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誰かがほんのちょっとドジをしたからと言って、ライン上の製品全体が不良品となってしまうようでは、製造業は成り立たないだろう。通常は、何重にも安全策が講じられていて、ちょっとしたミスが重大な結果にならないようになっているのだと思う。でも、医療は違う。元々すべての面について安全策を講じられるような分野ではないことに加え、構造的にコストをかけられないような経営状態になっていて、金のかかる対応が出来ないという面もある。結局、誰かがミスをすると、死もあり得る重大な結果が起こってしまう。
命に関わるような仕事をする人は、通常は出来るだけ体調に気を遣って貰えるだろう。たとえば国際線のパイロットが、ろくに睡眠も取らずにとんぼ返りで操縦することはないだろう。でも、医療は違う。二日間ぶっ続けで寝ないで働くことはよくあることだ。
ミスの起こりやすい状況で働かされ、ミスが起きたときに重大な結果にならないような対策はして貰えず、実際に重大な結果になれば、民事・刑事で裁判にかけられる。こんな不合理なことはないといつも思っていた。 そうしたら、こんな記事を見つけた。m3の会員でないと見られないかも知れないので、一部を引用してみよう。
書いているのは弁護士の井上清成氏。こういう法律家ばかりだと嬉しい。6.医療危険消滅途上での刑事処罰
医療者のちょっとした単純なミスで直ちに患者が死亡してしまうシステムは、正にシステム自体の危険性である。そのようなシステムの中にやむを得ず置かれ、偶々、システム危険を表面に露呈させる当事者になってしまった、その一当事者たる医療者を、「重大な過失」があるとして処罰し、個人責任を追及して犯罪者とするのは、不当であると思う。だからこそ、医療者を過失犯処罰の対象とすべきではない。
しかしながら、往々にして人々は、患者死亡という重大な結果や、薬剤確認もしくは患者確認という基本中の基本事項の怠りなどの悲劇的事態に憤慨し、医療者個人への処罰に向かい勝ちである。その処罰感情の前では、患者危険消滅途上もしくは医療危険消滅途上といった医療システムの性質は、全く顧慮されない。
例えば、ある薬剤を色分けすれば、取り違いを防止できるであろう。手術患者にバーコード付きリストバンドを付ければ、取り違いを防止できるかも知れない。再発防止にとって重要なのは、事故事例をもとにして再発防止策を案出し実施することである。再発防止策が実施されさえすれば引き起こさずに済んだであろう事故の一当事者たる医療者を、本当に処罰する必要があるのであろうか。また、当該医療者を処罰したいと願う事故被害者の処罰感情、ひいては国民の処罰感情は、その当該医療者個人に対してどこまで正当化できるのか疑わしい。刑罰が応報だとしても、当該医療者には処罰に値するほど非難可能性が、本当に強くあるのだろうか。
すべては、再発防止策の案出・実施が途上であったことも含め、医療のシステム自体の危険消滅途上性に帰責すべきことであると思う。かろうじて過失犯処罰に値するものがあるとすれば、患者危険消滅途上性や医療危険消滅途上性とは何らかかわりのない重大な過失犯、例えば故意犯的な酷い医療ミスくらいのものであろうか。そうしてみると、危険消滅途上の医療システムの中で努力していた一医療者をさらし者にして、「重大な過失」の名目の下で単純ミスに対して過失犯処罰をしようとする方向は、当を欠くものであろうと考える次第である。