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本日の新聞報道のとおり、武雄杵島地区医師会は、昨日、『武雄市民病院の民間移譲に反対する』署名(武雄市および武雄市外の人々合わせて)約14000人分を要望書とともに樋渡武雄市長に提出しました。

なぜ武雄市外の人々の署名もあるかと言うと、これは武雄市の枠を越えた広域医療圏の問題でもあるとの考えからです。

そして、要望書を受けての市長さんの言葉が新聞に載っていました。記事のまま書きます。市議会に設置されている)市民病院問題調査特別委員会に、医師会からも意見を聞くようにお願いしている」

???

この市議会議員さんによる調査特別委員会の結論を持って最終結論とされるのでしょうか?

確かに市議会議員さん方は、今回の武雄市民病院問題が持ち上がってから、かなり医療のことも勉強され理解が進んでこられたと思います。そして市民の中にもかなり関心が持たれ、どうなるんだろうと注視する向きも出てきました。とてもいいことだと思います。

そして私たち医師会はその流れの中で、みなさんとともにより良い方向性が出せるように考えていきたいと思っています。

11月から12月にかけて武雄市の有識者(医師会を除く←はずされた理由はわかりません)で行われた武雄市行政問題審議会(武雄市民病院関連)の最終答申はこのようになっています(クリックしてください)。

経営形態についての検討のところから一部抜粋します。

『医療問題に専門的な知見を有した方々を含む地域医療専門審議会(仮称)を設置し、慎重に検討することが必要である。』

政治的な文言の言い回しは僕はよくわかりませんので僕の理解力が乏しいのかもしれませんが、上記審議会の答申と昨日の市長のお言葉は同義ととれるのでしょうか??????

医師会は『医療問題に専門的な知見を有した方々』というのは暗に医師会メンバーのことかと理解し、新たに医師会メンバーを入れた審議会が立ち上がるものと理解していました。市民病院の職員さんを前にした説明でも市長はそのようなことをおっしゃったと記憶しています。

私たち医師会が市議会議員さん方を前に1回や2回考えを述べても、それで十分私たちの考えが理解していただけるか、私たちの話術の能力も含めて、不安があります。また何より、最終結論を出す時に私たちが関与できないことにも不安があります。

なのでやはり審議会の答申に書いてあるように医師会メンバーも入れた審議会を立ち上げて検討をしていただければと切に願っています。

 

 

 

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2008.01.30 09:00 |  スポーツ  |  かいぼー  | 推薦数 : 0

REVIVAL 目標達成!♪

1月26日、27日は僕なりにヒヤヒヤしながら過ごしました。

しかも情報更新されない。携帯電話で結果を聞くか?いやいやそれも怖いなぁ・・・。あぁ知りたい。。。

それは我らが REVIVAL が九州リーグ1部に入れるかどうかということでした。

今年度、フットサル九州リーグは10チームで行われました。そして来季は九州リーグは1部(6チーム)と2部(6チーム)に分かれることが決まっていました。

ということで REVIVAL の今季の(サポーターとしての僕の)目標は最高は優勝、最低でも1部に入ること でした。

前期終了時点で上位リーグ(5チーム)と下位リーグ(5チーム)に分かれました。上位リーグに入ったチームは自動的に来季の九州リーグ1部が決まります。

REVIVAL は前期7位で下位リーグにまわりました。こうなったら下位リーグで1位(総合6位)にならないと1部に入れません。

下位リーグスタートとともに REVIVAL は好スタートを切り1位へ躍り出ました。そして最終の2節が1月26日、27日にあったのです。

1勝でもすれば自力で1部残留を決められる状況で試合結果は果たしてどうだったでしょうか?その模様は REVIVAL のHPの左側にブログ(監督のやら選手のやら)がありますのでそちらを覗いてみてください。彼らのことがわかってあなたも REVIVAL のサポーターになっちゃうかもしれませんよ♪

とにかく結果は下位リーグ1位(総合6位)となり、見事に来季は九州リーグ1部で戦うことになりました。

最終順位です。

1.SPORVA21(福岡)

2.RD/DINO'S(福岡)

3.エスペランサ熊本(熊本)

4.BLAKCA BROCCO(福岡)

5.kagoshimaFR(鹿児島)

6.REVIVAL(佐賀)

ここまでが来季1部

7.池田誠商店(佐賀)

8.FUKUEI JAPAN(熊本)

7位と8位は来季の2部が決定

9.国見FC(長崎)

10.E.R.S.(鹿児島)

9位10位は入れ替え戦へ

来季 REVIVAL の目標はどこに置くのでしょうか。楽しみです。みなさんも応援してみませんか。そして池田誠商店も頑張って1部昇格を狙ってください。

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2008.01.29 08:39 |  診療  |  その他(医療関連)  |  かいぼー  | 推薦数 : 2

初めて看取った患者さん

先日ブログのコメントに彼女(初めて看取った患者さん)のことを書き込んで以後、彼女のことを思い出していました。

僕が入局した大学の内科は5月中旬の医師国家試験の合格発表の翌日から働くようになっていました。正式資格は6月1日からなのでとりあえず副主治医という形で。

あの頃は国家試験勉強をした直後なので多くの知識は持っていましたが実践はほとんど何もできない状況でした。夜、ナースステーションでひとりカルテを読んでいるときに看護師さんに「先生!先生!すぐ来てください!」と言われても、あ?自分のこと?としばらく気づかないくらいでした。今だったら「先生!」と聞こえたら自分のことでなくても振り向きますが(笑)。

初めて「先生!」と呼ばれたときはナースステーションから見える1号室で患者さんが痙攣していました。そこから看護師が僕を呼んでいます。医師(まだ正式には医師ではなかったけど)は僕しかいませんでした。呆然としながらも看護師の指示で動く僕。そんな中、ひとりの医師が走ってきて、てきぱきと蘇生を始めました。結果的には気管内挿管までしてその場を乗り切られました。その医師はもう間もなく医師になって1年になる1年上の先輩でした。1年でこんなに成長するのかと見ていて舌を巻きました。

6月からの新米医師はまずは検査目的入院の、命には別状なさそうな人を受け持ちます。まずいろんな病院のシステムやら医師としての基本的技術(採血や点滴の手技や清潔操作などから)を学びながら環境に慣れていきます。

5月中旬、初めて病棟に行った日、病棟医長から「かいぼー先生は副主治医としてこのひとを持ってね。」と言われたのが自己免疫性肝炎が進行して肝不全になった40代女性でした。重症の患者さんだけど5月いっぱいは命が持たないだろうとの判断からでした。

そして6月になりました。主治医だった医師はローテーションで別の場所に移動しました。重症だけれど例外的に新米医師の僕が継続して主治医として引き継ぐことになりました。

右も左もわかりません。指導医に言われるままに薬を出して、検査の依頼をして・・・という日々が続きました。僕としてできることはとにかく患者さんの話を聞くこと。

この方、治療歴が長く、ステロイドも使っていて満月様のお顔の方でした。不定愁訴が多くて、医師や看護師だけでなく身内の方も愛想をつかしていて、寂しい方でした。娘さんは高校生がひとりおられましたがその方もお見かけしませんでした。

カンファレンスでは彼女の状態が悪いながらも安定していることをみなさん驚かれていました。そうして7月も過ぎ8月になりました。その間に僕は新米医師としては例外的に2人目の重症患者さんも受け持っていました。この方が僕の2人目に看取った患者さんになりました。新米医師としてはもう本当にてんてこ舞いでした。

重症2人のほかにも数名の入院患者さんを持つようになり、彼女との会話の時間を十分に取ることができず、そうすると彼女の不定愁訴はますます増えました。すると僕はちょっと彼女のところに行くことをためらう(行くと時間が費やされてしまうので)の悪循環の時期がありました。

で、8月のお盆前くらいでした。意を決して僕は彼女のところに行きました。今日はじっくり話を聞くと心に決めて。

夜7時くらいから9時過ぎまで話をしました。会話ははずみ、珍しく彼女は笑って、僕も自然と笑顔でした。何を話したのか覚えていませんが、彼女の人生にかかわるいろんなイベントの話だったと思います。生き生きとお話ししてくれました。

別れ際に「今日は楽しかったぁ。」と彼女は言いました。僕も笑顔で振り向いて「おやすみなさい。」と言いました。

ナースステーションに戻って30分、カルテに記入していると見回りの看護師から「先生!〇号室に来てください!息されていません。」と彼女の部屋からコールが。

急いで行きましたがすでに心肺停止状態でした。慌てて初めての心肺蘇生をしました。最初に胸を叩打した後、すぐに心マッサージを、と思い、ぐっと抑えた瞬間、ステロイドで弱くなっていた彼女の肋骨からみしっと音がしました。

僕は「はっ」としました。彼女はもう死んでいる。もうこれ以上痛めつけなくていいんじゃないか。

顔を見ました。かすかに笑顔でした。

何かあったらすぐにナースコールを押すひとでいつも左手に握っているひとでしたが、ボタンは押されませんでした。押す間もないことだったのでしょう。

間もなく病棟当直の先生も来られ、蘇生は中止され、死亡確認をしました。

2時間ほどして、もう0時近くでしたが、娘さんがおひとりで来られました。ご主人さんは最後まで見ることはありませんでした。

2時間の会話。なぜあの忙しいタイミングで僕が2時間の時間を使って話をしようと思ったのかわかりません。でも話をしなきゃと思ったのです。

そしてなぜその直後に彼女は亡くなったのか。

笑顔に見えた彼女の顔に救われたのは僕でした。

ひとは生まれてくるときも死ぬ時ときもひとりです。寂しく死ぬか寂しくないかは充足感があるかどうかだと思うんです。

彼女に充足感を僕は与えられただろうか。だったらいいと思います。新米医師だったからこそのひたむきさが功を奏したのか。

ひとを救うということは・・・。

今でも考えます。

 

 

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2008.01.28 07:52 |  スポーツ  |  かいぼー  | 推薦数 : 0

感動!スポーツ!

まずはマラソンの福士さん。正直そんなに好きではなかったのですが昨日の走りは感動しました!!!

スタートから30キロまでは独走。で、その途中、以前Qちゃんの監督だった小出さんがコメントを求められて『彼女(福士さん)は2時間16分くらいで走る能力を持っている。30キロ以降をどう走るか勉強したらね。』とおっしゃいました。その小出さんの言葉どおり30キロ以降ずるずるとペースダウン。この走りではフルは持たないことを小出さんは見抜いておられたのでしょう。

最後は4回、路上やトラックで転倒しながらゴールを目指しました。あの強気一辺倒のコメントをする福士さんがふらふらしながら、足が利かなくなり転倒しながらも、ランナーの本能だけでゴールを目指す。顔は笑っていましたが目はほとんど見えていなかったそうです。

ゴール後もスタンドに『ありがとうございました』と言っている口の動きが映し出されていました。

今回の失敗がこのひとを大きく成長させると思います。失敗を素直に認めるひと。挫折を乗り越えたひと。コンプレックスを持って、前を向いて生きていくひと。そんなひとが僕は好きです。福士さん。好きになりました。応援します。

もうひとつ。昨日の大相撲千秋楽結びの一番。横綱同士の優勝決定の一番。

白鵬 - 朝青龍

仕切りから見ていて力が入りました。両者のまわしを叩く音がばん!ばん!ばん!と響きました。そして睨み合い。時間前から気が充実していくのが感じられました。そして相撲内容も申し分のないものでした。力比べの引付け合いは思わず腰が浮きました。引付け合いながらの土俵際へのにじり寄り。朝青龍の左足は土俵から離れず、ずずっと大きな線となって土俵上に跡が残りました。その後朝青龍が吊り上げようとして、一瞬中に浮いた白鵬が体重を預けて土俵上に着地したと同時にぐっと引きつけ、左上手で朝青龍を一閃豪快に投げ飛ばしました。

勝った直後の白鵬の身体全体からふぅぅぅっと抜けていく気迫。それでも抜けきれなくて頭は放心状態。温泉の中で白い蒸気で周りが見えないような感じの中、大きな喜び、充実感が言葉にはならない状態で渦巻いていたと思います。

白鵬、見事でした!本当に彼が言うように、みんなの期待を背負って今場所戦いました。モンゴル人同士でもありましたが、『自分は夏・秋巡業、そしてその間2場所優勝してきた。休んでいるひとには負けられない。』という相撲界を背負って立つものの自覚、意地を見ることができました。

一方、朝青龍も2場所休んでこの立派な成績はさすがと言わざるをえません。そして来場所はますます充実させてくることと思います。

あなたたちの戦いをこれからも応援します。

そんな昨日。われらがサガン鳥栖。第1次キャンプに入りました。もっともっと多くのひとに感動を与えられるプレーができるように、君たちも精進してください。どこよりも走る。どこよりも限界まで戦う。それがサガン鳥栖。

3月8日開幕に向けて僕らサポーターも気合を入れていきます。今年一年もまたサガン鳥栖を応援して、たくさん感動をもらい、そしてともにJ1昇格を喜びたいと思います。

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2008.01.26 08:11 |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  武雄ネタ  |  かいぼー  | 推薦数 : 0

くらし力を育てる

利権を優先し理念は後付け(だから理念には辻褄が合わないことがいっぱい。でも反対意見は無視されるか力で圧倒される。)ということが横行している現在。利権とは関わらず自分の信じる理念に沿って純粋な気持ちで楽しく生きていきたいと僕は思っています。そして武雄には真面目に、地道に、そして息長く、地域そして環境のための活動をアイデアいっぱいで楽しんでされている、僕が今、武雄で尊敬する人の中でも最高級レベルの方がおられます。それが山田信行さんです。

その山田さんが理事長を務めるNPO法人循環型たてもの研究塾が、丁度2週間後の今日、2月9日(土)に武雄市文化会館のミーティングホールで

『くらし力を育てる

   ~食育と住まい育講演会』(←詳細はここをクリックしてください)

を開催されます。

13時開場。13時30分開会。

13時40分から14時10分は山田さんが『住宅は「人が住む巣」である』という演題で講演。

14時20分から15時50分は『食卓の向こう側』の企画・編集に携われた西日本新聞事業局出版部次長の安武信吾氏が『正しい食が命をつくる』という演題で講演されます。

このような会には多くのみなさんに来場していただきたいと思います。

チケットは当日1200円(前売り1000円)[中高生600円(前売り500円)]

申し込み・問い合せは

NPO法人循環型たてもの研究塾

TEL/FAX 0954-26-2414

E-mail アドレス mail@junkan.info

です。山田さんの許可を得て、自主的にここで告知をしました。かいぼー医院にもチケット数枚ありますよ~♪ みなさん、どうぞよろしくお願いします(^^)/

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今日のメールの冒頭にもありますが、Ressarさんは自分がきついはずなのに、僕を思いやってくれる言葉を必ずくれます。この優しさ、こころの大きさは何なんだろうと思います。感嘆。感激。感謝。Ressarさんのようにおもいやりにあふれたひとばかりの社会であればどんなに素晴しいだろうと思います。計算づくでない必死さ、懸命さ、大きな愛、そして強さ。

そして私を含めた医療界や社会の無力(とまでは言わなくても微力)さ、弱さ。どうしたら彼女の想いに応えることができるだろう。僕が今できることは彼女に言葉を送ることだけ。少しでも力になれば。。。

今回のメール。きつい中、書いては休みしながら書き溜めたのでしょう。長文になりました。彼女の想いが今回も溢れています。

この想い。すばらしいです。

 

こんばんわ。
最近、めっきりお忙しそうですが、かいぼー先生のお身体が心配です。。

私の体調も悪化の一途を辿るあまりで、在宅での限界を正直感じています・・・・・・。
昨夜は突然、意識を失い、朝方まで目覚めませんでした。
不整脈の発作でもなく、何かの発作でもなかったのですが、突然意識を失うことがあります。

人工呼吸機と酸素療法など、救命装置はわが家にあるのと、ターミナル期から積極的な治療はしないという意味で、在宅での生活を選びました。
だから、救急車は呼ばず、意識がなくなったり発作が起きて在宅でいることに不安を感じたら、大学の主治医に連絡を入れることになっています。

この先生は生まれる前から、母のお腹の中にいたときから、診て頂いている先生で、先生の自宅も近く、よく夜中などの急変時に、飛んできてくださる小児がん専門医の先生です。

その先生に連絡をとったら、呼吸状態に変化がなく、サチュレーションも落ち着いているのであれば、朝まで様子を診て、それでも意識が戻らなければ大学に救急車で来てください、ということで、母は一睡もせずに、私の呼吸状態を監視していたらしい・・・です・・・。

幸い、朝6時頃に、腹痛とともに目覚め、母を安心させました・・・。

脳腫瘍も患っているのと、脳の先天性奇形もあるため、
意識レベルが落ちることがよくあります・・・。

こんなことを繰り返す度に、在宅にいられる限界を感じてもいるです・・・。
でも、やっぱり家にいたい・・・。
どこまで私が在宅でがんばれるかな・・・?
どこまで家族が、私の介護をがんばってくれるかな?
毎日、そんなことを考えています。
やっぱり・・・・・・不安です。

私の人生のモットーは、『自分の人生は、自分で責任を持ち、誇りを持つこと』です。
ですが、今は、病気の勢いに負けてしまってます。。。

今日は、夕方、明日退院するという祖母の病院にお見舞いに行ったのですが、楽しそうに笑ってるナースに、怒りさえ感じてしまいました
祖母も早急に退院を命じられていて、明日10時に退院の予定ですが、祖母はまだ腰の痛みを訴えており、ひとりではトイレもいけない状態です。
それでも退院を命じる病院側の対応に、苛立ちさえ感じてしまいました・・・。
せめて、患者本人の体調が辛い時は、同じ目線に立ってほしい・・・。という思いは、難しいのでしょうか

病気になってみないと、その苦しみはわからないから

だけど、ちょっとした想像力を持てれば、相手に配慮できるはず。

上から見下げる医療者が多いのだろう
と、感じることがあります。

祖母も在宅に帰っても、一人でトイレにも行けなく、在宅での生活に不安を感じています。
また、介護者である母も叔母も、常時祖母について介護ができる状態ではないので、このままの在宅生活に不安があります。

そんな患者本人や家族の不安は、サービスを提供する側には届きにくく、寄り添う医療や福祉は、程遠い現実になるのでしょう。

病気になり、哀しみを知りました。
私に今できることは、愚痴ることばかりではなく、他人を非難することでもなく、人を妬んだり、羨むことでもないはず

しっかりと病気と向き合い、今、できることをすること。

そして、人に優しくあるばかりではなく、強くなることです。
きちんと思いを、伝えられる人になりたい

今までは、人を気遣うばかりで、自分が(意見を言えず)我慢することが多かった。
そして、そういう人から、裏切られることもあった。
私自身から、距離をとっていくことも多かった・・・。

自分を大切にしてくれる人を、きちんと見ること。
そういう目も、大切なんだなと、知りました。

優しいばかりでは、ダメなのだ。。。
私は、いつだって自分に、負けない。
そうして生きてきたんです・・・。
小さい頃から、病気をして、いろんな辛い検査や手術や治療も、乗り越えてきた私。
子ども時代頑張れた自分が、少しだけ大人になった今、それができないはずはないのだ。
そう・・・自分に言い聞かせています・・・。

けれども、昨日突然に意識を失ったことで、
もはや自分の限界も知っています。
この病気の怖さも・・・突然死の恐怖も・・・。。

何ていうか人間は、頭で考えるようには、時には、行動できない生き物なんですね・・・。

これが正しいと、わかっていても、間違った行動をしてしまう時だってある。
正論通りにはいかないものだし、ある意味、世の中、間違いだらけなんです。

間違いのない社会は、面白くないのかもしれないし、
不可能なのかもしれないと感じます。

医療にも、間違いはあるのだろうけど、自分だけは、最善の医療を受けたい!と、誰もが願っているのでしょう・・・。

だけど、医師も人間なんだという、当たり前のことは、私は忘れてはならないと思うのです。

人間、謙虚さと、間違いを認めることは、社会の中で、生きるにおいて、大切なことだと思うから・・・。

だけど、社会は、間違ってはならない!と、説いているから、ややこしいんですよね

人間は、意味をみつけたい生き物。

だけど、世の中、無意味なことの方が、圧倒的に、多いんだと思う・・・んです。


(下へ続きます)

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何でもかんでも、意味をみつけていたら、生きることに、疲れてしまうのでしょう

意味がないことを、行うことから、他人や周りに優しくなれたりするのかもしれない、と最近思うようになりました。

私が生まれたことに、こうして生きていることに、意味があるのかもしれないし、ないのかもしれない。

こういう考え方には、それぞれ価値観の違いが出るかもしれないけれど。
だけど、意味がなくても生きてゆくべきだと思うし、自分の存在に意味を見出だそうとし過ぎて、何か大切なことを、見失わないようにしたいと思うのです。

何かいろいろ考えてしまっています。

祖父母のことも、私自身の病気の今後も。

自分の辛さよりも、私の病気のために、周りに迷惑をかけていることを

それでも私は生きていきたいし、良くなりたい!

こういうのって、欲なのでしょうか?
でも、自分を大切にすることは、生きていくにおいて、必要なことだと・・・想いたいです・・・。

今は、体の辛さの愚痴や、良くなりたい!とは、誰にも言わないし、言えない・・・状態です。

これからどうなるかわからないが、全てを受け入れようと、覚悟しているんですけどね

ああしたい、こうであったならば、この苦しみから逃れる道はないものか?探し続けては、今まで、迷路に入って、奔走してきたのかもしれない

だけど、今度は、ここで止まってみたいと思うのです。

もしかしたら不運な運命だとしても、愚痴は言わず、なるべく明るい方を選んで、歩みたいと・・・。

人生、自分で選べることは、少ないのかも知れません

それぞれの運命の中、自分でできることを、精一杯もがきながら、探しながら、生きるしかないんですよね・・・

昔は、『医は忍術』と言ったのに

いつの間にか、医療に効率性ばかりを、優先してしまうようになったのでしょうか


『医は算術』じゃないよぉ。。

祖母の今回の入院で、医療者の在り方について、ひしひしと考えることがありました。

痛みに寄り添う医療は、もはや死語でしょうか?
不可能なことでしょうか?

苦しんでいる患者を前に、笑わないでください・・・。
年老いた高齢者に、「自分でできることはしてください」と冷たく突き放さないでください・・・。
確かに、自分でできることをすることは、人間が個人として生きていく上で、とても大切なことです。
高齢者の機能を維持、向上していくのにも、大切なことだと思っています。

しかし・・・・・・
まだ完全に治っていない、痛みも収まっていない状態の患者に、すべてを一人で出来るように、突き放すのは、やめてほしいのです・・・・・・。

「見守る」と「見放す」は、違います。

人は、やがて気づくのです・・・。
高齢になり、身体の自由が効かなくなったとき・・・
周囲の言動が、どれだけその人の心を追い詰めていくのかを・・・・・・。

そのことを・・・どうか、
もっともっと、若いうちに、知ってくだされば・・・。

そして意識を変えてくだされば・・・。

寄り添う医療とは、そういう意識の元に、かかっていると思うのです・・・。

「何でもひとりで、せなあかんねん・・・。」

痛みをこらえながら、自分で寝返りを打とうと、ベッドの柵を握りしめるおばあちゃん・・・を見て、なんでも「自立」と称して、「必要以上の頑張り」を強要していく医療・福祉の意識に、少し戸惑いと危険を感じてもいます。

もっともっと・・・優しくはなれないのでしょうか?
もっともっと・・・寄り添うことは、キレイごとなのでしょうか?

本当に・・・もう、今の日本の医療・福祉に、そういう心は、なくなってしまったのでしょうか?

しかししかし、先生方は、一所懸命、医師、看護師として働かれておられると、ひしひしと感じます。

痛がるおばあちゃんを見て、何とかしてあげたいと思いました。
だけど・・・私には、おばあちゃんの痛みを取ることも、寄り添うことも・・・できないんです・・・。。

夕食事の時間までいて、食べるところの見守りに入りました。ベッドに腰かけて、起き上がって食べるのですが、
その起き上がるときに、腰の痛みを訴えます。
一人では起き上がることが、難しそうなので、私が母に介護技術を口頭で説明しましたが・・・母は本来不器用な方なので・・・・・・なかなか介護技術を行動に移せない・・・。
私は特養などの介護施設で、直接利用者さんの身体介助にも、入っていたので、ベッドから車いすへ移すことも、坐らせた状態から立たせることも、歩行介助もしていたので、最低限の介護技術はまだ私の中に存在してくれています。

けど、今の私には、立ち上がって、祖母の介護をできないんですね・・・・・・。
足が動かない・・・。
何もできないんだってことに無力を感じました・・・。
私は・・・立つことも、できないんですね・・・。

もう、無力としか言いようがなかったです。

今迷っていることがあります。

今年に、福祉住環境コーディネーターの資格をとろうかと迷っています。
この職業は、障害者や高齢者の住環境をコーディネートする福祉の新しいプロです。
医療・福祉・建築についての幅広い知識と高い技術を合わせもつ、現代社会の医療福祉両面から支持される、医療福祉アドバイザーです。

何か資格をとりたい。
働きたい。想いは山々ですが、
多くのリスクと迷いがあります。

目指してきた今までのものたちも、
結局は、病気の進行悪化によって、途中であきらめなければならなかった。
そうやって諦めてきたものの残骸が、今の私の人生にはついています。
挑戦したい思いはある。
投げ出したくない思いもある。
あきらめたくない気持ちもある。

だけど、そんな気持ちと同じくらい、それ以上に、

リスクを背負う覚悟も、
新たな残骸を残してしまうことも、
生きれる時間が少ないことも、
それによって体を、時間を、命を、削ってしまうことになることも、私にはわかっているのです・・・。

簡単に、「ちょっと資格とるね!」なんて、言ってられないんだ・・・・。
それに、資格をとったって、在宅でできる仕事なんて、ないかも知れない。
私の車椅子ユーザーの友達も一昨年この資格をとりました。だけど、仕事は貰えませんでした。
世間は、甘くはないんです。
歩ける人には、当たり前に資格を持っていれば、仕事に有利だから、資格を取る人もいるけれど・・・。

働きたいと思っても、社会が病状が、許されない人は、生きていくことを更に厳しくさせます。

こんな言い方は失礼ですが、
いくら福祉の現場で、
障害者や高齢者のことを学んだって、
福祉のプロも、ただの人。みんな、仕事なんですよね・・・。
彼らは仕事が終われば、ふつうの生活に戻れるわけで・・。
戻れる場所が・・・あるんです・・・。
私たちには・・・この体を脱ぎ捨てることも、できないんだ・・・。
仕事とはわけが違う。

この迷いを、昨年末、母に話しました。
母は、言ったんです。

「いいやん!やろうよ
(Ressar)
ちゃんやったら、絶対できるって!年あけたら、教科書買いに行こう!」

私が、
「そうやっていっつも、目指してたものの諦めた残骸が、後ろに残ってるやん!」って、涙ながらに話したら。

母は、決してそんなことはないと、抱きしめてくれました。
いつでもあなたは、頑張ってたと、今もがんばっていると・・・

母は、いつもそうでした。
私がやりたいと思ったことを、反対したりせず、リスクをあえて、背中を押してくれた。
あなたが決めたことなら、その道を信じると。
リスクがあることでも、あなたの人生なのだから、あなたがどうしたいか決めなさいと。
厳しい治療の選択権だって、小さいときから私に与えてくれた。
父は、ボランティアのときも、えらく反対をしたけれど。
口も聞いてくれなかったこともあったけれど。
そんな父との間を取り合ってくれたのも、母でした。

(下へ続きます)

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母はいつでも、私の味方でした。

でも・・・
今はもう、その言葉に、ただひたすら突き進んでいくことができません。
諦めないと自信を持って言えるほど、私の今の病状は、決して楽観できるものではないからです。
母は・・・・それを知っていて、あえて、挑戦しろと言うのでしょうか。
家族は・・・父も弟も、みんなが応援してくれます。
出来るかわからないけど、やってみたらいいやん。と・・・。
私にも、できるかなんて、わかりません・・・・。

むしろ出来なくて、また途中で終わってしまうことになるでしょう・・・。
そうやって、目指していたものの諦めた残骸が、私のこれまでの人生には、残っているのです。

医者が無理だと言われたあの日から。
私は、新たな夢を見つけ、それに向かって努力することにいっぱいいっぱいでした。
目標を探すことに、そに向かって努力していくことに。

小さいときからやっていたビーズを仕事にしようと、プロの道に進むことを決意したあの日。
資格をとったものの、応用を受講中、麻痺が進行し、些細な夢もあきらめなければならなかった。

それからは、生きることに必至でした。
日に日に悪化していく己の体と向き合うことに、必死でした。

でも、やっぱり、私は、お年寄りが好きでした。
子どもたちが好きでした。
再び福祉の現場に、戻りたい。
もう一度、小児医療福祉・高齢者医療福祉の道に携わりたい、その想いは消えることはありません。

ダメでもともと。

私は、医者に、小児科のお医者さんになりたかったけれど。
その夢は成長とともに、やがて形を変えていきました。
彼と出会ってからは、彼と同じ介護福祉士になりたいと強く思い始めた。
そして、自分の体力のなさを感じ始めると、やがて社会福祉士を目指すようになりました。

やりたかったことも、目指していたことも、
たくさん・・・あったんだ。

父方の祖母が倒れてから、高齢者のリハビリについても興味を抱くようになり、学びまじめた。

理学療法や作業療法、言語聴覚療法にも、興味を抱いた。

医療・福祉の分野のすべてに、興味があった。
そして、一つ一つ勉強し、思慮を深めていきました。

知識と、最低限の技術だけは、
今も私の中に存在しています。

働きたかった・・・。あの場所で・・・。

進行なんて、してほしくなかった。
まだまだ、活動していたかった。

いずれ歩けなくなる。だから出来る今に、動けるうちに好きなことをしなさい。

そう小さい時から言われていました。
でも・・・もっともっと先のことだと思っていた。

もっともっと・・・・・・大人になってからのことだと、思っていました・・・。
早すぎたよ・・・。
まだ、何も・・・人生への満足感も経験値も、何もなかったのに・・・。

娘さんには突然死のリスクがあります。
普通の人よりも短命であるのだから、好きなところへたくさん連れて行ってあげてください。

そうも言われていました。
現に両親は、私をいろんな場所へ遊びに連れて行ってくれた。
遊園地、水族館、動物園、海。
近畿圏では、ほとんどの場所へ連れていってくれました。

行きたい、と行ったところは大抵連れて行ってもらえたし、
欲しい、と思ったものは、多少無理をしてでも買ってくれた。

わがまま。
そう言われても仕方がないかも知れません。

でも、それは、親が子を想う感情の裏返しだったのだと気づきました。
わが子が難病で、しかも治らない不治の病。
進行性で治療法がない。余命も限られている。
その状況で、両親は、少しでも生きているうちにいろんなことを経験させてやろうと、過保護でした。

親の想いが、たくさんそこには存在しています。

私が夢を諦めたように、
両親もまた、娘に託そうとした夢を諦めた。

現実を生きて行かなければならないから。
夢ばかり追っていては、人は生きては行けないんです・・・。

もう一度・・・現場で働きたい。
もう一度・・・お年寄りと触れ合いたい。
もう一度・・・

もう一度、勉強したいと思っても、
私の体はそれも、許してはくれなかった。

何なら、許してもらえるのでしょう・・・?
何なら、この体で、出来るのでしょう・・・?

自分がしたいものを、できるわけじゃない。
できることしか、できないんです。

私は、何ならできるのだろう・・・。
今も・・・自分に出来ることがなんなのか、答えを見つけられずにいます

ボランティア時代、私は自分なりに精いっぱい奮闘していたつもりでした。
でも・・・がんばれなかった。
あの時、2年しか、頑張れなかった。
必至で頑張ったけれど。
もう、体力も時間も、残されていませんでした。

社会福祉士の資格を目指していたとき、
見えない目で、必至で教科書の文字を追いました。
できないことはわかっていました。
無謀なことも、わかっていた。
でも・・・例え、できなくても、それでもいいと思ったんです。
できなくても、やれるだけやってみたいと

しかし、今は、あの時のような挑戦心はありません。
今は・・・己のこの体を守ることで、精いっぱいなのです。

結局、私は・・どうしたいのだろう。
どうするのでしょうね・。

こんな私が、福祉住環境コーディネーターの資格を取るなんて、馬鹿げたことなのかも知れない。
ただ、遊びの、趣味だけで取る資格となるのでしょうか・・・?

資格を取ったって、仕事に活かすことができるわけでもない。
在宅での仕事だって・・・できるはずもない。
体力のなさ、病状の重さが、現実をより一層厳しくさせています・・・。

取りたい・・・と一瞬でも想いを過らせたあたしが、愚かだったのかも知れない・・・と、今日祖母の隣で何もできなく、ただ見守ることしか出来なかったとき、気づきました。
再び現場で働きたいと、一時でも想ったあたしが、馬鹿でした・・・・・・。

今の私に出来ることは、そんな資格を取るよりは、おばあちゃんの痛みが、少しでも良くなるようにと、祈り続けることです。。
そして、おじいちゃんの最善と思われる施設を探すことです。


病院からの、帰り道。
母に、「やっぱり(Ressar)ちゃんは、すごいね。介護の仕方も上手やし。」

そんなことを言ってもらえても・・・。
私は何もできなかった・・・・・・・・・。

ボランティアをやめてから、おばあちゃんやおじいちゃんの身体介助に、ほんの少しだけ就けた。
在宅で、母と寝たきりの祖母を共に介護した。
介護施設で学んだ知識と技術は・・・・・・そのまま祖父母に提供してあげることができた・・・。

でもそれは・・・・・・
ほんの一時のことでした・・・。

今までの恩を返しきらないうちに、こんな身体になってしまったことを、私は今でも後悔し続けています・・・。


結局、私は・・・何もできないままでした・・・。

ごめんなさい、今日はなんだかブルーな気持ちで書いてしまいました。
あまり、心配なさらないでくださいね・・・
落ち込んでも、立ち直りも早い単純な奴なので・・・・・・苦笑。

それではまた、メールします。

Ressar

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20日の日に

NHKスペシャル『認知症 なぜ見過ごされるのか ~ 医療体制を問う』

を見たときから認知症について書かなきゃ、と思っていました。あの番組を見て、かかりつけ医としての自分は番組内での進行状況、内容に多少の違和感を感じながら見ていました。積極的に早期に認知症を発見することが重要なのか?

昨日、武雄地区医療連携看護研修会があり、テーマは『認知症患者の看護』で武雄市民病院のM総師長のお話しでした。Mさんのお話のほうがよっぽど納得がいきました。やっぱり僕はこの勉強会は好きです。今のところ看護師のための勉強会なので医師は僕ひとりで、独り占めしてごめんなさい(笑)。

かいぼー医院には僕が小さい頃から知っているおじさん(もう今はおじいさん)やおばさん(今はもうおばあさん)などが通院しています。そんな方も年齢を重ね、診療中にも、ちょっと認知症がありそう、と思うことはあります。でも本人の自覚がないのに、ちょっと認知のテストしましょうか、なんて言いにくいです。言われたら哀しいでしょう。

僕は、このひとは認知症だ、と確認することはなく、ただただお話しすることに努めています。

そんな僕の感覚にM総師長は同意してくれました。

人間は満足感を持って生きていたいと思います。できなくなったことを黙視して、残された機能を思い切り認めることで、充足した気持ちで生きていければ幸せだと思います。察知される事なく支えてあげることが重要なのだと昨日の研修会で納得しました。

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2008.01.23 08:36 |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  武雄ネタ  |  かいぼー  | 推薦数 : 0

何が最も大切か

道路特定財源の暫定税率廃止の件に対する地方行政の対応の早さには感心しました。あ、こんなに素早く、また具体的に、影響を中央へ、そして住民へ説明されるんだ、と。

確かに道路は住民生活に直結しますから、行政の仕事としてもわかりやすいところではあります。

そして、僕は思ったんです。道路よりもっと大事なことで、しかも具体的成果がわかりにくいためにおざなりになっていることがあるなぁ。

それは環境問題です。

生活が便利になったって環境が悪くなったら生きていけない。

環境が変わったら、今までの生活風土はまるっきり変わってしまい、最悪の場合、ひとは生きていけません。

暫定税率廃止に対して持った危機感に比べれば、環境問題に対する危機感はあまりにも少ないのではないか、と思うのです。

市政の先進的事例として注目されている武雄市においても、この環境問題に対する取り組みあるいは提言は、もちろん以前に比べれば食育やリサイクル、リユースなどなされていますが、もっともっと環境に対する積極姿勢を示せるだろうと思っています。多少不便でも、手はかかっても、金銭負担は増えても、環境に優しい、環境を守るための提言。全国の多くの市から行政視察に来られているようですが、環境対策を見に来てもらえるような市になればもっと素敵だと思います。

サッカー日本代表監督の岡田武史氏は地球環境イニシアティブ(GEIN・・・Global Environment Initiative)を設立しました。このような方が環境問題に積極的に関わることはサッカーのサポーターなど若者も巻き込んで影響を与える事ができます。インタビューで『マイはしを持ち歩いていますが、酔って、しょっちゅう忘れてくるので、環境には悪いですね。』というコメントも笑えます。

全国に、そして武雄でも地に足が着いたしっかりとした環境活動をされている方々がおられます。そのような方々は世間一般向けに対して華々しい活動をされることはあまりありませんが、地道に着実な活動をされていて尊敬します。そして結果ひとは集まってきます。

俯瞰した物の見方が必要だと思います。一点だけを見て、盲目的に突破するのではなく、広い視野で考え、まず何が大事なのか、優先順位をつけ、整合性もとれるような姿勢を行政を預かる方々には今以上に期待します。

 

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