Ressarさんが武雄市民病院に関する僕のブログを読んでの、18歳の生来重度障害難病患者として自分が感じる、この国の医療のあり方に対するご意見をいただきました。(もちろん、この件について書いてくれるよう要請はしていません。)

今回のメールは樋渡武雄市長をはじめ市民病院問題を考え始めた多くの市民のみなさんや医療関係者にも読んでいただきたいと思います。

それに追記して最近、僕の患者さんから時折耳にする言葉も書いておきます。「市長は『佐賀のがばいばあちゃん』『武雄のがばいばあちゃん』て、ばあちゃんにスポットをあてて頑張ってこられてたじゃないの。そして元気なばあちゃんはますます元気になった。でもね、その陰で寝たきりで元気がない、そして弱っていくばあちゃんもたーくさんおんさっと。そんなばあちゃんにも優しい行政ばしてくんさらんぎ、結局わーが名前ば売ーためだけの行動やったとねて思わるっばい。」

僕もそう思うのです。医療行政というものは最先端の華々しい医療に目を向けるよりも、まだ日陰で苦しんでおられる人がおられるのなら、そのようなひとたちにこそ優しいまなざしを向けることだと思います。だってそちらの人数の方が今は圧倒的に多いんですもの。

ではRessarさんのメールをご覧ください。

 

かいぼー先生、こんばんわ。
メールありがとうございます

武雄市の市民病院の件・・・ブログで拝見いたしました。

難しいことは、わかりませんが・・・

私のような重度障害・難病児者は、年々、行政や医療に切り捨てられています。
これは、現実です。

急性期医療や高度医療に力を入れる病院は増えていても、在宅医療を支える地域病院の充実や慢性疾患をサポートする療養型の病院は、非常に厳しい現状での運営を余儀なくされています。

言葉は悪いですが・・・
いわゆる、「患者追い出し」「弱者切り捨て」の時代は、もはや社会全体、事に一番彼らを支えるべき側の、医療や福祉にもみられています。

これは、・・・
時代なのでしょうか?

時代の流れとともに、人の生活は変化します。
そして、時間とともに、人の心も気持ちも、変化します。
常に変化し続ける生き物です。
けれども、決して変わらない、変わってはならない想いや時代だって、あるはずです。
変わるだけが、時代ではないと思うからです。
流されることが、新しい世界を築くことではないと思うからです。

多分、私のこの考えはきっと、綺麗ごとで、何もわかってないんだと思います・・・。

私だって、今まで医療に見放されてもきました。
「こんな前例のない難病は責任持ってみれません。」
「こんなに重度の障害はみたことないから、受け入れできません。」
門前払いを受けたのは、何度目でしょうか。

その度に、両親とともにやり場のない悔しさと運命すら呪いました。
責任。って、なんなんでしょう?
そもそも、医療を行う人間、命に携わる職業につく人は、
人の命に責任が持てるほど、
人の一生を左右できるほど、
偉いのでしょうか。

私の主治医である小児神経内科の教授が言っていました。
「医者が人の一生を左右できるなど、おこがましい考えだ。」と・・・。

私だっていつまでも、在宅で生活できるわけではありません。
永遠・・・なんて、ないんです。
親も老いていきます。
私が生きていれば、長く生きるだけ、日々介護度は高くなり、もっともっとお互い疲れていくでしょう。
在宅医療は、「入院しなくていいくらい落ち着いている病状」「比較的安定している人」がおられる場所ではありません。
在宅医療を受けているほとんどが、介護状態の重い人、病院では手に終えない人が、結果的に行き着くところが、在宅という場所なのです。

そして、在宅医療は、体制も人数も確立されていないまま、不完全なまま、患者たちは、その不完全で不確かな場所へと追い込まれるのです。
それを支える地域病院の体制すら、十分ではありません。

例えば、在宅で生活していても、感染症にかかったり、原疾患が一時的に悪くなったとします。
入院が必要であっても、介護度が高いから、病棟のナースやヘルパーだけでは対応できない。
よって、在宅でパルス治療を受けることすら当たり前化しているこの在宅医療は・・・
はたして、これで、日本の医療はいいのでしょうか?

この国の福祉に、未来はありますか?

いくら一部の領域では高度技術が叫ばれ、確かに助からなかった病気が助かるようになってもきました。
医学の進歩の恩恵を受けている人は、います。

しかし、けれども、その現状で満足はしてはいけないと思うのです。
入院が必要でも、受け入れる病院側に患者ひとりひとりにあったニーズに対応できるだけの余力がないため、結局は弱者にしわ寄せが来る時代です。

いくら日本の医療は優れているといわれても、
彼国より、豊かな国だといわれても、
見えない部分に、日本の医療の貧しさがあるのだと、感じます。

それは、私がこの世界でも珍しい稀少難病という病気を持って生きてきた中で、患児の立場から、常々思わされることです。

そんな不確実で過酷な日々の中、
命と日々向き合っている医師たち医療スタッフがいます。
それを支えている家族や友人、仲間がいます。

勤務状態も過酷な中、
それでも一人の患者のために、一生懸命になっている医師がいます。

私は、医療の冷たさも知りました。
けれどもそれいじょうに、医療の温かさや人のやさしさも知りました。

偉い人には、私の言葉は、石ころのようで、子どもの戯言としか、受け入れられないと思います・・・。

しかし、あきらめない想いはきっと、届くと信じてます。

届かぬ思いがありながらも、それでも、ひとりでも同じ想いを抱いて頑張っている人がいる。

結果的に自分の意見が通らなくても、
努力したことは、決して無にはならない・・・。

そう、小さいころ教えられました。
何が言いたいのか・・・判りませんね。。

すみません。
けれど、私も在宅医療でターミナル期を過ごす身。

こうして私たちの生活を守ってくれている、この改悪しつつある時代を変えようと、これ以上の負担を弱者にさせまいと奮闘してくれている医師らがひとりでもいること・・・

患者としてうれしく思っています。

先生みたいなお医者さんが、もっともっと増えますように。

きっと、きっと、先生方が行ってきた医療は、患者さんの心に届いています。

 

Ressar

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