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寒いですね。きれいになった武雄市役所前の中央公園で昨日はサッカー、今日は野球をしました。寒風吹きすさぶ中の運動は気持ちいいです!また柵がないのでボールが道路に出て行くことが心配でしたが、今のところは芝生がけっこう深めでボールが転がっていかないのでいいです。近くを通りがかったひとも、「きれいになったねぇ。市長さんもよう考えんさったね。」と感心されていました。生憎天気が悪い日が続いています。からっと晴れたときに写真を撮って『武雄よかとこブログ』(←ここをクリックしてください)にアップしたいと思います。
今日は12時からフジテレビで『佐賀のがばいばあちゃん』があっていましたね。ちらっと一瞬映る自分の姿を探して、やっぱりにんまりしてしまいました(笑)。明日から3日間放送される地元のケーブルテレビCABLE ONEの『おばタマ』にも出てます。新年早々僕のニヤケ面を見てやってください(汗)。そして『GABBA』のCDが市内の本屋さんにも売ってあって感激しました。会計のとき「先生も(CDの)写真写ってますね。」と言われ、あら、この人私が誰が知ってるのね、とびっくりしてしまいました。変なことできんな・・・(汗)。
そしてRessarさんからみなさんに対してメールがきました。彼女は毎日一生懸命です。5月に初めてこのブログにコメントをくれて、メールでやりとりするようになって7ヶ月が過ぎました。生来重度の重複難病を抱えながらも、その聡明な頭脳で様々なことに思いめぐらしている18歳の女の子です。彼女との出会いには本当に感謝です。そして彼女の奇跡的な命に大感謝大感激です。(言葉ではどうオーバーに表現しても僕の気持ちには足りない・・・)そして2008年も彼女と僕、そしてみなさんいっしょに生きていきたいと思います。
ではRessarさんのメールをご紹介します。
かいぼー先生、そして読者の皆様に、
今年一年、出会えました皆様に、
2007年お世話になりました。
かいぼー先生のブログに訪れたのは、まったくの偶然でした。
こんな形で、記事を連載していただけるなんて、思ってもみませんでした。
本当にありがたく、本当にうれしい限りです。
私は今年厄年で、大変な一年を過ごしました。
緊急入院。
出血多量、心停止。
肋骨骨折。
祖母の転倒、骨折、手術。
祖父の入院、四肢麻痺、施設行き。
大切な人との悲しい別れもありました。
家庭でも、いろいろな事がありました。
しかし、それでも、流した涙は、きっと無ではなかった。
今なら言えることができます。
涙は枯れることはありません。
どんなに泣いてもどんなに泣き暮れても。
もう、この1年で、一生分の涙を流した感じがします。
決して、よい一年ではなかったけれど、
かいぼー先生はじめ、皆様と出会えたことは、私の人生の財産です。
“病気が生んだ唯一の副産物。出会いと言うもの・・・。
出会えてよかった。ありがとう”
これは、彼が私に言った言葉です。
病気になってよかったなんて、思ってません。
そして、私はこんな病気、なりたくなんてなかった。
それが、重度難病を抱えて18年を生きてきた本音です。
でも、唯一財産として残ったものは、大切な人々との出会いでした。
それだけは、胸を張って言えます。
出会えてよかった。
この出会いは、この病気が生んだ、唯一の副産物。
彼と出会えたことも、そうです。
みんな、私の大切な人。
でも、みんなを大切にするほど、ひとりひとりを大切にできない・・・。
愛情は、相手が受け取る準備ができていないと、届かないんだということが、今ではよくわかります。
今年出会えた皆様。
かいぼー先生。
こんな戯言のような記事を読んでくださった皆様。
2007年の最後に、本当にありがとうございました。
皆様と出会えたことが、
私の本年の一番最高の出来事です。
かいぼー先生、来年もどうぞよろしくお願いいたします。
来年も、皆様とこの時代を生きていけますように…。
ありがとうございました。
Ressar
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『その地域に住む住民が車で30分圏内で二次医療レベルは完結できるようにする』ことがとりあえず現在の目標ではないかと考えています。
そして地方に行けばいくほどこの目標を達成することは難しくなると思います。
なぜなら医療環境に限りがあるからです。医師の数、医療従事者の数そして病院の数。
そんな中でそれぞれの病院での役割分担および連携が重要になります。
限られた資源の中で機能が重複することができるだけないように。
それらの観点から、武雄に心臓外科に特化した病院は必要ない理由を述べます。
心臓外科の病院として全国的評価の基準としてラインを引くとすると、年間100症例以上の手術件数がある、というのが目安としてあるそうです。
そしてそれを佐賀県内で満たしているのは佐賀大学病院と嬉野医療センターの2施設のみだそうです。県立病院は100症例に満たないそうです。
そしてこの地域(佐賀県南部医療圏)の人口からすれば、十分にこの地域に必要とされる心臓外科領域の医療は施していると思います。
このことが嬉野医療センターまで車で10~30分で行ける武雄に心臓外科に特化した病院が必要ない理由です。
また嬉野医療センターの医師たちは、今回の武雄市民病院を心臓外科に特化した機能も有する病院にするという発言には、これまで述べた理由により、ありえない、あるいは、そんなことがあってはいけない、と感じています。
広域医療圏で考えれば、嬉野医療センターで住民に対して補えていない機能を補完する形で何かに特化した病院にすることを考えることはいいと思います。そしてもちろん、できるだけ現在の高齢者医療も継続できる形で。
みんなで勉強して、研究して、知恵を絞らないと、ですね。
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今日の新聞にも、『大阪・救急搬送の89歳女性 30病院に断わられ死亡』の見出し。
いろんな条件が重なってこういうことになるのですが、でもみなさん、このような件については都市部での記事が多いとお気づきになりますか?
なぜこんなことになるのかを書くと煩雑になりそうなので、逆に、なぜ武雄ではこのようなことが少ないのかについて検証してみようと思います。
といってもたいして検証することはありません。武雄で急患が発生した場合、武雄市民病院か嬉野医療センターくらいしか選択枝がありません。いずれも公立病院です。そしてそこで働かれている医師たちもそのことは十分理解して、少々自分たちの労働能力を超えていても献身的に急患を受けてくれているのです。
上層の先生たちからも、地方の公立病院の使命として、可能な限り断わるな、と言われています。
これ、民間になって、しかも何らかの疾患に特化した病院になったらこうはいきません。自分たちの施設特徴に合致した疾患は断わらないでしょうが、そうでない疾患や重複疾患は断わられます。
これが公立と民間の急患患者に対する対応の違いではないでしょうか。
特に今回の記事にもなっているような高齢の積極的な医療の適応にならない可能性の高い、でも武雄では多く発生するだろう症例について、おそらく高次最先端医療をする民間病院は救急搬送は拒むと思うのです。なぜなら、そのような患者を受け入れることでベッドが埋まれば、高次救急の患者を受け入れるのに支障が出るからです。そうすると採算が取れません。
高次最先端医療と高齢者の急性増悪状態を受け入れてくれる病院、どちらのほうが武雄の住民のニーズは高いかを考える必要があります。どちらがじいちゃん・ばあちゃんたちには必要でしょうか?
勤務している医師は大学に戻れば専門医として自分の得意とする領域で活躍なさるひとばかりです。でも地方公立病院の役割を理解して、自分の専門外でも夜間救急にも賢明に努めておられます。それは武雄市民病院でも嬉野医療センターでも同じです。
今回の武雄市民病院問題につきましては、もう少し市民病院の医師に対して敬意の気持ちを持って接さないと、結局は彼らを派遣している医局がある佐賀大学も嫌な思いをしていると思うのです。というか実際そんな話しが耳に入り始めたので心配しています。貴重なメンバーを派遣している医局から見れば、それでも機能していないとばっさり言われては、それは不快な気持ちにもなるだろうと思うのです。今回は現場で働くひとたち、同じく市内で行政の医療福祉分野で協力している地元医師会そして大学への気持ちの配慮が足りなかったことが一番の問題でした。早急な信頼回復が必要ですよ。
この件については来年へ持ち越しとなりました。もちろん、この件についての早急な結論は望んではいませんからそれでいいのですが、まずはひと対ひとの信頼のおける関係作りからしていくことが重要だと思います。
僕の好きな言葉 『抜山蓋世』。
山を引っこ抜くような力(権力も含む)も強さだが、それと同じくらい世の中を愛で蓋うことができるのも強さだ、という意味で僕は解釈しています。
武雄市もこのような気持ちで住民に接していけばもっとみんなに優しい町づくりができると思います。
仕事納めの今日、来年こそは今よりもっと多くの方々を愛で蓋えるような器の大きい人間になりたいなぁ、と個人的目標を述べて締めくくりたいと思います。
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パキスタン、ブット元首相暗殺のニュース。本当に、本当に残念なことでした。
いかなる理由があろうとも人殺しはダメです。
なぜこんな当たり前のことをわからないひとたちがいるのか。
すごく哀しい気持ちや怒りの気持ちが込み上げているのですが、出て来る言葉は当たり前の言葉しか出てこなくて、それがなおさら悔しいです。
僕の持論ですが、今のすさんだ世の中、子どもや高齢者や弱者の生活や福祉、そして(生活・地球)環境まで、を上手く導いてくれるのは、女性、だと思うのです。
女性は生活に密接した細かいことにも気づきますし、論理的だし、直感も的を得ていることが多いし、共感すると周囲にいる女性集団は一気に集結して強烈なパワーを発揮するし。
今の福祉や環境の問題はまったなし、なので女性の方々のまっとうな理念で持って一気に突っ走るパワーが必要なときだと思うのです。
武雄でもどんどん女性のリーダーが表に出てきてほしいと思います。密かにはけっこうおられるのですが表に出ることを控えておられるんじゃないかなぁと思うことが多々あります。
『GABBA』でもおばあちゃんたちは表に出た途端、あんなにパワーを発揮したではありませんか!
そして僕が言う女性というのは女性的な感覚を持った男性も含みます。上記のことを読み直してみると、樋渡武雄市長も、僕が見る限りは女性的な方だなぁと思います。
女性のリーダーがより多く市長の周りにいて、生活に関する情報提供なり提言なりがなされれば、市長の良さがもっと発揮されると思います。副市長もおひとりは生活感のある女性がいいのではないでしょうか。
ひとが住みたくなる町というのは福祉が充実して、環境の良い町だと思います。そのような町になるためにはもっと女性パワーが必要だと思います。女性のみなさん、もっともっと表に出て活躍してください。
世界を見渡せば女性のリーダーは多くみられます。ブット元首相もそのうちのひとりでした。しかし強国と言われる国のほとんどは男性がリーダーであり、環境問題ひとつとっても相変わらず駆け引きをしている状況です。
動物は環境が良くないと本能として出産を控えます。少子化の一因はこのこともあると思います。僕の子どもたちも、最近は、自分たちは何歳まで生きられるのか、と地球環境(温暖化)と絡めて不安を口にするようになりました。このようなことを彼らに言わせているのは私たち大人の責任です。
自分たちの生活の利便性を高めることよりも環境に対してもっと向かい合い、どうしたらこの地球環境破壊の進行を抑え、また改善する道はあるのか考え、政策としても行動するときです。最近のこの時期ハズレの暖かさからみても、待ったなしだとみなさんも思うでしょ?
世界がやらないのなら、国がやらないのなら、武雄から。環境先進市としての方向性を打ち出せたらいいなぁと思うこの頃です。みなさん、どうですか?
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日本禁煙学会会員のメーリングで、敷地内禁煙のはずなのに武雄市内の学校敷地内で喫煙行為が行われている、と流れていました。このメーリングは全国の喫煙に関するいろんなことを各会員が気づいたときに情報を流し共有して行動していこうという目的で作られているようです。ようです、というのは僕は会員ではありますが今のところ傍観者として一方的に情報を受けているだけだからです。でも僕も武雄市内の学校の敷地内禁煙に関して徹底されていないことは知っています。学校での運動会でも喫煙場所が敷地内に設けられていることが多いですしね。
『武雄市がばいたっしゃかプラン21』の喫煙に関する項目を見てみました。妊婦の喫煙率現在8%⇒23年0%、公共施設数における禁煙施設数現在93施設⇒23年120施設、健診受診者の喫煙率(男性)現在31.6%⇒25%と書いてあります。
もちろんこの数字は達成しなくてはなりません。そして僕はそれらを達成するのにもっとも有効だと思っているのは、公共の場において受動喫煙ゼロを目標にすることです。
公共の場というのは施設だけでなく路上も含みます。
喫煙する人が自己責任で吸うことは、現在のところたばこは合法ですから仕方のないところかなぁと思いますが、最低限、受動喫煙をさせて他人に害を与えることはしないようにしなければなりません。そして真剣に受動喫煙させないように考えていけば、たいていの喫煙者はたばこを吸うことが馬鹿らしくなってきて止めると思います。
たまに喫煙者の方で「たばこは嗜好品なのに、なぜそこまで禁煙と言うんだ。」と言うひとがいます。
嗜好品というのはかおりや味を賞味する食品のことです。
たばこ文化は日本では江戸時代に始まったと言われています。それからしばらくは平均寿命は50歳代が続きましたからたばこにより発症する肺がんや肺気腫という病気を発症する前に亡くなることが多かったので、たばこは嗜好品の範囲で納まっていたのです。
でも今は平均寿命は男性でも80歳に近づき、そのため喫煙を続けた結果の肺がんやその他のがん(たばこはすべてのがんの発症リスクを上げます)および肺気腫になるひとが増え、そのことが医療費増にも繋がっています。
たばこの成分には有害物質200種類、発がん物質は40種類も含まれていることが知られるようになり、かつその煙りは近くにいるたばこを吸っていないひとにまで悪影響を及ぼすことが厚生労働省からも肺がんについて発表されました。
もはやたばこは嗜好品とは言えず、明らかに有毒物質であり有害物質なのです。
先日子どもクラブでごみひろいをしました。ゴミの中でも圧倒的にたばこの吸殻が多いのです。子どもたちの中には誰が吸ったかもわからない吸殻を素手で取ろうとしている子もいたので、注意しました。人目につかないような場所や溝に吸殻がどさっと溜っていたりします。捨てる人の心理としても人目につかないところに、とは思うんですよね。子どもたちもそのことを指摘していました。
だから僕は路上は禁煙にすべきだと思います。歩いていて受動喫煙させられてしまいます。施設の喫煙場所もまだまだ出入り口に設置してあることが多いです。武雄市役所のように少し離れたところにしてください。ただしベランダで吸う姿が見られますがこれもどうでしょうか?煙が室内に流れ込まないような気配りは必要と思いますし、他人の目があることも意識してくださいね。
武雄市が受動喫煙ゼロ宣言でもして(たばこを吸わない)住民や観光客に気持ちの良い町になればいいなぁと思います。
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『いつかこの番組にゲストで呼ばれるくらいにメジャーになりたい!』(バン!バン!バン!)
そう思っていました。僕の夢でした。なぜ?
それは・・・・・
タマの大ファンだからぁ!!!!(^^)!
最初は犬かと思っていました(笑)が、ニャーニャー言ってるし、タマという名前からも猫なんだと気づいたのはしばらくしてからでした(笑)。
とにかくおばあちゃんとの会話の間がすごく僕の脳波長に合っているんです。2人の会話を聞きながら寝ると良い夢がみれそう、そんな感じです。α波出まくり、みたいな・・・。
その番組とは、武雄の方ならみなさんご存知!そう!
『おばタマ』(←ここクリックしてみてください)
です。武雄杵島地区をカバーするケーブルテレビ『Cable One』の看板番組なのニャ~!
で、なんで僕が呼ばれたかというと、ゲストがGABBA(この日の収録はかっぱきみちゃんとおやきのゆうちゃん)で、僕は彼女達の主治医(ドクターかいぼー)として呼ばれたのです。
おかげさまでメインではない、付き添いという最高のシチュエーションでの出演。
緊張したかって?するわけないですよぉ。だってすぐよこにおばあちゃんとタマですよぉ。なごみまくりでしたぁ !(^^)!
GABBAの本物のおばあちゃんたちも、もちろん、緊張することなんてなく、無事に一発撮りでOKの連発をいただきました。本番に強いGABBAの本領発揮でした。
今回の収録分は1月1日~3日の『おばタマ』で放送されまーす。みなさん、見てくださいネェ~!(^^)!
収録後に僕のブログ用に写真を撮らせていただきました。おばあちゃんが『GABBA』のデビューCD『うれしか 楽しか ちゃーがつか』を持ってくれて、その横でタマがリアクションを取ってくれています。
もぉ~、タマ最高なのニャ~☆ おばあちゃんもメイクのままでのまじめな打ち合わせ、できるだけ顔をあわせないようにしていましたがやっぱり面白かったのニャ~(笑)。
タマは武雄の町で見ないニャ~と思っていたら武雄の人ではなかったのニャ~。だから逢えなかったのニャ~。あ!サインもらうの忘れた(T_T)
仕方ない。来年もゲスト出演目指すのニャ(爆)!(^^)!
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武雄在住の書家・山口耕雲先生が今年の日展で、佐賀県在住者として初めて特選に選ばれました。
その祝賀会が12月16日にありました。
山口書道塾といえば、武雄では耕雲先生のお父様の流水先生のころから多くの武雄の子どもたちが習ってきました。
流水先生はまさにお名前のように、さらっと流れる水の如く、どちらかといえば女性的な字を書かれていました。(僕の勝手なイメージです・・・)。日展入選の常連でした。
そしてその息子さんの耕雲先生。初めて先生の字を拝見した時、『あらっ、流水先生とは全然違うタイプだ。親子でも字は違うんだなぁ。』と思いました。名は体を表すと言いますが、この場合は字は体を表すと言ってもいいように、耕雲先生の風貌も朴訥とした感じそのままの角ばった力強い字でした。そして日展入選の常連でもありましたが、今回見事に特選になられたのです。
先生はその風貌とは違って(何度もすみません)、実はとても気が細やかな優しい方です。そして、特に毎年、日展の作品を書かれる夏は、作品を書くのに相当な気力・体力が必要なようで、僕とお話しする際は「きつかぁ。もう書かんめーかにゃ。」などとおっしゃいます。本気ではないと思いますが、それくらいきついのは本当でしょうし、僕にそうおっしゃることでガス抜き、発散になられているのなら光栄なことだなぁと思っています。
そして今年は見事に佐賀北高校が甲子園で優勝したことで気持ちが奮い立って書かれたのだそうです。
僕が祝賀会に出て驚いたのは、そんな日展入選常連の、お弟子さんもたくさんいる、耕雲先生のような方が書を習いに行く場(会)があるということです。先生からも「またこれから東京。」としょっちゅう聞きます。すごい場所があるもんですね。
中央の偉い先生がおっしゃっていました。要約しますと「日展には1万点程度(今年は1万1千点を超す)の作品の応募があります。入選はそのうちの0.8から0.9パーセント。そして特選は10点。特選の基準は作品そのものが素晴しいことはもちろんだが、このひとなら特選を与えるに値する活躍を今後もしてくれると認められる人。だから特選を取られるみなさんは入選歴が20回を超える人たちばかりでしょ。でも1回取ったからといって安心してはいけない。2回目を取る事が大事。そうすると審査員への道が拓けてくるのです。だけど2回目を取るのに特選歴1回というのは何のアドバンテージにもなりません。また素晴しい作品を書いてください。」
すごい世界があるもんだ!
そして僕は思いました。どのようなポジションになろうが100パーセントなんてないんだろう。死ぬまで上を目指して、そしてみんな志半ばで死ぬんだろうなぁ。でもこうも思う。死ぬまで上を目指してきたことで、自分はよくやってきた、と納得して死ねる。常に上を目指すということはそういうことなのかなぁ、と。
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本日、朝9時半から武雄物産館で
GABBA CD発売記念ライブが行われました。
CDのジャケットはこんな感じです。
ここでGABBAのメンバーを紹介します。補欠メンバーまで入れて計8人です。
がばいおとみさん(91歳)、ストロベリーえいちゃん(81歳)、かっぱきみちゃん(79歳)、まんじゅうてっちゃん(77歳)、おしゅんとしちゃん(66歳)、もんぺみよちゃん(63歳)、おやきのゆうちゃん(61歳)そして会長やっちゃん(66歳)です。
曲は『うれしか 楽しか ちゃーがつか』です。樋渡啓祐(武雄市長)さん作詞 舛田大輔さん作・編曲です。
ライブ中は僕もステージ上のためライブの写真はありません(ドクターかいぼーはGABBAの主治医としてメンバーの後ろにいて、ダンサーとして踊りながらもばあちゃんたちの足元に気を払っているのです・・・笑)ので、まずはライブ前の立ち位置確認のときのGABBA。
(※今日はおひとり風邪のためお休みでした。あれ?それでもひとり足りないぞ?あ、まんじゅうてっちゃんがいないのかな・・・?本番はちゃんとおられましたよ・・・笑)
そしてライブ後のサイン会。僕も10枚購入して、そのうち1枚にサインしてもらいました!(^^)!そして僕も何人かに頼まれてしました(レア物・・・笑)。
盛況でした。目指せ!紅白!って本当になったらすごいけど・・・♪
みなさんもよろしかったら購入してくださいね。裏と中の写真で白衣を着ているのは私(ドクターかいぼー)です。あ!1枚1000円ですよ!(^^)!
※カップリング曲は『むかしから むかしから』という曲で、これも樋渡啓祐さん作詞、舛田大輔さん作・編曲で歌は小林陽子さんとGABBA子 となっていますが、これまたやさしい曲で癒やされますよ♪
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Ressarさんが武雄市民病院に関する僕のブログを読んでの、18歳の生来重度障害難病患者として自分が感じる、この国の医療のあり方に対するご意見をいただきました。(もちろん、この件について書いてくれるよう要請はしていません。)
今回のメールは樋渡武雄市長をはじめ市民病院問題を考え始めた多くの市民のみなさんや医療関係者にも読んでいただきたいと思います。
それに追記して最近、僕の患者さんから時折耳にする言葉も書いておきます。「市長は『佐賀のがばいばあちゃん』『武雄のがばいばあちゃん』て、ばあちゃんにスポットをあてて頑張ってこられてたじゃないの。そして元気なばあちゃんはますます元気になった。でもね、その陰で寝たきりで元気がない、そして弱っていくばあちゃんもたーくさんおんさっと。そんなばあちゃんにも優しい行政ばしてくんさらんぎ、結局わーが名前ば売ーためだけの行動やったとねて思わるっばい。」
僕もそう思うのです。医療行政というものは最先端の華々しい医療に目を向けるよりも、まだ日陰で苦しんでおられる人がおられるのなら、そのようなひとたちにこそ優しいまなざしを向けることだと思います。だってそちらの人数の方が今は圧倒的に多いんですもの。
ではRessarさんのメールをご覧ください。
かいぼー先生、こんばんわ。
メールありがとうございます♪
武雄市の市民病院の件・・・ブログで拝見いたしました。
難しいことは、わかりませんが・・・
私のような重度障害・難病児者は、年々、行政や医療に切り捨てられています。
これは、現実です。
急性期医療や高度医療に力を入れる病院は増えていても、在宅医療を支える地域病院の充実や慢性疾患をサポートする療養型の病院は、非常に厳しい現状での運営を余儀なくされています。
言葉は悪いですが・・・
いわゆる、「患者追い出し」「弱者切り捨て」の時代は、もはや社会全体、事に一番彼らを支えるべき側の、医療や福祉にもみられています。
これは、・・・
時代なのでしょうか?
時代の流れとともに、人の生活は変化します。
そして、時間とともに、人の心も気持ちも、変化します。
常に変化し続ける生き物です。
けれども、決して変わらない、変わってはならない想いや時代だって、あるはずです。
変わるだけが、時代ではないと思うからです。
流されることが、新しい世界を築くことではないと思うからです。
多分、私のこの考えはきっと、綺麗ごとで、何もわかってないんだと思います・・・。
私だって、今まで医療に見放されてもきました。
「こんな前例のない難病は責任持ってみれません。」
「こんなに重度の障害はみたことないから、受け入れできません。」
門前払いを受けたのは、何度目でしょうか。
その度に、両親とともにやり場のない悔しさと運命すら呪いました。
責任。って、なんなんでしょう?
そもそも、医療を行う人間、命に携わる職業につく人は、
人の命に責任が持てるほど、
人の一生を左右できるほど、
偉いのでしょうか。
私の主治医である小児神経内科の教授が言っていました。
「医者が人の一生を左右できるなど、おこがましい考えだ。」と・・・。
私だっていつまでも、在宅で生活できるわけではありません。
永遠・・・なんて、ないんです。
親も老いていきます。
私が生きていれば、長く生きるだけ、日々介護度は高くなり、もっともっとお互い疲れていくでしょう。
在宅医療は、「入院しなくていいくらい落ち着いている病状」「比較的安定している人」がおられる場所ではありません。
在宅医療を受けているほとんどが、介護状態の重い人、病院では手に終えない人が、結果的に行き着くところが、在宅という場所なのです。
そして、在宅医療は、体制も人数も確立されていないまま、不完全なまま、患者たちは、その不完全で不確かな場所へと追い込まれるのです。
それを支える地域病院の体制すら、十分ではありません。
例えば、在宅で生活していても、感染症にかかったり、原疾患が一時的に悪くなったとします。
入院が必要であっても、介護度が高いから、病棟のナースやヘルパーだけでは対応できない。
よって、在宅でパルス治療を受けることすら当たり前化しているこの在宅医療は・・・
はたして、これで、日本の医療はいいのでしょうか?
この国の福祉に、未来はありますか?
いくら一部の領域では高度技術が叫ばれ、確かに助からなかった病気が助かるようになってもきました。
医学の進歩の恩恵を受けている人は、います。
しかし、けれども、その現状で満足はしてはいけないと思うのです。
入院が必要でも、受け入れる病院側に患者ひとりひとりにあったニーズに対応できるだけの余力がないため、結局は弱者にしわ寄せが来る時代です。
いくら日本の医療は優れているといわれても、
彼国より、豊かな国だといわれても、
見えない部分に、日本の医療の貧しさがあるのだと、感じます。
それは、私がこの世界でも珍しい稀少難病という病気を持って生きてきた中で、患児の立場から、常々思わされることです。
そんな不確実で過酷な日々の中、
命と日々向き合っている医師たち医療スタッフがいます。
それを支えている家族や友人、仲間がいます。
勤務状態も過酷な中、
それでも一人の患者のために、一生懸命になっている医師がいます。
私は、医療の冷たさも知りました。
けれどもそれいじょうに、医療の温かさや人のやさしさも知りました。
偉い人には、私の言葉は、石ころのようで、子どもの戯言としか、受け入れられないと思います・・・。
しかし、あきらめない想いはきっと、届くと信じてます。
届かぬ思いがありながらも、それでも、ひとりでも同じ想いを抱いて頑張っている人がいる。
結果的に自分の意見が通らなくても、
努力したことは、決して無にはならない・・・。
そう、小さいころ教えられました。
何が言いたいのか・・・判りませんね。。
すみません。
けれど、私も在宅医療でターミナル期を過ごす身。
こうして私たちの生活を守ってくれている、この改悪しつつある時代を変えようと、これ以上の負担を弱者にさせまいと奮闘してくれている医師らがひとりでもいること・・・
患者としてうれしく思っています。
先生みたいなお医者さんが、もっともっと増えますように。
きっと、きっと、先生方が行ってきた医療は、患者さんの心に届いています。
Ressar
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短い人生でも必死に生きているひとたちがいる。
想いを伝えたくて。そして想いは伝わっていく。
そんな世界があるんだなぁ。強い絆を感じます。
僕たちも強い絆で結ばれた世界で生きたい。そう思います。
夜遅くにごめんなさい・・・
いつも心配していただいているのに、返事が遅くてごめんなさい・・・。
肺炎も治らないまま、今日12月18日は・・・元彼の6回目の・・・命日でもありました。
一日・・・いろんな想いを抱えて過ごしました。
私は・・・まだ、彼の死を乗り越えられていません。。
立ち直りが遅い。
いつまでも未練たらしい。
そう言われても仕方ありません。。
彼は・・・骨髄移植を待てずに、他界しました・・・。
もう少し早くに・・ドナーが見つかっていれば・・・。
彼は今も尚、私の隣で、微笑んでくれていたでしょうか。
私は・・・今でも後悔しています。
私は、あの人に、何もできなかった。。
彼を支えることも、励ますことも、何も・・・できませんでした。
ただ、彼のそばにいさせてもらうことしか、できなかった。
そのことだけが、心残りです。
彼が亡くなった翌日・・・・・・
骨髄バンクから、連絡がきました。
“適合ドナーが見つかった。”と・・・・・。
後一日・・・ほんの一日。。
早ければ・・・。。
もう少し早ければ・・・・・・。
あの日の悔しさを忘れることはありません。
何年経っても、私はあの日のことを、あの人のことを忘れられないままです・・・。。
いつまでも過去を引きずっているせいで、今の彼にも随分迷惑や心配も、傷も付けあいました。。。
私に好意を抱いてずっと、好きでいてくれたあの子も・・・私の至らなさと、絶ちきれない想いで、随分傷つけてもきました・・・・・・。
“俺たちは、みんなに自慢できる生き方しような・・・。”
彼が言った最期の言葉は・・・
重く、切なく、苦しい・・・言葉です。
毎年12月になると、私の気持ちは不安定になります。
以前までは、よく過呼吸発作を起こしていました。
彼のことをこうして、人に話すことは、今までできませんでした。
あの人との思い出を、単なる、「想い出」にしたくなかったからです。
“遊び”と思われたくなかったからです・・・。
けれども・・・彼とであったこと、彼と過ごしたこと、彼と確かに未来を約束したあの日々のことを、
私は何一つ、後悔などしていません。
胸を張って、言えます。
私は、彼が好きでした。
心から・・・愛していました。
彼と出会ったことに、後悔などしていないからこそ、
誇りに思っているからこそ、
そろそろ、彼のことを、誰かに話そうと思ったのです・・・。
あの日から・・・私は少しずつ、歩き出そうとしていました。
彼の死を乗り越えられたわけではありません。
まだ、向き合えてもいません。
そしてこの先も・・・きっと私は、この季節になると、同じことの繰り返し。同じ想いを抱きながら、過ごすことでしょう。
けれども・・・少しずつ・・・
彼との約束した日々を、
彼というひとりの少年が、確かに、この世に生きていたことを、
彼が、伝えたくても伝えられなかった想い。
生きたくても生きられなかった無念さを、
私が、引き継ぎたいのです。
彼の無念さと後悔を背負いながら・・・。
彼は、本当に立派な人でした。
笑顔が、ステキな人でした。
サッカーが好きで、でも病気になってから、入退院の繰り返しで。
体力もなくなって・・・走り回ることも、できなくなりました。
サッカー中継があるときは、私のことはかまってもくれず・・・
でも、そんな子どもみたいな彼も、好きでした。
16歳と4カ月という生涯は・・・あまりにも、短かった・・・。
人生は長さを競うレースではありません。
生きた質が高ければ、80年生きた人生に該当する価値があるでしょう。
しかし・・・それでも・・・理不尽な死は、やっぱり、納得が行かないのです・・・。
順番が狂ったこどもや青年の死は・・・。。
この世に神様がいるならば。
私は一生、神を恨むと思います。
運命であるならば、それはどんなに理不尽なものでも・・・
“仕方ない”で済まされるほど、人間は単純な生き物でしょうか。
少なくとも私は・・・そのすべてに割り切れるほど、頭がいいわけではありません・・・・・・。
彼は、名前の通り、勇気ある人でした。
“やってみなきゃ、分からない。”
どんなに厳しい治療やリスクを背負う治療の選択においても、いつも彼はそう言って、果敢に立ち向かっていました。
(下へ続きます)
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