あるひとが亡くなったとして、そのひとのことを何度も何度も思いっきり思い出すこと。これが大事なことなんだろうなぁと思います。またその後に行われる法事。肉親の死の後に休む間もなく次々に行われます。私は母の死の時に悲しむ間も与えられずに、初めての経験の中、さまざまな手続きにばたばたと追われました。七七日を終えほっとした記憶があります。ゆっくり悲しめたのはその後でしたが、その頃には悲しみは随分昇華されていました。後になって思えば、法事がそのように忙しく行われる一つの理由はそうして悲しみを減じるためのことだったのか、そして普段は会わない親戚や母繋がりのひとびとと法事の度に顔を会わせる。これは亡くなったひとの縁を残された家族と繋ぐ母のお土産なのだと後で思いました。法事というのはうまくできたものだと思います。
今日はRessarさんのおじいちゃんが亡くなって2週間近く経って来たメールです。
メールありがとうございます。
祖父が亡くなり、先日初七日を終え、明日二七日を迎えます。早いもので、何も癒えぬまま時間だけが過ぎて・・・
私にとっておじいちゃんは、誰にでも誇れる人でした。同時に、私にとってはなくてはならない人だったのです。
祖父は家族にも、決して多くのことを語ることはありませんでした。いつも無口で、私の知っているおじいちゃんは、何事にも動じず、無表情で・・・・とても偉大な、そして存在感がある人だったんです。だけど、多くのことは語ることはなかったけれど、私たちに、自分の生きたその人生、過程、生き様から、多くのことを教え、語り、伝えてくれたのだと想います。
祖父が寝たきりになって1年半。我が家はいろいろな複雑な事情で、祖父は私たち一家が、責任をもって、最後まで看ようと決意しました。私の父もとても協力的で、なかなか仕事で忙しく祖父への面会もいけませんでしたが、祖父は私の父を自分の息子のように慕ってくれていました。弟も介護に協力的でしたし、祖父のことが大好きでした。
私は・・・・祖父がいなくなって、多くのことを考えさせられました。
もっと会いに行ってあげればよかった。もっと別の関わり方があったかも知れない。もっと話しかけてあげればよかった。もっと・・・・もっと・・・・
人間というのは、どこまでも浅はかで、どこまでも貪欲な生き物ですね。失ってはじめて気づくのです。その大切な存在だったことを。
私は、5年前に父方の祖母を亡くしました。そのときの光景も、今でも覚えています。脳内出血で倒れ、左半身麻痺という後遺症と9ヶ月の闘病の末、誤嚥性肺炎でなくなりました。ちょうどその頃、母方の祖母も結核疑いで緊急入院したりと、ばたばたしており、その日も病院が遠い母方の祖母の面会に行ってから、父方の祖父が入所している老健へと面会に行こうとしたまさにその車内の中で、父方の祖母の死を聴かされました。祖母の死には立ち会えませんでした。誰も・・・・でも、父方の祖父が面会に訪れ帰った後に、静かに息を引き取ったといいます。 きっと祖母は・・・祖父に最後を、悲しみを与えたくなかったのだろうと想います。祖母の死に目に会えなかった。それは私たち家族がもっとも悔やまれた出来事でした。
しかし今回、祖父の死に目に家族みんなで立ち会えた。。。そして施設の方たちにも看取っていただけました。
私は、当時祖父を祖母同様に在宅で介護がしたくて、施設入所は消極的な気持ちから探し出しました。でも、老健を経て、理解ある暖かい特養に出会い、そして自身が住環境を学ぶ中で、また祖父の面会に通う中で、在宅で生活することが幸せに繋がるわけではないことに気づかせてもらいました。
祖父は在宅に居る頃、何らかのストレスから、自分の想っていることをうまくしゃべれない(喚語障害)や歯をしきりにカチカチ鳴らす、などの症状がありましたが、不思議と特養にうつってから、その症状はなくなっていました。改めて環境を整えることの大切さ、重要性を気づかせてくれたのは、祖父であり、施設の職員方の対応意識でした。
消極的な気持ちから始まった祖父の施設探しは・・・・この施設に出会って、そして最期までこの施設で祖父は笑顔でした。祖父の笑顔で、当時必死になって探し、ここに入所を決めた私の判断は、間違っていなかったと、今胸をはって伝えることができます。
祖父が亡くなり・・・悲しみは癒えることはありません。だけど、祖父に感謝しています。かいぼー先生がいってくださったように、祖父のことを語り続ける限り、祖父は生きつづけています。
私は、祖父が亡くなって、本当につらかった。葬儀が終わってからもずっとずっと、泣いていました。こんな気持ちのまま、私は福祉の道へ携わることは出来ないとも想いました。大学進学もやめようと想いました。今関わっている病児支援相談員の仕事もやめようと想いました。
でも、本当にそれが祖父が願っていることなのだろうか?祖父はどんな思いで、私の成長を見守ってくれていたのだろう。初孫だった私はとてもかわいがられ、幼稚園の頃は、毎日様子を伺いに来ていたことを知っていました。小学校にあがっても、身体が弱かった私は、祖父を何度も学校で見かけたことを記憶しています。祖父は・・・・・私の成長する姿を、心から見守ってくれていました。それは亡くなった今も、変わらぬままだと想います。祖父が福祉大学に進学する夢も、住環境の資格も、もう一度福祉を志そうと想ったきっかけもチャンスも、強さも、すべては祖父からはじまったのです。祖父との物語をこれで終わらすわけにはいかないと想いました。死はすべての終わりではありません。死からはじまるその物語を、祖父ともう一度築いてみたいと想いました。
まだまだ落ち着きは取り戻せていません。しかし、確実に時間はながれ、日常を取り戻しつつあります。父には会社が、弟には学校が。母には家事が、私には・・・・・。
おじいちゃんが、たくさんのことを残し、たくさんのことを教えてくれたように、祖父の強さをほんの少しだけ受け継いだ私は、祖父を忘れぬ強さに変えて生きたいと想います。
かいぼー先生にもご心配をおかけしました。でも、げんきです。決して、「祖父の介護を精一杯出来た。」とは、胸を張って言うことは出来ません。出来なかったことのほうが、多いから。。それでも、祖父の笑顔、祖父との会話、祖父と交わしたアイコンタクト・・・・。。私には祖父と過ごした時間が、とても大切でとても愛しかった。祖父が寝たきりになってよかったとはいえないけれど、この1年半という短い時間が、祖父と一番近づけた、寄り添うことが出来た、祖父のために突っ走ることができた、貴重な時間だったかも知れません。
私はこれからも祖父のことを語り続けます。祖父は、まだ生きています。
Ressar
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