今日のメールの冒頭にもありますが、Ressarさんは自分がきついはずなのに、僕を思いやってくれる言葉を必ずくれます。この優しさ、こころの大きさは何なんだろうと思います。感嘆。感激。感謝。Ressarさんのようにおもいやりにあふれたひとばかりの社会であればどんなに素晴しいだろうと思います。計算づくでない必死さ、懸命さ、大きな愛、そして強さ。
そして私を含めた医療界や社会の無力(とまでは言わなくても微力)さ、弱さ。どうしたら彼女の想いに応えることができるだろう。僕が今できることは彼女に言葉を送ることだけ。少しでも力になれば。。。
今回のメール。きつい中、書いては休みしながら書き溜めたのでしょう。長文になりました。彼女の想いが今回も溢れています。
この想い。すばらしいです。
こんばんわ。
最近、めっきりお忙しそうですが、かいぼー先生のお身体が心配です。。
私の体調も悪化の一途を辿るあまりで、在宅での限界を正直感じています・・・・・・。
昨夜は突然、意識を失い、朝方まで目覚めませんでした。
不整脈の発作でもなく、何かの発作でもなかったのですが、突然意識を失うことがあります。
人工呼吸機と酸素療法など、救命装置はわが家にあるのと、ターミナル期から積極的な治療はしないという意味で、在宅での生活を選びました。
だから、救急車は呼ばず、意識がなくなったり発作が起きて在宅でいることに不安を感じたら、大学の主治医に連絡を入れることになっています。
この先生は生まれる前から、母のお腹の中にいたときから、診て頂いている先生で、先生の自宅も近く、よく夜中などの急変時に、飛んできてくださる小児がん専門医の先生です。
その先生に連絡をとったら、呼吸状態に変化がなく、サチュレーションも落ち着いているのであれば、朝まで様子を診て、それでも意識が戻らなければ大学に救急車で来てください、ということで、母は一睡もせずに、私の呼吸状態を監視していたらしい・・・です・・・。
幸い、朝6時頃に、腹痛とともに目覚め、母を安心させました・・・。
脳腫瘍も患っているのと、脳の先天性奇形もあるため、
意識レベルが落ちることがよくあります・・・。
こんなことを繰り返す度に、在宅にいられる限界を感じてもいるです・・・。
でも、やっぱり家にいたい・・・。
どこまで私が在宅でがんばれるかな・・・?
どこまで家族が、私の介護をがんばってくれるかな?
毎日、そんなことを考えています。
やっぱり・・・・・・不安です。
私の人生のモットーは、『自分の人生は、自分で責任を持ち、誇りを持つこと』です。
ですが、今は、病気の勢いに負けてしまってます…。。。
今日は、夕方、明日退院するという祖母の病院にお見舞いに行ったのですが、楽しそうに笑ってるナースに、怒りさえ感じてしまいました…。
祖母も早急に退院を命じられていて、明日10時に退院の予定ですが、祖母はまだ腰の痛みを訴えており、ひとりではトイレもいけない状態です。
それでも退院を命じる病院側の対応に、苛立ちさえ感じてしまいました・・・。
せめて、患者本人の体調が辛い時は、同じ目線に立ってほしい・・・。という思いは、難しいのでしょうか…。
病気になってみないと、その苦しみはわからないから…。
だけど、ちょっとした想像力を持てれば、相手に配慮できるはず。
上から見下げる医療者が多いのだろう…。
と、感じることがあります。
祖母も在宅に帰っても、一人でトイレにも行けなく、在宅での生活に不安を感じています。
また、介護者である母も叔母も、常時祖母について介護ができる状態ではないので、このままの在宅生活に不安があります。
そんな患者本人や家族の不安は、サービスを提供する側には届きにくく、寄り添う医療や福祉は、程遠い現実になるのでしょう。
病気になり、哀しみを知りました。
私に今できることは、愚痴ることばかりではなく、他人を非難することでもなく、人を妬んだり、羨むことでもないはず…。
しっかりと病気と向き合い、今、できることをすること。
そして、人に優しくあるばかりではなく、強くなることです。
きちんと思いを、伝えられる人になりたい…。
今までは、人を気遣うばかりで、自分が(意見を言えず)我慢することが多かった。
そして、そういう人から、裏切られることもあった。
私自身から、距離をとっていくことも多かった・・・。
自分を大切にしてくれる人を、きちんと見ること。
そういう目も、大切なんだなと、知りました。
優しいばかりでは、ダメなのだ…。。。
私は、いつだって自分に、負けない。
そうして生きてきたんです・・・。
小さい頃から、病気をして、いろんな辛い検査や手術や治療も、乗り越えてきた私。
子ども時代頑張れた自分が、少しだけ大人になった今、それができないはずはないのだ。
そう・・・自分に言い聞かせています・・・。
けれども、昨日突然に意識を失ったことで、
もはや自分の限界も知っています。
この病気の怖さも・・・突然死の恐怖も・・・。。
何ていうか…人間は、頭で考えるようには、時には、行動できない生き物なんですね・・・。
これが正しいと、わかっていても、間違った行動をしてしまう時だってある。
正論通りにはいかないものだし、ある意味、世の中、間違いだらけなんです。
間違いのない社会は、面白くないのかもしれないし、
不可能なのかもしれないと感じます。
医療にも、間違いはあるのだろうけど、自分だけは、最善の医療を受けたい!と、誰もが願っているのでしょう・・・。
だけど、医師も人間なんだという、当たり前のことは、私は忘れてはならないと思うのです。
人間、謙虚さと、間違いを認めることは、社会の中で、生きるにおいて、大切なことだと思うから・・・。
だけど、社会は、間違ってはならない!と、説いているから、ややこしいんですよね…。
人間は、意味をみつけたい生き物。
だけど、世の中、無意味なことの方が、圧倒的に、多いんだと思う・・・んです。
(下へ続きます)
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何でもかんでも、意味をみつけていたら、生きることに、疲れてしまうのでしょう…。
意味がないことを、行うことから、他人や周りに優しくなれたりするのかもしれない、と最近思うようになりました。
私が生まれたことに、こうして生きていることに、意味があるのかもしれないし、ないのかもしれない。
こういう考え方には、それぞれ価値観の違いが出るかもしれないけれど。
だけど、意味がなくても生きてゆくべきだと思うし、自分の存在に意味を見出だそうとし過ぎて、何か大切なことを、見失わないようにしたいと思うのです。
何か…いろいろ考えてしまっています。
祖父母のことも、私自身の病気の今後も。
自分の辛さよりも、私の病気のために、周りに迷惑をかけていることを…。
それでも…私は生きていきたいし、良くなりたい!
こういうのって、欲なのでしょうか?
でも、自分を大切にすることは、生きていくにおいて、必要なことだと・・・想いたいです・・・。
今は、体の辛さの愚痴や、良くなりたい!とは、誰にも言わないし、言えない・・・状態です。
これからどうなるかわからないが、全てを受け入れようと、覚悟しているんですけどね…。
ああしたい、こうであったならば、この苦しみから逃れる道はないものか?探し続けては、今まで、迷路に入って、奔走してきたのかもしれない…。
だけど、今度は、ここで止まってみたいと思うのです。
もしかしたら…不運な運命だとしても、愚痴は言わず、なるべく明るい方を選んで、歩みたいと・・・。
人生、自分で選べることは、少ないのかも知れません…。
それぞれの運命の中、自分でできることを、精一杯もがきながら、探しながら、生きるしかないんですよね・・・
昔は、『医は忍術』と言ったのに…
いつの間にか、医療に効率性ばかりを、優先してしまうようになったのでしょうか…。
『医は算術』じゃないよぉ…。。
祖母の今回の入院で、医療者の在り方について、ひしひしと考えることがありました。
痛みに寄り添う医療は、もはや死語でしょうか?
不可能なことでしょうか?
苦しんでいる患者を前に、笑わないでください・・・。
年老いた高齢者に、「自分でできることはしてください」と冷たく突き放さないでください・・・。
確かに、自分でできることをすることは、人間が個人として生きていく上で、とても大切なことです。
高齢者の機能を維持、向上していくのにも、大切なことだと思っています。
しかし・・・・・・
まだ完全に治っていない、痛みも収まっていない状態の患者に、すべてを一人で出来るように、突き放すのは、やめてほしいのです・・・・・・。
「見守る」と「見放す」は、違います。
人は、やがて気づくのです・・・。
高齢になり、身体の自由が効かなくなったとき・・・
周囲の言動が、どれだけその人の心を追い詰めていくのかを・・・・・・。
そのことを・・・どうか、
もっともっと、若いうちに、知ってくだされば・・・。
そして意識を変えてくだされば・・・。
寄り添う医療とは、そういう意識の元に、かかっていると思うのです・・・。
「何でもひとりで、せなあかんねん・・・。」
痛みをこらえながら、自分で寝返りを打とうと、ベッドの柵を握りしめるおばあちゃん・・・を見て、なんでも「自立」と称して、「必要以上の頑張り」を強要していく医療・福祉の意識に、少し戸惑いと危険を感じてもいます。
もっともっと・・・優しくはなれないのでしょうか?
もっともっと・・・寄り添うことは、キレイごとなのでしょうか?
本当に・・・もう、今の日本の医療・福祉に、そういう心は、なくなってしまったのでしょうか?
しかししかし…、先生方は、一所懸命、医師、看護師として働かれておられると、ひしひしと感じます。
痛がるおばあちゃんを見て、何とかしてあげたいと思いました。
だけど・・・私には、おばあちゃんの痛みを取ることも、寄り添うことも・・・できないんです・・・。。
夕食事の時間までいて、食べるところの見守りに入りました。ベッドに腰かけて、起き上がって食べるのですが、
その起き上がるときに、腰の痛みを訴えます。
一人では起き上がることが、難しそうなので、私が母に介護技術を口頭で説明しましたが・・・母は本来不器用な方なので・・・・・・なかなか介護技術を行動に移せない・・・。
私は特養などの介護施設で、直接利用者さんの身体介助にも、入っていたので、ベッドから車いすへ移すことも、坐らせた状態から立たせることも、歩行介助もしていたので、最低限の介護技術はまだ私の中に存在してくれています。
けど、今の私には、立ち上がって、祖母の介護をできないんですね・・・・・・。
足が動かない・・・。
何もできないんだってことに無力を感じました・・・。
私は・・・立つことも、できないんですね・・・。
もう、無力としか言いようがなかったです。
今迷っていることがあります。
今年に、福祉住環境コーディネーターの資格をとろうかと迷っています。
この職業は、障害者や高齢者の住環境をコーディネートする福祉の新しいプロです。
医療・福祉・建築についての幅広い知識と高い技術を合わせもつ、現代社会の医療福祉両面から支持される、医療福祉アドバイザーです。
何か資格をとりたい。
働きたい。想いは山々ですが、
多くのリスクと迷いがあります。
目指してきた今までのものたちも、
結局は、病気の進行悪化によって、途中であきらめなければならなかった。
そうやって諦めてきたものの残骸が、今の私の人生にはついています。
挑戦したい思いはある。
投げ出したくない思いもある。
あきらめたくない気持ちもある。
だけど、そんな気持ちと同じくらい、それ以上に、
リスクを背負う覚悟も、
新たな残骸を残してしまうことも、
生きれる時間が少ないことも、
それによって体を、時間を、命を、削ってしまうことになることも、私にはわかっているのです・・・。
簡単に、「ちょっと資格とるね!」なんて、言ってられないんだ・・・・。
それに、資格をとったって、在宅でできる仕事なんて、ないかも知れない。
私の車椅子ユーザーの友達も一昨年この資格をとりました。だけど、仕事は貰えませんでした。
世間は、甘くはないんです。
歩ける人には、当たり前に資格を持っていれば、仕事に有利だから、資格を取る人もいるけれど・・・。
働きたいと思っても、社会が病状が、許されない人は、生きていくことを更に厳しくさせます。
こんな言い方は失礼ですが、
いくら福祉の現場で、
障害者や高齢者のことを学んだって、
福祉のプロも、ただの人。みんな、仕事なんですよね・・・。
彼らは仕事が終われば、ふつうの生活に戻れるわけで・・。
戻れる場所が・・・あるんです・・・。
私たちには・・・この体を脱ぎ捨てることも、できないんだ・・・。
仕事とはわけが違う。
この迷いを、昨年末、母に話しました。
母は、言ったんです。
「いいやん!やろうよ♪
(Ressar)ちゃんやったら、絶対できるって!年あけたら、教科書買いに行こう!」
私が、
「そうやっていっつも、目指してたものの諦めた残骸が、後ろに残ってるやん!」って、涙ながらに話したら。
母は、決してそんなことはないと、抱きしめてくれました。
いつでもあなたは、頑張ってたと、今もがんばっていると・・・
母は、いつもそうでした。
私がやりたいと思ったことを、反対したりせず、リスクをあえて、背中を押してくれた。
あなたが決めたことなら、その道を信じると。
リスクがあることでも、あなたの人生なのだから、あなたがどうしたいか決めなさいと。
厳しい治療の選択権だって、小さいときから私に与えてくれた。
父は、ボランティアのときも、えらく反対をしたけれど。
口も聞いてくれなかったこともあったけれど。
そんな父との間を取り合ってくれたのも、母でした。
(下へ続きます)
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母はいつでも、私の味方でした。
でも・・・
今はもう、その言葉に、ただひたすら突き進んでいくことができません。
諦めないと自信を持って言えるほど、私の今の病状は、決して楽観できるものではないからです。
母は・・・・それを知っていて、あえて、挑戦しろと言うのでしょうか。
家族は・・・父も弟も、みんなが応援してくれます。
出来るかわからないけど、やってみたらいいやん。と・・・。
私にも、できるかなんて、わかりません・・・・。
むしろ出来なくて、また途中で終わってしまうことになるでしょう・・・。
そうやって、目指していたものの諦めた残骸が、私のこれまでの人生には、残っているのです。
医者が無理だと言われたあの日から。
私は、新たな夢を見つけ、それに向かって努力することにいっぱいいっぱいでした。
目標を探すことに、そに向かって努力していくことに。
小さいときからやっていたビーズを仕事にしようと、プロの道に進むことを決意したあの日。
資格をとったものの、応用を受講中、麻痺が進行し、些細な夢もあきらめなければならなかった。
それからは、生きることに必至でした。
日に日に悪化していく己の体と向き合うことに、必死でした。
でも、やっぱり、私は、お年寄りが好きでした。
子どもたちが好きでした。
再び福祉の現場に、戻りたい。
もう一度、小児医療福祉・高齢者医療福祉の道に携わりたい、その想いは消えることはありません。
ダメでもともと。
私は、医者に、小児科のお医者さんになりたかったけれど。
その夢は成長とともに、やがて形を変えていきました。
彼と出会ってからは、彼と同じ介護福祉士になりたいと強く思い始めた。
そして、自分の体力のなさを感じ始めると、やがて社会福祉士を目指すようになりました。
やりたかったことも、目指していたことも、
たくさん・・・あったんだ。
父方の祖母が倒れてから、高齢者のリハビリについても興味を抱くようになり、学びまじめた。
理学療法や作業療法、言語聴覚療法にも、興味を抱いた。
医療・福祉の分野のすべてに、興味があった。
そして、一つ一つ勉強し、思慮を深めていきました。
知識と、最低限の技術だけは、
今も私の中に存在しています。
働きたかった・・・。あの場所で・・・。
進行なんて、してほしくなかった。
まだまだ、活動していたかった。
いずれ歩けなくなる。だから出来る今に、動けるうちに好きなことをしなさい。
そう小さい時から言われていました。
でも・・・もっともっと先のことだと思っていた。
もっともっと・・・・・・大人になってからのことだと、思っていました・・・。
早すぎたよ・・・。
まだ、何も・・・人生への満足感も経験値も、何もなかったのに・・・。
娘さんには突然死のリスクがあります。
普通の人よりも短命であるのだから、好きなところへたくさん連れて行ってあげてください。
そうも言われていました。
現に両親は、私をいろんな場所へ遊びに連れて行ってくれた。
遊園地、水族館、動物園、海。
近畿圏では、ほとんどの場所へ連れていってくれました。
行きたい、と行ったところは大抵連れて行ってもらえたし、
欲しい、と思ったものは、多少無理をしてでも買ってくれた。
わがまま。
そう言われても仕方がないかも知れません。
でも、それは、親が子を想う感情の裏返しだったのだと気づきました。
わが子が難病で、しかも治らない不治の病。
進行性で治療法がない。余命も限られている。
その状況で、両親は、少しでも生きているうちにいろんなことを経験させてやろうと、過保護でした。
親の想いが、たくさんそこには存在しています。
私が夢を諦めたように、
両親もまた、娘に託そうとした夢を諦めた。
現実を生きて行かなければならないから。
夢ばかり追っていては、人は生きては行けないんです・・・。
もう一度・・・現場で働きたい。
もう一度・・・お年寄りと触れ合いたい。
もう一度・・・
もう一度、勉強したいと思っても、
私の体はそれも、許してはくれなかった。
何なら、許してもらえるのでしょう・・・?
何なら、この体で、出来るのでしょう・・・?
自分がしたいものを、できるわけじゃない。
できることしか、できないんです。
私は、何ならできるのだろう・・・。
今も・・・自分に出来ることがなんなのか、答えを見つけられずにいます
ボランティア時代、私は自分なりに精いっぱい奮闘していたつもりでした。
でも・・・がんばれなかった。
あの時、2年しか、頑張れなかった。
必至で頑張ったけれど。
もう、体力も時間も、残されていませんでした。
社会福祉士の資格を目指していたとき、
見えない目で、必至で教科書の文字を追いました。
できないことはわかっていました。
無謀なことも、わかっていた。
でも・・・例え、できなくても、それでもいいと思ったんです。
できなくても、やれるだけやってみたいと…。
しかし、今は、あの時のような挑戦心はありません。
今は・・・己のこの体を守ることで、精いっぱいなのです。
結局、私は…・・どうしたいのだろう。
どうするのでしょうね…・。
こんな私が、福祉住環境コーディネーターの資格を取るなんて、馬鹿げたことなのかも知れない。
ただ、遊びの、趣味だけで取る資格となるのでしょうか・・・?
資格を取ったって、仕事に活かすことができるわけでもない。
在宅での仕事だって・・・できるはずもない。
体力のなさ、病状の重さが、現実をより一層厳しくさせています・・・。
取りたい・・・と一瞬でも想いを過らせたあたしが、愚かだったのかも知れない・・・と、今日祖母の隣で何もできなく、ただ見守ることしか出来なかったとき、気づきました。
再び現場で働きたいと、一時でも想ったあたしが、馬鹿でした・・・・・・。
今の私に出来ることは、そんな資格を取るよりは、おばあちゃんの痛みが、少しでも良くなるようにと、祈り続けることです。。
そして、おじいちゃんの最善と思われる施設を探すことです。
病院からの、帰り道。
母に、「やっぱり(Ressar)ちゃんは、すごいね。介護の仕方も上手やし。」
そんなことを言ってもらえても・・・。
私は何もできなかった・・・・・・・・・。
ボランティアをやめてから、おばあちゃんやおじいちゃんの身体介助に、ほんの少しだけ就けた。
在宅で、母と寝たきりの祖母を共に介護した。
介護施設で学んだ知識と技術は・・・・・・そのまま祖父母に提供してあげることができた・・・。
でもそれは・・・・・・
ほんの一時のことでした・・・。
今までの恩を返しきらないうちに、こんな身体になってしまったことを、私は今でも後悔し続けています・・・。
結局、私は・・・何もできないままでした・・・。
ごめんなさい、今日はなんだかブルーな気持ちで書いてしまいました。
あまり、心配なさらないでくださいね・・・
落ち込んでも、立ち直りも早い単純な奴なので・・・・・・苦笑。
それではまた、メールします。
Ressar
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