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私たちは意識的あるいは無意識のうちにあらゆるものを比較し、判断(ジャッジ)しています。
自分より、背が高い、低いというどうにもならないことも、自分よりいい物、服、時計をもっているといった何とかなるもの(物欲)も比較し、一喜一憂しています。
自分の外に対してばかりか、内側でも、この消極的なところが嫌い、内気な自分が嫌などと比較、判断しています。
その判断は誰がするのでしょうか?自分という意識です。自分という意識はどこから生まれるのでしょう?自分と人を区別するためです。あるいは自分を同定するためです。
でも、本当に区別する必要があるのでしょうか?
宇宙はひとつ、人類は皆兄弟といいます。ならば、区別する必要はないと思います。
外に対して、自分の劣等感があるから比較します。劣等感がなければ、自分を信じていれば比較する必要はありません。
内に対して、自分に劣等感があるから比較します。劣等感がなければ、自分を信じていれば比較しません。劣等感は本当に劣った感覚なのでしょうか?自分の思い込みだけかも知れません。
そのままをすべて受け入れればいいのです。それを、受け入れずに、拒絶するから葛藤が起こります。悩むんです。自分を否定するからいろんな問題が心、肉体に起こります。内側はすべて自分です。嫌と思っている(思い込んでいる)部分も嫌と思っている間は異聞が受け入れられないから、自分が受け入れるまで、自分の内側、外側の世界で受け入れることを教えてくれます。
自分という存在を肯定しましょう。
自分というかけがいのない存在をもっともっと受け入れましょう!
コメント
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じること(自信)が何なのか、ながめています。
まだ、模索中です。ひとつずつ、自分と向き合ってみます。
地道にひとつひとつ向き合って下さい。
向き合えるだけすごいと思います。
なかなか自分にも向き合えないもものです。
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