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ひとは、小さな頃から、あるいはキリスト教の始めから、人をゆるしなさいと教えられてきました。ゆるせない事をされても、とにかくゆるしなさいと言われ続けてきました。
そして、文字通りひとは皆ゆるそうと努力してきました。そして、実際、ゆるせるなら問題はありません。ゆるせないときに葛藤が起こります。周囲のほかのひとはゆるせているのに、ゆるせない自分が悪い、劣っているのではないかとこんどは自分をゆるせなくなってきます。ひとばかりではなく、自分自身までゆるせなくなると、自己嫌悪に陥り心身の病気になることもありえます。
ひとをゆるす必要はないのです。ゆるせないことは、ゆるせないのだから、ただその感情を受け入れればいいのです。その感情を拒絶するから問題が起こります。そんな感情を感じる自分をゆるせなくなります。
自分の感情は、自分の一部です。それを拒絶することは、自己否定になります。自然にわき起こった感情は受けとめ、受け入れればいいのです。わき起こるということは、自分にとって意味があるのです。だから、その感情を否定せずに、感じて、味わえばいいのです。そうすれば、いつかなくなります。わき起こった感情を受け入れないからいつまでもその感情が残ります。
ゆるさなくていいと、その感情を心から受け止めたとき、実はその瞬間ゆるしているのです。何故ならそれ以降、そのことに対して、ゆるせないという気持ちは起こってこないからです。
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