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2009.06.30 00:13 |  診療  |  生活 / くらし  |  Ressar  |  かいぼー  | 推薦数 : 0

旅立ち

先ほど、ひとりの患者さんの看取りをしてきました。苦しまれることもなく笑みを湛えたようなお顔で大往生でした。ほんの8時間前の往診の時には手を合わせて合掌してくれていました。本当に良かった。世間では救急ばかりが注目を集めがちですが、私たちかかりつけ医にとっては、このような看取りの医療はとても厳かで、大切な医療行為です。在宅医療に関して24時間体制で行っている診療所があることをどれだけの方がご存知でしょうか。といっても高度医療をすることはなく、ただ寄り添って見守らせていただくだけなのですが。そしてこのように看取りの患者さんを経験することで私自身が成長させていただいています。私に看取らせていただいて本当にありがとうございました。

 

ひとの死を旅立ちと申しますが、亡くなった方の周りの人にとっても旅立ちだと思います。そのひとに頼って、また、そのひとに寄り添って生きてきたものを、そのひとがいなくなった世界で過ごさねばならなくなるのですから。

 

今日はRessarさんのメールをご紹介します。私はこのメールの返信に『そのひとのことを思い出して語るひとがいる間はそのひとは生きている。語る人がいなくなった時がそのひとの本当の死だ。だから大好きだったおじいちゃんのことをこれからもたくさん思い出して、お話ししてください。』と書きました。患者さんのご家族にも同じことをよく話します。

 

こんにちわ。今日は実は悲しい報告を最初に差し上げなければなりません・・・。施設入所中だった祖父が、一昨日息を引き取りました。誕生日を目前に控えた、83歳でした。金曜日に施設へ母と面会にいったときには、元気でいつものように笑顔をみせてくれました。
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5日が祖父の誕生日だったのですが、その日に施設からお祝いということで、祖父の注文どおり、ぜんざいが施設から出していただけるのを、祖父はとてもうれしそうに語ってくれました。それなのに・・・。翌日土曜日の夕方、施設から夕食のために車椅子で移動中に意識を5秒くらい失い、その後冷や汗とともに腹痛を訴えたとのことで、緊急搬送されました。その夜は両親だけが駆けつけ、結果イレウスの再発で、幸い早期だったようで、そんなにひどいものではないと思われていました。しかし、日曜日朝早くに、病院から急変の知らせがあり、母がまず先に駆けつけました。 そのときは嘔吐後の誤嚥性肺炎を引き起こし、呼吸が自力では出来ない状態にまでなってしまいました。その後正午前に母からもう危ないから早く来て欲しい、との連絡を受け、父と弟ともに駆けつけたあと、426日午後424分、息を引き取りました。私たちが駆けつけた後、人工呼吸器を装着した祖父に会いましたが、意識がはっきりしたもとでの装着だったので、苦しいのか、何かを訴えようとしているのですが、それを私たちは理解してあげることが出来ませんでした。。。
最期の祖父の言葉はなんだったのだろう・・・。最期の祖父の想いを、言葉を、聴いてやれなかったことが、今最も悔いの残る出来事です。でも、最期は、家族みんなで看取ることができました。祖父の最期は、あの施設で・・・。という私の強い願いは叶うことが出来ませんでしたが、最期は施設の方が駆けつけてくださり、相談員さん看護職員さん方に見守られながら、共に最期の瞬間に立ち会うことが出来たのが、唯一私たちが出来た祖父への孝行だったかも知れません。
昨日が御通夜で今日が告別式でした。2日会館に泊まり、今日帰ってきたところです。まだまだ、気持ちの整理も出来ず、何も考えることも、何も癒えぬままではあります。 祖父は幸せだっただろうか。私は祖父にとってどんな存在で、何ができ、何をしてあげ、何ができなかったのだろう。 しかし、私にとって祖父はとても誇り高き人で、自慢の祖父でした。だから、一昨年に突然寝たきりになった祖父を、在宅で祖母のように、引き取りたかったし、でも家庭環境や住宅環境からも全介助が必要になった祖父を引き取ることができずに・・・最後まで施設への入所は、家族も消極的でした。私もいずれは在宅に連れて帰ることが目的でした。施設はそのための一歩だと思っていました。だけど・・・この想いは、私が住環境の勉強をし、そしてあの特養に出会ってから、私の価値観は間違っていたことに気づかせてくれたのも、だからもう一度、一度は諦めた福祉の道へ進みたいと強く思わせてもらったのも、祖父がいたからです。私は祖父から、何度も暖かい気持ちを、たくさんの感じる心を、もらいました。
この2日が、泣いてばかりで・・・夜もほとんど寝ておらず、かなり疲れてはいますが・・・。祖父の最期に立ち会えたこと、そして祖父が大好きだった私の父も、亡くなる前に母と駆けつけ、ずっとそばで、そのときは話も出来たそうで、いろんな話をしていたそうです。
祖父は、私の父をとても慕っていました。だから、なかなか仕事で祖父の面会へも行くことができずにいた父が、祖父と最期に、会話が出来たことを、とても誇りに思っています。昨日も今日も、施設の方々も出席してくださり、最期の見送りまでいてくださいました。 私は、この施設に出会えたことが、ここを探し出し、入所を決めた私の判断は、間違っていなかったと、今誇りを持って伝えることが出来ます。
あまりに突然すぎた・・・まだまだ長生きしてくれると思ってた。永遠なんて存在しないことを嫌というほど味わってきたけれど、祖父には施設に行けばいつだって会いにいくことが出来るんだと・・・まだまだ大丈夫なんだと・・・。。。私の考えが甘かったのだと、祖父はまた最期にいろんなものを残してくれました。
式典は、祖父の親族も皆、亡くなっていたり高齢だったりするため、ごくごく知っている方たちと、施設の方や寝たきりになった当初リハビリを担当してくださった先生など、本当に少人数での式典でしたが、法名には、私の名前の中から一文字をとっていただきました。
もっと・・・祖父と話がしたかった。もっと・・・笑ってほしかった。もっと・・・生きてほしかった。でも、祖父はいつまでも私の大切な祖父であり、今も生き続けています。何も出来ることがなかったけれど・・・祖父の孫であったことが、私の誇りでした。
まだまだいろんなことを乗り越えなければなりません・・・まだ、気が張っているため、何もかもをこなしている自分が恐ろしくあります。
かいぼー先生にも、このメールを通して、祖父の存在やいろんなことでご心配ご迷惑をおかけしたので、ご報告を、と思いました。
Ressar

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かいぼー先生のおっしゃるとおり、地域のかかりつけ医の存在なくして地域住民の安心は確保出来ません。こんな事を書いてはどうかと思いますが、救急医療の欠点は、治る可能性が無い患者さんに対する事ではないでしょうか。またもや私の身内が癌を患った事を考えると私も可能性が高いのではと心配になります。最後の最後まで人として扱って頂けるそんなかかりつけ医の先生方を蔑ろにする事は無く、私も自分の最後の時はかいぼー先生にお願いしたいです。その方が私の家族も安心します。
written by 元サッカー選手 / 2009.06.30 10:02
最後は涙で字が読めませんでした。深いメールですね。
尊厳ある死との邂逅、それを「看取り」という立場で臨終を積み重ねていかれるというのは、医師としての大きな修行なのでしょうか・・・。
今更ながら医師のシフトエリアの広さと深さ、そしてホスピスから派生語だといわれるホスピタリティという人間愛の言葉を思わされます。
とてもこころに残るブログでした。感謝
written by 風竿 / 2009.06.30 12:43
ご無沙汰しております、「看取り」という言葉初めて知りました。最後の瞬間を見るというのは色々な想いが交錯すると思います、そこにある「心の通う間」というのが医療ひいては人間同士の根底にある物なんでしょうか?
往診の際には手を合わせて合掌をされていたと・・感謝の気持ちだったんでしょうか。具合が悪い時には「健康が一番」といいつつ健康で動ける時にはつい自我が出てしまう僕にはとても身につまされるお話でした。
written by じゅんぼ〜 / 2009.06.30 16:48
元サッカー選手さん。私より長生きしてください、というか当然、そうでしょう(笑)。
高度医療をする必要のない、あるいは希望しない、そして自宅で亡くなることを希望されている、そのような方の意思にできるだけ報いることができるようにこれからも精進していきたいと思います。またそれができるような社会資源の充実も必要です。
また、がん予防にもっとも効果的なことは「たばこのない社会」をつくること(少なくとも受動喫煙のない社会)、そしてがん検診の徹底です。たとえば胃カメラや大腸検査なども「きついよねぇ」とお互い敬遠しあうのではなく、「受けたがいいよ」と勧め合う。婦人科検診も若いうちから受ける。
県医師会の取り組みとしては2年前から小中学生への防煙教室(がん予防)、そして今年から性教育(命の尊厳)をします。
written by かいぼー / 2009.07.01 09:05
風竿さん。いつもコメントありがとうございます。医師はひと(患者さん)によって育てられます。様々な経験を積むことで成長するのですが、その様々な経験は患者さんによってさせていただくのです。もっと良い方法があったのではないか、との反省や考察の繰り返しです。また忘れられないのは患者さんの苦痛の表情や笑顔です。なので良い医師(これは医師に限りませんが)というのは謙虚なものと思います。できないことはできないと言い、もっと優れた医療のできる医師に紹介することも私たちかかりつけ医の仕事です。それでも「紹介しなくていい」とおっしゃる患者さんもいらっしゃいます。私では十分な医療はできないのにと心苦しくもありますが、その信頼の気持ちはもちろんありがたく、その際は誠心誠意がんばるのみです。そしてそこでうまくいかないことに悩み、さらに勉強させていただいています。
written by かいぼー / 2009.07.01 09:17
じゅんぼ~。在宅の終末期は医療よりも看護にシフトします。医師である僕も精神面でのケアが中心となります。まさに看取りです。4月と今回看取ったかたはお二人とも、食事が入らなくなっても点滴をしませんでした。栄養状態が悪くなって点滴するとむくみがきて、それでじょく創や心不全などの原因になり、かえって患者さんを苦しめてしまうことも多いです。このお二人はまったく苦しまれることはなく、眠るように亡くなられました。何もせずに看取る。そのことの重要性をこのお二方で学ばせていただきました。


そうだ!今日から『おばタマ』7月号の放送だねぇ。僕も出てるので楽しみ♪見なきゃ♪
written by かいぼー / 2009.07.01 09:23

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