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つづき
4 治験問題との違い
ところで、薬剤処方に関する事前チェックという点では「治験審査委員会」が既に存在しており、これに倣えば良いのではないかという意見も聞こえてきそうである。確かに、治験審査委員会を設置している医療機関においては、その「治験審査委員会」に医師以外の非専門家が入り、弁護士が名を連ねている医療機関も多いようである。
しかしながら、「治験」と「医療」を同視することはできない。「治験」はあくまでも新薬承認に向けた検証手続の一つである。確かに治療という側面はあるが、応召義務などが規定された医師法が本来予定している医療行為とは異なる。「治験審査委員会」は、治験が具体化してきた際に、施設に対して倫理的・科学的見地から意見する独立の監視機関と言えるが、医師法20条との抵触問題にはなり難いと考えられる。本来的に未だ承認されていない薬の投薬と、承認済み薬剤の適応外使用とでは場面が異なる。後者はまさに診療の場での話であるから、担当医の診察・診断上の裁量的判断を基本的に尊重すべきであり、そのことが患者の治療・健康回復に最も望ましい在り方でもある。これを、治験審査委員会のように倫理面の審査を特に強調して、非専門家による大きな審査対象として位置付けると、真に必要な医療の適時提供ができず、結果として目の前の患者が最大の被害者となってしまいかねない。これに対し、治験の場合には、やはり未承認薬提供の危険性が相対的に重視されるのは理解できるところである。ただし、最近話題となった「エバーハート」のように、一度始まった治験を中止することの危険性が大きい場合、治験だからといって過度のチェックを加えることは適応外処方と同様の弊害をもたらすと言えよう。問題はそう簡単ではない。
5 まとめ
薬害肝炎の問題は重要だが、正常な医療の生理的作用をレアな病理的発想によって破壊することになる可能性にも十分配慮して欲しいのである。薬害と適応外処方を同じ土俵で論じれば、適応外処方悪玉論に限りなく傾斜することは明らかである。このような形式論理は危険である。「適応外処方悪玉論」は、「添付文書絶対視論」から出発し、ここから漏れるものは全て薬害の元凶であると位置付け、医療から排除しようという方向に行きがちである。しかしながら、そもそも添付文書は、少なくとも現在の姿を見る限り、臨床的判断が度外視された製薬会社による免責文書というべきものであり、診療ガイドラインでも何でもない。
他方、現実に生起している医事紛争では、「救急の場では、仮に適応外であっても、仮に保険診療とならなくても、患者救命のために適応外処方をすべきである。もしそれをせずに患者が死亡したら、適応外処方をしなかった医師の過誤である。」などという主張が平気で出てきたりしている。
これでは、現場の医師は、前進してもアウト、後退してもアウトという状況に追い込まれてしまう。「目の前の患者にとって真に必要な薬物治療は何か」という真摯な検討を医療現場から放逐しようとするものであり、まさしく医療の委縮、崩壊につながるものと言えよう。薬害肝炎問題が、最終的に医療現場の委縮、医療破壊につながる議論になってしまうのは、明らかにボタンのかけ違いである。「薬害肝炎事件の検証及び再発防止のための医薬品行政のあり方検討委員会」には、医療における法的枠組みも踏まえ、今後、是非とも冷静かつ慎重な議論を展開していただきたいと願う次第である。
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コメント (2)
コメント
コメント一覧
もちろん医師会学会大学をはじめとする、既存の医師の組織が十分な自浄機能を果たしてこなかったことも一因でしょうが。
でもそれって医療医学界だけの話ですかね?
飛行機船舶鉄道自動車産業、建設業界食品業界、さらに官僚政治家の行政立法の世界、司法警察の世界、すべて同じというかもっとひどいところはいくらでもある、それも人命に確実にかかわることを無視してきた世界が、いまでもほとんど野放し状態の世界があるのに、と大声で叫びたいと思うのは間違った考えなのでしょうか?
他人に厳しくて自分に甘いのは人間の性なのでしょう。
更に、専門家に対する評価は、日本では芥子粒ほどにもありませんから。
医師の技術や知識より責任逃れの添付文書が重視されることの不合理なんて、理解されないのでしょうね。
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