| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | ||||
| 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
| 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 |
| 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 |
| 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
相談支援料は、回復の見込めない終末期の治療方針を患者、家族と医師らが話し合い、合意内容を文書化した場合、医療機関に2000円の報酬が支払われる。野党や患者団体から「延命措置の中止を強制されかねない」と批判が出ていた。と、相談支援料の見直しを厚労省は検討している。
上記記事を読んで、本当に役人は机上の空論で物事を決めているのだということを痛感しました。
わずか、2000円のために延命治療を医療機関がやめると本気で彼らは考えているのでしょうか?
大多数の病院は、一般病棟と老人病棟を併設しています。延命治療には、1日、何万円もの医療費がかかります。それを、2000円の報酬のためにやめるはずがありません。もしやめたら、収支決算は大損です。
病院は、今や特に国公立病院は大赤字で火の車ですから是が非でも延命治療をして赤字補填をしなければなりません。
不必要な延命治療を逆にされるのを防ぐための制度だったのに患者団体もわかっていません。
あなたが、もしご飯が口から食べられなくなったら、お腹に穴をあけて栄養剤を定期的に流し込む胃瘻という処置を造設してもらいたいでしょうか?
胃瘻造設は、一種の延命処置だとわたしは思っています。
だから、わたしは、年を取ってご飯が自分で口から食べられなくなったらもう寿命だと思い余計な処置は一切望みません。断言します。
医療機関は、必ず胃瘻造設を薦めてきます。
なぜなら、ずばりその方がもうかるからです。
延命拒否を法律で認めてくれたのに、それを延命中止されると思うこと自体ナンセンスです。
もう一度いいますが、医療機関は、基本的に延命処置をしたいのです。
現代西洋医学の使命は、少しでも長く生かすことだからです。
死は、医学の敗北を意味します。
そして、いまの医療制度では、延命治療は、収支がいいのです。
ひとは、小さな頃から、あるいはキリスト教の始めから、人をゆるしなさいと教えられてきました。ゆるせない事をされても、とにかくゆるしなさいと言われ続けてきました。
そして、文字通りひとは皆ゆるそうと努力してきました。そして、実際、ゆるせるなら問題はありません。ゆるせないときに葛藤が起こります。周囲のほかのひとはゆるせているのに、ゆるせない自分が悪い、劣っているのではないかとこんどは自分をゆるせなくなってきます。ひとばかりではなく、自分自身までゆるせなくなると、自己嫌悪に陥り心身の病気になることもありえます。
ひとをゆるす必要はないのです。ゆるせないことは、ゆるせないのだから、ただその感情を受け入れればいいのです。その感情を拒絶するから問題が起こります。そんな感情を感じる自分をゆるせなくなります。
自分の感情は、自分の一部です。それを拒絶することは、自己否定になります。自然にわき起こった感情は受けとめ、受け入れればいいのです。わき起こるということは、自分にとって意味があるのです。だから、その感情を否定せずに、感じて、味わえばいいのです。そうすれば、いつかなくなります。わき起こった感情を受け入れないからいつまでもその感情が残ります。
ゆるさなくていいと、その感情を心から受け止めたとき、実はその瞬間ゆるしているのです。何故ならそれ以降、そのことに対して、ゆるせないという気持ちは起こってこないからです。
以前、空気がおいしく風光明媚な場所で聞いた脳みそのお話です。
脳の疾患には実質性とそれ以外の疾患があり、実質性ではない疾患(脳みそそのものには明らかな病変がみられない疾患)は30歳以下の若い年齢では可逆性のこともあるので、仮にコーマ(昏睡)の状態(重篤な意識障害)でもその先生は半年は諦めないと言われていました。
なぜなら、半年後に何事もなく意識が戻った症例を何例も経験されているからだそうです。
脳みそは頭蓋骨という容器に入った豆腐のような柔らかいもので非常にもろいものです。ボクシング、ラグビー、サッカーなどは頭を直に使うものなので十分注意しないと脳みそに損傷をきたす恐れがあるそうです。
容器に入ったお豆腐が角がよく欠けてるように脳みそもすぐに損傷するのです。
それ程、デリケートな臓器です。
私は、学生の頃、サッカー部でしたがヘデイングが大嫌いでした。このお話を聞くと、積極的にヘデイングを避けて大正解でした。(笑)
脳みそについて深く考えさせられるお話でした。
頑張りましょう!字を変えて顔張りましょう!とよく言います。
私も以前よく顔張りましょうと言ってました。
その後、“癌”は頑固な人、頑張り過ぎる人がどうもなりやすいと知りました。
‘がんばる’というと、がんがはると脳みそは解釈するかもしれません。つまり癌がはびこるのです。視覚的には頑張るですが、聴覚的には‘がんばる’です。聞いただけでは癌と頑あるいは、顔を区別できません。いつもいつもがんばるという声が聞こえたら脳みそは癌をはびこらせるんだなと思ってしまうかもしれません(非科学的ですが)。
そう思ってからわたしは、‘がんばる’という言葉を言うことを止めました。自分のために良くないと思うし、言ってる人に対しても申し訳ないと思ったからです。
言葉は音霊といいます。その響きは良い効果にもなるし、時には悪い効果にもなります。
それ程大きな力があるのなら、良い方に使いたいし、少しでも良くない可能性があれば避けた方が懸命です。
‘がんばる’という音は聴覚的に日本語においては癌が張ると理解されかねませんから止めた方がいいかもしれません。
それ以来、私は頑張れと応援したいときは“しっかりね”というようにしています。