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高齢者が増えています。
高齢になればなるほど臓器が機能不全に陥ります。
先日、尿量が少ないと施設から90歳の患者さんが息子さんと一緒に来院されました。
見た目はそれなりにお元気です。
検査をしても左程データは悪くありません。
高齢なので 色々不具合は生じるが お元気そうだしデータも悪くないし、そろそろそういう時期なのかもしれませんから様子を見るようにと息子さんにお話しすると(患者さんは認知症なのでコンタクトできません)、したり顔で納得されました。
側にいる付き添いの職員は納得しかねてる様子です。
施設で何か起こると困るからです。
とりあえず、病院につれていき入院させれば施設での急変はありえません。
高齢者の検査データを正常化させるのは不死を前提にしているのと同じです。
いつお迎えがきてもおかしくない状態で 数値の正常化はかなり難問です。
あり得ないといってもいいでしょう。
そのように息子さんと話していると、息子さんは 病院に入院するとかえって状態が悪くなるので入院させたくないと話されました。
入院すると環境が変わるから それに順応しかねるのでしょう。
最後を迎える高齢者にとって もっと優しい環境が作れればいいなと思います。
HbA1cは 過去1~2カ月の血糖値の平均を反映する値で6,1%以上は糖尿病の可能性が強く疑われていました。
これが日本糖尿病学会の意向で4月1日から国際標準化を導入するため基準値が6,5%に変更になるそうです。
例えばHbA1c 6,3% でこれまで糖尿病と診断治療されていた人が 4月1日からは数値が変わるため健康人となるわけです。
これまでの治療は一体何だったのでしょう?
日本は国際化されていない数値をなぜこれまで使ってきたのか。
いかに病気の基準、概念が良い加減かということです。
高血圧の値もある日突然 学会の意向で数値が変わりました。
学会は一法人団体にすぎません。
国は関与してないのです。
こういう一団体の意向でころころ値が変わって、そのため病院にかかって病気にされたのではたまったものじゃありません。
自分の身を守れるのは自分しかいません。
しっかり自分の身を守りましょう。
120203
漢方薬は、色々な薬草を複合した結果、経験的に効果が確かめられて有効と認められています。
それを個々の成分に分解していくと、逆に何故その症状を抑える、治す(?)のかわからなくなります。
西洋医学では、薬は、基本的に単独成分で成り立ちます。だから、症状が増えるに伴い、その症状を抑えるために薬の種類も増えていきます。
薬には相互作用があります。添付文書にちゃんと記載されています。相乗作用があったり、禁忌があったり。
それは、大抵2種類の薬の間のことです。3種類以上の相互作用は基本的に調べていません、というか、調べられません。組み合わせが膨大になるからです。
しかしながら、多くの老人は、3種類以上の薬を飲まれています。その薬の相互作用で、何か別に症状が出れば、その症状を抑えるために、大抵は新たに薬が処方されます。
相互作用で出たのだから、薬を減らそうという概念は、医師はもちろん、患者さん本人にもありません。
じゃあ、どうすればいいのでしょうか?
もっともシンプルな答えは薬を飲まなければいいのです。
現代人は医師を含め、薬に安易に依存し過ぎています。
薬効もわからないのに、何種類も薬を医師は出し続け、患者さんはそれらを飲み続けているのです。
そのような患者さんたちは、薬の種類が増える事はあっても、決して減ることはありません。
医療側から言えば、経済が絡んできます。
現行では、薬を処方すればするほどもうかります。
患者側から言えば、安心感が生まれます。こんなに薬を飲んでいるから元気でいられると(苦笑)。
これは、医師、患者さんともに薬依存状態以外のなにものでもありません。
真に健康な人は薬は飲みません。
必要ないからです。
まずはそこに気づくことが大切だと思います。
081210
一口にいのちといっても、見えないものだから漠然とします。
わたしは、いのちとはろうそくの炎のようなものだと考えています。
一旦、ろうそくに灯りがともると、一瞬弱弱しいですが、すぐに力強く 燃え、風、雨などで揺らいだり消えかけたりすることもありますが、燃 え続け、ろうが無くなるにつれ炎は段々小さくなりやがて消えます。
つまり、いのちの強さにもその人生の時期によって強弱があるということです。
そのことは 手術をしてその回復力を見ることで如実にわかります。
幼児を手術したら、翌日はけろっとしています。まるで手術などしなかったのごとく。
しかし、成人になり年齢を重ねるとともに術後の回復力はどんどん低下してきます。
高齢者になると、残念ながら回復しないまま寝たきり状態ということも起こりえます。
つまり、回復力をみることがいのちの強さの指標になります。
あなたのいのちは、今どのくらいの回復力をもっていますか?
病院、医院に出かけ、満足して帰っていますか?
何時間も待たされ、いざ自分の診察の順番がくると、医者はコンピューターの画面を見ながら、症状を聞き、検査のオーダーをする。その間、ほとんど患者さんの顔すら見ない。
そして、検査の結果が出れば、異常値、異常な画面を見せ、病名を告げて、その病気に対処する処置、投薬をする。
その間、正味、医者と同席する時間は3分。
そして、病院にいた時間は3時間以上。
薬をもらうのにまた小一時間かかる。
医者は身体すらみてくれない、話もろくに聞いてくれない。
これが多くの日常診療の現状だろうと思います。
こんな診療をされて、患者さんは満足するはずはないし、フラストレーションが溜まり病状は悪化するばかり。
患者さんは、もっと、話を聞いてほしい、身体をちゃんと診察してほしいと思われるでしょう。
そのような診療所が増えればいいですね。
091201
季節性インフルエンザのワクチン接種希望者がお年寄りを中心に来院されています。雨の日も風の日も。
今年はワクチン接種後風邪症状が出現し何人もの人が再来院されています。
ワクチンを接種をしなければ恐らくこのような症状にはならなかったと思います。
インフルエンザにかかったら大変だからとワクチンをうたれるのですが、ワクチンを打ってもインフルエンザにかかる人もいるしワクチンを打たなくてもインフルエンザにならない人もいます。
ちなみに私はワクチンを打ったことはありませんし、インフルエンザに罹ったこともありません。
自己責任なのですが、もう少し本当にワクチン接種が必要なのか否か臨床試験も必要でしょうしデータも必要なんだと思います。
何か惰性でワクチン接種されているひとが多いように感じます。
食事が食べられなくなると、入院中の高齢の患者さんは胃ろう造設をすすめられます。
そして大抵はすすめられたまま胃ろうをつくります。
造設の簡易キットもあり、局所麻酔下にわずか15分で造れます。
その多くの人は意思の疎通はとれない寝たきり老人です(もちろん例外は沢山あります)。
赤ちゃんと同じで、一人で何もできません。しかも身体は大人で大きいので何をするのも何人もの人手がかかります。
本人は、果たしてそんな状況を望んでいたのでしょうか?
自分が、将来、食べられなくなったときそういう状況を望みますか?
食欲は、3大本能の一つです。食べられなくなったら、動物、生物としての終わりではないのでしょうか?
その、生物的終わりを無理やり医学という科学で引き伸ばしてもいいものなのか?
私には 胃ろうからfeedingされているひとに人間としての尊厳など少しも感じられません。
私は胃ろう造設には反対です。
患者さん、家族にも薦めません。
胃ろう造設についてもっとよく考える必要があるのではないでしょうか?
入院費、人件費も余計にかかります。
アメリカでは、認知症患者には胃ろうは造らないそうです。
その辺に関しては、私はアメリカに大賛成です。
医者 特に外科系は、手術の術者が出来て一人前です。
最初は、右も左もわからいペーペーですから、看護師にもあごで使われます(昔は)。
医学の教科書の知識は、実践では全く役立たずです。経験を積んで、その体験で得た知識が身になっていきます。
外科について考えると、私達の時代は、ネーベンと言って外の病院にアルバイトに行きます。給料は月10万円足らずですから(一部の私大は0円でした!)、アルバイトをしないと生活できません。そこで、切創などの縫合を覚えていきます。そして、研修といって、一般病院に数年出張にでかけ、そこで開腹手術のしかたを学んでいきます。主治医になるとまず、助手に入り、糸結びをしながら、術者の技を学んでいきます。見ていると、自分でもできそうな気がするのですが、いざ術者でやらせてもらうと、全く違うことがわかります。どれくらいの強さでどれくらい切れるのか全くわからないのです。ベテランの外科医は当然の如くさっさと華麗にメスさばきをされますが、研修医はそうはいきません。しかし、2年目になるとそれなりにさばけるようになっていきます。
外科の研修では、いかに手技が手術を含めてできるようになるかです。できるだけ経験を積むほか上達の道はないのです。だから、手術できることが嬉しくてたまりません。
しかし、経験を積んでいくとそれなりに危ない目にも会い、手術してもいいこと手術してはいけないことがわかってきます。
若い医者は、手術がしたくてたまらないのですが、経験を積んだ医者は、できることなら手術は避けたいのです。止む終えず他に方法がない場合に限り手術をしています。
ラフな考えですが、出来ない医者が、手術をしたがり、出来る医者は手術をしたがらないのです。
もちろん、出来る医者は何でも手術はできます。しかし、だからこそ、敢えてしないという選択もするのです。
出来ない医者は、手術をしないという選択はできません。
技術的にはできる手術を敢えてしないという選択ができるようになって、始めてベテランの外科医となるのです。
できることとすることとは、全く別物です。
080905
病院で、治療、処置、手術を勧められた時、ほとんどの人はそのまま診察に当たった医師のいいなりにされます。
その医師を信頼して何かあっても仕方ないと思って、自分の身体、命をその人に委ねるのなら構いませんが、そこまで考えている方はほとんど皆無です。
自動的にいいなりにされています。
通院、入院の便利さを優先して、治療、処置、手術の内容まで考えている方はほとんどおられません。
今は、セカンドオピニオン制度が確立されているので、少しでも診療内容、あるいは、病院の雰囲気、職員の雰囲気、そして医師の態度、対応に疑問があればセカンドオピニオンを申し出たらいいと思います。
セカンドオピニオンをしてもらうのに別に紹介料はかかりません。診療情報提供書代と、フィルムのコピー代は保険診療の範囲内で必要で,紹介先のセカンドオピニオン代は大抵実費(5千円位)ですが。
ここで、一番のポイントは、セカンドオピニオンの申し出に対して、その担当医が心地よく対応してくれるかどうかです。
心地よくいいですよと言われる医師ばかりだと信じたいですが、もしそうじゃない医師がおられた場合、それこそ転医をお勧めします。
その医師に直接言いにくい場合、心地よくない対応をされた場合には、わかりましたとその場を離れ、医療相談、あるいは病院の責任者に、こういう対応をされたがとお話されればいいと思います。
セカンドオピニオンは患者さんの当然の権利なのです。
権利を侵害されてはいけません。
ただ、権利だけ主張される患者さんがおられるのも現実です。
080710
今や病気の人がどんどん増えています。身体も心もそれぞれ病んでいる人が大勢います。
生活習慣病という病気があります。正に、読んで字の如く、生活習慣が原因で病気になるのです。
逆に考えれば、生活習慣をきちんとすれば、病気にはならないということです。
今の医学は、病気を治す、治療することばかり考え、遺伝子レベルにまで研究が及んでいます。しかし、病気にならなければ、そんな必要は皆無になります。
自分の欲のまま、好き放題 食べたり、飲んだり、遊んだりして身体が元気でいるわけがありません。
身体を労り、身体にいいことをしないと、その結果として身体に不都合が起きてしまいます。
それが、病気という姿で現れるのです。
もちろん全部が全部それで説明できるわけもなく、例外もありますが、一言でいうなら自業自得、因果応報です。
思い込みでなく、身体の声に素直に耳を傾け、それに従って行動すれば大病にはなりません。
不摂生をしていると必ず、兆しがあります。
それに気づけるかどうかです。
病気にならない生き方、つまり健やかな生き方をしていきましょう! 080229