医者は患者さんを生かすためにあらゆることをしてきました。研修医の頃、癌の末期の患者さんに人工呼吸器をつけて、心臓が停まれば心臓マッサージをし、あらゆる薬を使い、1分1秒でも長く生かせることが当たり前でした。生きてもらうためではなく、生かせるためです。本人はもちろんですが、家族、そして主治医本人もくたくたになって命をもたせることにそれこそ命をかけていました。わたしはずっとその事に違和感を感じ続けていました。早く楽にしてあげればいいのにと。
うれしいことにいつのまにか、患者さんの個人の尊厳を守るという名のもとに命の助からない患者さんには積極的な治療は行わないような風潮になっています。
しかし、いまだにちょっと早めに見切り発車で患者さんを楽にしてあげようとして、殺人罪に問われる医師がいます。微妙な問題を含むので難しい問題ですが、少なくともいくら医療費を膨大に使っても生かすことに関してはどんな医療行為をしようと法的に罪を問われることはありません。臓器移植はその良い例だと思います。続きは来週に書きます。
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故郷の広島ではものもらいのことを’めぼ’といいます。辞書で調べてものっていなかったので方言なんだとわかりました。多分、目にイボができるから’めぼ’というんだと思います。その’めぼ’がまたできてしまい、右目はお岩さん状態です。今年、右目は3回目、左目と合わせて4回目です。最近、自己治癒力に感心があり、西洋医学に頼らず、自分で治すぞと意気込んでいました。確かにいつかは治るという確信はありますが、私は接客業ですから余り長引くと都合が悪いし、会う人毎にどうしたんですかと聞かれて答えるのも大変です。折角早く治る手段が他にもあるのにそれを利用しない手はないと考え直しました。東京に行くのに電車という便利なツールがあるのに俺は歩いていくぞと意気込むのと一緒だと思いました。物事はひとつの事に固執せず柔軟にいろんな可能性を考えて臨機応変に対応した方がいいですから。
’めぼ’は感染症です。抗生剤の点眼薬を使い、軟膏も塗って、内服もする。ひどい場合は、切開排膿も必要なことがあります。痔のところで緊急手術になることがあると自分で書いておきながら同じ失敗をするところでした。
早速、感染症3点セットを使っています。
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先日、すごいことがありました。
午後から痔疾患の緊急手術が2例続けてありました(痔も場合によってはごく稀に緊急に手術を要することもあるので十分注意しましょう。多くの人は潜在的に痔持ちです)。これだけでもすごく稀な出来事です。続けて同日に痔の緊急手術はこれまでの経験で始めてかもしれません。しかも年齢、性別は全く違いますが生まれた月日がおなじだったんです。月日が同じだけでもものすごく稀な出来事なのに、同じ疾患でしかも続けて緊急手術となると、思い出しただけですごい出来事でした。
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渡辺淳一さんの本の題名にあったと思います。
全身麻酔はその機序が実はよくわかってないらしいんです。何故意識がなくなるのか?いろいろ学問的は説明はありますが、’何故’がわかってないらしいんです。でも、とにかく安全に麻酔がかかり醒めますから安心して下さい。最近、麻酔から醒めて左手がしびれるという患者さんがおられました。神経の麻痺なのですが、普段でも新郎さんがハネムーンパルシーといって朝目覚めると手がしびれていたということがあります。新婦さんを腕枕して寝るからそうなるんです。でもある程度時間がかからないと(神経に負荷がかからないと)麻痺は起こりません。一番身近な例は肘の打ち所が悪いとジーンと手先がしびれますがそのうち治りますね。それが、短時間の麻酔なのにしばらくの間麻痺がとれないのです。起きている時は自動的に体を守っている(自律神経系)機構があるが、寝ている時や、特に麻酔がかかっているときはその防御機構が働かないためより短時間で体に侵襲がかかると容易に反応してしまうのだと思いました。ますます、肉体の神秘さ、偉大さを感じています。
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明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いいたします。
科学的根拠は全くないですが、医者の世界では自分の専門分野の病気になり、それで亡くなられる方が結構おられます。私の周りでは、不思議と、循環器の先生に肥満の人が多く、呼吸器の先生で喫煙者が多いようです。あと、癌を専門にされる先生は特に外科系でその専門分野の癌になったという話をよく聞きます。昔、冗談で癌が感染するんじゃないかと言っていました(そんなことないですよ)。最近、そういう先生は自分が一生懸命に病気を治しているという我が強いんじゃないかと考えるようになりました。自分が、自分がという’が’と、頑張りの’が’で、命懸けで治療をするから患者さんの波動と強く共鳴し医者も患者さんと同じ病気になり、なかには亡くなられる医者もでてくるんではないかと思うんです。我がないと共鳴しにくくなります。もっと、謙虚に、淡々と患者さんの病気と付き合えたら決して専門分野の病気にはならないし、病気にすらならないんじゃないかと思います。人類が健康で生きていくという神様(宇宙)の意思のお手伝いをしていることになるんですから病気にはならないんじゃないかと思うんです(実践してみます)。
かがみに映る自分から’が’がなくなると’かみ’になるとよく言われますが、’が’がなくなると’かみ’にはならないまでも病気にはなり難くなると思うので神様が喜んで下さるのではないでしょうか。
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