あまりにもひとの命が軽いですよね。理不尽な事件が多過ぎます。行政家や政治家も命より財政を優先して話すことが先進的なように思って堂々と発言する時代。実はそんなひとはもう時代遅れだと思いますけどね。今の時代何からする必要があるのか優先順位をつけて、まずどうしてもしないといけないことからやらないといけない時代ですよ。どげんかせんといかん!それはまず道路からですか?しかも教育や福祉の財源についてはそれほどがむしゃらにはならないのに道路財源は必死に守ろうとするひとたち。あれくらいの熱意で持って教育費や社会保障費を守ろうとしてくれれば社会は良い方に変わるんだけどと思うのは僕だけでなく多くの国民が思っているはず。
本来は生活が貧しくてもひととひととのつながりがある、心豊かな社会がいいんじゃないですか?基本的なところに立ち返って教育問題や社会問題を考えませんか?
理不尽な事件を起こすのも教育や社会がそうさせているのだと感じます。
さて前置きが長くなりましたが、久々にRessarさんのメールです。待ってました!と思われる方も多いことと思います。最近彼女の調子はあまり良くないようです。このメールは3月初旬のものです。
こんばんわ。
最近なかなかメールのお返事をかけなくてすみません…。具合があまりよくなく……最近、進行していっているのを、本当に身を持って感じています。。
余命を宣告されてから、もう1年以上の歳月が流れました。“延命”だけの治療で、ここまで生きれているのは、本当に奇跡だと言われています。抗がん剤をMAXに使っていたあの厳しい治療をしていた時期と比べれば、最小限の延命を重視した、抗がん剤の種類を変え、心臓への毒性が少ない種類のものに変更してから、がんの勢いはとどまりませんが、一時期は体調があがっていた時期もありました。痛みもモルヒネを使いながら、コントロールはできないけれど、まだ耐えれるものでした。でも、先日の検査の結果では、病気の進行を告げられ、検査データーは、私と両親と、そして主治医たちに、改めて、“覚悟”を求めてきました。両親も主治医たちも、余命宣告から1年以上生存し、毎日が大変な中でも、こうして日常を送れていることで、時々錯覚を覚えていたそうです。
“このままずっと生き続けるのではないか…”
でも、そんな想いは幻想にすぎず、病気は改めて現実の厳しさを突き付けてきました。心臓の発作も続き、最近では座っていられる時間も少なくなりました。でも、大好きなおじいちゃんとおばあちゃんのことだけは…しっかりしようと思ってます。
昨夜、ABCテレビ系列にて、小さな生命スペシャル「愛してるよ、カズ」~君は、ママの宝物でした~が7時からありました。小児がんの子どもを追ったドキュメンタリーで、昨年に関東地区で放映されたところ、反響が大きく、新たな映像を加えての全国放映となったそうです。同じ小児がんを患っている者として、見ようと思いましたが、どれだけ気持ちが、このドキュメントリーについて行けるか…わかりませんでした。また、母は昨朝の予告で、すでに大泣きし、「あたしは、絶対見ない!!」と宣言していたのです…。
思い出すんでしょうね。私の小さかったときのこと、そして、余命を宣告された今現在のことを……。
でもね、これは別に、TVの世界だけの話じゃないんです。現実に今もこの国のどこかで、それはすぐ近くで。小児がんという難病に侵され、闘いながら生きている子どもやその家族がいる。それは別に、特別なことじゃない。
ただ、私たちが知らないだけなのです。小児病棟は、今もなお、閉鎖された空間、密室された空間と呼ばれ、それは感染症の危険、衛生上の問題から、なかなかオープンにはいかないのが現状です。
だから、知られていないだけなのです。
本当は今もすぐそこで、難病と宣告された子どもと家族が毎日を生きている。それは何もこうした形で、全国放映をされるほど、特別なことではないし、感動的でも、美的でもありません。
現実はもっともっと、苦しい。
映像には映せなかった、映らなかっただけで、
その影で、どれだけの涙を流し、どれだけの痛みを背負ったか。それは到底、第三者が測り知ることはできないものだと思います…。
このドキュメントは、決して特別なものじゃない。そして、「死にいくこと」も、特別なことではないのです。
確かに幼いこどもの死は、受け入れがたい現実として、世間に捉えられています。順番が狂った子どもの死は、やりきれないと、主治医が言っていました。でもだからこそ、僕たちは子どもから命の重さを託されたんです、とも語っていたんです。
「死」は特別なことじゃない。
「生」が特別なことなんだ。
決して、私たちは、可哀想な人生ではありません。よく、こういうドキュメントを放映された後の、コメントや反響を拝見すると、
「感動しました…」
「泣けました…」
「あんなに小さい子が頑張って生きているのだから、自分ももっと頑張らなければと思いました」
という、実にたくさんのドラマに関してのコメントがあります。しかし、闘病生活は感動や美談だけでは、向き合えるものではありません。
そして、彼らは、確かに短い生涯であったけれど、それは決して、可哀想でも気の毒な人生でもなかったはずです。
生きることが当たり前すぎて、本来必ず誰にでも訪れる「死」を、回避するべきという認識が人々の感覚になってきた現代社会。
決して、生きることが当たり前なのではない。
そのことを教えてくれるドラマが、彼らの人生には、いっぱいあると思います。
弟と夕飯を食べながら、見てました。弟は強い子だから、少しだけ泣いて、それでも、「お姉ちゃんとおんなじ病気?」と悲しそうに聞いてきた彼。私も少年と同じ、“横紋筋肉腫”を背負っています。私の場合、とても珍しく、心臓原発で、とても治療が難しいそうです。
少年の最期は…とてもつらかったけれど、でも小児がんのターミナルにおいては、何も特別な光景ではありません…。小児がんに馴染みのない人から見れば、強烈な映像だったと思います。経験者から見ても、やはりつらいものでした。でも、泣くことはできませんでした。そこには、家族の愛情があふれていたから。彼らより先に泣くことは、泣かずに頑張っていた少年はじめ家族に失礼だと思ったから。
たった1時間のドキュメントです。この時間で、どれだけのことが伝えられたでしょう。でも、彼の約6年にも及んだ闘病生活は、きっと「無」ではなかった。
その後、少年は、合併症によるMDSを発病し、余命2カ月と宣告されたが、10カ月もの時間を懸命に生き、一昨年その小さな命の灯りは消えました。少年と入れ替わるように、お母さんの中に宿った小さな命は、告別式の夜、生まれました。少年が授けてくれた宝物。そして、少年もまた、お母さんの一番の宝物でした。
命を軽視されつつある現代で、小児がんに侵された子は今でも尚、社会に訴え続けています。毎年3万人以上の人が自殺するこの国で。自ら捨てる命があるなら、その命を与えてほしいと…どんなに願っても、叶わぬ祈りがある。
社会は、どれだけその想いに寄り添えますか。いのちにたいして、あまりにも鈍感になってはいませんか。生きることに怠惰になってはいませんか。。
もう一度、自分に問い直す。
私は最後まで、このドキュメントを見続けました。弟もまた、涙をためながら、それでも向き合おうとした彼の姿は、すごいと思います。
「俺、姉ちゃん守るからな」
ドラマを見終わり、そう言った弟の頭をなでながら、君に背負わせてしまったことを、心から申し訳なく思ったのです。
守らなくてもいいんだよ
背負わなくてもいいんだよ
ただ、傍にいてくれるだけで
君の笑顔を見れるだけで、それでいいんだよ
あなたが生きてくれるだけで
そこにいてくれるだけで
私は最高の幸せを感じるから。
全国放映という形で、今回放映されたドキュメントですが、同じ小児がんを背負って生きてきた者として考えらさせられることがたくさんありました……。
まだまだ寒いです。来週からは少し温かくなるようですが、かいぼー先生は、その後お体壊していませんか?
メールを貰った後に、すぐにお返事を…と思いながら今になってしまいました。
これに懲りず…またメールください!!
Ressar
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