婦が死亡したということだけである。ヒポクラテスの時代におそらくH1N1型インフルエンザであろうと予測される流行があるが、その当時の症例報告をみても出産すぐの女性の死亡例の記載はあったが妊婦は出てこない。米国CDCでも妊婦の重症化に関するエビデンスは増えていると言及しているが、先日Lancetに、米国13の州から報告された34例の妊婦の新型インフルエンザによる入院率は一般集団より高かったという研究結果がだされたが、この論文が初めての学術的考察と言ってよいであろう。
はたしてどの集団化がハイリスクなのかを調べるためにはハイリスク集団とそうでない集団との疾患の新規患者発生率を比べる相対危険度と呼ばれる指標が必要だが、新規患者発生率は前向き研究のみしか計算できない。
Lancetに出された論文における後ろ向き研究では果たして妊婦というステイタスのみで疾患の重症化しやすさを結論するのは難しい。妊娠したということでつわりがひどく食事が満足に摂れなかったかもしれない。あるいは運動不足になって体力が落ちた可能性もある。以上のべた可能性は妊娠という因子ではなく妊娠によって生じた二次的な状況である。となれば、「食事接取量が減り栄養状態が悪化した」、あるいは「運動不足により体力が低下した」がインフルエンザの危険因子であって妊娠そのものがリスクファクターではないことになる。栄養状態の悪化、口腔内状況の悪化、体力低下はインフルエンザに対するリスクと示唆されている項目である。こうした事項(交絡因子という)全てをインタビュー形式で定量化して調べるのは限界がある。後ろ向き研究が決定打とならない一つの理由はそのためだ。インフルエンザのように複数の型のウイルスによる混合感染も考えられる場合、前向きに追っていったとしても結果の解釈が難しくなる可能性はあるがやってみる価値はあるであろう。また後ろ向きであっても前向きであっても1つの研究だけでなくたくさんの場所で違う集団を使った研究結果が必要である。実際結核は白人よりも黒人が発病しやすいという研究結果は何十年にわたる複数の前向き研究から生まれた結論である。実際我が国では重症化した妊婦の報告は報告されていないようなので日本人とアメリカ人の違いがあることも十分考えられる。
研究論文は星の数ほどある。疫学研究者個人やマスコミにとっては1つ1つの結果が大切かもしれないが、それを政策に反映するには、果たして研究結果から得られた結論が正しいかどうかの見極めが必ず必要である。その見極めをするのが公衆衛生のプロである。CDCもWHOも全能ではない。時には不十分な研究報告を出す可能性もある。疫学研究でいう「バイアス」という専門用語があるが「因果関係調査のいかなる過程においても生じるシステマティックエラー」と定義されている。例えばある小児がんと放射能汚染との因果関係を調べるため、症例(小児がんに罹った子供たち)と対照(罹らなかった子供たち)の母親にインタビューをした結果、小児がんに罹った子供たちの母親のほうが高率に放射線による検査を受けていたという研究結果が出たとする。果たしてこの因果関係は事実なのであろうか?自分たちが小児がんの子供を持ったと仮定してほしい。「私が何かいけないことをしたから子供はがんにかかったのではないか」と母親は思うであろう。そして健常な子供たちをもった母親以上に「X線写真を歯医者でとった」とか「胸のレントゲン写真をとった」ということが記憶として強くして残 ることが言われている。これをリコールバイアスというのだが、バイアスの種類も山ほどある。バイアスは統計学的処理でもコントロールすることはできない。 見つけられるか否かは専門家の優れた「鼻」にある。
我が国では大規模な疫学研究という、公衆衛生にとって必要不可欠な研究がほとんど行われない。それは、自称公衆衛生のプロと言ってはばからない医系技官が公衆衛生のプロではないからだ。彼らたちが自国での疫学調査を行わない理由は、自分たちで調査研究ができないからだ。データに関して言えば、臨床現場を
使ってかなりの数を集めているはずであるが、集めた目的も分からず解釈もできなければ宝の持ち腐れと言えよう。自分たちで何もできないのであればデータを公表して、できる人たちに解析して論文を書いてもらえばよい。データを開示すると自分たちの権限が弱まるとでも考えているのだろうか。そうだとしたら、まるで「指輪物語」の世界である。WHOとCDCのデータを鵜呑みにして政策に反映させるやり方は誰にでもできるであろう。言い方を変えれば医系技官の公衆衛生の技量はその程度だということだ。「新型インフルエンザ予防にはヨーグルトが効果的」という研究が海外で出たとしたら、国民すべてにヨーグルト摂取を義務付ける局長通知でも出すのであろうか。その時は牛乳アレルギーに対して十分配慮をしないといけない。
著者紹介
筑波大学医学群卒、ジョンズホプキンズ大学公衆衛生学修士(MPH)
専門は感染症疫学
ご覧のように、内容は疫学の初歩的な注意点です。よく言われるように、統計的に有意差があることと因果関係があることは別だというようなことです。本来 なら疫学のプロであるべき厚生技官が、初歩的な分析力もないのだとすればお寒い限りです。でも、ジャーナリストを自認する人々の世の中の出来事に対する対 応を見ると、まあ、そんなものかも知れません。
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いつもいつも思うのですが、医療訴訟を記事にするなら、出来るだけ具体的なことを書いて欲しいものです。一般の人には判らなくても、医師が見ればミスがあったかどうか分かるようでなければ、情報としての価値はないのではないでしょうか。
両足を切断の男性 二本松の病院提訴
2009年08月11日 asahi.com
「適切な措置執られず」
二本松市の男性(60)が農作業中の事故後、患部が壊死(えし)する「コンパートメント症候群」を発症して両足を切断されたのは「病院が適切な措置を執 らなかったためだ」として入院先の枡(ます)記念病院(同市)を運営する医療法人辰星会を相手取り、10日までに約8千万円の損害賠償を求める訴訟を福島 地裁に起こした。
訴状などによると男性は04年11月、運転中に転倒した耕運機の下敷きになって両足を負傷。同病院に入院後、足の痛みや腫れがひどくなり、転院した別の 病院で、約3週間後、コンパートメント症候群と診断された。代理人弁護士は「けがの状況からコンパートメント症候群を念頭に経過観察すべきだったが、医師 はこれを怠った。適切に処置すれば切断は免れた」としている。
同病院は「当時の病院の診断に誤りはなかったと考えている。相手の主張と事実関係の間に大きな開きがあるので、公判ではその点を主張していきたい」と話している。
具体的でないばかりでなく、表現もあやふやです。「約3週間後」とありますが、受傷からなのか、転院からなのか、どちらにも解釈可能です。受傷から3週 間後に転院し、その時点でコンパートメント症候群であることは明らかであり、転院先で大慌てで処置をしたのであれば有責かも知れません。転院から3週間 経ってコンパートメント症候群と診断され、治療の甲斐無く切断に至ったのであれば、全くの無責でしょう。
そもそもコンパートメント症候群だけが切断の原因だったのかどうか怪しいと思います。木材を運んでいたのであれば通常とは異なるかも知れませんが、一般 的に耕耘機に轢かれるのは畑です。土にまみれた汚い傷であることが常です。たとえ舗装路での事故だとしても、耕耘機自体は汚いはずです。やはり自動車事故 と比べれば汚い傷になるでしょう。切断の理由として、感染がなかった可能性は低いと思われます。
また、「適切な措置執られず」と言うのは原告の言い分です。でも、この書き方では事実であるかのような印象を与えます。いつもいつもこのような書き方をするのですから、もちろん意図的なのでしょう。毎度のことながら、悪意を感じます。
訴訟を起こすことは国民に与えられた権利ですから、どんな理由でも起こすことは可能です。でも、それが報道されれば、病院にとっては風評被害を避けるこ とは出来ません。被告勝訴の結果となっても、風評被害は残ります。きちんと取材して、この治療は酷いと思われるものだけを報道することは出来ないのでしょ うか。報道内容を見る限り、伝聞内容を垂れ流すだけで、独自の取材をしたようには到底思えないのですが、それで報道機関といえるのでしょうか。
たまたまアサヒコムを引用しましたが、もちろん他のメディアも同様です。
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ひょんな事から「シーボルトメダル賞」と言うものを知りました。
検索しても、どのような賞なのか分かりません。
受賞者でヒットするのはたった一名。
うーん、謎だ。
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残念ではありますが、手術には一定の確率で合併症が起こります。消化管の手術では、縫合不全はよく見られる合併症です。特に胃全摘では、張力がかかりやすいなどの理由で、他の部分の吻合(消化管をつなぐこと)よりも縫合不全が起きやすいのです。
このような想定内のことが起きたときにミスと言われるのは納得できないでしょう。賠償金ではなく解決金だと言われても、金を払うような事態だとは、医師なら誰でも思わないでしょう。
でも、多くの外科医にとっては他人事のようで、状態の悪い患者の手術を強行したがるケースはまれではありません。そういう外科医は、こんな記事は読まないのでしょうね。
県が解決金支払い和解へ がんセンター医療ミス訴訟
共同通信
栃木県立がんセンターで、1999年に胃がんの手術を受けた男性=当時(57)=が死亡したのは術後の誤った 処置が原因として、遺族が県に約6240万円の損害賠償を求めた訴訟で5日、県が宇都宮地裁(竹内民生(たけうち・たみお)裁判長)の提示した解決金を支 払うことで遺族側と合意した。
遺族側代理人によると、提示額は500万~600万円。代理人は「県の説明では、県議会を通して金額が決まる。提示額の範囲内になる見込みだ」と話した。県は「協議中でありコメントは差し控える」としている。
訴状によると、男性は99年8月に同センターで胃の全摘出や腸と食道をつなぐ手術を受けたが、術後の縫合不全により出血が止まらなくなり、輸血を繰り返し行ったことで肝不全になり死亡した。
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生兵法は怪我の元と言いますが、医療でもまさしくそうです。最初の頃はおっかなびっくりで、効率は悪いものの、慎重に何事も行います。ある程度慣れ、あ まり恐ろしい目にも遭わなかった場合が一番危ないのです。ほんの少し確認すれば何でもなかったことでも、慣れのために惰性で事を行うと、時に大きな落とし 穴が待ち受けています。
人間はミスをするもので、単純で愚かなミスであろうと、しない人はいません。単に大きな被害が出ることが希なだけです。でも、時には人命に関わることも あります。だからこそ、間違いの起こりにくい、あるいは間違いが起こっても重大な被害を及ぼさないようなシステムが必要なのです。
静脈に空気誤注入 2歳男児低酸素症に 福島県立医大病院
福島県立医大病院(福島市)は3日、7月29日に実施した腹腔(ふくくう)鏡手術で麻酔科医が誤って患者の静 脈に空気を注入、福島県内に住む男児(2)が脳に十分な酸素が送り込まれない低酸素症になる事故があったと発表した。男児は現在、集中治療室で低体温療法 を行っている。状態は安定しているが、脳に障害が残る可能性もあるという。医大病院は来週中にも学外の専門家を交えた調査委員会を設置し、原因究明を進め る。
病院によると、男児は胃食道逆流症で手術を受けた。手術しやすいよう胃を膨らますため、鼻に挿入した管の途中にある三方活栓から麻酔科医が注射器で空気 を送り込むはずだったが、誤って右足の静脈に入れた点滴用の管の三方活栓に空気を2度注入した。量は計100ミリリットルだという。
その直後に脈拍の異常を知らせる警報が鳴り、手術を中断したが、男児の脳に十分な酸素が送り込まれない状態が約10分続いたという。
手術は外科医3人と麻酔科医の4人が担当。麻酔科医は20代女性で医師3年目の後期研修医だった。手術中は医療用の布で男児の体全体が覆われ、麻酔科医は手探りで作業していた。麻酔科の指導医が手術室に出入りしていたが、高度な技術が必要な手術ではなかったという。
県庁で記者会見した横山斉副院長は「麻酔科医は直接手元を見ることができず、管も交差していて間違ったようだ。治療に全力を尽くすとともに再発防止に努めたい」と説明した。医大病院は再発防止策として、用途別に三方活栓の口径を変えた。
2009年08月04日火曜日 河北新報
他の報道では、この麻酔科医の麻酔経験は10ヶ月とのことでした。10ヶ月の経験というと、自分だけで麻酔を担当する自信はないが、いざというときの バックアップ体制があれば、かなりの部分まで自分で出来そうな気がする頃でしょう。大きな事にならないような「ヒヤリハット」を経験していれば、このよう なことは起きなかったのかも知れません。
でも、一番の問題は、間違いを許すシステムです。胃管用と点滴用の三方活栓の区別が無く、ごちゃごちゃとした状況で手探りでの操作を強いていたのは問題 です。胃管には注射器が接続できないようにしておけば、間違えようがありません。また、点滴回路や胃管を整然と並べておくだけでも間違いは起こりにくかっ たでしょう。
記事が正確だとすれば、この事例では賠償責任は免れないでしょう。でも、この麻酔科医個人の刑事責任を問うて欲しくありません。結果は重大ですが、誰で も時には愚かなミスをするものです。フェイルセーフ機構を怠り、コスト重視で現場のがんばりだけに頼ってきたツケが回ってきたのですから。
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