よく今を生きましょうといいます。今この瞬間の連続が過去、未来に繋がるからその連続の一点である今を大切に生きようということです。それなのに、今が良ければそれでいいと勘違いしている人達が沢山います。
すべては自分の内に備わっているから努力する必要ない、楽に生きましょう、等々。自分に都合のいいところだけを抜き出して生きようとしている安易な考えの人が多すぎます。
大学受験をしようと思えば、その目指す大学のレベルまで年月をかけて学力をつける必要があるし、資格を取ろうと思えば、その資格をとるべく時間をかけて知識量を蓄積する必要があります。そのために今を生きる必要があります。
人格者になるべく人格を磨こうと思えば、色々経験、体験を積んで始めて人格者になるのです。20代、30代では立派な人にはなれても人格者になれるはずありません。この世の中に安易なツールなどありません。それくらい年月が必要なのです。もし、30年で悟れるのなら人生80年も必要ありません。
われわれ外科医も、最初から胃や大腸の手術など出来ません。手の切り傷の縫合からトレーニングを始めて約10年をかけてようやく一人前の外科医になれるのです。時間をはしょっては何も大成できません。
そのために、‘今’が大切なのです。今を精一杯生きて、その一瞬一瞬の連続が大きな一本の人生という線に繋がるのです。今を一所懸命生きないと決して濃い太い線にはなりません。
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先日、2週間で5つの回盲部切除という手術をしました。
回盲部切除とは、小腸の後半の回腸の一部と、盲腸、上行結腸の一部を切除する手術です。
よく、盲腸、盲腸といいますが、医学的には虫垂が正しく、盲腸とは別の臓器です。大腸が盲端になっているから盲腸と呼び、その先端に虫垂があります。虫垂は腸扁桃と呼ばれ感染防御を担っているのですが、はっきりとした役割はわかっていません。虫垂炎も初期なら保存的(抗生剤投与)に治る事が多いのですが、それを過ぎると外科的処置、つまり手術が必要になります。虫垂炎の手術は、普通は虫垂の根部(根もと)で虫垂を切除して終わります。しかし、炎症がひどいと、破れたり、周囲の組織、つまり盲腸と回腸に炎症が及んで塊を作りますから回盲部切除が必要になるのです。ただ、そこまで進んだひどい症例はほとんどいないのですが、今回は、3人続けて回盲部切除をせざる終えない症例でした。上行結腸癌の人が二人おられ、計5人の回盲部切除となったわけです。癌の場合は、リンパ節郭清をするため切除範囲が虫垂炎の時と異なり広くなりますが、術式としては同じものになります。切除範囲が異なるので保険点数は癌のほうが高いのですが、術野が癌のほうが広く切除する分、広いので、手術時間は逆に癌のほうが早く、炎症がひどい虫垂炎のほうが時間がかかります。
医者人生でこんな短期間に同じ術式の手術をしたのは初めてでした。
お知らせ
来年から、本格的に講演活動を行っていきます。
まずは、第一弾をお知らせします。
興味のある方は是非おいで下さい。
○健やかな身体づくり ○半日セミナー
講師:鷺坂昌美(治療師)、西野皐月○(エナジーコンシェルジェ)、Dr.K(外科医)
日時:2008年2月11日(祝)午後13時30分~16時30分。
場所:京都国際交流会館3階研修室
定員:50名
主催:オフィスSatsuki
申込み:mirai-zitugen@ezweb.ne.jp Tel090-6202-2455(音羽)
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先日の朝刊に名古屋市立大学の元教授が博士論文のお礼に金銭をもらった事が、収賄ということで逮捕されたと出てました。
博士号を取るには、まずテーマをもらいそれについて研究を何年もやり審査があってその審査に通れば、晴れて博士となります。審査には主査ひとりに、副査が5人くらいいて、それぞれに審査が通ったあとにお礼をするしきたりがありました。そのお礼の額は、教室によって異なり一定のものはありませんが、先輩からいくら位という額を前もって教えてもらいます。もちろん、主査が一番お礼の額は多いです。私の場合はあくまで審査が終了したあとのお礼ですから、試験に便宜を図ってもらうとかいうことはありませんでした。審査の前に、もし本当にお金を渡していたのなら収賄ととられても仕方ないかもしれません。もちろん、当人は便宜を図ったことはないと言うでしょうが。
お礼はあくまでお礼です。額がどうのこうのという問題は別次元です。その人の感謝の気持ちを額で表すのですから、ある人は1万円でもある人は100万円かも知れません。明確なお礼の額が決まってない以上その額を論じるのは論外です。
お礼と収賄の額の違いなどあるはずありません。1円でも要求したなら収賄は収賄です。ただ、本来はお礼は感謝の気持ちの表れなのに、それが表にでてニュースになるということは出す側がお礼の気持ちなどなかったということになります。
なら、最初からお礼などしなければよかったのにと思ってしまいます。仮に、お礼などする気がないのにお礼を要求されれば、それは収賄になります。
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アートをする人がアーテイストです。音をアートする人が、音楽家。絵をアートする人が画家。文章をアートする人が小説家、詩人です。建物をアートする人は建築家。そう考えれば、人生をアートする人は、すべてアーテイストです。そこに、確固たる意志があるかどうかだけです。アートをするには強い不屈の意志が必要です。
そう考えると、手術をしているわれわれ外科医も健康をアートしており、臓器を再建するときは出来上がりをアートしながら手術をしています。つまり、われわれ外科医も立派なアーテイストなのです。
私は、何か、アーテイストという言葉そのもの、言葉の響きに遠い憧れがありました。でも、遙か遠くの存在ではなく自分の中にその要素があり、実践していました。自分はアーテイストだったのです。
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