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そして先日、このブログのコメントに以下の書き込みがありました。
『はじめまして
生命に危機のある病気を直視しなければならない難病児の受け入れ施設を東京に運営しますNPOの渉外を担当しております。難病児のお住まいの自宅所在地から東京往復の旅費交通費、施設滞在時の費用(6泊7日)等全ての費用を助成いたします。ご本人とご両親はもとより、ご兄弟、祖父母の受け入れもいたします。東京近郊のアミューズメント施設等で楽しいご家族の時間を持っていただく支援をいたします。皆様のお知り合いで3歳から18歳までの生命に危機のある病気を直視しなければならない難病のお子さまがおられましたら、私たちの施設利用をご紹介いただけますようお願い申し上げます。一昨年9月に内閣府からNPOの認証をいただき、施設受け入れのための準備をしてまいりました。昨年12月から施設利用の受け入れを開始しております。3月の施設利用ご家族を募集しております。
永井健三 』
ホスピタリティ・ゲストハウスというNPO法人です。理事には武雄市とも縁の深い服部幸應先生も名を連ねておられます。僕から見れば大変規模の大きいといいますか、お金と労力、神経のいる大変な事業だと思います。日本にもこんなNPO法人があったのかと驚きました。まだ活動を始められたばかりで、名前も世間には知られていないので、このようなコメントをいただけたものと思っています。そしてRessarさんのことで書かれたようなので、彼女にもこの内容を貼付してメールしました。その返事についてはまた後日。最初の2年の活動実績が大事になるようなので、まずはみなさんに知っていただくよう活動されていることと思います。僕のブログからもリンクを貼っていますのでどうぞみなん、覗いてみてくださいね。
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サガン鳥栖と交流宣言をしている嬉野市。交流事業第二弾として
が開催されます。詳しくは(↑)をクリックしてください。
バリアフリーの町づくりを目指している嬉野市らしい交流内容だなぁと思います!(^^)!
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Ressarさんのメールです。(両親が私の介護に疲れ、私の存在を少しでも負担に感じ始めたら、その時が、私の最期であるとも思っています。)という言葉。彼女は本当にそう感じているのだと思います。
実際、私たちのまわりでも、介護者が負担に感じ、そして介護する事を止めてしまう・・・。ターミナルの現場でこのようなことが起きるのは珍しくはありません。だから僕らはそうなるまえに救いの手を差し伸べなければなりません。介護するひとも孤独な気持ちで、いつ終わるとも知れない気持ちで黙々と介護を続ける生活。老々介護の場合、介護者は気持ちを誰にも分かってもらえず、鬱々と沈んでいく。誰かが声をかけてくれれば。それがなぜ身内ではないのか?それが現実だったりするのですが、ならばせめて私たちが、と思って医療・そして介護の現場のひとたちは懸命に今日も頑張っているのです。行政サイドはどうですか?
こんにちは。
昨日は母の誕生日でした。毎年誕生日に渡している手紙と、今年は母の好きなCDをプレゼントしました。私は買いに行けないので、仕事帰りの父をコキ使ってしまいました…汗。
今日は、お寿司を食べて、お祝いしました。
母の存在は、とてもとても大きいです。
だからこそ、精いっぱいのおめでとうを言いたい。
誰よりも早く、誰よりも強く。
泣いていた時、一緒になって泣いてくれたのは、母でした。
つらかったとき、共に寄り添ってくれたのは、母でした。
しんどかったとき、背中をさすり続けてくれたのは、母でした。
寂しかったとき、強く抱きしめてくれたのも、母でした…。
私は、この母がいたから、今まで生きてこれたのです。
この母がいたから、辛い治療にも耐えられたのです。
母がいたから、生きようと思えたのです。
進行性重度難病を抱え、18年を生きてきて、本当にいろんなことがありました。
正直、死にたい。と思ったことだって、一度や二度ではありません。
だけど、私の隣には、気づけば母がいて…。共に同じ歩幅で歩いてくれた母がいた。
振り返れば、しっかりと刻まれたふたりの足跡が存在しています。
私は後悔なんてしていません。生まれてきたことを。
父と母の子として、生まれてきたことを、誇りに思っています。
時にすれ違い、時に分かり合えず、時に離れてしまった時もあったけれど。
あの日、「(Ressar)は、あたしが守る!!」そう言って、今までにない力強さで抱きしめてくれたこと。私は、自然と涙がこぼれました。あの日、決めたのです。私も、守っていこうと。母が目指すべき道へ、私も母と同じものを守っていきたいと…。そして、母の幸せを築いていきたいのです。
今度は、母が幸せになる番です。私たちは、今まで母にたくさんの幸せを貰ったから。母によって、とても温かいものを、たくさんもらったから。だから、今度は、母が幸せになってほしいのです。
母は…本当に私を生んで、一度足りとも後悔なんてしたことがなかったのでしょうか?
「そんなこと一度も思ったことない!」そう言ってくれる母は…私のためにどれだけの涙を流し、どれだけの苦労を背負ったか。
それを知っているだけに、私はつらくなるのです。せめて、私が生まれたことで、「あたしの人生は幸せでなかった」と思ってほしくなくて…。精いっぱいになってしまうのです。
私は、これからもこの命が続く限り、母の元で、共に生きたい…。そして、母の人生を少しでも背負わせてほしいのです。
人の人生を、背負うなんて。そんなかっこいいこと、私には言えません。
あなたの気持ちを分かってあげるなんて。そんなこと、言えるはずもありません。
人は自分に与えられた人生の中でしか経験できない想い、人生があるから。
でも、身勝手だけれど、私は母の人生を、少しでも背負いたいと、ほんの少しでもあなたの想いに寄り添いたいと、共に生きたいと…その気持ちに偽りはありません。そしてこの先も、決して変わることのない想い。
でも、優しい両親は、きっと、私のげんきな姿を見るだけで、優しく微笑んでくれるだろう。そんな、優しい両親の元生まれてこれたことを、本当に自慢したい気持ちです。
母の生き方は、私の誇り、私のお手本です。不器用な母の生き方は、この社会では生きにくいだろうなぁ・・・と感じることもあります。だけど、私はこの母により、支えられてきた。
今度は…少しだけど、私が母を支えたい。母の隣で、微笑んでいたいから。
大切な人の笑顔を見たい。だから私も……彼らの隣で、微笑んでいたいのです。
両親に恩返しもできないうちに、こんな体になってしまったことを悔しく想います。でも、私は……育ててもらったことを、感謝しています。だからこそ、もしも……両親が私の介護に疲れ、私の存在を少しでも負担に感じ始めたら。
その時が、私の最期であるとも思っています。
「そんなことあるわけないやん」とたくさんの方から言っていただきます。
だけど、それが本当に想うこと。
介護をして、疲れるのは当たり前。なのに、私の両親は、私の介護で、「疲れた…」なんてひとことも、言いません。でも…知ってるんです。
車椅子を車に積み込む作業で、腕を痛め、運転席で顔をしかめながら、深いため息をついている父の姿に。持病の腎臓が悪化して、辛そうに、それでも私に寄り添ってくれる母の姿に。私は…どれだけの親不幸をしてきたのだろうと……。
この家族で一緒にいられる幸せ。一緒に同じときを刻める幸せを心から感じつつ、今日は父の手料理で、はっぴばーすでぃ。
いつも頑張っている母に、今日だけは、幸せと感じてくれる瞬間が訪れますように……☆
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ヤフーニュースの記事です。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080227-00000001-cbn-soci
やっとこのような記事が公衆の面前に掲載されるようになりました。
言いたくてもなかなか公に言えなかったこと。そして頑張ってやった結果、傷ついてきた現場の人々。
行政の場でもやっとこのような発言をしても聞いてもらえて、マスコミにも取り上げてもらえるようになりました。
みなさんがこのような認識をちゃんと持っていただければ、現場で働く僕ら(僕は開業医ですが)も頑張らなければ、と思えます。そして患者さんやそのご家族とより良い関係を構築することが可能かもしれない、と思いました。実は開業医も同じなんです。頑張るひとほどツラい思いを経験しています。
(※『逃げたくなること』は下の『逃げないこと』に対するお題でした。『逃げたくなること』は献身的にしても報われないこと。『逃げないこと』は献身的にして報われること。)
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先日、NHKスペシャル『最期の願いをかなえたい~在宅でガンを看取る』をご覧になられたかたも多いと思います。
いろいろ考えさせられました。
70歳代の寝たきりのおばあちゃん。昨晩は自殺を考えていたと話す。『ひとの介護をするのはいいけれど自分が世話になるのはイヤだ。』
いろんなアンケートでも、多くの方は在宅で亡くなることを望んではいるけど家族に迷惑をかけるからそれは難しいと考えている。
この番組で特集されていたのは横浜市にある『めぐみ在宅クリニック』というターミナル在宅緩和ケアを専門でしている診療所(院長小澤竹俊氏)とその患者さんたちでした。
小澤医師は『患者さんは痛みの苦しみなどいろんな苦しみをかかえているが、もっとも大きな苦しみは、家族に迷惑をかけることの苦しみなんです。』とおっしゃっていました。
国は入院から在宅へと患者が移行するよう政策を進めていますが、都会ではまだいいかもしれませんが、武雄のような地方では難しいです。理由は介護サービスを提供する施設数や種類が限られています。訪問看護も24時間体制ではありません。老人同士の世帯や同居していても子世代が共働きであれば、介護力はありませんので、介護サービスの力を借りても、相当な負担(金銭的にも介護力としても)をしないと在宅では看れません。そしてそんな時代だと行政は家族に覚悟を促すことも必要です。また武雄には『武雄地区医療連携看護研修会』なる研修会を立ち上げています。今後介護施設も含めたお互いの顔が見えた連携体制が取れればと思っています。
また緊急の場合、必要に応じて入院できる病院があることも必要です。『めぐみ在宅クリニック』もすぐ裏にもしものときに入院を引き受けてくれる病院があります。武雄ではそのようなときに引き受けてくれていたのが武雄市民病院でしたが、今後はどうでしょう。在宅療養支援診療所であるかいぼー医院としても不安です。後方支援病院がないと患者さん、家族、そして私たち医療・介護サイドも安心して在宅で療養(診療)はできません。行政は二次救急医療だけでなく、その点(ターミナル)も視野に入れた体制づくりをお願いします。
在宅の患者さん自身はある程度覚悟を持って在宅療養に入られますが、家族には戸惑いがあります。
32歳の末期がんの男性。病院や家族の延命治療への説得を振り切って自宅に帰ってきました。死を迎える息子にどう接していいか戸惑う親。息子はそんな自分を受け入れて欲しいと望んでいました。
彼は日記にこのようなことを書いていたそうです。(僕の記憶なので、まったくその通りではありませんが。)『僕は自分の部屋から外の景色を、空を見ている。ここ(家)だったらトイレをするのだって気楽だ。いつも両親が壁の向こうにいてくれる。もし僕の状態が急変して、それに気づかなかったとしても、第一発見者は親だ。それが一番安心する。』
診療所でのカンファレンスでひとりの看護師が泣いていました。『自分はターミナルの患者さんを看てきて良かったと思ったことは一度もない。痛み苦しんでいる患者さんに対して、背中をさすったり、少しでも痛み苦しみが少なくなる体位にしてあげるくらいのことしかできなかった。いつも看護が終わって車に乗ると、しばらく泣いて、それから帰っていました。』
そこから話し合って、みんなの課題として浮かび上がってきた言葉は『逃げないこと』でした。
自分の無力さを思い知らされる現場。現場の人間は肉体的なつらさとともに心理的なつらさも味わって日々の仕事を努めています。現場を知らないひとにはわからないと思います。現場を見て、心の痛みを少しでもわかって政策を考えてほしい。イメージだけで行うことはしないでくださいね。
でも国民がそれを望んでいなかったら?・・・そしたらそれは国民の選択ですから仕方がありません。でも現場はそんな想いで仕事をしているということは知ってほしいです。
医療現場の崩壊はまったなしだと国会の首相答弁でもあっています。そして地域医療がとくに崩壊しているのです。
住民にそれを受け入れる覚悟を促すのか、それともなんとか今を踏ん張って今後に託すのか?難しい選択です。
そして行政も、そして私たちもこの現場(現実)から逃げないこと、です。苦しんでいる患者さんは常にそこにいらっしゃるのですから。
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お待たせしました。久しぶりにRessarさんのメールです。彼女がどうしているかと気を揉んでいらっしゃった方も多いことと思います。今回は3回分のメールをまとめて、少し(プライベートな部分の)内容を端折って載せます。大好きなおばあちゃんの家にお泊りして感じたことをRessarさんらしい感性で綴っています。彼女は本当にお年よりさんが好きな優しい子です。そして頑張り屋さんです。そして人の話を聴くことの大切さも説いています。僕もそう思います。お年寄りさんの話を聞きましょう。現代の日本の社会に足りないのは伝承だと思います。文化は本(資料)で読むだけではなくで、先輩から伝承されることで生きると思います。
(2/○)
こんにちわ☆
最近、呼吸器の調子が悪く、呼吸困難や嚥下障害の進行など重なり、なかなかメールができませんでした・・・。
でも、実は今、おばあちゃんちからのメールです。昨日から、弟と母と3人で、おばあちゃんちにお泊まりしてるんです。
体調はあまり思わしくありませんが、昨日はおばあちゃんとたくさんお話できて、もう、満足です!
こんな日が来るなんて、もう二度とないと思ってた・・・。だから、今とてもとても、幸せです♪
昨日は仕事帰りに父も来て、みんなで夕食を食べて・・・。とても、幸せでした。こんなに幸せでいいのかなぁ・・・とちょっぴり不安になるくらい、ものすごく幸せです☆
今夜も泊まって、明日の夜まで居ます!!
昨日はこちらでも、すごい雪でした。積もったよ☆一面、雪景色~でした☆
雪が降っている中、私を車いすに乗せて、ぬれないように、風邪を引かせないようにと、母と弟が神経質になり・・・毛布を着せられるわ、バスタオルでぐるぐるまきに…・・汗。
呼吸器と酸素、吸入機などの機械を一式持って、すぐそこの祖母の家へと無事に辿り着きました。
今日は、私のお姉ちゃんの命日です。お姉ちゃんは、子宮外妊娠で、この世に誕生する前に、亡くなりました。形もなくて、性別なんてわからなかったけれど、母が夢にみたそうです。お姉ちゃんが、私をおぶって、歩いている夢を・・・。それからわが家では、お姉ちゃん♪と呼んでいます。生きてたら・・・、私より2個上の、20歳のお姉ちゃんでした。
私は長女じゃなかったわけだ…。今日は午後から姉のご供養です。
それから・・・・・父に先日、福祉住環境コーディネーターの資格のことを話しました。顔色を変えて、「とってどうすんの?ダメ!絶対ダメ!!」と猛反対されました…。「体力ないし、頼むから、何もせんといて…」
母が、「晴香の好きなことさせてあげたらいいやん。そうしようって約束したやん。」と父に交渉してくれましたが、父はその後一言も口を聞かず、今でも機嫌が悪いです・・・汗。
父は私の病気のことになると、かなり神経質になります。普段は穏やかで優しいだけに、病気のことで怒らすと怖い・・・。ボランティアをするといったときも、口も聞いてくれず、母がなだめてくれました。
男親って、娘に対しては、甘くもなり、厳しくもなるものなのでしょうか。
でも、最後までがんばってみようと思います。出来るかはわからないけど、
もう一度自分の限界に、この病気の限界に、挑戦してみたいと思います。
(2/○)
こんにちは。
まずはじめに、とても嬉しい報告があります。
祖父の施設入所が決まりました!!先日、携帯に老健の担当者から電話があり、入所審査委員で入所決定が決まり、部屋も来週中なら、空くから、職員の人員関係で、週末は難しいため、月から水ならいつでも入所できますということでした!!
ひとまず、安心です。でも、まだこれから、持ち物をそろえなければならず、一つ一つに名前を刺しゅうでくくりつけなければなりません。でも、ほんとによかった!!!
祖母んちのお泊まりも終わり・・・。帰る準備を着々と母と進めていたら、祖母が涙ぐみながら何度も、『この3日間楽しかった。ありがとう』と言われました。まるでもう会えないみたいに・・・私は泣いた。最後なんかじゃないのに…また来るのに。また、泊まれるのに・・・・。何度も、『はるちゃんがおってくれたから寂しくなかった。ありがとう。』
おばあちゃんは、みんなに感謝していました。
私は・・・この3日間で何ができただろうか?何も・・・・できなかった。
ただ、傍にいさせてもらうことしか、手を握ってあげることしか、話を聞いてあげることしか、一緒にご飯を食べて、笑っていてあげることしか・・・・できなかったんだ。
それでもおばあちゃんは…『ありがとう』と言ってくれた。
私は・・・・何もできなかったのに。
この3日間、本当に楽しかった。夢のようでした。
軌跡の3日間。そう、この日のために、どれだけの涙を流し、どれだけの祈りを捧げたでしょう。強く願い、強く祈り、強く信じた。
だからこうして、おばあちゃんと幸せの時間を過ごすことができた。
近くにいるのに、同じ地域に住んでいるのに、おばあちゃんちに行くことが、こんなにも準備が必要で、こんなにも難しいんだってこと、体が不自由になってから、身を持って感じたこと。
でも・・・・また行きます。おばあちゃんに会いに。
昔のように…おばあちゃんといっぱいお話できた。幸せ・・・でした。本当に幸せな時間でした。
私って、おばあちゃんとこにこの3日ほど居て、つくづく思います。
お年寄りが本当に好きなんだなぁって。。
仕事から帰ってきた父が言いました。「お前はほんまに、介護が好きやねんな。生き甲斐なん?普段のときより生き生きしとったで。発作おきひんか、ひやひやしたわ。その体力はどこから出てくんの?」と言われましたが・・・。。そう言えば、ボランティアしていたときも、体はぼろぼろだったのに、あんなに頑張れていた。今思えばよくも、続けていられたなと思います。
それほどまでに、私はお年寄りが好きでした。彼らの笑顔が、支えでした。
だから、この3日間も、頑張れたんだと思う。
呼吸状態が悪くなったり、喉の方の違和感があったりと、いろいろ問題はあったけど、
それでも、幸せな心地よい疲れでした。
やっぱり、私は・・・・この先もずっとおじいちゃんおばあちゃんの傍にいたい。
だから、私も・・・・彼らがいる限り、生きていたい。
そんなことを感じていたこの1週間。
昨日から心臓の調子がまた悪くなり、今朝も発作を起こしています。
現在は落ち着いていますがまだ頻脈があり、かなりつらい状態です・・・。
かいぼー先生もお体気をつけてくださいね。
(2/○)
こんにちは★
体調はあまりよくはありませんが・・・・なんとかまだ、生きています。
本日無事に祖父の入所ができ、私の仕事も、ひとまず落ち着きました。
祖父の施設関連で、この数カ月バタバタしていて、ほんとに落ち着かない日々を過ごしていましたが、やっとすべての手続きが終わり、来週からは、少し落ち着きそうです。
わが家にもやっと春の訪れが見えかけたところでしょうか。老健なので、3カ月たったらまた、他の施設を探さないといけませんが、一番祖父に合ったところで、祖父を大切にしてもらえる場所で、安心を求めたいところです。
最近、喉の筋肉の衰えが激しくなり、嚥下障害が顕著になってきました。元もと飲みこみに障害を抱えていましたが、ゆっくりなら普通に食事をとることも可能で、喋ることもできました。しかし、神経難病の進行により、除々にではありますが、確実に進行していっています。喉の筋肉の障害で、現在はこれまでのように食べ物の咀嚼にも時間がかかり、長く喋っているとろれつが回らなくなります。呼吸の方も悪くなり、家にいるときは、呼吸器の助けを借りなければ息ができません。そうやって・・・進行していくのです。今までもそうやって・・・進行してきてしまったのです。
悔しい・・・という思いはあります。情けないとも思います。
だけどそれ以上に、今は祖父母の事で頭がいっぱい。これから一人ずつ看取っていかねばなりません。その前に私が看取られる立場になるかもしれません。だけど、最期まで誠意を持って、祖父母と関わっていたいのです。おじいちゃんおばあちゃんの人生に、少しでもかかわっていたいのです。私は、彼らの孫であったことを、誇りに思っています。
だから、もっともっと、おじいちゃんやおばあちゃんのこれまで生きてきた人生を、もっと、教えてもらいたいのです。人の話を聴くということは、その人の人生の話を聴かせてもらえること。とても尊いことだと思います。だって、その人の生きた人生に、少しだけでも、触れられたのだから。
今の世の中、自分の都合ばかりで、人の話をゆっくりと聴ける人間が減ってしまいました。
人が話しているのに、自分の話を我先にと、話しだす人。でも、私は、そういう人の話も、最後まで聴きたいと、聴かせて頂きたいと思っています。だって、人の話が聴けるということは、本当に、尊いことで、貴重なことだと思うから。その人の人生の話を、少しだけでも聴かせて頂いた。そのことに、聴く人間は、誠意と感謝と誇りを持って、そして責任を持って、関わらなければならないのだと思います。
自分には関係のない話だから・・・興味がないから・・・・
そうして、人の話を聞き流し、聴こうともできなくなったとき、人は、やさしさを忘れていくのだと思います。
だから、かいぼー先生。いつも私の話を聴いてくれて、ありがとうございます。とっても嬉しいです。先生と出会えたこと、私の誇りです。またメールくださいね♪
Ressar
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23日、久しぶりのベストアメニティスタジアム(略してベアスタ)での試合。
コンサドーレ札幌との練習試合に行ってきました。そしてゴール裏に青色一色の一団がいて、でも数としては少なかったので、今日はここにいようと思いました。
2週間後の本番(開幕戦)に向けて僕らも練習。久しぶりなので声が出らんですね。でも楽しい。跳んで歌って数日後が心配でしたが、まだこわってはいません(笑)。
そしてなんと目の前で○○選手がゴール!○○、最高だぜ!!いつもと違う和気藹々の応援スタイルの僕らゴール裏に手を広げて得点をアピールしてくれました。これがあるからゴール裏はいいですよね。(密かに今季はゴール裏にしようかな、と思っています。)
終了間際にも△選手がPKを蹴ったのですが、これは相手GKのナイスパンチングで得点ならず、でした。でもこの日は2試合していずれもサガン鳥栖が1-0で勝利しました。
3月8日14時、サガン鳥栖はベアスタでモンテディオ山形と今季開幕戦を戦います。今季はぜひスタートダッシュで多くの観客がベアスタに足を運んでくれるようになるよう頑張って欲しいと思います。熱いJ2シーズンがいよいよ始まります!!
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今日はベストアメニティスタジアムでサガン鳥栖がコンサドーレ札幌と練習試合をするので観に行きます♪
そのベストアメニティという会社の社長、内田弘さん(50)が2月10日の佐賀新聞『ニュースこの人』で取り上げられていました。もうその理念は素晴しく、ぜひHPを見ていただきたいのですが、僕は早速その日、ゆめタウン久留米にあるベストアメニティが経営する『キャトルセゾン旬』に食事に行きました。そのこだわりのまた素晴しいこと。これもぜひHPをご覧ください。食材へのこだわりが書いてあります。他にも久留米井筒屋や天神イムズほか小倉や三潴(本店)があります。
今日は時間がなくてこんな短いブログですが、みなさんにベストアメニティという会社がしていること、そしてそのような会社が鳥栖スタジアムのネーミングライツを取得していることを知っていただきたくて書きました。
ベストアメニティ、以前にも書きましたが、最も心地よいスタジアム、だなんてとても素敵な名前がついて嬉しいです。
内田弘社長は『KIZUKI』という環境映画も作られるそうで、その映画は洞爺湖サミットで上映されるとのことです。
社会から会社は利益を頂いている。利益の一部を還元するのは企業としては当然。食べるものを扱う仕事なので、ごまかしなく地道に食文化をつないでいこうと考えている、とのことです。
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かいぼーは県医師会の理事になってしまいました。平成元年に医師になり、今年で20年(正確には19年、なので20年目ですね)。やっと医師として成人して、さぁ、これからだねぇ、というところです。その間、医政活動推進委員、2年前から地区医師会理事として県医師会の医療連携委員会に関わってきました。まだやっと2年前に地区理事になったばかりの僕が県の理事になっていいのかなぁ。40歳代は僕だけです。「大変だね。」と言われますがどんなに大変かもわからずに受けました。誰かがしないといけないと思ったからです。当面の目標は医師会とかいぼー医院の仕事の両立です。患者さん、減るかなぁ・・・心配。。。
県医師会の新体制が承認された後、せっかく県内の代議員のみなさんもおそろいなので、とフリーのディスカッションが行われました。僕は代議員の方々も含めても(おそらく)一番若くて、とにかく今日は黙って聞くことにしました。
行政と全面対決論を話すひと。日医の団結を言うひと。医療崩壊を嘆くひと。
ちょっと昨日は風邪気味だったこともあって、ぼぉぉぉぉぉぉとしながら、『全面対決は敵ができるばかりで、あまり得策じゃないよぉ。』『日医全体がまずはこの県なみに団結したら十分だよねぇ。』『国民は僕達が思っているほど医療を大事だと思っているかどうかはわからないよぉ。』と考えていました。
そしてある方の言葉が耳に残りました。「知事に、道路と医療、どっちが大事かと聞いたことがある。知事はどっちも、と答えましたがね。」その方は道路より医療が大事というスタンスでのお話しでした。僕もそう思いますが、それよりも、知事ももう、よりどっちが大事、くらいは話さないといけない時代になってきたんじゃないかと思いました。
優先順位をつけて対応していかないとこの国の借金は減らない。そしてそのことに対する覚悟を国民に求めないと。国民に求めるからにはきちんと説明をしないと。そんな時代になりました。。。
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患者さんが 「先生。こいの使い方ば教えて。」とかばんから出した筒状の緑っぽい物体。
その胴体部分には、『呼吸機能回復訓練機 スーフル』 と書いてありました。
その方は以前肺がんになり肺の部分切除術を受けておられて、その時にスーフルで呼吸訓練をしたけど、もう何年も前の話で使い方を忘れた、とのこと。
「そいで何で今、使うと?」と聞いたら、「大学に行ったら、また肺がんて言われた。年数からいって転移じゃなくて、また別んとのできとうて。もう手術はいやばってん。するかせんかは話し合って決めてきんしゃいて言われたばってん、とりあえずこい(スーフル)もしとけ、て。』とおっしゃいました。
うーん。使い方は僕もわからん。ということで早速胴体部分に書いてある会社(本社の電話番号しか書いていなかったので)の佐賀支社を調べて電話しました。
「すみません。武雄のかいぼー医院からです。おたくの商品のスーフルのことですが。」
「スーフル・・・・ですか?」
「はい。スーフルです。呼吸機能回復訓練器の。」
「ちょっと待ってください。今からメモしますね。(呼吸機能回復訓練器 スーフル と書きながら)では担当のものからそちらに電話させますね。で、うちの商品なんですね。」
「はい。科・・・・あら!科薬て書いてあるぅ!!あっはっはすみません。すみません。」
製薬メーカーの科研に電話していました。
それにしてもわけのわからない電話にも気持ちのいい対応をしていただきまして、どうもありがとうございます。
その後ネットで調べて、使い方も説明できました。その方のは鼻栓が取れてなくなっていました。
鼻をつまんで息を吹くとぼぉぉぉぉぉぉと音が出ました。
呼吸が上手にできるようになればなるほど音が大きくなって、自分でも訓練効果がわかるという器械です。
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