母はいつでも、私の味方でした。
でも・・・
今はもう、その言葉に、ただひたすら突き進んでいくことができません。
諦めないと自信を持って言えるほど、私の今の病状は、決して楽観できるものではないからです。
母は・・・・それを知っていて、あえて、挑戦しろと言うのでしょうか。
家族は・・・父も弟も、みんなが応援してくれます。
出来るかわからないけど、やってみたらいいやん。と・・・。
私にも、できるかなんて、わかりません・・・・。
むしろ出来なくて、また途中で終わってしまうことになるでしょう・・・。
そうやって、目指していたものの諦めた残骸が、私のこれまでの人生には、残っているのです。
医者が無理だと言われたあの日から。
私は、新たな夢を見つけ、それに向かって努力することにいっぱいいっぱいでした。
目標を探すことに、そに向かって努力していくことに。
小さいときからやっていたビーズを仕事にしようと、プロの道に進むことを決意したあの日。
資格をとったものの、応用を受講中、麻痺が進行し、些細な夢もあきらめなければならなかった。
それからは、生きることに必至でした。
日に日に悪化していく己の体と向き合うことに、必死でした。
でも、やっぱり、私は、お年寄りが好きでした。
子どもたちが好きでした。
再び福祉の現場に、戻りたい。
もう一度、小児医療福祉・高齢者医療福祉の道に携わりたい、その想いは消えることはありません。
ダメでもともと。
私は、医者に、小児科のお医者さんになりたかったけれど。
その夢は成長とともに、やがて形を変えていきました。
彼と出会ってからは、彼と同じ介護福祉士になりたいと強く思い始めた。
そして、自分の体力のなさを感じ始めると、やがて社会福祉士を目指すようになりました。
やりたかったことも、目指していたことも、
たくさん・・・あったんだ。
父方の祖母が倒れてから、高齢者のリハビリについても興味を抱くようになり、学びまじめた。
理学療法や作業療法、言語聴覚療法にも、興味を抱いた。
医療・福祉の分野のすべてに、興味があった。
そして、一つ一つ勉強し、思慮を深めていきました。
知識と、最低限の技術だけは、
今も私の中に存在しています。
働きたかった・・・。あの場所で・・・。
進行なんて、してほしくなかった。
まだまだ、活動していたかった。
いずれ歩けなくなる。だから出来る今に、動けるうちに好きなことをしなさい。
そう小さい時から言われていました。
でも・・・もっともっと先のことだと思っていた。
もっともっと・・・・・・大人になってからのことだと、思っていました・・・。
早すぎたよ・・・。
まだ、何も・・・人生への満足感も経験値も、何もなかったのに・・・。
娘さんには突然死のリスクがあります。
普通の人よりも短命であるのだから、好きなところへたくさん連れて行ってあげてください。
そうも言われていました。
現に両親は、私をいろんな場所へ遊びに連れて行ってくれた。
遊園地、水族館、動物園、海。
近畿圏では、ほとんどの場所へ連れていってくれました。
行きたい、と行ったところは大抵連れて行ってもらえたし、
欲しい、と思ったものは、多少無理をしてでも買ってくれた。
わがまま。
そう言われても仕方がないかも知れません。
でも、それは、親が子を想う感情の裏返しだったのだと気づきました。
わが子が難病で、しかも治らない不治の病。
進行性で治療法がない。余命も限られている。
その状況で、両親は、少しでも生きているうちにいろんなことを経験させてやろうと、過保護でした。
親の想いが、たくさんそこには存在しています。
私が夢を諦めたように、
両親もまた、娘に託そうとした夢を諦めた。
現実を生きて行かなければならないから。
夢ばかり追っていては、人は生きては行けないんです・・・。
もう一度・・・現場で働きたい。
もう一度・・・お年寄りと触れ合いたい。
もう一度・・・
もう一度、勉強したいと思っても、
私の体はそれも、許してはくれなかった。
何なら、許してもらえるのでしょう・・・?
何なら、この体で、出来るのでしょう・・・?
自分がしたいものを、できるわけじゃない。
できることしか、できないんです。
私は、何ならできるのだろう・・・。
今も・・・自分に出来ることがなんなのか、答えを見つけられずにいます
ボランティア時代、私は自分なりに精いっぱい奮闘していたつもりでした。
でも・・・がんばれなかった。
あの時、2年しか、頑張れなかった。
必至で頑張ったけれど。
もう、体力も時間も、残されていませんでした。
社会福祉士の資格を目指していたとき、
見えない目で、必至で教科書の文字を追いました。
できないことはわかっていました。
無謀なことも、わかっていた。
でも・・・例え、できなくても、それでもいいと思ったんです。
できなくても、やれるだけやってみたいと…。
しかし、今は、あの時のような挑戦心はありません。
今は・・・己のこの体を守ることで、精いっぱいなのです。
結局、私は…・・どうしたいのだろう。
どうするのでしょうね…・。
こんな私が、福祉住環境コーディネーターの資格を取るなんて、馬鹿げたことなのかも知れない。
ただ、遊びの、趣味だけで取る資格となるのでしょうか・・・?
資格を取ったって、仕事に活かすことができるわけでもない。
在宅での仕事だって・・・できるはずもない。
体力のなさ、病状の重さが、現実をより一層厳しくさせています・・・。
取りたい・・・と一瞬でも想いを過らせたあたしが、愚かだったのかも知れない・・・と、今日祖母の隣で何もできなく、ただ見守ることしか出来なかったとき、気づきました。
再び現場で働きたいと、一時でも想ったあたしが、馬鹿でした・・・・・・。
今の私に出来ることは、そんな資格を取るよりは、おばあちゃんの痛みが、少しでも良くなるようにと、祈り続けることです。。
そして、おじいちゃんの最善と思われる施設を探すことです。
病院からの、帰り道。
母に、「やっぱり(Ressar)ちゃんは、すごいね。介護の仕方も上手やし。」
そんなことを言ってもらえても・・・。
私は何もできなかった・・・・・・・・・。
ボランティアをやめてから、おばあちゃんやおじいちゃんの身体介助に、ほんの少しだけ就けた。
在宅で、母と寝たきりの祖母を共に介護した。
介護施設で学んだ知識と技術は・・・・・・そのまま祖父母に提供してあげることができた・・・。
でもそれは・・・・・・
ほんの一時のことでした・・・。
今までの恩を返しきらないうちに、こんな身体になってしまったことを、私は今でも後悔し続けています・・・。
結局、私は・・・何もできないままでした・・・。
ごめんなさい、今日はなんだかブルーな気持ちで書いてしまいました。
あまり、心配なさらないでくださいね・・・
落ち込んでも、立ち直りも早い単純な奴なので・・・・・・苦笑。
それではまた、メールします。
Ressar
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Ressarさんが、自分の目線からみた現状を、こうやって文章で伝えることが出来るのも、今までの経験が無ければ出来ないこと。お医者さん、小児科医になりたかったという、医療についても、また”自分で働きたい”とビーズのプロをめざした事。そして福祉ボランティアを通じて、介護、福祉、療法等にまで目を向け、さらには住環境コーディネーターという、まさに現場からの目線。これは、健常者では分からない(ごめんなさい。気分を害されましたら・・・)、痒いところに手が届く、まさに在宅でも負担が少ない、素晴らしいお仕事。どんなにか”自分で出来る仕事を持つ事が誇り”となっている事を知って欲しいです。
Ressarさんが、先へ先へと考えていく事は、今後の医療や福祉に必ずしも繋がって行く事と感じます。
私にも、病気による後天的な不具合を背負ってしまった息子がおりまして、Ressarさんとご家族の真の暖かい家族愛を感じ、私も”こうありたい”と見習いたい事ばかりです。そして、やりたいことに積極的に応援しているお母さん。素敵です。涙が出そうです。変な文章ですみません。
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