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自分なら 出来るとばかり 評論家
多忙のため、患者の観察がおろそかになることは確かにある。そのために亡くなったりすれば、責任を問いたくもなるだろう。でも、その患者にかかりきりになり、他の患者が亡くなれば、やはり責任を問うのではないか。濃厚な医療を望むのであれば、それが可能な体制を取らなければ無理だ。同時に多くの患者に対して濃厚な医療をするのが無理なことくらい、理解できるだろうと思うのだが、理解できない人が「有識者」の中にも多いことに驚かされる。
今回の記事は多忙な中で起こった事例を提示して議論した内容である。多忙が原因でミスがあったというわけではなく、多忙のために検査結果を全部は確認しなかったという事例である。確認しなかったことと死亡の因果関係は、実際にはないと思われる。報道からは詳細が分からないので、あくまで推測だが。
医療訴訟テーマに討論 医師、裁判官ら300人参加 さいたま
2007年6月30日(土)WEB埼玉
年々増える医療訴訟について、医療関係者と法曹界との相互理解を深めようと、医療訴訟に関するパネルディスカッションが二十八日、さいたま市浦和区の埼玉会館で行われ、県内の医師や弁護士、裁判官ら約三百人が参加した。さいたま医療訴訟連絡協議会が企画し、二年前から毎年一回行われ、今回が三回目。 今回は「医療における過失」をテーマに、実際にあった事件を取り上げ、患者の死亡に対して医師の過失を問えるかを、パネリストが原告、被告側に分かれ、それぞれの主張を展開した。
議論されたのは胸痛でC病院に救急で搬送され入院したB子が、翌朝、意識不明となり肺塞栓症で死亡したケース。多忙だったA医師は心エコーの報告書は確認したが、ビデオの確認はしなかった。
原告側はA医師は肺塞栓症を疑って速やかに心エコー検査を実施し、報告書だけでなくビデオを確認し鑑別の検査をするべきだったのに、しなかったと主張。被告側は心エコー報告書から急性肺塞栓症の発症を疑うのは困難で、鑑別検査を緊急に行う義務はなかったと反論した。
その後は参加者たちの意見交換や質疑応答となり、ある男性医師は「医療裁判は公平ではない。医師はいろんな可能性の中から治療法を探っていくしかない。原告は結果から犯人を探す」と話し、別の男性医師は「リスクや危険性の見通し、緊急性のあるなしについての判断は難しい」と語った。
今回のケースについて、参加者に対してアンケートを実施。医師に過失があるとした医師は三人だったのに対して、なかったとする医師は百十七人の大多数が過失を否定した。しかし、弁護士では過失ありが二十一人、なしが二十人と意見が割れた。医療訴訟の中で過失を問う事件が一番難しいとされ、今回もそれが浮き彫りとなった。
総括したパネリストの井原徹太・県医師会常任理事は、「遺族がその日のうちに治療していれば助かった可能性があったと主張するのは当然。その一方で結果が悪かったら、すべて医師の責任とするのは疑問を感じる」と意見を述べた。その上で「医師と法曹界との相互理解は少しずつ深まっている。今後もこのような機会を設けて議論していきたい」とした。
増え続ける医療ミス訴訟 今後も医師と法曹の交流を
医療訴訟の件数はこの十年で大きく増えている。最高裁判所の統計によると、新受数は一九九七年は五百九十七件だったのに、二〇〇三年に千件を超え、〇四年には千百十件に達した。昨年は九百十二件だったが依然として件数は多い。
一方で平均の審理期間はスピード化している。九三年の三六・三カ月から昨年は二五・一カ月と約一年の短縮。今回パネリストとして参加したさいたま地裁の佐藤公美裁判長は、「集中審理で徹底的に議論できるようになった。証拠調べではかつては半年から一年かかっていたものが、今では一日で終わる」と話す。
スピードアップの要因として佐藤裁判長は、弁護士の質の向上で、争点を整理できるようになったこと、弁護士とのつながりから、鑑定人となってくれる協力的な医師が増え、医師としての適切な見解を迅速に得られるようになってきたことを挙げた。
専門的な知識を要する医療訴訟の迅速かつ充実した内容の審理、適切な解決を行っていくには、今後も医師と法曹界との交流は欠かせない。
とはいえ、紛争を減らす意味でも、何より大切なのは医者と患者が信頼関係で結ばれることだろう。
提示された事例の詳細が分からないので何とも言えないのだが、心エコーは入院当日に行ったとしよう。つまり、このときは胸痛はあるものの、それ程苦しがっては居なかったという想定だ。また、心エコーの報告も、右室がパンパンに腫れているといった肺動脈抵抗の急激な増大を疑う所見ではなかったものとしよう。そのような状況であれば、忙しければエコーのビデオを見るのは後でも良いであろう。報告者を信頼できるのであれば、自分で見る必要さえないかも知れない。激烈な症状を呈して死亡したのは翌日なのだから、おそらく、実際に、このときはたいした所見はなかったのであろう。
胸痛で入院してくれば、たいていは心筋梗塞や狭心症と言った冠動脈疾患を疑う。胸部大動脈瘤なども候補に挙がるかも知れない。胆石症などの消化器疾患だって否定は出来ない。当初はいろいろなことが考えられるのだから、肺塞栓症を疑えというのは無茶だ。「医療裁判は公平ではない。医師はいろんな可能性の中から治療法を探っていくしかない。原告は結果から犯人を探す」と言う意見はもっともだ。
呈示された症例で医師の責任を問えるとすれば、私は以下のような状況の時だけだと思う。
1)明らかに重症感があるのに診察もしないで放置した。
2)エコーの報告書が尋常ではない、明らかに異常な報告であった。
このような事実があるのであれば以下の発言は無意味になることをお断りした上で言いたい。結果が肺塞栓症であったから、肺塞栓症を疑うべきであったというのは結果論である。実務というものを知らない、道理というものを知らない人の戯言である。そのような戯言を言う人が医師の間にも120人中3人、弁護士の間には41人中の過半数が居るのだ。 このような3人の医師の中からトンデモ鑑定が飛び出し、法律家の間で市民権を得て、トンデモ判決につながるのだろう。医師の責任を認める人たちは、具体的にどうすれば良かったと思っているのだろうか。