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先日ブログのコメントに彼女(初めて看取った患者さん)のことを書き込んで以後、彼女のことを思い出していました。
僕が入局した大学の内科は5月中旬の医師国家試験の合格発表の翌日から働くようになっていました。正式資格は6月1日からなのでとりあえず副主治医という形で。
あの頃は国家試験勉強をした直後なので多くの知識は持っていましたが実践はほとんど何もできない状況でした。夜、ナースステーションでひとりカルテを読んでいるときに看護師さんに「先生!先生!すぐ来てください!」と言われても、あ?自分のこと?としばらく気づかないくらいでした。今だったら「先生!」と聞こえたら自分のことでなくても振り向きますが(笑)。
初めて「先生!」と呼ばれたときはナースステーションから見える1号室で患者さんが痙攣していました。そこから看護師が僕を呼んでいます。医師(まだ正式には医師ではなかったけど)は僕しかいませんでした。呆然としながらも看護師の指示で動く僕。そんな中、ひとりの医師が走ってきて、てきぱきと蘇生を始めました。結果的には気管内挿管までしてその場を乗り切られました。その医師はもう間もなく医師になって1年になる1年上の先輩でした。1年でこんなに成長するのかと見ていて舌を巻きました。
6月からの新米医師はまずは検査目的入院の、命には別状なさそうな人を受け持ちます。まずいろんな病院のシステムやら医師としての基本的技術(採血や点滴の手技や清潔操作などから)を学びながら環境に慣れていきます。
5月中旬、初めて病棟に行った日、病棟医長から「かいぼー先生は副主治医としてこのひとを持ってね。」と言われたのが自己免疫性肝炎が進行して肝不全になった40代女性でした。重症の患者さんだけど5月いっぱいは命が持たないだろうとの判断からでした。
そして6月になりました。主治医だった医師はローテーションで別の場所に移動しました。重症だけれど例外的に新米医師の僕が継続して主治医として引き継ぐことになりました。
右も左もわかりません。指導医に言われるままに薬を出して、検査の依頼をして・・・という日々が続きました。僕としてできることはとにかく患者さんの話を聞くこと。
この方、治療歴が長く、ステロイドも使っていて満月様のお顔の方でした。不定愁訴が多くて、医師や看護師だけでなく身内の方も愛想をつかしていて、寂しい方でした。娘さんは高校生がひとりおられましたがその方もお見かけしませんでした。
カンファレンスでは彼女の状態が悪いながらも安定していることをみなさん驚かれていました。そうして7月も過ぎ8月になりました。その間に僕は新米医師としては例外的に2人目の重症患者さんも受け持っていました。この方が僕の2人目に看取った患者さんになりました。新米医師としてはもう本当にてんてこ舞いでした。
重症2人のほかにも数名の入院患者さんを持つようになり、彼女との会話の時間を十分に取ることができず、そうすると彼女の不定愁訴はますます増えました。すると僕はちょっと彼女のところに行くことをためらう(行くと時間が費やされてしまうので)の悪循環の時期がありました。
で、8月のお盆前くらいでした。意を決して僕は彼女のところに行きました。今日はじっくり話を聞くと心に決めて。
夜7時くらいから9時過ぎまで話をしました。会話ははずみ、珍しく彼女は笑って、僕も自然と笑顔でした。何を話したのか覚えていませんが、彼女の人生にかかわるいろんなイベントの話だったと思います。生き生きとお話ししてくれました。
別れ際に「今日は楽しかったぁ。」と彼女は言いました。僕も笑顔で振り向いて「おやすみなさい。」と言いました。
ナースステーションに戻って30分、カルテに記入していると見回りの看護師から「先生!〇号室に来てください!息されていません。」と彼女の部屋からコールが。
急いで行きましたがすでに心肺停止状態でした。慌てて初めての心肺蘇生をしました。最初に胸を叩打した後、すぐに心マッサージを、と思い、ぐっと抑えた瞬間、ステロイドで弱くなっていた彼女の肋骨からみしっと音がしました。
僕は「はっ」としました。彼女はもう死んでいる。もうこれ以上痛めつけなくていいんじゃないか。
顔を見ました。かすかに笑顔でした。
何かあったらすぐにナースコールを押すひとでいつも左手に握っているひとでしたが、ボタンは押されませんでした。押す間もないことだったのでしょう。
間もなく病棟当直の先生も来られ、蘇生は中止され、死亡確認をしました。
2時間ほどして、もう0時近くでしたが、娘さんがおひとりで来られました。ご主人さんは最後まで見ることはありませんでした。
2時間の会話。なぜあの忙しいタイミングで僕が2時間の時間を使って話をしようと思ったのかわかりません。でも話をしなきゃと思ったのです。
そしてなぜその直後に彼女は亡くなったのか。
笑顔に見えた彼女の顔に救われたのは僕でした。
ひとは生まれてくるときも死ぬ時ときもひとりです。寂しく死ぬか寂しくないかは充足感があるかどうかだと思うんです。
彼女に充足感を僕は与えられただろうか。だったらいいと思います。新米医師だったからこそのひたむきさが功を奏したのか。
ひとを救うということは・・・。
今でも考えます。
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