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人は刻々と進化します。昨日より今日、1時間前より今。
常に上向きの階段を上昇し続けます(大抵は)。
だから過去を思い出す時は階段の下を見ることになります。
今より劣っている自分を思い出しているのです。
その時点で意識レベルは低下してしまいます。
そして、その思い出に浸りだすとドップリとその当時の意識レ
ベルに戻ってしまうのです。
悪口、愚痴なども過去を振り返るから出てくるのです。
今の時点はもはや過去の自分ではないのです。
今の自分を基準に考えると過去の記憶は違ってきます。
しかし、往々にして記憶は過去を基準に考えてしまいがちな
のです。
それが大きな間違いです。
記憶にだまされてはいけません。
110111
巷はパワースポット流行り。
全国各地のパワースポットの紹介があり そこに主に若い人
たちがパワーを求めて殺到します。
皆この不況な時代 パワーを頂きたいのでしょうね。
毎年 神宮にお参りに行くのですが、どんどん そのパワーが
落ちているのを体感します。
参拝客が多すぎるのです。
辛うじて 正式参拝する場所はエネルギーがまだ保たれてい
ます。
だから20年毎に式年遷宮をするのかもしれません。
銀座4丁目でパワーが感じられないのと同様に人で混雑する
場所は 例え神宮であってもパワーは感じられません。
ある場所を一人でいると占める空間は100%ですが
そこに100人行けば自分の占める空間はたった1%になって
しまいます。
パワーもそのようなものかもしれません。
人の多いところでは十分なパワーはありません。
そもそもパワーは頂くものではないのです。
同じパワー同志が引き寄せるものです。
だから 自分のパワーを強めない限り決して本物のパワース
ポットには行けないものなのです。
110107
現在の生活は、自然の模倣で成り立ちます。
太陽、火事を見て、火を思いつきその起こし方を考えました。
稲妻を見て、電気を思いつき実用化しました。
鳥を見て飛び方を考え、飛行機を造りました。
すべて、自然の模倣です。
では、逆にこの生活から自然の仕組みを創造できます。
何気なく、当たり前のように使っている電気について考えて見ます。
発電所で、電気を作り、それを電線で各地に供給しています。それをコンセントでつなぎ、電気を使います。そばまで供給されていても、コンセントを差しこまないと電気は使えません。
日本ではどこでも使えるコンセントも外国に行くと使えないところがあります。コンセントの形状、電圧が違うからです。同じ電気でも日本と外国ではその形、質が違うのです。
私たちは、自然に繋がるコンセントを皆が持っています。それに気付いているかどうかは別にして。
そして、そのコンセントを自然に繋げば、自然の叡智はどんどん入ってきます。電気と同様に形、質がいろいろあり、アクセスできる場所がそれぞれ異なります。また、コンセントの差し込み方がわからない人も大勢います。
しかし、あらゆる場所に自然の叡智は溢れかえっています。それらを模倣してこの世界があるのですから。
そこに、コンセントを入れた先人たちのお陰で今があるのです。
私たちも、是非自然の流れにコンセントを差し込み、自然の叡智の恵をいただき 流しましょう。
080911
先週の もっと で注意することがあります。
もっとは、質の追求に拘る(こだわる)ことで、量の追求に拘ってはおかしくなってしまいます。
現代社会がおかした過ちは、もっとを量の追求に求めたことです。
量は、有限です。有限なことをもっとと求めると、どこかで歪みがおきます。
しかし、もっとを質に求める限り、質は無限です。
無限なものはいくら欲してもかまいません。
無尽蔵だからです。
もっと幸せになりたい、を外見、外に求めるとそれは量を求めることになります。
それは、有限です。
しかし、それを内側に求めるとそれは質を高めることになります。
それは無限です。
欲は、願望を求めるための必要な素因です。
その欲は、量ではなく質の追求に使われて始めて本来のものになります。
欲は、その対象によって良いものにもなるし、良くないものにもなるのです。
もっと~したい というのは、欲です。
是非 その欲を質の追求に使ってください。
080808
意識レベルが低いとき、人と関係を結ぶとき、特に男女関係、婚姻関係になるときにはそのふたりのエネルギーの純度により、その粗い方にエネルギーが同調し、吸収されます。その粗い人が、意識的かどうかは問題ではありません(粗さと善悪は無関係です)。
それを、恋は盲目と言います。
周りのひとは、ふたりのエネルギーフィールドの外にいるので、二人の関係を冷静に見て判断できますから、どう考えても釣り合わないと思って忠告したりしますが、ふたりにはその意味すらわかりません。
両親が、ふたりの結婚に もしも異議を唱えるなら、深い意味があるのです。
しかし、当人同志はわかりません。
いわば、エネルギーの純粋なひとは魔法にかけられた状態になります。
魔法に掛かった状態なので、周りの声は届きません。
しかしながら、結婚して年月が経ち、エネルギーの純粋なひとが、意識レベルが上がり、自分に繋がるとそのエネルギーが本来の強い、濃い状態になったある日、突然、魔法から醒めます。
それまで当たり前だった関係に疑問が浮かんできます。
実は、最初からエネルギーが釣り合っていない関係だったのですから。
エネルギーの純粋さは、生まれ持ったものなのでなかなか人為的に変えられるものではありません。
生きる世界がその純度によって異なります。違う純度のひとが一緒に生きるのは難しいことです。
多くの人は、その純度の差に気付いていないので、人生はこんなものと諦めていきるか、何故なんだろうと悩みながら生きます。
しかし、一度(ひとたび)エネルギーの純度の差に気付くと、これまでの人間関係がすべて理解できます。
実にシンプルです。
同じ純度のエネルギーのひととしか平安は共有、分かち合えないのです。
世間では、そのことを類は友を呼ぶと言っています。
080701
いろいろな悲惨な事件を目にします。
報道機関はテレビをはじめとして詳細に事件を実況映像、写真を入れたりしたりして伝えます。
何を意図して報道しているのでしょう?
常に傍観者、自分とは無関係なことを、中立と評して報道しています。
しかし、本当に無関係なことなのでしょうか?
私たちの中にもダークな部分は沢山あります。
それを意識し、理性で抑えたりしているだけではないでしょうか?それができない人が、事件を起こしているのです。
私たちと紙一重です。
明日は我が身だとちゃんと認識する必要があります。
自分もひょっとすると当事者になる可能性があるのだと認識することです。
多くのひとが自分は傍観者だと思っている限り、同様な事件は頻発します。
信じない人もおられると思いますが、世界は色々な集合意識で成り立っています。
何事も受け入れていかないと、反発している限り同じような出来事は続きます。受け入れるまで続くのです。
これは厳然たる宇宙の法則です。
宇宙の法則には何びとたりとも逆らえません。
人の身体で考えてみましょう。
人には、約60兆もの細胞があり、それが集まって組織、臓器をつくり人体が機能しています。60兆は、地球の人類の数の10000倍です。
60兆もの細胞があれば、一部の細胞が機能不全を起こすこともあります。その時、他の多くの細胞達は全力でその一部の細胞を助けようとします。身体のバランスを保つためです。決して、孤立させ、切り捨てようとはしません。
それでも駄目な時は自爆機能(アトポーシス)が作動します。
多くの病気の人は、その理屈がわからず、機能不全の場所を何とかしてほしいと病院にこられます。機能不全は、全体のごく一部に過ぎず、ほとんどの部分は正常に機能しているのにかかわらずです。そして、機能している部分もそうじゃない部分も自分自身です。具合が悪い部分は、まるで自分ではないように思っている人がほとんどです。そして、多くの場合、その機能不全の原因はご自身の生活態度にあるにも関わらずです。
人類の10000倍もの数の細胞は、生きていくバランスをとるために日々24時間休みなく協調して働いています。
人間関係も、本来は人体の縮図のようなものです。
ある事件が起こる前には、必ずいろいろ前兆があるのです。その時、傍観者ではなく 自分毎のように悩んだり相談したりして受け入れてくれる人が側にいれば、事件化しない場合だってあるのです。
080611
いまを大切に、いまを生きようと良く言われます。
その意味がわかるようで、いま一つわかりませんでした。
今この瞬間を自分のベストを尽くして過ごしていたらとふと考えてみたとき、その出来事が過去となり振り返ったときにあれでよかったんだろうかという後悔とか、苦痛とかのマイナス感情が浮かんでくるのだろうか?
もちろん、浮かんでこないし、仮に何か浮かんできたとしたらそれはいきいきとした楽しいわくわくした思い出でしょう。
いまを生きていれば、そもそも過去を振り返ることもないだろうと思います。
そして、いまを生きている時、将来、未来の心配、不安、恐怖を感じるだろうか?
感じるはずはないし、あるとしたら楽しい、期待感に満ちた感情でしょう。そもそも将来のことを思い浮かびもしないだろうと思います。
つまり、いまを生きていれば、いまその瞬間しか感じないのです。
過去も未来もなくなるのです。
ここまで、読まれてそのように生きるのは難しいと思われる方もおられるでしょう。
それは、いまを生きていないからかもしれませんね。
いまを生きるのはなかなか難しいと思うのは、それが単なる自分の思い込み、これまでの人生での刷り込みにすぎないのだとしたら、、、?
080320
こころとからだが重いときは要注意です。
エネルギーヴァンパイアという概念があります。
この世には人のエネルギーを意識的にあるいは無意識に奪う人が存在するのです。
こちらとしては、無意識に奪われる場合は対応(防御)はまず無理です。
あの人と会うといつも疲れるという経験はありませんか?
何か苦手な感じ、嫌な感じがしたらその可能性があるということです。
奪われたエネルギーは外から充填するしかありません。
意識的にエネルギーを充填してもらわない以外は、自然にチャージするしかありませんが、すごく時間がかかります。
また、エネルギーを入れても、そのエネルギーがバランスよく循環しなければ余り効果はみられません。
それまで、順調だった循環も奪われた時に防衛のため流れを変えてしまうからです。
最近、身体、こころ、エネルギーの重要性について勉強をしていますが、身をもって生体エネルギーの重要性を痛感しました。
エネルギーのことを知っていても、自分では自分のエネルギーが無くなっているとは思っていなかったからです。
エネルギーの概念が無ければ、上記症状は原因不明で、気候のせいか、こころのせいで終わってしまいます。
だから、なかなか治らず元気になりません。
しかし、エネルギー不足が原因だとわかれば、その対応をすれば元の気に戻ります。つまり、元気になるのです。
世の中、エネルギー不足でつらい思いをしている人が沢山おられるのだろうなと実感ます。
そして、ほとんどの人はエネルギー不足の自覚すらなく体調不良で悩んでおられるのだろうと推測します。
080317
健やかなとは、どういう意味でしょうか?
私は 身体、こころ、エネルギーがすべて元気であることだと思います。
車を思い浮かべて見て下さい。身体は車体(ボデイー)、こころ(ハート)は運転手(ドライバー)、エネルギーはエンジン及び燃料です。
車体がきちんと整備していないと安定、安全走行はできません。車体(身体)は生まれつき頂いたものですから変更はできません。
ドライバーがちゃんと目標をもって運転しないとどこに行くのかわかりません。アクセルを踏まないと停まったままだし、ブレーキを踏み続けているとなかなか前に進めません。酒酔い運転をしようものなら事故、自爆を起こしてしまいます。ドライバー自体は変わりませんが、学び次第でシューマッハのようなF1パイロットにもなれます。
エンジンは走行する上で大切です。排気量の大きいエンジンはそれだけ馬力も大きくパワーがあります。しかし、そのエンジンも燃料がなければ動きません。そのエンジンに見合った燃料を十分入れて始めて快適なドライブが可能になります。エンジンは入れ替え可能です(車体の大きさで制限はありますが)。
このように、快適で気持ちよいドライブを楽しむためにはボデイー、ドライバー、エンジン、燃料がそれぞれ必須であり大切です。
そして、その全体をシステムとして統合しているのが魂(スピリット)だと私は思っています。
今の世界では、身体は病院で整備、調整できると思われています(実際は違うのですが)。こころも、やはり、病院、カウンセリング等の施設で調整可能と考えられています。しかしながら、エネルギーは調整、補充をしてもらえるところは皆無といっていいでしょう。
人は本来、エネルギー体という概念をもっているひとがほとんどいないから仕方がありません。
しかし、最近はオーラという言葉が市民権を持ち始めています。オーラはエネルギーです。
現代物理学でも エネルギー=もの(質量) という公式がちゃんとあるのに、人=エネルギー体と考えているひとは余りいません。
これからは、Body,Heart & Energy の3要素がそれぞれ元気である健やかな生き方が大切だと思います。
ちなみに、私の名前は健です。
健やかな生き方を広める天命をもった名前だったんだと、今は思っています。
この名前をつけてくれた両親に感謝です。
080119
ひとは、それぞれ固有の学びの修行者です。
一生で終わらないテーマを持っている人もいるし、一生のうちに何個もテーマを成し遂げようとされる人もいます。
その学びの邪魔をしてはなりません。
子供、特に自分の子供に対して親は邪魔をしがちです。
幸せになって欲しいという親心なのですが、その親心が残念ながら本来のその子の幸せになるための学びの邪魔をしていることがあります。
そこに親のエゴが入り込めばパラドックスの世界が出来てしまいます。エゴが強くなればなるほどに幸せと反対の現実が現れてしまうのです。
そして、こんなはずではなかったのにという結果になります。
愛と愛情は違います。
愛は純粋ですが、愛情にはエゴが入り込みます。
愛をもって、人の、子供の学びの姿を傍観する勇気が必要です。時には忍耐も必要です。
そして、その人、子供が助けを求めてきたら、その時に愛の気持ちで喜んで助けてあげればいいのです。
助けを求めていない人や子供を助けてあげようとするのはエゴであって、そのひと、子供の学びの道の邪魔にしかなりません。
080117