私は全国医師連盟のメンバーなのですが、第二回の集会が下記のごとく行われます。これからの医療の行く末を考える上で貴重な集会になるものと思われます。メンバーもそうでない方も、医療職もそうでない方も、ご参集いただければ幸甚です。
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全国医師連盟は、2009年6月7日日曜日に、13時から秋葉原コンベンションホールにおいて第二回集会を行う予定にしています。
とき: 2009年6月7日(日) 13:00~17:30
ところ: 秋葉原コンベンションホール
東京都千代田区外神田1-18-13(JR秋葉原駅 電気街口を出てすぐ)
参加費: 3000円 18時より懇親会(6000円)を行います。
午後 全医連集会
1、昨年度の活動報告
2、上昌広 東大医科研准教授による医療報告
3、全国医師ユニオン設立報告
4、勝谷誠彦氏 記念講演
「日本の医療を斬る ~全医連に期待するもの~」
5、勝谷氏と集会参加者のトークセッション
申し込みフォームは以下です。
http://www.doctor2007.com/soukai2.html
医師も、医療従事者ではない一般の方も、あわせて参加する集会になります。
全国医師連盟は2008年6月に設立された医師の団体です。ただ、医療問題は、医師のみで解決できるほど単純ではありません。医師だけで世の中を変えることなどとうていかなわないわけですから、医師以外の立場の人と連携していくことが必要で、その場合全国医師連盟がどのように関わることがベストであるのか、と考えるよい機会になればと思っています。
今回、勝谷誠彦氏を迎え、政治や行政、一般の国民、皆が共同して問題を解決する場面で、全医連はどう関わることが望ましいのか、会場の皆さんとも意見交換し、考えたいと思います。また、医師の職域ユニオンである全国医師ユニオンについての報告も行われます。
医師以外の方も皆様お誘い合わせの上、ぜひ奮ってご参加ください。
集会のあとは、懇親会の用意もしています。会員の人同士が会える機会でもありますが、会員ではない人と議論したりあって話をすることのできる大切な機会でもあります。
なにとぞ宜しくお願いします。
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つづき
4 治験問題との違い
ところで、薬剤処方に関する事前チェックという点では「治験審査委員会」が既に存在しており、これに倣えば良いのではないかという意見も聞こえてきそうである。確かに、治験審査委員会を設置している医療機関においては、その「治験審査委員会」に医師以外の非専門家が入り、弁護士が名を連ねている医療機関も多いようである。
しかしながら、「治験」と「医療」を同視することはできない。「治験」はあくまでも新薬承認に向けた検証手続の一つである。確かに治療という側面はあるが、応召義務などが規定された医師法が本来予定している医療行為とは異なる。「治験審査委員会」は、治験が具体化してきた際に、施設に対して倫理的・科学的見地から意見する独立の監視機関と言えるが、医師法20条との抵触問題にはなり難いと考えられる。本来的に未だ承認されていない薬の投薬と、承認済み薬剤の適応外使用とでは場面が異なる。後者はまさに診療の場での話であるから、担当医の診察・診断上の裁量的判断を基本的に尊重すべきであり、そのことが患者の治療・健康回復に最も望ましい在り方でもある。これを、治験審査委員会のように倫理面の審査を特に強調して、非専門家による大きな審査対象として位置付けると、真に必要な医療の適時提供ができず、結果として目の前の患者が最大の被害者となってしまいかねない。これに対し、治験の場合には、やはり未承認薬提供の危険性が相対的に重視されるのは理解できるところである。ただし、最近話題となった「エバーハート」のように、一度始まった治験を中止することの危険性が大きい場合、治験だからといって過度のチェックを加えることは適応外処方と同様の弊害をもたらすと言えよう。問題はそう簡単ではない。
5 まとめ
薬害肝炎の問題は重要だが、正常な医療の生理的作用をレアな病理的発想によって破壊することになる可能性にも十分配慮して欲しいのである。薬害と適応外処方を同じ土俵で論じれば、適応外処方悪玉論に限りなく傾斜することは明らかである。このような形式論理は危険である。「適応外処方悪玉論」は、「添付文書絶対視論」から出発し、ここから漏れるものは全て薬害の元凶であると位置付け、医療から排除しようという方向に行きがちである。しかしながら、そもそも添付文書は、少なくとも現在の姿を見る限り、臨床的判断が度外視された製薬会社による免責文書というべきものであり、診療ガイドラインでも何でもない。
他方、現実に生起している医事紛争では、「救急の場では、仮に適応外であっても、仮に保険診療とならなくても、患者救命のために適応外処方をすべきである。もしそれをせずに患者が死亡したら、適応外処方をしなかった医師の過誤である。」などという主張が平気で出てきたりしている。
これでは、現場の医師は、前進してもアウト、後退してもアウトという状況に追い込まれてしまう。「目の前の患者にとって真に必要な薬物治療は何か」という真摯な検討を医療現場から放逐しようとするものであり、まさしく医療の委縮、崩壊につながるものと言えよう。薬害肝炎問題が、最終的に医療現場の委縮、医療破壊につながる議論になってしまうのは、明らかにボタンのかけ違いである。「薬害肝炎事件の検証及び再発防止のための医薬品行政のあり方検討委員会」には、医療における法的枠組みも踏まえ、今後、是非とも冷静かつ慎重な議論を展開していただきたいと願う次第である。
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時々MRICのメールマガジンを紹介していますが、今回も、いつも思っていることが載っていましたので紹介します。「今回の記事は転送歓迎します。その際にはMRICの記事である旨ご紹介いただけましたら幸いです」とのことですので、全文をそのまま載せます。
薬害再発防止のための医薬品行政等の見直しについて
(第一次提言)を読んで
弁護士 木ノ元 直樹
1 はじめに
去る4月30日、薬害肝炎事件の検証及び再発防止のための医薬品行政のあり方検討委員会が「薬害再発防止のための医薬品行政等の見直しについて(第一次提言)」を発表した。提言書によると、「本委員会は、薬害肝炎事件の発生及び被害拡大の経過及び原因等の実態について、多方面からの検証を行い、再発防止のための医薬品行政の見直し等について提言することを目的として設置された委員会である。」ということである。そして、薬害再発防止の重大性に鑑み、最終鄭玄を待つことなく再発防止策の議論を整理して提言したということである。
委員会設置の趣旨、目的には格別異論はない。薬害再発防止策を検討することの重要性は誰もが認識するところである。ただし、この提言を読んで、今後この委員会の提言がどのような方向に進むのかやや不安を感じたので述べたい。
2 適応外処方について
堤言では、「薬害再発防止のための医薬品行政等の見直し」という項目を設け、その中で、医薬品の「承認審査」のあり方について言及がなされている。そして、3 として「添付文書」という項目が設けられ、「添付文書の在り方」「効能効果(適応症)の設定」「適応外使用」という細項目について述べられている。私が不安を感じたのは、この部分に書かれた提言書の内容である。
薬剤の適応外使用(適応外処方)について「個々の診療において適応外処方が少なくない状況にあり、その理由や臨床的な必要性、安全性と有効性のエビデンスのレベルも、不可避的なもの又はエビデンスが十分あるものから、そうとは言えないものまで様々である。」として、現に診療上の必要性があり不可避的ないしは十分なエビデンスに基づいている適応外使用があることを認めながら、「そうとは言えない」レベルの適応外使用と一緒に「適応外」という範疇でまとめてしまっている。「診療上の必要性のある不可避的ないしは十分なエビデンスのある適応外処方」は、そもそも正当な診療行為そのものではないか。正当な診療行為を阻むものがあるとすれば、その障碍に問題があるのであって、薬剤処方を問題視するのは本末転倒である。正当な医療行為が添付文書上適応外とされているとの一事をもって悪者にされているのであれば、むしろ添付文書を早急に改訂することが優先されるべきである。
薬物治療に関する医療裁判では、「添付文書違反」が医療過誤であると患者側弁護士から主張されるケースが非常に多い。その都度、医療側としては、適応外処方についてのエビデンスをできる限り多く裁判所に提出し、裁判所を説得しなければならない労力に追われる。
患者側弁護士からなされた主張の実例を簡単に紹介しよう。
1 承認薬剤の多くは、「スティーブンス・ジョンソン症候群」を副作用として記載している。これについて患者側弁護士は、「投薬中に湿疹が出たら全てが“SJ症候群“の予兆である」と短絡し、その段階で投薬を中止しなかったことは明白な過失と主張する。
2 承認薬剤の一部には「突然死」の危険性について記載されたものもある。これについて患者側弁護士は、「投薬中の患者死亡は薬のせい」と短絡し、その他に科学的証拠は不要であると主張する。
3 承認薬剤の用量記載について、患者側弁護士は、「用量を僅かでも超えたら過量投与である」と短絡し、過量投与を前提とした処置・対応がなされていないことは明らかな過失であると主張する。
等々。添付文書が薬剤処方についての法律であるかのように扱われ、添付文書との不整合は違法=過失と主張されるのである。
幸い、現在多くの裁判所は、「適応外処方=医療過誤」という考え方はとっておらず、医療上の必要性が認められる場合には適法と判断されている。しかしながら、裁判は所詮水ものであり、病院側が提出したエビデンスに裁判所が納得しなければ、裁判所の判断で適応外処方が医療過誤であると断罪されてしまう可能性は消えない。言ってみればこれは「医療冤罪」である。
医療冤罪の影響は計り知れない。まず、医療現場に委縮効果を及ぼす。今まで適切な「適応外」薬物治療を受け、その治療の恩恵に預かっていた患者が医療から放逐されてしまう。また、仮にその後も、適切な適応外薬物治療を信じ、これを貫く気概のある医師・医療機関があったとしても、それら医師・医療機関はたちまち医事紛争の対象にされてしまう可能性があろう。現在、「添付文書違反」を理由に医療過誤を主張されるケースが非常に多いのは、最高裁が平成8年にネオぺルカミンS使用症例について、「添付文書違反は過失を推定させる」「添付文書違反の医療慣行は医療水準を構成しない」と述べたことに起因している。この事件を仔細に検討すると、添付文書違反か否かを問題とすることなく医療側の対応の是非を判断できたケースであり、それが偶々添付文書と齟齬していたというものであって、「添付文書違反=過失」と一般化することは間違っていたのだが、そのようなステレオタイプの意見は消えないのである。
つまり、問題とすべきは「適応外」か否かではなく、「適応外」とされていることによって正当な医療が阻害されていないか否かということであり、そのような悪しき阻害事象があれば、早急に是正し「適応外」という誤ったレッテルを外すことなのである。「適応外」という誤ったレッテルによって、最大の迷惑を被るのは、目の前でまさに当該薬物治療を必要としている患者さんであり、また、将来的に当該薬物治療を必要とするであろう一般国民全体である。この点の問題意識が、堤言からはダイレクトに伝わってこない。「適応外」という言葉が独り歩きして、一定の価値関係概念(悪という概念)を背負ったまま全てが語られているように思われてならない。薬害は問題だが、このような病理的部分をもって正常な生理的営みに対して規制を加えようとすることは愚行である。
3 今後の方向性について
今回の提言はあくまでも中間報告ということである。したがって、その内容もやや抽象的で分かり辛い部分も多いが、適応外処方への対応について是非議論すべきと考えられる点を指摘しておきたい。それは、医師法17条と20条との関係である。
提言書38頁には「医療機関での措置のチェック体制の構築」、40頁以下には「医薬品行政を担う組織の今後の在り方」という項目があり、それぞれ提言が述べられている。これらは、誤解を恐れずに言えば、「院内のチェック」と「院外の第三者によるチェック」の二階建てのチェック体制を構築しようとしているように読める。ここに「適応外処方」に対するチェックも入り込むことが前提のようである。ただし、そのチェックが事前のものか事後のものかは必ずしも明確ではない。
だが、仮に、そのチェック機関の中に医師以外の人間が加わったり、判断に対して何らかの影響を及ぼし得る立場としてふるまうことを認めるような組織になると、それは、医師法17条の「無資格者による医業の禁止」に抵触する可能性が出てくる。この医師法17条の問題は、最近色々と議論がされているところであり、簡単な問題ではないが、医師法17条によって真に必要な医療が阻害されているのではないかという問題提起がなされているように思う。つまり、患者さんに対する適切な医療実現のために医師法17条の鄭陽範囲を限定したらどうかという議論である。これに対し、この適応外処方に対するチェックは、医師法17条違反のチェックによって患者に真に必要な薬剤提供がなされなくなってもよいのか、という問題意識である。第三者機関が特定の適応外処方の是非をチェックする権限を持ち、その中に医師以外の非専門家が参加することになれば、医療の必要性についての消極的判断が非医師によってなされたこととなり、これは医師という専門家のみに医業を独占させて医療の安全性、国民の健康増進を図ろうとした医師法の立法趣旨に反するのではないか。これによって、正当なる薬物治療が規制されるとしたらその弊害は明白である。
また、適応外処方に対するチェック機関が医師のみで構成されていたとしても、現に医療を必要としている患者さんに対する薬剤処方の当否を、担当医の診察行為と全く別個に審議判断することになれば、それは、患者を直接診察していない医師が処方の適否を決定することに等しく、医師法20条の無診療投薬禁止に抵触する可能性が出てくる。医師の適時診察およびその時点での医師の診断は非常に重いものである。これが「適応外処方」だからという形式論理で、簡単に奪われ、現にその時点での診察も行っていないチェエク組織の判断に委ねられるというのは、医師法20条が「無診療投薬禁止」を定め、医師という専門家の直接診察によって副作用等の悪反応を極力抑え患者により多くの治療効果を期待しようとした立法趣旨にそぐわない。
薬剤処方という、医師という専門家による裁量的判断が認められる領域に対し、野放図なチェック、特に事前チェック、事前監視を認めることは、医師法の根本すなわち医療制度の根本を否定することになりかねない。「そのようなことは困る。担当の先生の判断で処方をして欲しい。」という切実な思いを抱く、現に疾病に苦しめられている患者さんの願いはどこに行ってしまうのか。このようなチェックの制度の導入には相当慎重な姿勢が求められる。「角を矯めて牛を殺す」ようなことになっては我が国の医療の破壊になる。
仮に何らかの形でチェックの制度を作るとしても、相当程度限定的なものにし、その場合でも適応外処方を禁ずることによる患者への不利益に対し、事前チェックに加わった側が最大限の責任をとる制度としなければならないと考える。チェックに対するチェックの仕組みは十分構築しておかなければならない。
つづく
強調はbambooによる
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医師の書くブログであっても、何時でも医療側の味方をするつもりはありません。本当に医師に許されない過失があったのであれば、批判することにためらいはありません。問題は、報道からだけでは許されない過失なのかどうか分からないことです。
延岡病院で死亡の遺族、宮崎県に3630万円求め提訴「医療措置怠った」
2009年5月16日 提供:毎日新聞社
提訴:延岡病院で死亡の遺族、県に3630万円求め「医療措置怠った」 /宮崎
県立延岡病院に入院していた日之影町の男性(当時53歳)が、小腸を断裂して死亡したのは、病院が必要な医療措置を怠ったのが原因として、男性の妻と息子3人が県を相手取り慰謝料など3630万円を求め、宮崎地裁に提訴していたことが15日、分かった。提訴は4月16日付け。
訴状によると、男性は木材販売会社に勤務していた02年10月8日、日之影町内の山林で作業中に機械のワイヤにはじき飛ばされて、腹部などを強打する重症を負った。町内の病院に搬送されたが「腹部を強く打っているので、きちんとみてほしい」と延岡病院に転送。しかし、病院は小腸の断裂に気付かず、両腕骨折の治療をした。
男性は腹部の痛みを訴え続けたが、当時の外科部長は「おなかの手術は必要ない」と判断。しかし、2日後の同10日、血液検査で異常が見つかり、緊急手術をしたところ、小腸の4カ所が断裂していることが分かった。男性は29日、肝不全などで死亡した。
原告は「なすべき医療措置を怠り、腹部損傷の発見が遅れたため、死亡させるに至った。当時53歳の一家の柱で、筆舌に尽くしがたい精神的苦痛を受けた」としている。
県病院局は「訴状内容を吟味して、病院にこれまでの経緯や医学的見解をきいて調査する」としている。07年に遺族が同局に説明を求める質問状を提出しており、「遺族との過去のやり取りもふまえて、事実を抑えた上できちんと対応したい」とコメントした。【川上珠実】
記事のすべてを疑っていたのではきりがありませんから、以下のことは事実と仮定します。
1)「腹部を強く打っているので、きちんとみてほしい」と延岡病院に転送
2)男性は腹部の痛みを訴え続けたが、当時の外科部長は「おなかの手術は必要ない」と判断
3)小腸の4カ所が断裂
1)にもかかわらず、まともに腹部の診察をしなかったのであれば論外ですが、さすがにそんなことはないでしょう。触診をして、腹部X線単純写真くらいは撮ったのでしょう。おそらくは腹壁は固くはなく、筋性防御が認められない状態で、X線写真でも遊離ガス像が認められなかったのだと思います。場合によっては、CTを撮っても診断が付かなかったのかも知れません。
「遊離ガスを認めない消化管穿孔症例の検討」 という特集が消化器外科学会で組まれるくらいですから、そう珍しいことではないのでしょう。
リンク先の右側の「プレビュー」というところをクリックすると、抄録が読めます。199番には、
シートベルトによる腸管破裂7例の全例に遊離ガスが見られなかったと記されています。上記の学会は、記事の事例の起きた年の2月に開かれています。
このような特集が組まれたのは、見逃される腸管損傷が多かったからでしょう。
この記事の事例が避けられた誤診なのかどうかは分かりません。診断が困難な消化管損傷があることは事実でしょうし、自分の診断を常に疑い続けることで、最終的に誤診を免れることがあるのも事実です。担当した医師が聞く耳を持たずに最初の診断に固執したのであれば、私の印象もクロですが、何度も検討したけれども腹部外傷の所見がなかったのであれば、私としてはシロと言いたいと思います。
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豚インフルエンザに対して、空港での水際作戦が取られています。でも、常識的に考えて、進入を阻止できるとは思えません。発症前であればフリーパスですし、発症した患者が居ても、座席がその周りの人だけが隔離されます。患者の周りの席の人だけが感染するという根拠はありません。乗客全員の搭乗前の行動は分かるはずもないし、飛行中も、全員が席に着いたままと言うこともないでしょう。また、検疫の範囲は極めて限られていますが、他国を経由してくる人もいるでしょうし、漏れなくというのは到底無理です。ある程度海外で広がれば、もう根絶は不可能でしょう。本気で国内に持ち込ませないつもりなら、鎖国をするほかありません。
毒性があまり強くなさそうだとの観測から、もう、海外ではあきらめているようにすら思えます。大騒ぎしているのは日本だけなのではないでしょうか。
新型インフルエンザの患者の対応にはそれなりのコストがかかりますが、その費用はどこからも出ない状況で、赤字続きの病院に自腹で対処せよと言うのも酷すぎます。でも、対応しないわけには行かないんですよねえ。
●戦前から変わらぬ国民性、メディアの狂騒
2009年05月10日10時00分 / 提供:ゲンダイネット
ゴールデンウイーク中、テレビをつけると朝から晩まで新型インフルエンザ報道のオンパレードだった。それも「バカ」がつく騒ぎぶり。目に余る過熱報道に、朝日新聞の投書欄にはこんな声が紹介されていた。
「(横浜市の)高校生が入院している病院の前で、マスクをつけたリポーターが絶叫口調で伝えていたが、これではまるで犯罪者扱いだ」「映像メディアは、場合によってはインフルエンザより恐ろしい」(6日朝刊)
実際、世界を見てもこんなに大騒ぎしているのは日本くらいだ。帰国ラッシュの6日の成田国際空港。感染者が出た米国や、お隣の韓国からの帰国客は「現地でマスクをしているのは日本人だけ。恥ずかしかった」と口をそろえていた。
「ニューヨークやシカゴはもちろん、感染源のメキシコでさえ、マスクをしている人はほとんどいません。おカミから、手の洗い方やマスクまで強要されるいわれはないと考えているし、欧米人はそもそもマスクをするくらいなら外出しない。テレビが政府の伝達係となって不安をあおっている日本のパニックぶりは、奇異な目で見られています」(在米ジャーナリスト)
そんな大マスコミをそそのかしているのが麻生政権。「冷静な対応を」と会見で呼びかけた舛添大臣の興奮ぶりもひどかった。「国民が一丸となれば、見えない敵であるウイルスとの戦いに勝てる。オールジャパンで力を合わせて戦いたい」と目を血走らせ、まるで戦争にでも突入するかのような口ぶりだ。これでは感染の疑いがあった高校生が犯罪者扱いされるのも仕方ない。政治評論家の森田実氏が言う。
「政府が“有事”をあおり、テレビや新聞など大マスコミがそれに乗っかって、ひとつのことだけを興奮気味に画一的に報じる。北朝鮮のテポドンのときもそうでしたが、これは非常に危険な事態です。大本営から与えられた情報だけを垂れ流した戦前戦中と変わらない。大マスコミはその反省を忘れ、自主的な判断や、バランスよく報じる任務を放棄しています」
国民を守る強い政府をアピールして支持率を上げたい麻生政権に、踊らされ利用されている大マスコミは目を覚ますべきだ。冷静すぎるほどでないと、いざ国内感染が出たとき、この国は本当にパニック全体主義になってしまう。
(日刊ゲンダイ2009年5月7日掲載)
メディアや行政組織が大騒ぎして、患者や周囲の人が大変な思いをするのであれば、たとえ罹患しても隠そうとするでしょう。騒げば騒ぐほど、感染範囲は広がると思われます。自重して欲しいと思います。マスコミ大手からは無理でしょうが、メディアの一角からこのような記事が出て、ほっとしています。
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予想していたことではありましたが、やはり中国は強かった。
結局メダルのほとんどを独占し、銅メダルをほんの少し他国に分け与えただけだった。
男子では、岸川・水谷組のダブルスが唯一の中国外のメダル。
でも、日本の若手の予想外の活躍もあり、ロンドンに望みを繋ぐ大会だった。
中でも石川佳純・松平健太の活躍は賞賛に値する。
今回のプレーを持続できるように研鑽すれば、中国勢以外には勝てるのではないだろうか。
彼らがエースとなれば、他の選手への重圧が解かれ、団体のメダルの可能性も見えてくる。
うーん、楽しみだ。
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つづきです
東京大学医科学研究所
先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門
上 昌広
医療を安全にするためにはお金がかかりますが、わが国の医療安全対策への投資が極度に不足していることがわかります。では、どうやって資金を確保すべきでしょうか?どの程度の金額を、誰が負担するか、まさにこれが問題です。ところが、この問題は、これまで議論されてきませんでした。
ところで、わが国の医療は、「プラスアルファの医療費を払いたい人も払ってはいけない」という不思議なルールを採用しているのはご存じでしょうか。もちろん社会保障として、政府が保障する医療保険は必要ですが、それに上乗せして払う一部の人がいれば、安全性向上という恩恵を全員が受けることができるでしょう。飛行機のビジネス・クラスをモデルに説明した社会システムデザイナー 横山禎徳氏の文章がわかりやすいのでご紹介します。(横山禎徳 現場からの医療改革推進協議会:「社会システム・デザイン・アプローチによる医療システム・デザイン」2)
(以下、引用)
「システムにお金が入ってくるとどのような良循環が生まれるかということを考えるために、航空業界を例に取ってみましょう。「ビジネス・クラス」の発明が良循環を生んだのです。1970年代初頭の航空業界というのは最悪の状況でした。747などのジャンボ機が導入されましたが、集客に自信がなく、ディスカウントをすることに走り、各社ほとんど赤字の状況で、機材更新のための投資が出来そうにありませんでした。従って、飛んでいる飛行機の寿命が30年を超えるという状況になりそうでした。数年前、某航空会社の30年物の747が空中分解したように、やはり、30年を超えると安全性に問題があります。70年代の航空業界は大変
なことになるという予測でした。ところが、70年代の半ばから後半にかけて航空業界は「ビジネス・クラス」という画期的なサービスを発明しました。
これは、フル・フェアを払ってくれる企業が相手です。個人のように安く飛びたいから「ちょっとまけてよ」とはあまり言いません。料金をサービスの質に応じて定価どおり払ってくれます。航空業はお客が定価どおりに払ってくれれば儲かります。個人客の多いエコノミー・クラスはほとんどディスカウントしているから儲からないのです。企業相手であればフル・フェアであるということです。そこがミソであって、だから「ビジネス・クラス」と言ったわけです。
これは、予想以上に当たって、急速に航空業界は潤いました。そのおかげで最新鋭機の開発が進みました。すなわち、第四世代の機材と言っていますが、767、777、747-400、737-700、737-800と続々ボーイング社から出てきました。エアバスも最初のA300というのはそうではないのですが、エアバス320、319、330、340を含めて全部が第四世代の機材です。
皆さんご承知ではないと思いますが、驚くべきことに2000年から今日(2007年11月)まで先進国のエアラインにおいて第四世代の飛行機での死亡事故はテロ以外、今の所ゼロです。その位安全性が保たれています。確かに機材破損事故は結構あります。この間も、先進国かどうかの定義の問題はありますが、台湾の中華航空の737-800が燃えましたが、あれも死亡者ゼロです。だから、やはりお金がシステムに入ってくると安全性が高まるのだということです。
貧乏人は古い飛行機に乗りなさい、「ビジネス・クラス」の客以上は最新鋭の飛行機に乗せますということはありません。当たり前のことですが、そういう差別はできないし、ないのです。747-400というのは非常に安全性の高い機材なのですが、ファースト・クラスやビジネス・クラスの客だけではなくエコノミー・クラスの客も、安売りチケットの客も含めてどんなタイプの客でも皆乗っています。全く同じような意味で、医療システムの中にお金が入って来て、みんなが潤うという良循環を作り出すことが大事なのです。
医療システムにお金が入るということは結局、年寄りも若者も、貧乏人もお金
持ちも全部含めて皆が得をするのだと発想すべきです。」(引用終わる)
では、なぜ厚労省は、プラスアルファの医療費を払いたい人までも、払うことを禁止するのでしょうか。それは、病院が自らの努力で収入を得る道を閉ざして、赤字ぎりぎりの状態にしておいたほうが、厚労省にとって有利だからです。病院は生き残るために必死で補助金収入を得ようとしますから、厚労官僚が作る補助金事業に無批判に従ってくれます。補助金は規制と表裏一体ですから、官僚はたやすく権限を拡大することができます。まるで、官僚が権限拡大するために、国民・患者を危険にさらしているかのような構造です。官僚が、この構造を意識しているか否かは別として、彼らの置かれた立場を考えれば合理的な対応です。国民への情報公開が不十分な官僚統制では、しばしば起こる事態のようです。おそらく旧ソ連や東欧の末期は同じような状況だったのでしょう。
厚労省は、さらに不可解なことに、医療機関が自らの努力で、患者が払う金額を軽減することも禁止しています。4月15日、札幌のNPO法人と歯科医院が連携し、患者の診療費の窓口負担分を実質無料にしていることは、患者本人にも医療費を負担するよう求めている健康保険法に違反しているとして、厚労省が監査に入ったと報じられました(共同通信)。今後、保険医療機関の指定取り消しなどに踏み切る可能性もある(読売新聞)とのことですが、そうなれば保険を使うことができなくなり、患者にとっても医院にとっても致命的な打撃を受けます。
なぜ厚労省は、患者負担分の割引を禁止するのでしょうか。周囲の医療機関の経営を圧迫するからでしょうか。
ちなみに、厚労省は民間病院には税金投入しませんが、厚労省管轄の国立病院・ナショナルセンターには、税金によって赤字補てんすることが当然のように行われています。ちなみに、このような施設には役人が出向したり、天下ります。
厚労官僚の権限拡大のために医療費本体を削減しているという構造が見えてきましたが、厚労省へ予算を配分している財務官僚は何をしているのでしょうか。財務官僚は、現場の意見を聞くのではなく、厚労官僚の説明だけを長年聞いてきたため、「医療費亡国論」の考え方に騙されてしまっているのでしょう。医療費はコストでしかないから削減すべきだという考えに染められてしまい、医療に付加価値を見出し付加的に支払いたい人もいることや、それによって患者全員が恩恵を受けるという発想は、思いもよらないことなのでしょうか。
【 患者の安全性向上のため病院の人件費増加が必要 】
危険にさらされている患者の安全性を向上させるためには、病院コメディカルの雇用を大幅に増やす必要があることは明白です。
4月2日、政府・与党が「地域医療再生計画」を策定し、1兆円規模の基金を創設すると報じられました(共同通信)。もし、この1兆円を基金としてではなく、医療者が患者を診療することへの対価として、つまり診療報酬として支払えば、年収400万円としてのべ25万人・年のコメディカルの雇用を増やすことができます。しかし厚労省は、なぜこの予算を診療報酬ではなく基金にしようとするのでしょうか。基金を作っても、これまで通り「給与は雇用関係にある医療機関が払うべきものであり、国が払うべきではない」という理屈を貫くでしょうから、病院のコメディカル雇用は全く増えないでしょう。そのかわり、あまり役に立たなそうなプロジェクトが立ち上がり、天下りポストが増えるでしょう。これは、過去に何回も繰り返し、そのたびに失敗してきたことです。
患者の安全を守るためには、与党が厚労官僚に絵を描いてもらうばかりではな
く、民主主義に基づく政治主導のリーダーシップが必要な時が来ているのかもし
れません。
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MRICの記事はいつも参考にさせて頂いていますが、たいてい転載が許可されているので、特に重要と思われる記事は、全文を引用して紹介させて頂くことにしています。今回も日本の医療を理解する上で重要と思われますので、ご紹介します。強調や文字色は私の選択です。
▽ 医療費削減政策を考える ▽
第2回 危険にさらされる患者たち
東京大学医科学研究所
先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門
上 昌広
2009年5月1日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行
【 Libby Zion事件:ニューヨークにおける患者安全対策の歴史的転換点 】
1984年、ニューヨークの病院で、Libby Zionという18歳の女子大生が医療事故で亡くなりました。彼女はフェネルジンという抗うつ剤を飲んでいましたが、発熱、ふるえ、脱水などのために両親に連れられ、救急外来を受診しました。担当した医師達はウイルス症候群と考えましたが、熱と強い興奮状態で暴れていたため、複数の治療薬とともにメペリジンも処方しました。メペリジンは鎮痛薬で、鎮静作用もあります。当初は治療が効いたようでしたが、早朝6:30に心肺停止となり死亡しました。
はっきりした事実がわからず議論となったのは、Libbyがフェネルジンを飲んでいることや不法な薬物(特にコカイン)を使用したことを、担当となった研修医に告げなかったのではないかという点と、研修医がこれらの薬の相互作用を知っていたか否かという点です。実は、フェネルジンは、コカインとも、メペリジンとも相互作用が起きるため、併用してはいけないとされています。
父親のSidney Zion氏は元検察官で、ニューヨーク市の有名な新聞コラムニストでした。彼は、病院に対して民事訴訟を起こし、大陪審に刑事事件として起訴するか検討するよう働きかけました。1986年、大陪審は様々な議論の末、不起訴を決定したものの、薬のレファレンスシステム(現在は、薬剤師が夜間・休日も病棟ごとに交代制で常駐し、薬の量や併用などに関する医師からの質問に答える体制となっています)、コメディカルの人数、研修医の勤務時間などについて、病院体制に問題があると報告しました。Libbyが入院した際の担当医は、そ
のとき既に18時間以上、働きっぱなしの状態だったのです。1995年、民事訴訟では、コカインによる死亡という主張も、誤投薬による死亡という主張も受け入れられず、Libbyが医師にコカインや処方薬(フェネルジン)を飲んでいることを告げなかったことと、医師達がメペリジンを処方したことについて、 Shared Blameとなりました。解剖結果は急性肺炎で、検死局(MedicalExaminer)は、死因は両側の気管支肺炎であると報告しています。
Libbyの死亡から5年後の1989年、ニューヨーク州は、患者の安全のために(医師の労働環境改善のためではありません)研修医の勤務時間を制限することを決めました。2億ドルの予算を投入し、患者安全のため、研修医の代わりに採血、点滴ルート確保、患者搬送などを行うコメディカルを増員し、医師の勤務時間を減らすことを病院に求めました。2001年には、この考え方が全米に受け入れられました(the Patient and Physician Safety and Protection Act)。
しかし、このルールがあまり守られていないことが、長い間、議論されてきました。実は医師の勤務時間削減には、コメディカル増員のため経費が増える、夜中も同じ研修医が同じ患者を診なくなる、といった反対意見も多かったのですが、それでも「患者を危険にさらしている(Public Advocate for the City of NewYork)」「市民の命でルーレットゲームをしている(New York Daily News)」といった声のほうが強く、睡眠不足の医師に診療される患者の恐怖物語が相次いで報道されました。1999年、当直明けの医師が運転中に交通事故で亡くなる事件が起き、患者の安全のために医師の勤務時間短縮を求める声はさらに高まり、New York PostやNewsdayなどの紙面を飾りました。
これは米国の話ですが、日本の状況はもっと深刻です。米国では若い研修医が問題になりましたが、日本では、すべての年齢層の医師が同じ問題を抱えています。40歳代では20歳代よりも注意力は落ちており、睡眠不足の状態での注意力は更に低下します。さらに驚くべきことに、25年前にLibbyの担当医が18時間以上起きていた状態で診療していたことが問題視されましたが、現在の日本では当直のたびに約36時間、睡眠をとらずに連続勤務することが常態化しています。
日本の病院は「雑用が多い」と揶揄されています。厚労省までもが「病院に勤務する若年・中堅層の医師を中心に極めて厳しい勤務環境に置かれているが、その要因の一つとして、医師でなくても対応可能な業務までも医師が行っている現状がある」と通知を出しています。厚労省に当事者意識のかけらも感じないのは毎度のことですが、この問題については、まだまだ国民的な議論が足りないと感じます。患者にとって、医師でなくてもできる業務を医師にさせるのがよいのか、コメディカルに任せるのがよいのか。医師を増員するのがよいか、コメディカルを増員するのがよいか、両方増員する必要があるのか。現状では、他に任せられる人がほとんどいないので、医師が残業しながらこなしているのです。
日本の病院で、医師でなくてもできる業務を医師が行っているのは、医師をサポートするコメディカルの人数が極端に少ないからです。100床あたり病院従事者数は、日本では101人ですが、アメリカでは504人。これでは、同じ医療を提供する場とは言えません。政府による医療費削減政策によって、病院は必要な数の職員を雇用することができず、慢性的に人手不足の状態にあり、患者は危険な環境に置かれています。
【 看護師数・薬剤師数が多いほうが患者の安全性は高い 】
看護師や薬剤師の人数が多いほうが、患者の安全性が高いことは世界の常識です。例えば、入院患者1日当たり看護師が1人増えるごとに患者の病院死亡率は、集中治療室で9%下がり、内科病棟で6%下がり、外科病棟で16%下がります。100床あたりの看護師数は、イギリス200人、アメリカ141人、イタリア136人、ドイツ75人(OECD Health Data 2007)。ところが日本は100床あたり34人、平均すると日本の看護師数は欧米のわずか約4分の1です。
病院薬剤師についても、人数が多いほうが患者の安全性は高いことが知られています。病院薬剤師数と患者死亡率の相関関係には、統計学的有意差が示されているのです。ところが、100床当たり病院薬剤師数は、米国で9.77人に対し、日本は2.46人と、こちらも約4分の1です。
従って、データの上では、日本の患者は、欧米の患者の4倍の危険にさらされている、あるいは、看護師・薬剤師の4倍の働きと注意力によって支えられていると言ってもよいかもしれません。
【 日本では「チーム医療」を行うだけのスタッフがいない 】
何度か病院にかかった経験のある友人に、こう聞かれたことがあります。「米国では何人ものスタッフがチームで患者を診るのに、なぜ日本ではそうしないのですか?」答えは簡単です。「チーム医療」をしている(したい)のですが、米国ほどの人数がいないので、患者さんには「チーム」に見えないのです。
前回ご紹介したとおり、愛知県がんセンター(473床)とテキサスのMDAnderson がんセンター(米国、456床)の100床あたり職員数は、それぞれ186人、3,125人と、実に17倍の違いがあります。1人のがん患者に対して、米国では17人の「チーム」が行う診療も、日本では1人の「チーム」で行わざるを得ません。日本の医療者は、1人で17人分の知識、技術、体力、注意力などを要求される環境に置かれているのです。たとえ17人分を要求されても、1人の人間には限界があります。このような環境で、危険にさらされているのは、患者なのです。
米国で診療していた日本人医師は、「米国では看護師と薬剤師が投薬チェックをするため、薬の誤投与が患者にまで至った経験は幸運なことになかった。しかし日本では、互いに投薬チェックするような看護師や薬剤師は存在しないため、薬の誤投与は日常茶飯事だ」と言います。ほとんどの場合は、便秘の薬など生命に関わらない薬ですが、看護師・薬剤師などのコメディカルが手薄な環境に入院しているということが、患者にとってどれほど危険なことか、おわかりいただけるでしょうか。
【 医療事故の原因究明と安全対策のために 】
医療事故を減らすには、実際に起こった医療事故の原因調査と再発予防が重要です。このため、厚労省は医療事故調査委員会(医療事故調)の設立を目指しています。このことは様々なメディアで報道されているため、ご存じの方が多いでしょう。私も、この問題に関心をもっていますが、この件ほど、厚労省が駄目だと感じたことはありません。厚労省が考えている案は、世界標準とはかけ離れ、役人の利権拡大が見え隠れします。
「医療事故の真相を究明し、再発防止をはかる」という厚労省が掲げる目的には、私は心から賛同します。ところが、厚労省は解決すべき問題の優先順位を間違えています。患者の安全性向上を本当に考えるなら、真っ先にやるべきことは病院コメディカルの雇用人数を増やすことです。これは冒頭にご紹介した米国が長い議論の末、落ち着いた結論と同じです。
また、厚労省が提案している医療事故調の制度設計は不適切です。現在、厚労省は、医療事故の厚労省への強制届け出、同委員会での真相究明(委員の人選は厚労省)、行政処分・刑事処分への転用を目指しています。しかしながら、こんなことをしてもわが国の医療は安全にはなりません。既に1人17人分の注意力を要求されている医療者に、「あなたの注意が足りなかった」「注意義務違反で処分する」といった責任追及システムを作ったところで、今まで以上に「注意する」ことは不可能です。むしろ、責任追及をおそれる医療者が隠蔽に走るという弊害ばかり大きくなる可能性が大です。そうなれば、医療事故の原因究明は遠ざかります。ちなみに、鉄道であれ、航空機であれ、事故調査と責任追及を連動させる国は、わが国以外に例を見ません。
また、患者・遺族が真相を知る権利と行政の介入は分けて議論すべきです。医療事故調査の結果を患者・遺族に正直に伝えることを義務化し、刑事告発、民事訴訟、あるいは行政処分申請は彼らの判断に任されるという制度設計もありえます。むしろ、この制度の方が世界標準であり、厚労省ではなく、市民の権限を強化することが出来ます。
【 どうやって医療の安全コストを調達するか 】
ところで、厚労省が決めた、患者の安全のための医療費の値段はいくらだと思われるでしょうか?「厚生労働省は、一体医療安全にいくらお金をつけているか。1患者1入院当たり500円ですよ。平均在院日数14日とすると1日37円」。これでは、患者の安全のために必要な病院スタッフの人件費には到底足りません。「(院内の事故調査を)やりますけど、もうちょっと考えていただいたほうが良いのではないか」と、埼玉医科大学総合医療センターの堤晴彦氏が、厚労省の第15回「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」(平成20年10月31日)で述べています。
つづく
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