固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
久々にRessarさんのメールです。今年初めてだったんですね。(以前の分はカテゴリーのRessarをウリックして読まれてくださいね。)病状に変わりはありません。良い時もあれば悪い時もあります。その時その時を頑張って生活されています。彼女自身制約の多い中で精一杯生活し、かつ前進していく姿は素晴らしいと思います。で、今日紹介するメールは、調子がよかったのでしょう。お母さんの誕生日のために奮闘した彼女にしてはめずらしく身体を張った行動のメールです。なのでテンションも高め(笑)。
今日はだぁいすきなお母さんの誕生日☆
固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
「Ressarさんはどうされているんですか?」とか「Ressarさんのこと とても気にしています。」と僕のブログの読者(優しい方々が多いんですねぇ)からしばしば言葉をいただきます。そして最近はメールの内容がプライベートなことが多くなった(仲良しになったってこと?…笑)ので、ここで公開できないものばかりなんです。それですっかりRessarさんのメール紹介がご無沙汰になってしまいました。そして紹介がないとますます読者のみなさんが心配されますので、今回はここ1カ月ほどの間のいくつかのメールの中から選んで、それをさらに抜粋してご紹介いたします。
(20歳のお誕生日)
昨日、プレゼントが届きました☆☆☆本当にありがとうございます。とっても嬉しかったです。 両親共々、大変恐縮です。。気を使わせてしまってすみません。。。 もう、祝ってもらえる歳でもないので、どうぞ気を使わないでくださいね。 先日から、私宛に宅配便が相次いで、本当に恐縮しまくりです。。 20年前、生きることが難しいとされ、たとえ生を受けても、一生医療の力なしでは生きていくことが出来ない難病であると、宣告されました。 胎児の頃から、心不全が強く、出生後の手術も、大変難航しました。 今年の冬は越えられないだろう、といわれながらも、一年一年歳を重ね、気づけば20歳を迎えていました。 ターミナル期であると宣告されてから、数年。今もいのちの期限と闘っています。しかし、いつ何が起きてもおかしくはないから、出来るうちに出来るだけのことを、したいと強く願うようになりました。 家族が、仲間が、心からこの日を待っていてくれたこと、支えてきてくれた事実と大きな愛情の中で、私は今生きていられるのだと想います。 縁あってかいぼー先生にめぐりあい、いくつもの時を重ねてきました。こんな私にずっと付き合っていただいたこと、深謝します。本当にありがとうございます。 心のこもったお手紙もとてもうれしかったです。可愛い手紙の織り方に、思わずにこっとしてしまいました。子どもさんが折られたのですか? 私も小学生の頃、ちょうど学校内で手紙交換なるものがはやっていて、授業中、先生の目を盗んで、後ろから手紙がまわって来るんです。それに返事を書いて、また次の人に回す・・・。 先生は気づいていたかも知れませんが、特にお咎めもなく、スリルに思わずわくわくしたことを思い出しました。 本当にありがとうございました。
(ある日のメールのお礼)
動物の写真、とってもうれしかったです。
癒しを求めていたので(笑)
とってもかわいいですね♪
実は、私、カビバラとアルパカが好きなんです(笑)
よくみんなから変わった趣味だね。。。といわれますが。。
今日も一日いろんなことがありました、
精神的にもかなり、つらいです。
祖父を失ったときよりもずっと・・・・・。。
動物に癒されまくったので、今日はもう寝ます。
寝れると、、いいなぁ。。。
(メールのお礼(2))
夜分にいつもごめんなさい。
いろんな動物の写真送ってくれてありがとうございます。とっても癒されました。
冬は感染症の危険で、あまり外へ出してもらえないので、春になったら動物園行きたい!と両親にねだっているところです。
レッサーパンダに会いたい。。
実はレッサーパンダが好きで、
私のネットネームも、レッサーからとって、ressarなんですよ(笑)
今週末は、岩手から友人が来てくれる(頚椎損傷で寝たきりの子です)ので、逢うのがたのしみです。
わが家で何事もないことを祈ってます。。
(成人式の報告)
昨日は朝から成人式で、初めての着物。
知り合いの美容師の人に頼んだので、ぜんぜんきつくもなく、無事に終えることができました。
祖父がいたら・・・どんなによかっただろうと・・・想いながら。。
昨日は、写真嫌いな父も、よほど娘の晴れ姿がうれしかったのか、終始にやけ顔で、「次ぎ、俺も俺も」と私とのツーショットを嬉しそうにとってくれました。
母とも、はじめて本格的なスタジオで一緒に写真をとりました。
弟とも、並んで撮ったら(車椅子が見えないように背景を変えてくださいました)私より背が高くて、まるで私が妹のようで・・・これじゃ七五三だね、と家族で笑う場面もありました。。
本当に静かに年を越したいと想います。。
(年末のこと)
今日は今から父方の祖父の家へ泊まりにいってきます♪ 私ひとりで(笑) 弟も一緒のはずだったんですが、気が変わったらしく(思春期だからころころ変わりやすい・・・男)、いかないようです。。
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
Ressarさん おめでとう♪
明日はRessarさんの20歳の誕生日です。毎日毎日懸命に生きていらっしゃいます。相変わらず聡明で、僕にいろんなことを教えてくれます。ありがとう。Ressarさん。これからもよろしくネ。
こんばんわ。
メールありがとうございます。
あまり調子がよいとはいえませんが・・・・・
何とか生きています。
かいぼー先生の友達も亡くなられたんですね・・・・。
祖父のことを想いだしました。
もう今月で亡くなってから7ヶ月になります。
早いもんですね・・・・・。。
一時期は精神的にもどん底まで落ちました。
睡眠障害も重度化していきました。
ここまで落ちるか、というほど精神的にもきつい日々をこの半年間ずっと続きました。
でも、今は祖父の死が決して受け止められ前向きに捉えられたわけではありませんが、全ての出来事に感謝しています。
私は祖父の孫であり続けたという事実がある限り、その想いは変わりません。
今でも何が正しくて何をすべきだったのか、何が出来たのか、わかりません。
でも、死が避けられない事実であったならば、素直に受け止めるべきだとも想います。
いつまでもうじうじ迷っていても仕方が無い。
今でも祖父の声、ぬくもり、優しさ、忘れることはありません。
その全てが、私の原動力となっていたことは確かでした。
だからこそ、昨年の今頃は試験に向けただひたすら勉強しました。
祖父と一緒に同じ時間を生きたくて。
祖父と一瞬でも交わりたくて。
祖父の人生に触れたくて。
今では手遅れだった気もします。
でも当時の私は精一杯のもてるだけの力を出し切りました。
その結果が年末の急変、年明けの緊急手術となったのだとしても、私は何の後悔もしていません。
自分の限界を知りました。
同時に自分にとって一番大切な存在に気づきました。
病気は・・・・・残酷ですね。。
時間が許さない病気と向き合って、もう20年の月日が経とうとしているのに、実はまだ自分自身の限界というものを、私は知りません。
知るのが怖い、と想うことが正直な気持ちです。
生まれてくる前、母のお腹の中ですでに重度障害であることを告げられたとき、医療の助けが無ければ長くは生きられない、無事に生まれてきても、長期生存は望めないと、説明を受けたそうです。
幾度の手術と困難を乗り越え、寝たきりであると宣告されながら、奇跡的な生存を重ね、毎年、今年の誕生日は迎えられないかもしれない、といわれながら、1年1年確実に歳を重ねてきました。
先天性心疾患の重度枠に入る私は、その過去のデーターからも、20歳以上の長期生存はきわめて厳しいことも知っています。
中学のときには考えもしなかった、こんなに病状が確実に悪くなっていくことを。
深刻さは伝わっても、まだまだ大丈夫だと、何の根拠も無く自分に言い聞かせることができた私は、まだまだ子どもでした。
今はもう・・・・決して自分の身体にうそや誤魔化しは通じないということを身をもって知りました。
正直な気もち、前までは確かにあった病気と向き合うことが、怖くなったんです。
死ぬことが怖いのではありません。
生きて、いつ急変するとも知れぬこの病気と向き合うことが、怖くなりました。
そして一番怖いのは、それによって家族の生活が変わり、介護等の労力と迷惑を家族にかけることが怖くて仕方が無いのです。
家族も人間だから、介護疲れでしんどいときもあります。
決して親だから、子どもの介護をすることが当たり前だとは私は想いません。
障害を持っているから、親に愛されなければならないとは想いません。
健康な子どもでも、愛せない親がいるのだから・・・・
両親や弟は、本当に優しい人なので、いつも私中心で物事を考えてくれます。
自分たちだけならば、行けることも、私がいるために別ルートを探さなければなりません。
確実にあった体力や気力までもが、今は伏せていることを嫌でも認めざるを得なくなりました。
車椅子にも長く座っていることができなくなりました。
食事も腸での吸収が悪く、それだけでは十分なカロリーがとれず、現在栄養状態も悪く、栄養改善のために何らかのアクションが必要か検討中です。
心臓のほうも、今年の手術では結局変性部位がいたるところにあると判明し、切除ができず、CRT-Dの電池交換だけでおわりました。。
術後、痙攣したりと、命の危険が大きすぎたならば、手術なんてしなければよかった・・・・そう想ってきました。
でも、この入院で教えられたこともたくさんでした。
もう再入院なんて絶対に嫌だけれど、またいつか自分の病状ではそれが遠くないであろう未来に訪れることも承知しています。
なかなか思うようにいかない自分の身体。
いつの間にか、耐える、ということが身に染みているようで、多少のしんどさには鈍感になってしまいました。
人の顔をうかがってから、自分のことを言うようになりました。
無理することが当たり前になっていた。
そうしなければ、健康な人たちと同じことをこなすことはできなかったから。
でも結局は、現実と理想の壁の狭間で、いつも迷っている自分がいます。
いろんな思いを抱えて・・・・・
いろんなしがらみの中で生きています。。
20歳を目前にして、大人になるって何かをなだめて受け入れて、諦めることなのだとしたら、
私は大人になんてなりたくないとさえ思ってしまいます。
死を美化され風化されないためにも、
取り巻く環境から命というものを真剣に捉えて考えていく・・・・そういう課題がひとりひとりにあってもいいのではないでしょうか。
いつか死は自分にも、自分の家族にも訪れることなのだから。。
日付が変わったので今日ですが、
今日は母と成人式の着物を選びにいってきます。
本当は夏に展示会があったのですが、調子が悪くていけなかったので、個別に行くことになりました。
20歳の誕生日、成人式、一番楽しみにしているのはやはり両親みたいです。
本人はスーツでいいやん、、、と思ってしまうのですが、母が絶対振袖だ!とすでに掛けていたので、明日見に行ってきます。
毎年誕生日やクリスマスにプレゼントをくれる弟に、今年も「何が欲しい?」と聴かれたんですが、特に思い浮かばず・・・・なんでもいいといったら、不機嫌な顔をされまして(笑)
結局、ネックレスを弟にねだりました(笑)
二次成長を迎えて、すでに声変わりしておっさんみたくなってきてますが、めっちゃ可愛い弟です(笑)
学校が休みの日は部屋に乱入してきて、一緒に深夜までパソコンしたりゲームしたり、いい遊び相手になっています。
また、メールしますね。
かいぼー先生からのメールいつも励まされています。
またメールくださいね。
寒くなってきたのでお体たいせつにしてください。
インフルエンザ、佐賀でもはやっているようですね。
大阪でも相次いでの感染者、知り合いの感染続発が続いています。
私はワクチンがうてないので、治療薬のタミフルも飲めないので、ただひたすら罹らないことを祈るのみです。
それでは・・・・おやすみなさい。
夜分に失礼しました。
Ressar
固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
サガン鳥栖の島田選手のブログ。文末に毎回「前進」と書いてあるのが好きです。で、今日はRessarさんのメールをご紹介します。前回(8月21日)ご紹介したメールの2つ後に来たものです。なかなか精神的に立ち上がれなくて思い悩んでいたRessarさんが一筋の光明を見出した、そんな内容のメールです。「前進」そんな感じです。(以前のRessarさんとのメールはCategoryでRessarの項をクリックしてご覧ください。)
こんばんは。いろいろご心配かけるようなメールでごめんなさい・・・。。後で読み直して、馬鹿だなぁとつくづく自分の弱さを感じました。。人に頼ることが、人に甘えることが、知らずに生きてきたんです。。かいぼー先生に、つい本音を言ってしまいました。。それにお忙しい毎日にもかかわらず、優しい暖かいメールをありがとうございました。 少しずつ、どん底を見ては一筋の光りを見つけ、またどん底を見る・・・その繰り返しではありますが、人間というものは、そういうものであるのかも知れません。。
昨日は、祖父がお世話になった施設の夏祭りでした。相談員さんや祖父の担当だったケアワーカーさんからも誘われ、ぜひに・・・といわれていたのですが、その施設に今はもういなくなった祖父を想うと・・・一歩を踏み出せずにいました。。でも、わずか一年にも満たない特養での生活だったけれど、確かに祖父はあの施設で笑顔を築いていた。。それだけは、紛れもない事実でした。だから、つらいけれど、祖父がいないあの場所へもう一度行こうと決めたんです。。それで、心の整理が出来るなら、という想いも少しはありました。
でも・・・・何も心は変わらないままだった。いえ、、変わってはいけないんだと、気づきました。
相談員さんたち、職員さん方のご配慮で、特別に家族様席を特等で使わせてもらい・・・・
祖父の写真も持参して、いっしょに夏祭りを見物しました。
本当はすぐに帰るつもりでした。ここにいれば、想い出しそうで、想いが溢れそうで、自分がこれ以上壊れてしまいそうで、、怖かったから。。
でも、一度踏み入れたこの施設を、私は、なかなか出ることができませんでした。。
職員の皆さんが暖かく、それは以前と何も変わらないままの笑顔で、、迎えてくださったこと。。
去年の今頃は、祖父は笑って、一緒に夏祭りを楽しんでいました。手の不自由な私の食事介助に、「はよ、せんか」とせかしては、私をあせらせながら、それでも喜んでたこ焼きやカキ氷を食べてくれたこと。。私が唯一祖父に出来た介護は、、それくらいのことでした。。
祖父がいなくなってから、私の精神も、保っていた体力も、すべて・・・消えてしまった。。
もう、福祉の道には携われないと想いました。
自分の精神の限界を見て、これ以上自分は福祉という立場にいるべきではない、進むべきではないと想ってしまったんです。その想いは、この数日でどんどん膨らんでいきました。
初盆も終わり、情けないけど、馬鹿馬鹿しいけれど、自分の弱さを知りました。
でも、、違ったんです。。
昨日夏祭りに参加して、たくさんのお年寄りに出会ってしまったんです。盆踊りの音頭にあわせて手を動かし、嬉しそうに笑っているおばあちゃんたちの姿を見て、職員さんにたこ焼きやカキ氷を食べさせてもらって、笑顔なおじいちゃんたちの姿を見て、私の心に眠っていた、閉ざしてしまっていた、「もう一度、福祉の現場へ戻りたい。もう一度、高齢者福祉の現場へ・・・」その想いが、また溢れてきてしまったんです。。
それは、言葉に出来ないほど、力強く、揺れることもない想いでした。 祖父がくれた一筋の光りでした。
生きる希望さえ見失いそうだった今、また新たに、祖父のちからによって、そしてこの施設の職員さんや利用者さんの笑顔によって、私の今は、支えられて繋がれていきました。
お年寄りが大好きなんです。その想いが、萎えることは決してありませんでした。どんなに自分がどん底にいても、決してその想いだけはいつだって、色褪せることはなかった。。
祖父といろいろ語り合ったこの場所。
祖父の笑顔を見た場所。
祖父と関わりあった場所。
そこへ行くことを最後まで躊躇っていた自分が、妙に馬鹿らしくなりました。おじいちゃんに、「ほら(Ressar)、しっかりしろ」と叱られたような気がしました。
最後に、多くの入居者さんやご家族さんが来られている中、 施設長はじめとした相談員さん、関わってくださった看護師さんたち、そして介護士さん職員方に、
「また、遊びにきてください。(Ressar)さんなら大歓迎です」
「身体に気をつけてね」
「(おじいちゃんの名前)さんや(Ressar)さん御家族さんに出逢えてよかったです。」
泣けてきました・・・・・私は、ひとりではないんだ・・・・ここでまた、笑顔を貰った・・・
おじいちゃんに心の中でそっと語りかけます。
・・・・・ 私、まだまだ弱虫だけど、もうちょっとだけ、もう一度だけ・・・・福祉、学んでもいいかな・・・・・と。。
おじいちゃんと過ごしたあの場所へ、、もう一度、戻りたいんだ・・・・。。
それが、素直な気持ちでした。
ボロボロだった精神と身体に、昨日は少しだけ枯れかけた花に水をやることが出来た。
でも、、もう少し泣いてもいいかな・・・・・強くなくて、いいですか・・・・。。
おじいちゃんが出会わせてくれたたくさんの物語。私、自分の人生すら投げ出そうとしていました。でも、もう一度、築いてみます。祖父と生きた時間を。この施設で祖父と職員さんが築き上げてきた時間を。
まだまだ前向きには生きれないけれど、後ろ向きな生き方にも、寄り添えるそんな自分で居続けたいと想います。。もうちょっとだけ、、泣いてもいいですか・・・?。。おじいちゃんのことをいっぱい想って。。心からっぽにして、ただ、おじいちゃんと生きた時間だけを思い出したい。。
福祉ってなんなんでしょう。人々の「幸福」ってなんなんでしょう。
福祉を目指す駆け出しの私には、まだ明確に、その答えを持ち合わせてはいません。きっと、これから相談員として現役である限り、そして福祉を目指す限り、、その答えなど、永遠に輪からないのかも知れません。。
大学入学の出願も、迫りつつ、
こんな精神のまま出願することが果たしていいのかどうか、迷っていた今。そんなときに、この夏祭り行事に参加しました。そしてたくさんの笑顔とであってしまったんです。
去年はあの中に祖父も確かにいた。いろんな想いが溢れ出てきます。。溢れる思考を止めることが出来ません。。
でも、もう一度、もう一度だけ。。出来るとこまで、行きたいと想いました。
前向きに生きることなど出来ません。しかし、そんな生き方でも、後ろ向きな人生にも向き合える、そんな生き方でも、それが自分だといえるように・・・それは恥でなく、そんな自分の生き方をいつか誇りとすることができるように・・・祖父母が導いてくれた全てのことに、今は恥じることのないように・・・
かいぼー先生が、想っているほど、私はそんなに優しい人間ではありません・・・冷酷な部分も持ち合わせています。。
人を本気で想うことなど・・・自分のことを犠牲にできるほど、本当に人は、その人のためだけに生きれるのかどうか・・・・。
でも、恩師の言葉をいつも心に留めています。「どうせどん底にいるのなら、もっとどん底を見なさい。そして自分のどん底を知り、他人のどん底を知りなさい。」自分のどん底、限界を知っている人は、他人のどん底の痛みを知ることが出来る・・・
少しでもそんな自分に近づけたら、、そんな想いでいっぱいです。。
かいぼー先生、ありがとうございました。先生からのメールで、元気が出ました。
まだまだ、精神は不安定だけれど、がんばっています。
今夜はゆっくり眠れるといいな・・・・・。。
Ressar
固定リンク | コメント (6) | トラックバック (0)
久しぶりにRessarさんのメールを紹介します。Ressarさんとのこれまでのメールは右のCategoryでRessarの項をご覧ください。これまで100件以上(今回が110件目)ご紹介してきました。彼女の命があることに感謝しています。そして彼女はそのような厳しい身体状態とともに聡明な頭脳を持ち、自分の生き方を懸命に探っています。いや、手繰り寄せようとしています。どうにもならないこの身体、それを背負うのは宿命。そして、でも、彼女は自分の力で自分の信じる道を進もうと。そんな彼女の純粋なそして必死な生き方に感銘を覚えます。僕の方が力をもらっています。このブログの読者の方々からも直接そのようなお声をしばしばいただきます。そういうお声が彼女の力になります。そんな彼女、もちろん、いつも前向きなはずがありません。壁にぶつかっては苦しみます。そしてきっと乗り越えていきます。
夜分にごめんなさい・・・。なんだか、いろいろ考えすぎてたら、、眠れなくなって。。。誰かと突然話しがしたくなりました。。
私、正直今の病状が楽観視できないということを、忘れていたのかもしれません。。祖父母の影響で、高齢者福祉の道に、もう一度戻りたい、、それは祖父の死によって、更に強く思わさせてもらったことでした。。でも、私は何も現実には、、自分の病状のことを把握していなかったのかもしれません。。
先日、心臓の主治医と小児がんの主治医と担当医が訪問にきました。その際、年末のあの急変から心臓ばかりに注目されすぎていて、他の疾患も多々あるのに、そちらのほうは疎かになっていた事実に直面し、数値は明らかに小児がんが進行していることを示していました。。主治医から、このままの数値が続くならば、入院治療を視野にいれたほうがよいと提示されました。
多少なりとも医学の知識がある私です。この数値と今の病状をみても、入院が妥当であることは必須であることはわかっているのです。。
でも、どうしても、納得できなかった。。
現場に戻りたい、と、もう一度福祉の現場に戻りたいと、高齢者支援にあたりたいと、本気で思った、
思い描いた私の未来は、間違っていたのでしょうか。
私は・・・確かに自分の身体を、寿命を、体力を削ってまで、病児支援相談員と言う仕事に徹してきました。その中で、出会った子どもたち、親御さん。関係者。相談員仲間。。つらかったとき、仕事で悩んだとき、迷ったとき、そっとそばで見守ってくれたのは、いつだって両親であり、弟であり、祖父母であり、また大切な仲間たちでした。。
抗がん剤や放射線治療をまっくすで使っていた時期。無菌室から出ることもできなかった地獄の日々。あの日々だけにはもう、戻りたくないと想います。
主治医から余命宣告を受けて、ターミナルを選択し、在宅での生活を続けて2年。。もはや限界はきたようです。。
度重なる抗がん剤治療で、元々不完全な心臓は更に負担をかけすぎて、弱る一方でした。 在宅に戻ってからも、抗がん剤を完全に止めることはできず、マイルドな治療を行ってきましたが、それでもがん細胞は一時は勢力が衰えたように思ったのに、、また暴走をしはじめてきました。。
人は、無力ですね。。
私は、そのときが来るならば、素直に、自然と死を受け入れようと思っています。自然の摂理に、人間は逆らうことはできません。。私は何人もの仲間を見送ってきました。最愛な人の最期にも、何度も立ち会いました。
人はこんなにも、無力なのでしょうか。科学や医療は、必ずしも発展しなければならないとは私は思っていません。科学を成し遂げる者が人間である以上、必ず(限界)というものはあります。
限界を認めることから、人の死も自然と受け入れられるときが来るでしょうか。。
私は今も何も変わっていません。。志も、あのときのまま、去年と何も変わっていないんです。変わったのは、私の病状と確実に悪くなっていく体力のなさ、そして周囲の環境。。。
一年で、人の人生はこんなにも変わるもんなんですね。。
私は・・・・・・父のいうとおり、この病状で、大学進学したいなど、現場でもう一度がんばりたいと思ったこと事態間違っていたのでしょうか。。。自分自身が、一番わかっていたはずなのです。
確実に進行していく中、自分にしか分からない些細な体調の変化。それに気づきながらも、気づかないフリをしてきました。。
父の言葉は、いつも正しかったのです。「現場なんて、どうやって戻るねん。お前にはもう無理や」冷たい言葉でしたが、父はいつだって私のことを想い、私の現状を知っていました。
一方で母親はいつだって、私を応援してくれた。何をするにしても、したいと思ったことは背中を押してくれた。迷っていたことも、母が背中を押し続けてくれたから、がんばることもできていたのです。
両親からしたら、私は迷惑かけっぱなしのどうしようもない親不孝な娘です。でも、、これだけは譲れない確かな想いが、強い想いが、、あった。。
病気は、、どうして出来ることを、日に日に奪い、
遺された時間が後どれくらいなのか、私にも分かりません。。
(中略)
何をするにも、不便が伴います。。それを回りに伝えることも、疲れてしまうときもあります。。入院を拒否した取引に、仕事の時間を減らすことを条件に取引をしました。何かを犠牲にしなければ、生きていけないんですね。。
今は悶々と、自分の体力のなさ、進行のスピードの速さ、毎日のしんどさと向き合いながら、自分の身体と精神の両方の限界を噛み締めています。。
私に・・・・夢を見ることは、再び夢を語ることは、馬鹿なたわごとだったのでしょうか・・・?
夜中にごめんなさい。。
誰かと話しがしたくて。。
ひとりでは抱えきれない自分が、情けないです。。
Ressar
固定リンク | コメント (6) | トラックバック (0)
| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | |||
| 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
| 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
| 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
| 26 | 27 | 28 | 29 |