2009.08.21 07:56 |  生活 / くらし  |  Ressar  |  かいぼー  | 推薦数 : 0

思うようにはいかない

久しぶりにRessarさんのメールを紹介します。Ressarさんとのこれまでのメールは右のCategoryでRessarの項をご覧ください。これまで100件以上(今回が110件目)ご紹介してきました。彼女の命があることに感謝しています。そして彼女はそのような厳しい身体状態とともに聡明な頭脳を持ち、自分の生き方を懸命に探っています。いや、手繰り寄せようとしています。どうにもならないこの身体、それを背負うのは宿命。そして、でも、彼女は自分の力で自分の信じる道を進もうと。そんな彼女の純粋なそして必死な生き方に感銘を覚えます。僕の方が力をもらっています。このブログの読者の方々からも直接そのようなお声をしばしばいただきます。そういうお声が彼女の力になります。そんな彼女、もちろん、いつも前向きなはずがありません。壁にぶつかっては苦しみます。そしてきっと乗り越えていきます。

夜分にごめんなさい・・・。なんだか、いろいろ考えすぎてたら、、眠れなくなって。。。誰かと突然話しがしたくなりました。。
私、正直今の病状が楽観視できないということを、忘れていたのかもしれません。。祖父母の影響で、高齢者福祉の道に、もう一度戻りたい、、それは祖父の死によって、更に強く思わさせてもらったことでした。。でも、私は何も現実には、、自分の病状のことを把握していなかったのかもしれません。。
先日、心臓の主治医と小児がんの主治医と担当医が訪問にきました。その際、年末のあの急変から心臓ばかりに注目されすぎていて、他の疾患も多々あるのに、そちらのほうは疎かになっていた事実に直面し、数値は明らかに小児がんが進行していることを示していました。。主治医から、このままの数値が続くならば、入院治療を視野にいれたほうがよいと提示されました。

多少なりとも医学の知識がある私です。この数値と今の病状をみても、入院が妥当であることは必須であることはわかっているのです。。
でも、どうしても、納得できなかった。。
現場に戻りたい、と、もう一度福祉の現場に戻りたいと、高齢者支援にあたりたいと、本気で思った、
思い描いた私の未来は、間違っていたのでしょうか。
私は・・・確かに自分の身体を、寿命を、体力を削ってまで、病児支援相談員と言う仕事に徹してきました。その中で、出会った子どもたち、親御さん。関係者。相談員仲間。。つらかったとき、仕事で悩んだとき、迷ったとき、そっとそばで見守ってくれたのは、いつだって両親であり、弟であり、祖父母であり、また大切な仲間たちでした。。
抗がん剤や放射線治療をまっくすで使っていた時期。無菌室から出ることもできなかった地獄の日々。あの日々だけにはもう、戻りたくないと想います。
主治医から余命宣告を受けて、ターミナルを選択し、在宅での生活を続けて2年。。もはや限界はきたようです。。
度重なる抗がん剤治療で、元々不完全な心臓は更に負担をかけすぎて、弱る一方でした。 在宅に戻ってからも、抗がん剤を完全に止めることはできず、マイルドな治療を行ってきましたが、それでもがん細胞は一時は勢力が衰えたように思ったのに、、また暴走をしはじめてきました。。
人は、無力ですね。。
私は、そのときが来るならば、素直に、自然と死を受け入れようと思っています。自然の摂理に、人間は逆らうことはできません。。私は何人もの仲間を見送ってきました。最愛な人の最期にも、何度も立ち会いました。
人はこんなにも、無力なのでしょうか。科学や医療は、必ずしも発展しなければならないとは私は思っていません。科学を成し遂げる者が人間である以上、必ず(限界)というものはあります。
限界を認めることから、人の死も自然と受け入れられるときが来るでしょうか。。
私は今も何も変わっていません。。志も、あのときのまま、去年と何も変わっていないんです。変わったのは、私の病状と確実に悪くなっていく体力のなさ、そして周囲の環境。。。
一年で、人の人生はこんなにも変わるもんなんですね。。

私は・・・・・・父のいうとおり、この病状で、大学進学したいなど、現場でもう一度がんばりたいと思ったこと事態間違っていたのでしょうか。。。自分自身が、一番わかっていたはずなのです。
確実に進行していく中、自分にしか分からない些細な体調の変化。それに気づきながらも、気づかないフリをしてきました。。
父の言葉は、いつも正しかったのです。「現場なんて、どうやって戻るねん。お前にはもう無理や」冷たい言葉でしたが、父はいつだって私のことを想い、私の現状を知っていました。
一方で母親はいつだって、私を応援してくれた。何をするにしても、したいと思ったことは背中を押してくれた。迷っていたことも、母が背中を押し続けてくれたから、がんばることもできていたのです。
両親からしたら、私は迷惑かけっぱなしのどうしようもない親不孝な娘です。でも、、これだけは譲れない確かな想いが、強い想いが、、あった。。
病気は、、どうして出来ることを、日に日に奪い、
遺された時間が後どれくらいなのか、私にも分かりません。。
 (中略)
何をするにも、不便が伴います。。それを回りに伝えることも、疲れてしまうときもあります。。入院を拒否した取引に、仕事の時間を減らすことを条件に取引をしました。何かを犠牲にしなければ、生きていけないんですね。。

今は悶々と、自分の体力のなさ、進行のスピードの速さ、毎日のしんどさと向き合いながら、自分の身体と精神の両方の限界を噛み締めています。。
私に・・・・夢を見ることは、再び夢を語ることは、馬鹿なたわごとだったのでしょうか・・・?
夜中にごめんなさい。。
誰かと話しがしたくて。。
ひとりでは抱えきれない自分が、情けないです。。
 

Ressar

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